三幕:罪は咎めて罰なれど④
「ま、実際にどういうトラップが仕掛けられてるのかは分からんが、まず間違いなく俺らも口封じする気ではいるだろうな」
「だからあたしに丸投げするんでしょ? まったく薄情な人らっすよなー」
でもま、と特に気にした様子もなく風花がイスから立ち上がる。
「そうと決まれば善は急げっすね。時限式で発動するトラップが仕掛けられてる可能性もあるし、一日千秋もいいっすけど、ここは一朝一夕でいきましょう」
「は?」
「は?」
「すまん、言いたいことは分かるんだが意味が分からない……」
身も蓋もない反応を取る気心の知れた二人と、律儀に困惑してくれる黒スーツの男。
「ちなみに一朝一夕って即断即決みたいな意味の言葉じゃないからな。覚えといた方がいいぞ」
「え、マジすか。マオっちウソ教えたなー?」
「マオの言葉を真に受けるとかお前そんな純朴じゃこの街で生きてけないぞ」
「え、そこまで? 十のうち三がウソか口から出任せで七がまともなイメージだったんすけど」
「それを分かってんだったらあとでシヴァかリズに本当に大丈夫か確認するくらいのことしろよ。あ、ジルはダメな。あいつ金取るから」
さりげなくディスられるジルクニス。まあ、自分からローンシャークなどと名乗るような男なのだから、人間性もおおよそお察しなのだが。
「ま、とりあえずその溶液をちょっと見させてちょうだいな。そしたら行きましょう」
差し伸ばされたネルの手に、わずか逡巡したあと助手の男は言われたとおり懐に後生大事にしまっていた小さな細長いガラス瓶を置く。ネルは瓶の蓋を開け、手のひらであおいで軽くにおいを嗅ぐ。
「んー、刺激臭はしない。でも革じゃなくガラスということは腐食性のあるものである可能性はある。対になること前提だとしたらピレスコトル。でも蜥蜴人の血に見立てているならミンファデッタかゾーリャーシエの可能性も……うーん、もっとしっかり勉強しておけばよかった」
さすがに舐めて人体への反応を確認するわけにはいかないしな……と眉根を寄せて唸るネル。普段の言では魔術など成人する前に少し教えられた程度で、あとは全く触れたことがないということだったが、こうして未知の液体の成分が何かということを専用の器具もなしに推察しようとするなど、何年も前の埃をかぶった知識ではできようはずもない。つまりは市場に出回る魔術書などを買って彼女が人知れず魔法の勉強を続けていたことの証なのだが、ルシールたちは彼女の沽券に関わることだからと口をつぐんでいた。
(だがしかし、そうなるといっそう疑問だな)
ネルの集中を乱さぬよう無言を保ちながら、けれどもハンドサインでは別の話題に興じるルシール。
(なにがっすか?)
(バナービス派っていうのは公会議で認定された明確な異端だ。最近は異端っていうと使徒人間説を唱えるクーシュビル派がやり玉に挙がることが多いが、実を言うとあれはまだ公会議で正式に異端認定された訳じゃないから、厳密には異端じゃないんだ。公会議で認定されたもの以外は異端として審問しない。これは訂教審議会における大前提の一つだ)
(訂教審議会?)
(異端審問専門の部署だ。レヴェノス聖教の暗部みたいなものだよ)
(なるほど。続けて)
(けれどバナービス派は公会議で異端認定されてる。つまりはこの宗派を信仰してることが聖教会ないしは国にバレたら、余裕でお家取り潰し騒動になるくらいの大スキャンダルだってこと。なのにこの黒スーツの男は……)
「ええい、ハンドサインで長文面倒くせぇ! しゃべるぞ! なのにこの男は、出会ってまだ半日の俺たちに自分だけじゃなくご主人様やその周りの人間までまるっとバナービス派なんだと明かしちまった。一世代も前の公会議で異端認定されてる宗派なんだぜ? 今じゃ田舎の教会の異端目録にだって名前が載ってる。普通はもう少し正体を明かすのをためらわないか?」
ごもっとも、としか言いようのない叫びと共に小声での会話に切り替えるルシール。
「たーしかに。あの時点ではまだうちらが口封じされるかもって確証はなかった訳っすもんね。言われてみるとちょっと軽率」
同じく発声での会話に切り替えた風花がちらりと黒スーツの男の様子を目だけでうかがうが、ネルの様子を注視しており、こちらの会話に気付いている様子はない。
もちろん、それが演技という可能性もあるが、即座にリアクションを起こしてこない以上は、表面から見て確認できることだけで判断しておくしかない。
「で、この間俺らのところに来た使いの身なりやこいつの話の規模からすると、こいつのご主人様は間違いなく貴族。それも最近の成り上がりノーマナーじゃなくて、きちんと領地を持ってるタイプと見た。であれば、余計にどこの馬の骨とも分からん弱小クランにこんな依頼をして、こんな迂闊なお使い役を派遣して、無用なお家取り潰しリスクを高める理由が分からない」
「あー、なるほど。だんだん言いたいことが分かってきたっす。本当にこいつら、バナービス派か?ってことっすね、要は」
「その通り。本当にこいつらがバナービス派なら、そもそも聖典に書かれていない地下迷宮の研究なんてするはずがないんだ。あいつらにとってここは異端中の異端。研究するくらいなら山ほど火薬を持ち込んで根こそぎ吹っ飛ばそうとするだろうよ」
「あ、じゃあそれなんじゃないっすか、相手の目的」
「は?」
「ほら、最近地下迷宮の素材が大量に出回ってるじゃないっすか。シヴァはあれのこと吸血鬼おびき寄せるための撒き餌だって言ってたっすけど、そんな事情知らないやつらからしたら、妙な魔力を帯びたものが急にたくさん出回るようになった訳で。で、それが自分たちにとっては視界にも入れたくないようなものだったなら、いなくなってもかまわないような下っ端を使って自爆テロさせるくらいのことはやかねないんじゃないかなーって」
「……可能性はある。が、となるとこいつの証言と矛盾が出るな」
「まー、少なくともここ最近雇われたって感じではないっすからねー。足がつかないようにするなら、それこそ雇って数日くらいの段階で捨て駒にするっすよね」
「俺も同意見。今回ここで自爆テロさせるためだけに雇ったなら、屋敷に囲って何年も騙し続けるのはコスパが悪すぎる」
「でも、やってることの詳細は知らないって話だったし、もしかしたらこのおっさんがそう聞かされてるだけで、本当は全然別のことしてたって可能性もなくないっすか?」
「まあ、それはそうなんだけどな。何年も口裏を合わせ続けるのはコスパが悪いだろうって今言ったばっかだ」
「あぁ、そっか。ご主人様とだけ接してた訳じゃないんすもんねぇ。他に何人も助手がいるって話なのに、どうでもいい下っ端一人騙すためだけに何人もの人間が手間暇かけてそんな大仰なことしてたらめっちゃ時間のムダっすわ」
「だから疑問なんだよ。依頼主の本当の目的が予想できない。そこが分かれば今後の対策も立てられそうなんだがなー」
ふう、とため息をつくルシール。風花もうーん?と首を捻ってみるが、いいアイデアは浮かばなかった。
「待ーった。今の話もっかい言って」
「あ? どっから?」
ワンテンポ以上遅れてのネルからの指示にもっともすぎる言葉を返すルシール。
「えーっとね、ここは異端中の異端だから吹っ飛ばしちゃってもいいんじゃない?ってとこらへんから?」
「思ったより前じゃなかったな。ちっ、つまらん」
ええと、さっきはどんな会話をしていたんだったか……と記憶をたどったルシールが、そこではたと動きを止める。
「いや、待て。もしかしてこの空間を研究することと、ここを爆破することとは矛盾しないんじゃないか?」
「うん?」
「どゆことっすか?」
「そーそー! それが言いたかったの! 人の台詞取るな!」
「理不尽だな、おい!」
とりあえず一言ツッコミを入れてから、ピンと来てない様子の二人にも伝わるようにきちんと言語化していく。
「つまり、だ。ゴリッゴリの原理主義派がなんでこんなところを何代もかけて研究してんのかというのが分からなかった訳だが、もしかしたらここを吹っ飛ばすためにこの空間の仕組みを研究してたんじゃないか?って話なんだよ」
「空間の仕組みを研究? ここは単なる広大な地下空間じゃないのか?」
「おっさん、むしろ今までよくそんな認識で地下迷宮生き抜けてきたな。むしろ尊敬するぜ」
「地下迷宮って第一、第三、第五階層あたりに潜ってるとそうは感じないかもだけど、第二に潜れば少しは異常性分かるわよ。あそこ、地下に太陽あるし、三層どころか四層、五層くらいまでぶち抜いてないとおかしいくらい縦に深いから」
「たしか八階層はアレっすよね、行ったことないから噂でしか聞いたことないけど、地下深く潜ったはずなのに地表が見えないくらい天高くそびえた大樹の枝の上に出るんでしょ? 意味分かんないっすよね」
「なんだ、それは? 冗談だろう?」
「ジョーダンなんかじゃないっすよー? ま、だからここがどういう場所なのか理解しておかないと無闇に攻撃しても意味がないってことなんでしょね」
「あ、てことは待てよ? もしかしてこれ魔術的なモチーフだけじゃなくて聖教会のイコンも引用してるんじゃないか?」
「それは、まさか……神罰術式のことを言いたいのか? しかし、いくら旦那様といえどそれほどの触媒を用意できるとは……」
「まー、普通に考えれば
「はい! 一番、風花! 回答いいっすか?」
「えーっと……まあいいや、はい、どうぞ」
何故か勢いよく手を挙げた風花。絶対こいつ分かってねーだろ……と思いつつも律儀に回答を促すルシール。
「全然分かりません!」
「だろうな。はい、次!」
即答&即答であっという間に終わる茶番。
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