三幕:罪は咎めて罰なれど⑥

「めちゃくちゃ端的に言うぞ。あれはおそらく普通の蟲竜じゃない」

「なんだと?」

「うちの気による探知は、分かりやすく言っちゃえば生命の気配を感じ取るようなものなんすよ。だからたとえ周囲に蜥蜴人の気配がないかを探るつもりだったからといって、より生命力の強い蟲竜の存在を見落とすわけがない。言い換えるなら、よっぽど小さな羽虫みたいのでもない限り、『生物』が探知をすり抜ける訳がないってことなんすよね」

 一刻も早くその場を離れることが肝要だったので、ばたばたと足音もうるさく通路を駆け抜けていくルシールたち。感覚的な部分の大きいものなので、使い手である風花自身が説明を引き継ぐ。

 もちろん、そうしている間も足を止めることはない。

「生物が……ということはつまり……」

「そ。確証はないっすけど、たぶんアレは吸血鬼とかそういう感じの生き物に変成しちゃってたんじゃないっすかねぇ」

「ま、だとするとここがなんかざわついてるのも納得なのよねぇ。この階層がまさにその渦中だし」

「上階の様子がまったく分からんので完全当て推量で言うしかないが、おそらく繁殖期でもないのに大量の蟲竜が蜥蜴人を捕食しに降りてきてんじゃないかね」

「ここからちょっと下に行けば蜥蜴人たちの居住区だし、食い止めるならここが最終防衛ラインでしょ」

「少しばかり最終防衛ラインが近すぎる気もするけどな」

「普段ならもっと上っすよ。たぶん凶暴化した蟲竜が急に降りてきたんで、普段よりも戦線が押し下げられてるんじゃないっすかね」

「なるほど。じゃあ俺らは知らぬ間に蜥蜴人たちに恩を売っていたわけだ」

「さっきの蟲竜の話? たぶんだけど、本当に吸血鬼化してたんなら、あと二、三回は殺さないと死なないと思うわよ?」

「だがまぁ、一回分殺す回数は減った訳だし、あんだけ濃密な血の臭いをまき散らしてりゃあ巡回してる兵たちがすぐに見つけるだろ」

「ま、それもそうね。逆にあたしたちがこの階に上がってるって教えてるようなもんな気もしないでもないけど」

「……たしかに」

 それは盲点だったな、とあごを撫でるルシール。だがしかし、蜥蜴人たちが本格的に騒ぎ出す前に仕事を終わらせてしまえばいいだけのこと。今はとにかく早く目的地へとたどり着くことが肝要だった。

 先頭を行く風花から止まれのハンドサイン。記憶が正しければこの角を曲がった先が上階へと上がる階段になっているので、一旦止まって、落ち着いた状態で敵兵の有無を確認したいということなのだろう。

 足音もなく止まったルシールたちは、風花の探知が終わるのをじっと待つ。ネルなどは背後から再生を終えた蟲竜が追いかけてきていないか確認していたが、少なくとも目視できる範囲にそれらしい様子は見当たらなかったので一安心といったところ。

 十秒程度で階段を上がった先まで探知を終えた風花からゴーサインが出る。一気に階段を駆け上がれば、もう目的地は目と鼻の先。

「右から三番目……右から三番目……あった!」

 観音開きで明らかに他とは装飾のレベルが違う大きな扉。この通路だけやけに横幅が広いうえ、他の扉からだいぶ離れて区画のほぼど真ん中にドンと構えられているあたり、中は大部屋である可能性が高い。

 素早く扉の横に張り付いたネルが事前に黒スーツの男から預かっていた鍵を懐から取り出すが、風花がその必要はないと首を横に振る。それはつまり、中に蜥蜴人の気配があるということ。そして、そのまま居合いの構えに移ったということは、部屋の中にいるのは蜥蜴人だけではないということなのだろう。

 ルシールは、と視線を向ければ、既に抜刀を終えて臨戦態勢に入っている。いい加減黒スーツの男も慣れてきたのか、三人の動きの邪魔にならない、けれども三人のカバーできる範囲からは外れない程度の場所に移動していた。

 お、やるじゃん。見切りの筋はいいんだな。と思いつつドアノブに手をかけるネル。アイコンタクトでタイミングを合わせ、一、二の……三!で内開きの扉を開け放つ。いつも通りネルはパッと飛び退くが、けれど今までと違ってルシールや風花が即座に飛び込むことはなく、まずは扉から見える範囲で中の様子をうかがう。

 そして、中は予想通り大乱闘になっていた。というか予想以上の大乱闘だった。

 大部屋らしく天井は一個上の階までぶち抜きになっており、部屋の手前側では幾人もの蜥蜴人が隊列を組んで奥にいる巨大な蟲竜と対峙していた。天井にこすれるのではないかと思うほどに巨大な体躯をした蟲竜。その進攻を抑えるため、蜥蜴人の兵たちも身の丈よりも大きな盾を構えて必死で踏みとどまっている。木製のわりには非常に頑丈な盾らしく、すりこぎのように回転する蟲竜の歯を受けても削れることなく耐え凌いでいる。

 扉を入るとすぐ横に当たる場所にはかなり大がかりなバリスタが複数置かれ、数人がかりでギリギリと弦を引いては巨大な蟲竜の古木のような表皮に向けてアンカーを打ち出していた。全て木製のわりには半分ほどが表皮を突き破って刺さっており、そのたびに蟲竜の巨大な口の奥から苦悶の叫びらしきものが響いている。

 まさかここまで大規模な戦闘が行われているとはさすがに予想していなかったので、ネルもルシールも、どころか風花までしばし呆然と中の様子を眺めてしまった。何故これほど大規模な戦闘が起きているのに一歩外に出た通路はこんなにも静かなのか。普通は補給や伝令などであわただしくなっているのではないか。などという疑問が頭をよぎるが、扉が開けられたことに気付いた遊兵の一部がこちらを指さして何事か周りに伝えているのを確認し、まだ頭の切り替えが十分ではないが先手を打つため仕方なく部屋に飛び込むルシール。

 ネルは黒スーツの男に駆け寄り、例のブツをもぎ取るように受け取ってからルシールの後を追う。風花は一旦途切れてしまった集中を取り戻し、気を練り直す。先日邂逅した魚竜並に巨大な相手にまともにダメージを与えようと思ったら今の得物では刃渡りも切れ味も足らないし、仕込み刀の一つでも持ってきておけばよかったと本気で後悔するが、今更そんなことを言っても始まらないので少しでも手傷が深くなるよう、今は気の練り上げに全神経を集中するのみである。

 一方、無策のまま飛び込んだルシールはとりあえず近くにいた敵兵の喉笛をかっさばき、吹き出る血しぶきを避けながら相手の槍を奪う。そして、それをバリスタの滑車部分に思いっきりぶっ刺した。当然、歯車の間に異物の挟まったバリスタの弦を巻き取る動きは止まる。強力なバネを使っているバリスタの巻き取り構造はそれだけで弾け、滑車を回していた蜥蜴人を何人か壁まで吹っ飛ばした。

 まあここでこいつらが全滅したとてこっちは目的さえ達成できれば何も問題はないので、というあまりにも無責任な思考のもと、とにかく事態をひっかき回すように動くルシール。それに追随するように、遅れてやってきたネルも蟲竜は無視して手前にいる蜥蜴人の陣形を乱すように辻斬りしまくる。中にはこちらの斬撃に反応できるつわものもいるが、それでも平均してしまえばルシールやネルの方が格段に強いので、そういったつわものも結局足並みを乱された味方に邪魔されて彼らに反撃を加えることはできない。

 とにかく場をひっかき回しまくって戦線を崩壊三歩手前くらいまで機能不全に陥らせたところで、満を持して風花の参戦である。拘束力が緩んでじわじわと蠕動運動を再開し始めた蟲竜の目の前まで滑るように駆け寄り、静止、刹那の脱力――溜めに溜め込んだ力を残らず放出する。


「朱の舞、紅朱雀――重ね」


 ど、どん、と音が二段に分かれて轟く。足りない威力を補うために風花の出した結論、それが一人時間差による連撃であった。初撃で分厚い表皮を剥がし、続く二撃目で骨まで届かせる。普段あまり相手をしたことがないほど巨大なのでこれで本当にダメージを与えられているのかは分からないが、とりあえず太刀筋の“決まった”手応えはあった。その感覚を証明するかのように、口の半ばほどまで真っ二つになった蟲竜の動きが止まる。

「よーし、今!」

 蜥蜴人たちが驚きに目を見張り、全員の注意が蟲竜へと向けられた隙を過たず突くネル。

「オッケー!」

 ネルから投げ渡された木製の魔術具を片手に、手近に転がっていた兵の死体に馬乗りになると、ルシールは死体がまとっている鎧の結び目を手早く断ち切り、胸当てをはぎ取る。露わになった蜥蜴人の白い腹を真一文字に切り裂くと、そいつの手に魔術具を握らせ、死体の指を無理矢理動かして天球を開く。そして緑色の血液があふれ出るはらわたの中に、切り落とした手首ごと魔術具を突っ込んだ。腹腔の中に血液が溜まって天球が満たされるまでのわずかな時間で、部屋から逃げ出すルシールたち。

「あんなデカいって分かってたら事前に言えよ、お前!? マジでビビったぞ!?」

 もうハンドサインを使うまでもないと判断したのか、普通に怒声を上げるルシール。

「いや、うちだってあんなデカいのがいるとは思ってなかったっすよ!? 蟲竜一頭にしてはやけに蜥蜴人の反応が集まってるな~くらいにしか!?」

「は? 今そんな笑えない冗談言っても……いや、待った? もしかしてさっきお前が蟲竜の存在に気が付かなかったのもそのせいじゃないか?」

「え?」

「あ、はいはーい。あたしなんとなくあんたの言いたいこと分かった気がするわ」

 片手を挙げて発言の機会を主張するネル。

「あたしには気を使った探知の感覚ってよく分かんないんだけどさ、要は吸血鬼やその眷属は他の生命体に比べて気配が小さいんじゃないかって話でしょ? 魔力探知ならそんなことはないんだろうけど、吸血鬼って一度死んでるわけだし、気って生命力を感じ取る訳だから、反応が極端に小さくなっちゃう可能性もあるんじゃない?」

「あー、なるほどー。でも――」

 納得したようにうなずきつつも何事か言おうとした風花だったが、その発言は最後まで続かなかった。何故かと言えば、背後の空間が大爆発したからである。天球に液体が満ちてしばらくすると起動する仕掛けだったのだろう。

 爆風に体が浮く。風花は崩れたバランスを一瞬で立て直し、くるりと回転して見事着地する。ネルとルシールも受け身を取ることには成功した。黒スーツの男だけが、吹き飛ばされた勢いのまま床に顔面から落ちた。

 男は、けれども素早く立ち上がり、鼻から垂れてきた血を拭く。意地でもサングラスは外さなかった。

「うわ、ウソ、予想大当たりじゃん! マジ!?」

 わっはは、と大笑いするネル。本当にルシールとの予想通りその場にいるものを一掃する仕掛けが施されていたことが彼女のツボにハマったらしい。

「いや、マジで天罰術式再現するとか、マジでなにもんだよ、あんたのご主人様……」

「私にも分からなくなってきた……」

「今のが天罰術式……? ふーん……?」

 どうにも腑に落ちない表情で首をかしげる風花。けれども彼女らが真っ先に為すべきことは、今の爆音に引き寄せられて蜥蜴兵や蟲竜などが集まってきてしまうよりも前にこの場から逃げることだったので、彼女の抱いた違和感は発話される機会を失ってしまった。

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