四幕:帳の向こうの彼は誰ぞ①

 イレーヌがいつものバーでいつものようにカランカランとロックの入ったグラスを揺らしていると、いかにもストリートチルドレンですといった風体の少年が足音もうるさく駆け込んできた。

「おや、ビリーくん、どうしました?」

 ハンチング帽を目深にかぶった少年は、上気した頬のままこちらを流し目で見てくるイレーヌに一瞬身をこわばらせたが、すぐにその形の良い耳元に口を寄せ、何事かをささやく。

「ふむふむ、なるほど。ありがとうございます。これ以上の情報は大丈夫ですので、お仲間にもそう伝えて早く避難なさい」

 言いながら、イレーヌは懐から取り出した銀貨を一枚、手ずから少年に握らせる。体温が移ってほんのりと温かい銀貨を凝視しつつ、少年は促されるまま店をあとにしようと踵を返す。

 と、そこで「あ、ちょっとお待ちを」とイレーヌから声がかかった。

 何事かと少年が振り向くよりも前に、「たしかあなた、小さい弟さんがいましたね。これで弟さんにおやつでも買ってあげてなさいな」と、追加でもう一枚銀貨を差し出す。「そんな施しみたいなこと……!」と少年は思わず声を荒げるが、イレーヌの細く、形の良い人差し指を唇に添えられ、むぐ、と言葉に詰まった。

「意地を張るのもいいですが、張るべき時と相手をきちんと見極められるようになってからにしなさい。報酬を上乗せしてあげようというのに断るのは、自分を安く売っているのと同じですよ? それとも、私はそんなにもウラのある人間に見えますか?」

 路地裏でその日の飢えをしのぐために窃盗をしたり、ならず者たちの使い捨ての鉄砲玉として駆り出されたりしていた自分たちを拾い上げ、きちんと成果に見合った報酬をもらえる仕事を与えてくれた大恩ある人物にそんなことを言われては、おかげで二人目の弟のほうは見殺しにせずに済んだ経験のある少年は、返す言葉もなく口をつぐむしかない。

「そう。いい子です。私からはむしれる時にむしれるだけむしり取っていくくらいのつもりでいなさい。少しくらいあなたたちにかすめ取られたところで困るような蓄えはしていませんから」

 結局少年は、元から目深にかぶっていた帽子をさらに深く押し下げて、ひったくるように追加の銀貨を受け取って出て行ったのだった。

「ひゅー、少年の純情をおちょくるじゃーん。魔性の女ー」

 いつの間に隣に来ていたのか、うっすら赤ら顔のジェダが頬杖をついてにたにたとイレーヌを見ていた。

「ふふ、そうやっておちょくられた結果童貞喰われた人が言うと、説得力がありますね」

「ど、どどどど童貞ちゃうわって前にも言っただろぉ!?」

「そうやって慌てるからいつまで経ってもからかわれるんですよ。少しは学習しなさいな」

 きれいにブーメランの刺さったジェダはさておき、イレーヌはいつものように奥の個室ゾーンでわいわい騒いでいるだろうクランの仲間たちに声をかける。

「今宵もまた性懲りもなくチンドン騒ぎに興じる、元気を持て余した血気盛んな若者たちに耳寄りな情報を仕入れたのですが、どなたか聞きたい人はいますか?」

 一瞬の静寂。すぐに個室ゾーンの扉が開き、「詳しく聞かせてもらおうか?」とすっかり酔いの醒めた顔が聞いてきた。

「ええ。ええ。みなさん食いつきがよろしいことで。いいですよ。特別にノーギャラで教えて差し上げます」

 扉の奥からもギラギラと戦意に満ちた視線を感じ、イレーヌはついつい自分の口元がほころぶのを感じる。

「つい先ほど、この帝都で吸血鬼の一群による襲撃が始まったそうです。今はまだ城壁に囲われている方だけで済んでいますが、すぐに城壁外まで広がっているスラム方面にも眷属たちがやってくるでしょう。聖教会からは、スラム周りで吸血鬼撃退に協力してくれたものたちには報奨金を支払うという通達が出たらしいですよ」

 好きに暴れていい上に暴れた分だけ賞金が出るとなれば、気力と体力を持て余した男たちが食いつかない訳がない。やにわに先ほどまでとは違う意味で活気づいた男たちが、がやがやと騒ぎ出す。グラスを磨いていた店主が視線も向けずに「盛り上がるのはいいけど店内で武器を振り回すのはやめてね」と言えば、男たちは行儀良く「はーい!」と返事をする。

 そんな親と子供のようなやりとりをイレーヌが微笑ましく眺めていたところで、蝶番が吹き飛ぶのではないかというほどの勢いで店の扉が開いた。

「やあ、皆! ビッグニュースだヨ! なんと今、帝都が吸血鬼の襲撃に遭っていて、撃退に協力してくれたものには報償金を出すらしい!」

「ああ、リーダー。残念ながらそれはもう皆知ってますわ。聖教会に太いパイプがあるわりには、リーダーの情報網はストリートチルドレンのそれよりも遅いんですわね」

 ほぼ誤差のようなものとはいえ、イレーヌの情報網のほうが早かったのは事実。情報屋が同業者よりも先に仕入れられたことを誇るのは、まあ当然のことと言えるかもしれない。

「なんだか今さらっとディスられた気がするけど、まあいい! 皆既に知っているというなら好都合サ! ボクらが一番乗りして手柄を総取りするぞ!」

「もちろんそのつもりですよ、リーダー!」

「ちょっと鎧に着替えるので隣の個室お借りしますね」

「わざわざかっちり装備を固めなくてもいいだろうに。地下迷宮の六層や七層に潜るんじゃないんだぞ?」

「逆に言わせてもらえば、噛まれたら吸血鬼の眷属にされるかもしれないって状況で鎧着けずにいられるあなたの精神の方が怖いですよ、私は」

「はは、やっぱうち一番のマッチョメンは言うことがちげーなー」

「は? おい、ジェダ、お前なに自分は行きませんってツラしてんだよ。お前が来なかったら始まんねえだろ」

「は? 俺も行くの? やだよ、俺パンカッターよりも刃渡り長いもの持ったことないんだけど!?」

「誰もお前に戦力としての期待なんかしてねーよ! お前はその場にいるだけで価値があるだろ!」

「いや、でも討伐数に応じて賞金出るよだったら俺白星0でタダ働きじゃん!」

「そしたら皆から一個ずつ星ゆずってもらえ! 皆その程度で痛むほどの戦果には収まんねーから!」

「えーーーーー!? やだーーーーーー!?」

 店主に酒のお代わりを頼んで完全に傍観するつもりだったジェダ。けれどもこのクランの戦闘の主軸を担う彼にそんなことが許されるはずもなく。抵抗虚しく首もとを掴んで引きずられていく。

「ふふ、そんなにイヤなら俺と一緒に宅飲みしておけばよかったのに。俺の誘いを断るから結局ビンボーくじ引くことになるんですよーだ」

 ジェダが飲みかけで置いていったグラスを当然のように手に取り、ジェダが口をつけていたところに当然のように口をつけて残りをあおるフィニアン。

「いや、それでもジェダくんは密室で君と二人きりになるくらいなら、夜中に戦場へ駆り出されるほうを選ぶと思いますよ?」

 間接キスとかそういうレベルの話じゃないでしょう、これ?という顔でフィニアンの悦に入った表情を見返すイレーヌ。彼女の趣味も大概だが、その彼女が引くほどフィニアンのヘキがヤバいのもまた事実なのだ。常識の範囲で片付けられる嗜好をしていれば、子供のできる心配がないからという理由で好みの顔をした同性にヤらせてくれと頼んだりはしないだろう。

 フィニアンはまず、なぜ自分が避けられているのかについてよくよく反省してみた方がいい。

「はあ……でも、そうなると予定が空いちゃったな。今日は皆が潰れるまで飲ませて、こっそりお持ち帰りしようと思ってたのに」

 自分のグラスに残っていた分もジェダのグラスに移して先ほどと同じように飲み干したフィニアンが、唇についた酒をぺろりと舌で拭う。

「……あなた、いい加減ザルなのにジェダくんの前でだけ酔ってるフリするのやめた方がいいですよ? 今日みたいに皆で騒ぐことが多くなればなるほどボロが出ますから」

「ふふー、大丈夫大丈夫。俺がジェダ兄さん狙いなの皆知ってるから、露骨すぎるかな?ってくらいのアピールしてても捨て置いてくれるんですよね」

「うーん、どちらかといえば、それはあなたのノリに関わりたくないからのように思えますが……」

「好きにさせてもらえるなら結果オーライでしょ♪ 問題ない問題ない♪」

「これはポジティブで片付けてしまってよいものなのか……」

 ニコニコと屈託のない笑みを浮かべるフィニアンを横目に、イレーヌはこみ上げてきたため息を飲み込むように、だいぶ氷の溶けてきてしまったぬるいロックをぐいっとあおるのだった。

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