三幕:罪は咎めて罰なれど⑦
そのまま最短ルートを通って亀裂のところまで戻ってきた風花たちは、いつの間にか一階の警備が通常に戻っていたことを不思議に思いつつも、足を止めることなく駆け抜け、各階層へと通じている洞窟へと戻ってきた。
「いやー、うん、今回はマジで前金だけもらって逃げてもいい案件じゃないか?」
「まあ、お金が入り用でないっていうなら、達成報告にはうちらだけで行かせてもらうんで、ついてこなくて大丈夫っすよ。その代わり成功報酬も分けてあげないっすけど」
「自分だけで行くのは怖いからついてきてって素直に言いなさいよ、あんた」
「ちなみに、私は逃げてもいいだろうか?」
クイッとサングラスを押し上げながら発言する黒スーツの男。
「あんたが一番ダメだろ、付き添い人この野郎」
「まあ、証人がいないとダメっすよね。向こうも爆発は確認してるのかもしれないっすけど、うちらがきっちり依頼達成しましたっていうのは口添えしてもらわないと」
ぜーぜーと肩で息をしながら、けれども軽口を叩きあえる程度には余裕を取り戻した面々。いつもの魔動車ではなく徒歩で来ていたことを思い出してげんなりするものの、すぐにそんなことを気にしている余裕はなくなった。
「あっと」
何かに気付いた風花が暗闇に向かって刃を振る。まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで飛び出してきた狼のような獣が、吸い込まれるようにその刃を顔面で受け止め、悲鳴を上げる間もなく絶命する。
「うっわ、まだ向こうにたくさんいるっすよ。なんでここ外なのに魔物が?」
暗闇の向こう、これから自分たちが向かう方を指さして、風花がうげーと眉をひそめた。
「まさか、ここ数日噂になってた例の三層に住み着いたっていう吸血鬼が出てきたとか? でも聞いた話だとしばらくはあそこに引きこもったままなんじゃないかってことだったんだが……」
「てゆーか、魔物って外出てこられるんです? たしかここにある入り口って魔物たち通れないはずじゃ……?」
「魔物たちが出てこられる亀裂もあるって話だけど、この洞窟の中にそれはないはず。吸血鬼の眷属化するとそういう法則から外れるのかも」
「細かい話はさておき、とりあえず向こうにいる魔物を全部倒さなきゃ俺たちは無事に帰れないってことだよな。はー……めんどくせー……」
深くため息をつきながらも懐から取り出した暗視ゴーグルを装着し、臨戦態勢に移るルシール。横についたメモリをいじることで明るさを調節し、戦闘に支障ない程度の視界を確保する。
すると、風花の言ったとおり緩やかな坂を登った先に数頭の魔物がたむろしているのが見えた。しかし、こちらに気付いている様子でありながら向かってくる気配がない。
不思議に思いつつも、倒さねば通れないのだから倒して通るのみ。襲ってこないならこれ幸いとばかりにこちらから攻撃を仕掛ける。吸血鬼の眷属らしく闇の中にぎらぎらと輝く赤い瞳を目印に、分厚い毛皮をざくざくと切り裂いていく。血しぶきが飛び散り、次々と魔物たちは倒れ伏していくが、しばらくすると傷が再生して復活する。
「あーもー、これが面倒なのよねー」
軽快なステップで敵の攻撃を避けつつ、的確に相手の急所を切り裂いていくネル。よっぽど深い傷でないと再生されてしまうが、相手の魔力も無限ではないので何度か繰り返していると再生できずに本当の死を迎え、灰になって崩れ去る。
「わっはっはっは、人間様舐めんな、こら。一回くらい死んでもオッケー♪とか思ってるから負けるのよ、あんたたちは!」
単調作業にいい加減嫌気が差してきたのか、無理矢理テンションを上げるようにネルが声を張り上げる。
そのまましばらく戦闘を続け、周囲にいる魔物を残らず殲滅したところで、不死身の
理由は分からないが、少なくとも先ほど倒した眷属たちは偵察役だったのだろう最初の一頭を除き、こちらが攻撃するまで襲ってくることはなかった。だが、次もそうとは限らない。無差別に襲いかかってこられたら非戦闘員である黒スーツの男に危害の及んでしまう可能性があるため、抜けられるタイミングでさっさと抜けてしまうが吉なのだ。
もう一度くらいは戦闘が発生するものと思い、警戒しながら足早に洞窟の中を進んでいく風花たち。けれども彼女らが倒した魔物以外洞窟の中にそれらしき気配はなく、あっさりと洞窟の出口まで到達してしまった。
なんだよ、拍子抜けだな。と首をかしげるが、答えは洞窟を出てすぐのところにあった。明らかに統率の取れた集団によるものと一目で分かる野営地が設立されていたのだ。そして、激しい戦闘の痕も。
「なーるほど。俺らがさっき倒したのは居残り組だったって訳?」
「かもしんないわねー。さすがにこれだけの規模とぶつかってたらあたしら今頃骨だけになってたんじゃない?」
「はー、たしかに。タイミングがいいんだか悪いんだか」
辺りに食器とおぼしき陶器の破片が散乱しているところから、夕飯の準備中、もしくは片付けの最中に襲われたのではないかということが推測できる。そして、天蓋に施された刺繍から、これが聖教会のものであるということが分かる。
つまり、ネルたちが地下迷宮に潜ったあと、吸血鬼討伐のため聖教会の部隊がやってきたが、準備が整うよりも前に奇襲を受け、敗走したのだろう。
実は先日から、地下迷宮には聖教会関係者以外は極力立ち入らないようにというお達しが出ていた。そして、明日、朝日が昇ったら全面立ち入り禁止になる予定だったので、ルシールたちはこうして依頼をこなすためこっそりと地下迷宮に侵入していたのだったが、もし野営中の部隊と遭遇していたらお咎めなしですり抜けることは難しかっただろうし、彼らを襲った眷属の集団と遭遇していたら善戦むなしく喰い殺されていただろう。二重の意味でルシールたちはタイミングが良かったのである。悪かったとも言えるだろうが。
「あれ、すいませーん。もしかして誰かいますかー?」
馬などの移動手段がうまい具合に残されてはいないだろうかと駄目元で野営地の中を見て回っていたら、どこからともなく鈴を転がしたようなかわいらしい声がする。
思わず短剣の柄に手をかけながら声のした方を見るネル。けれども次に視線を向けた先にいる風花が警戒は無用と首を横に振ったので、緊張を解き、「誰かそこにいるの?」と訊ね返す。
「いますよー。実はちょっと困ったことになってまして、もしお急ぎでなければお手を貸していただきたいのですが……」
困っていると言う割にはさして切迫しているとは思えないのんびりとした口調。先ほどとは別の意味でこれ本当に大丈夫?と思わず風花の方を二度見してしまうネル。大丈夫大丈夫、と風花がうなずくので、仕方なく「いいけど……あなた誰?」と誰何する。
「あ、申し遅れました。僕、レヴェノス聖教会のクレメント支部に所属しているルート・フォン・スフィールです。仕事は主に吸血鬼の討滅……なんですが、この状態だとあまり説得力ないかもしれませんね」
あはは、と苦笑する声が天蓋の向こうから聞こえる。スフィールという姓に聞き覚えのあったネルたちは足早に声がした方へと歩み寄り、分厚い天蓋を勢いよくめくり上げる。すると、そこには刃渡り一mほどの両刃剣に腹を貫かれて地面に縫い止められている少年の姿があった。
その息を飲むほどの端正な顔立ちに見知った人物の面影を見て取ったネルたちは、慌てて彼に駆け寄る。
「ちょ、これ大丈夫なの!?」
「実はわりと意識保っているのも限界な感じでして……さっき救援部隊を呼んだんですが、到着までもたないかも、と思っていた矢先にあなた方がやってきたという訳です。地下迷宮に潜っていたという事実は見逃してあげますので、代わりにこれ、引っこ抜いてくれませんか?」
よく見れば、白磁のように透き通っているという形容だけでは説明できないほどに肌が青白い。まず間違いなく大量に失血しているせいだろう。医療の心得があるルシールを呼びながら、二人がかりでなるべく傷口を広げないように長剣を引き抜くネルたち。遅れてやってきたルシールは状況を見るなり、すぐさま傷口を両側からしっかり抑えておけと命じながら踵を返した。
どこかへと早足で去っていったルシールは、なるべく汚れていないテーブルクロスとジョッキに並々と注がれた真水、そして多少土にまみれてはいるが表面を削り落とせばまだ十分に可食部分の残る干し肉の塊を持ってすぐに戻ってきた。
彼は風花に干し肉の塊を投げ渡すと、表面を削ったら適当に一口サイズにカットしておけと命じ、ネルと共にルートの衣服を大きく引き裂いた。露わになった肌にはじっとりと脂汗がにじみ、弱々しく、けれども途切れることなく血が流れ出ていた。
「しみるぞ」
相手の返事を待たずにジョッキの水を傷口にぶっかけ、見た目上は患部をきれいに洗浄したら、すぐさま細く切り裂いたテーブルクロスをきつく巻き付けていく。
「俺には治癒術は使えないし、内臓が傷ついてたらアウトだが、単に肉を貫かれて出血してるだけならこれでしばらくはもつはずだ。悪いが救援部隊らしき姿が見えたら俺たちはトンズラさせてもらうぜ」
「ええ、分かっていますよ。僕もあなた方のことは口にはしません。最初にいた部隊のものたちに手当をしてもらったことにしておきます。それか自分でやったか」
かなりの血を失ってつらいはずなのに、相手を安心させようとぎこちない笑みを浮かべるルート。
「どうだかね」といまいち信用していない態度のルシールだったが、ルートの次の発言を受けて降参の意を示すことになった。
「大丈夫、姉さんの友人に迷惑をかけるようなことはしません」
「……! なんだ、暗視ゴーグルつけてるのによく分かったな。そう言われちゃあ信用するしかない、か」
「……まあ、仕事柄色々な情報が入ってきますので」
「お、やっと来たっぽいっすよ、救援部隊!」
薄くスライスした干し肉をルートの口に運びながら、風花が帝都の方を指さす。そちらを見れば、既に城壁の上に設置された照明が煌々と灯り、迎撃用の兵器が稼働しているらしい帝都を背に、松明やランタンなどを持って魔動車を走らせてくる人々の姿が確認できた。
「じゃ、俺たちはここで」
「ええ、お元気で」
「……それ、君が言うセリフじゃないと思う」
「ふふ、僕も思います」
それだけ冗談が言えるなら十分だ、と一人ごちながらルシールが立ち上がり、ネルと風花もそれに続く。そして、来たときと同じように闇の中へと滑るように消えていく。
結局彼らは、野営地に立ち入る時に黒スーツの男が溶けるように姿を消していたことも、彼らが野営地を離れたら何食わぬ顔で合流していたことも――頑なに外さなかったサングラスの奥で赤い瞳が輝いていたことも、何一つとして気付かなかった。
ただ一人黒スーツの男の正体に気付いたルートは、スライスしてもらった干し肉を噛みながら(あの男、わざわざ僕の治療のために戻ってくるなんて、いったい何が目的だったんだろうか……)と、答えの出ない問いを延々頭の中で転がしていた。
ルシールたちと合流する際、いたずらっぽくこちらを見やった瀟洒な長い金髪の吸血鬼。黒スーツにサングラスという簡素な装いを身にまとい、身の上を偽ってまでルシールたちの依頼に同行していた
――そして、地下迷宮のどこかで、パキリ、と何かが芽吹く音がする。
場所は先ほど大爆発のあった樹牢要塞の例の大部屋。部屋の大半を占拠していた巨大な蟲竜ですら体のほとんどが吹き飛んでいるような大爆発のあとで、それでも原型を留めている小さな天球儀。その中に収められていた小さな白い球体が、真っ二つに割れた音だった。白い殻の隙間からどろりと黒い液体を溢れさせ、芽吹いた種はゆっくりと根を張っていく。
周囲に散乱する死体から血液を吸い上げながら、種は急速に成長していく。誰にも知られることなく、闇の中でひっそりと。
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