その6 学部生との距離感

「ちょっとこのままでは卒論としても厳しいかもねえ。少し気合を入れなおしてもらわないと・・・」

 前田先生の発言に、研究室のメンバーが全員静まり返る。この日は、恭太が指導をしている進の成果報告会がされているところであった。前田先生の口調は優しかったが、かなり不満げであることは恭太には十分伝わっていた。一方で、当の本人である進はあまり気にしている様子はなく、先生の発言を気だるそうに聞いていた。気まずい空気が元に戻ることはなく、この日の成果報告会は終了となった。


「今日の報告会マジでヤバかったね。こんな空気になったの初めて経験したかも」

「本当だよな。だけど実際発表かなり酷かったよね。何がしたいのかまったくわからなかったもん」

 報告会終了後、修士一年の学生たちがコソコソ話しているのが、恭太の耳にはハッキリと届いていた。恭太はかなり気が重くなっていた。進の研究を指導している立場である以上、今回の発表の酷さには少なからず責任を感じていた。そして、この後前田先生にどのようなことを言われるのかを想像するだけでも恐ろしくなっていた。


 進の発表内容が酷いのは、恭太自身ももともとわかっていた。事前に恭太が何度も発表準備に関して説明をしても、進は言うことをほとんど聞いてくれなかった。発表前日に強引に進捗を見せてもらったところ、発表資料はほとんど白紙であったため、恭太は唖然とした。そのあと、何とか形になるようにと苦心をしたが、時間が足りるはずもなく、中途半端な状況で発表の時間を迎える羽目になっていたのだ。


「はあー、今日の発表疲れたなあ。これから飲みに行こうぜ」

 少し遠くから進の声が聞こえた。他の学部四年生に声をかけているようであった。その声からは、落ち込んでいる様子はまったくなく、むしろ発表を終えた解放感に満たされているようであった。


「あ、桜田先輩、お疲れ様です。さようなら」

 恭太を見かけると、進は満面の笑みで挨拶をして研究室を出ていった。あまりにも爽やかな笑顔を向けられたため、恭太は優しく頷いて返すだけになってしまった。


「あー、なんで帰る前に注意しなかったんだろう」

 進が帰った後、恭太は少しずつモヤモヤした気持ちが浮かんでくるようになってきた。昨晩、進の発表資料がちゃんとしたものになるよう遅くまで起きていたのに、途中で進からの連絡が途絶えていた。午前二時になったときに、諦めて恭太も寝ることにしたのだが、翌朝になって、進は十一時には恭太に連絡することもなく寝ていたことを知った。夜の間にメールを送ると言っていたにもかかわらず、進は特に連絡なしにメールを送るのをあきらめていたのだ。それでいて、特に進むから謝られることも感謝されることも一切なかった。


「あーあ、前田先生にはなんて言われるのだろう・・・」

 一時間後に、前田先生とのミーティングを予定していた恭太は、進のことについていろいろ言われるであろうことが容易に想像できていた。爽やかに研究室を出ていった進むとは対照的に、恭太は沈んだ気持ちで研究室で待機をしていた。

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