三幕:罪は咎めて罰なれど⑤
「これは……手を挙げなければならない流れなのか?」
「いや、そんな必要はない。このアホが勝手にやったことだ」
おずおずと手を挙げる黒スーツの男に、茶番につきあう義理などないと端的に告げるルシール。
「まず星空、これは間違いなく創世神話において神がいたとされる空間、そのメタファーだろう。そして絡みつく枝。枝は地上をイメージしているのだろう。その上で天球に絡みついているということは、そこへのなんらかの執着を表しているのかもしれん。毒は言わずもがな、敵意や悪意だろう。枝自体に毒があるということから、もしかしたら創世記、人が神に成り代わろうとしたその傲慢さを表現しているという見方ができるのかもしれん。球体については想定されるものが多すぎてはっきりこれだと言うことはできんが、今の流れを踏まえれば――」
「――白点」
「の可能性が高いな」
神妙な面もちで黒スーツの男の台詞で一番いいところをかすめ取ったネル。だがルシールも男もそこになにかコメントを差し挟むことはせず、シリアスモードを継続する。
一人、なんの話をしているのかよく分からんという顔をしていた風花だったが、「白点」という単語を聞いてようやく得心がいったのか、「あー、なるなる?」と口に出しながら再び手を挙げた。
「…………三回目はないからな?」
念を押しながら風花の発言を促す。
「創世記における神罰執行の場面をこの道具を用いて再現しようとしてる訳っすね。そしたらこの設置場所の指定にも意味がありそうな話していいっすか?」
「どゆ意味?」
想定通りの発言の後ろに想定外の内容がくっついてきたため、ぱちくりと目をしばたかせるルシールたち。
「まず、地図って基本的に上が北になってるじゃないっすか」
言いながら依頼主から預かっていた地図を広げる風花。
「で、この地図も同じ描き方がされてると仮定した場合、我々は南西から侵入し、二階上の北側にある小部屋にこの謎の道具を設置してくるようにってことだったじゃないっすか。最短ルートを行く場合は緩やかに東へ向かい、そこから北上することになる」
ふむふむ、と風花の言葉にうなずくルシールたち。実際、途中まではそのルートを通っていたので、そこに異論はない。
「うちの地元には方角に吉凶があるという考え方がありまして。で、北は黒壁のある方角、つまりは死を意味するということで、まっすぐに北上するのはあまり歓迎されてないんすよ」
「あんたの地元めんどくさくない?」
ネル、率直な感想を言うの巻。
「でも、死の恐怖は権威と結びつきやすいので、城を構えるときはだいたい街の北側とかに配置するんすよね。民にこれから向かう場所は恐ろしいところだというイメージを植え付けるために」
「その感覚、分からないでもないがやっぱりお前の地元めんどくさいだろ。建物一つ建てるにもそういうの考えなきゃいけないとか」
ルシールも率直な感想を口にする。
「えーい、黙って話を聞け~~~! 要は! 東、つまりは日が昇る方角へと一旦進んだあとに北へと向かうことに意味があるんじゃないかって話なんすよ!」
「東……今の話からすると死を想起させる北に対して、生命力あふれるイメージがあるとかそんな感じか?」
「え、なんで知ってるんすか?」
「いや、だから今の流れからするとって言ったじゃん。適当だよ」
「でもそうすると、風花の予想はあまり関係ない気がする」
単にそう思っただけ、ではなくきちんと根拠のある口振りでネルが割り込んできた。
「相手はバナービス派でしょ? てことは聖典に書いてあること以外の要素は基本盛り込んでないと考えた方がいい。魔術はただの手段であり、必要だから取り入れただけで、本命はやっぱり聖教のイコンを用いたシンボリズムでしょう」
「うーん、そっかー。言われてみればそうっすね。セノレー大陸の国々はクレメントとの国交が成立してから教化された訳ですし、そんなところの思想をゴリッゴリの原理主義派が採用する訳ないかー」
「ま、ここまでいろいろ話し合ったおかげで、なんとなーくだが対策が見えてきたんじゃないか?」
「そーねー。とりあえずおっさんの持ってる溶液を使っちゃダメってところまでは共通見解でいいかしら?」
「右に同じく」
「私もそれでかまわん。さすがに自分の命は惜しいからな」
「ふっふーん、なんでそういう前提になってるのか分っかんないっすけど、異議なしでーっす!」
「分かんねーなら賛成すんなっつの」
一言愚痴ったところで話を進める。
「であるなら、だ。何で代用すればいいのかって話なんだが」
「そりゃあ、見立ての題材にされてたものそのものでしょ」
「だよなー。ついでにお手を拝借もしちゃうかー」
「あ、なるなる。えげつないこと考えますな、おぬし」
「ま、自分の身を守りつつ依頼主の意向にも沿おうとしたらそうなるっしょ。途中でほっぽって逃げてもたぶん依頼主以外からは何も批判出てこないくらいの案件だぜ、これ?」
「ほっぽって逃げられると私の立場がなくなるのでご遠慮願いたいな……」
サングラスを押し上げながら言う黒スーツの男。きょとんとした表情で顔を見合わせたネルとルシールは、ほぼ同時に吹き出した。
「どっははは、おっさんそういう冗談も言えるのか! 今のは笑えたぜ!」
「あっはっは、このタイミングでジョーク利かせてくるのはセンスあるわ! ありがと、いい感じのリラックスになった!」
「冗談のつもりはなかったんだがな……」
口をへの字に曲げて再度サングラスを押し上げる助手の男。唯一風花だけは笑いのツボにはまらなかったようで、ふーむ?と首をかしげていた。
「さーて、ひとしきり笑ったし、最後まで突っ走るかー」
一応周囲に蜥蜴人の気配はないことを風花に確認してもらってから扉を開けたルシール。けれどもそのまま逆再生のような動きですぐに扉を閉め、後ろで疑問符を浮かべているネルたちをひきつった笑みで見やる。
「蟲竜いんだけど」
「……は?」
「うそ、そんな気配なかったっすよ?」
「逆方向扉なかったっけ!? なかったよな! 最初にしっかり調べたんだもんな、うん!」
明らかに取り乱しているルシールの様子を見て、それが冗談ではないことを悟るネルたち。
「大丈夫! この通路の幅に入れるくらいの蟲竜なら風花が両断できるって自分で言ったんでしょ!?」
ネルの一喝。それで少し落ち着きを取り戻したルシールが手のひらを額に当て、ゆっくりと息を吐く。
「そうだな。そうだよな。悪い。ちょっと予想外のことだったから」
そんなやりとりをしている間にも三人は扉から二、三歩分距離を取り、戦力にならない黒スーツの男は対極の壁際へと退避させておく。
三人は顔を見合わせ、小さくうなずく。
「三、二、一……!」
かけ声と共にネルが内開きの扉を開け放ち、ルシールと風花が飛び出した。
事前に扉までの距離とだいたいの大きさを目で確認していたルシールは、予想通り目の前まで来ていた蟲竜に対し、そのすり鉢のような形状をした口にイスを投げ込んだ。ガリガリゴリゴリと音を立てて咀嚼されるイス。ものを咀嚼している間は前進が止まることを知っているが故の行動である。
蟲という割には脚や体節に相当する部分はなく、どちらかと言えばミミズなどのワームに酷似している。顔とおぼしき部分に目や鼻といった感覚器官は見当たらず、ほぼ全てを無数の鋭い歯が並んだすり鉢状の口が占めている。それが蟲竜。
樹牢要塞内の通路がだいたい幅も高さも三、四m程度に抑えられているのは、一説によるとそれ以上のサイズの蟲竜の侵入を防ぐためと言われている。ここ最近はそんな大冒険をした探索者たちがいないため眉唾な話として伝わっているが、要塞内のはるか上層には魚竜並に巨大な個体もいるという噂だ。
そんな巨体と遭遇してしまったら命はないが、先ほども言っていたようにこの通路に入ってこれる程度のサイズの蟲竜なら風花が対処できる。
ネルが稼いでくれた時間を有効に使い、風花は気を練り、全身を可能な限り脱力させ、短剣を腰に添えて居合いの構えを取る。イスの咀嚼が終わり、通路の天井にゴムのような質感の表皮をこすらせながら再び蟲竜が前進を始めた瞬間、攻撃にも防御にも移ることのできないその一瞬を狙って、風花は音速の居合いを放つ。
「朱の舞、紅朱雀――!」
気をまとった斬撃は元の刀身の何倍にも拡張され、遠心力の作用のように一番先端の部分にもっとも威力が乗る。その一番切れ味の鋭い部分がどこにぶつかるかと言えば、もちろん蟲竜の頭部である。蜥蜴人たちが用いる木製の刃ではなかなか刺さりにくいぶよぶよとした表皮を容易く切り裂き、どころか一直線に両断し、双頭のヘビのような見た目に変えたところで、蟲竜の体から力が抜け、ぐにゃりと通路に倒れ伏した。
一拍遅れてじくじくと染み出してきた蟲竜の緑色の血液から距離を取りながら、風花は「終わったっすよー」と部屋の中に控えていたネルと黒スーツの男に声をかけた。
「まさか……本当に両断してしまうとは……」
実際に目にするまでは半信半疑だったのだろう、黒スーツの男がサングラスの奥で目を丸くしているのが分かる。
「ようーし、非常に嫌な予感がする。早く移動するぞ」
「待ってくれ、せめてサンプルを……」
「理由は道すがら説明する! さっさと来い!」
半ば叱責するかのような口調で、蟲竜の死骸のそばにしゃがみ込もうとする男の行動を咎めるルシール。彼の焦りの理由を他の二人はきちんと察しているようで、彼のように声を荒げてはいないが、目で早く来いと合図していた。
貴重なサンプルなのに……と口惜しく思うが、このまま置き去りにされても困るので素直に彼らの指示に従う黒スーツの男。もう少し、あと一分でもその場に留まっていれば、彼らの判断が正しかったことを身をもって知ることになったのだが、そこは歴戦の冒険者、培った嗅覚で危険のにおいをしっかりと嗅ぎつけていた。
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