三幕:罪は咎めて罰なれど③
「うーん、ちょっと休憩に時間をかけすぎたっすね。兵士の死体がこの付近で途絶えてるのに感づかれたっぽいっすよ」
「お、マジか。案外早かったな」
「まだ方針決まってないけど、とりあえず迂回する方向でいく?」
「いや、また別の部屋に移ろう。君たちが処理した蜥蜴人からいくつかこういうものを失敬しておいた」
こういうもの、と言ってサングラスの男が取り出したのは、リングに綴られた複数の鍵だった。
「これで開けられる扉を探して、そちらの方に身を隠そう。例の道具も私では分からなかったが、君たちなら分かることがあるかもしれない。そのためにはまず落ち着ける場所と時間が必要だ」
いつの間にそんなものを、と思うルシールだったが、確かに移動中この男が何度か敵兵の死体のそばに座り込んでいる姿を見ていた。もしかするとこういった事態を予期して自分なりにできることを模索していたのかもしれない。素人同然と侮っていたが、存外機転は利くようだ。
「オーケー。じゃあその線で行こう。とにかく今は早くこの部屋から出て別の場所に移動しないとまずい」
「自分から袋小路に入り込んでたらざまぁないものね。風花、トカゲどもの注意が逸れた瞬間を教えて」
「りょーか、あ、今っす」
「息つく間もない!」
コントかと思うほどのテンポの速さにつっこみを入れつつ、ネルが薄く開いた扉の向こうへとするりと飛び出す。続いてルシール。しばし扉の向こうからどたどたと大きくものの動く音がしていたかと思えば、頬についた返り血を拭いながらネルが戻ってきた。
「オッケー、ついてきて」
「ではお言葉に甘えて」
部屋を出た風花たちは元来た通路とは逆の方に走り、あえて出口とは逆方向に曲がった。
敵の集まっているだろう方向から遠ざかるという目的もあったが、一番はそちらの通路の先に要塞内の上の階へと行くための階段があるのだ。
通常は出口からあまり離れすぎると帰る時が大変になってしまうし、待ち伏せされやすい場所なのであまり階段を通って上の階や下の階へ移動することはないのだが、今回は話が別。そもそも目的地が別の階に設定されているので、どうあがいても階段を使わざるをえない。そのため少しでも安全な道を通ろうと、目的地に一番近い階段を一気に駆け上がる予定だったのだが、結果としてこのざまなので、今はとりあえず一番手近にある階段を使って警戒網をどうにかすり抜けようとしている。
(……あった、階段!)
出口から遠ざかる方向へと進んでいると面白いくらい巡回中の敵兵と遭遇することがなく、すんなりと第一の目的地である階段のところまでたどり着いてしまった。
しかし、問題はここからである。
何度も潜っているので出入口のある階の地理はだいたい頭に入っているネルたちだが、階段を上った先はあまりそうとは言えない。通路や部屋が下と同じような配置になってくれていればいいが、人間の常識で考えると痛い目を見る可能性がある。幸い、依頼主の用意してくれた地図があるので道に迷ってしまう可能性は低いが、敵地のど真ん中でのんびりとそんなものを広げている訳にもいかない。
そして第二の問題が、自分たちの持っている鍵で開けられる部屋がその階にあるのかということである。もし先ほど隠れていた部屋近辺でしか使えないのであれば、落ち着いて今後の方針を話し合うという目下の課題すら解決することができない。願わくばすぐに鍵のあう部屋が見つかって欲しいところだが、こればかりは運を天に祈るしかないので、端的に言ってしまうと出たとこ勝負である。
そして、結論から言ってしまうと彼女らは賭けに勝った。階段を上って最初に発見した扉らしきものに失敬してきた鍵を片っ端から試していったところ、四つ目がガチャリと音を立ててはまったのである。
階段を上った先は下の階と打って変わって周囲に全く敵兵のいる気配がなく、扉を探している途中や鍵を試している最中も風花の探知範囲に敵兵の姿を確認することはなかった。
「これは逆にまずいかなー」
仮眠室のような造りの室内の安全を確認し、手近なイスにどっかりと腰をおろしたネルがぼやいた。
「いくら警報が鳴ったからとはいえ、あんなにもわらわらと兵たちがでてきた時点で気付くべきだったかもな」
「でも、こんな下層に出てくることなんてそうそうなくないっすか?」
「いや、わっかんないぞ。何年かに一度の繁殖期にはやばいことになるって話を聞いた覚えがある」
「まさか……蟲竜の話をしているのか?」
主語を省いたまま会話を続けるネルたちに、ドアの前に軽くバリケードを築いていた黒スーツの男が問いかける。
「ああ、あんたも名前くらいは聞いたことあるのか?」
「旦那様からそうそう出くわすことはないだろうが一応気をつけろとさわりだけは」
「まあ、運悪く出くわしても大丈夫。ここの通路に入ってこられる程度の体躯のやつなら風花が両断できる」
あっけらかんと言ってのけるルシール。けれども肝心の風花がこの場に愛刀を持ってきていないことを踏まえての発言なのかどうか。
要塞などという物々しい名前がつけられ、武装した兵士が多数巡回していることからも分かるとおり、この建物は現役で稼働している前線基地である。では、いったい何と戦うための施設なのか。相手が冒険者ではないことは、出入り口付近に警備兵が常駐していないあたりからも見て取れる。蜥蜴人たちにとって冒険者はあくまでも不意に現れるイレギュラーな脅威であって常に警戒し、臨戦態勢を整えておくほどの脅威は別に存在しているのだ。
そして、それが蟲竜である。樹牢要塞のはるか上層に住み、蜥蜴人を主食としている(らしい)生物。この階層に人が立ち入るようになってから数十年経過しているが、いまだに両者の関係はどうやら敵対しているらしいくらいのふんわりとしたことしか分かっていない。地下迷宮のことにそこまで本腰を入れて研究しようと思う酔狂な輩がめったにいないことが原因なのだが、そう考えると風花たちに依頼をしてきた人物は、素性がどうあれ、後の世ではその研究成果を重宝される
まあそんなことを風花たちが意識しているのかは分からないが、とりあえず黒スーツの男が持参したという魔具を確認させてもらうことにする。
「これだ」
男がスーツの胸ポケットから取り出したそれは、大の大人なら何の苦もなく片手で掴めてしまうほどに小さい。調査に来たというわりには手ぶらな男のことを実は内心で訝しんでいたルシールたちだったが、こんな小さいものだったなら着の身着のままという軽装もうなずける。そして、見ただけではどういう用途のものか分からないという男の発言も納得だった。
「……ネル、分かるか?」
「うーん、ダメね。妹ならもうちょいはっきりしたことが分かるんだろうけど、あたしの知識じゃあなんらかの観測装置っぽいことしか」
直接触れないよう気をつけてためつすがめつしながら、己の知識の引き出しををひっくり返すネル。けれどもピンと来るものはなかったようで、ため息と共にイスに腰を戻す。
「そうか……ま、それが確認できただけでも万々歳だろ」
多少声に落胆の色はにじませつつ、けれども気にするなと言外に励ますルシール。
「となるとやっぱり、当初の予定通り指定された場所に設置してくるしかないんすかねー」
なんかもう既に興味の大半を失っているとおぼしき風花がテキトーなことを言う。
「ちなみに、これってどうやって設置するみたいな説明って聞いてる? まずはそこの確認をするべきだったわ」
「あぁ、この話がなんの役に立つかは分からんが、ここのつまみを捻って中に入っている天球を露出させたら、この隙間からこの瓶に入った溶液を満杯になるまでそそぐようにと言われている。そして、中に入っている水晶体がひとりでに動き出したら、部屋の壁なり床なりを掘って見つからないように隠せと」
「あ、あー? あーーーー、なるほどね。なるほどなるほど。なるほど天球の中に球体が入ってて、そこにこの緑色の液体をそそぐ、と。なるほど。なるほど? じゃあ『旦那様』のところには赤色の液体がある、とか?」
「む、何故それを? 心当たりがあるのか?」
「うーん、心当たりっていうか、単なる当て推量なんだけど、それらしい仮説なら立てられそうかも」
「あ、じゃあたぶんこれ素材がトップラに生えてる木っぽいってのも教えといた方がいいっすか?」
トップラとは地下迷宮第二階層トップダウンツリーズの略称。太陽が地の底深くにあり、天井から風車のように巨大な木々が大量生えている。人々はその木々の幹や枝を足場に使って進むのだ。
「ん? それは初耳。どしてそう思ったの?」
「え? どうしてもなにも、見りゃ分かるじゃないっすか。気の流れとか」
「普通の人間そんなん見れないから。『分かる』人の視座から物を言わないでくれる?」
「いやだって普段マオとかシヴァとかすぐに理解してくれるし、ネルっちもだいじょぶかなー?って」
「その道一筋云年って感じのやつらとほんの上辺だけしか知らないあたしとを同列に並べるな。向こうに失礼でしょうが」
「いやー、なんも知らん側からしたらちょっとでも『分かる』やつってだいたいどれもおんなじくらいすごいやつに見えるぜ? お前は一応でも『そっち』側だからいまいちピンと来ないんだろうけど」
「ん、んんー?」
まったくそんな自覚はないし本心から自分程度を熟練者たちと同列に扱うのは相手にとって失礼でしかないと思っているので、褒められても素直に喜べないネル。そもそもこれを褒められていると取るべきかどうかというところから話が始まるのだろうが。
「すまないが話を戻してもかまわないか? 今の話からどんな推測が立ったのか教えてもらいたい」
「むしろこれで何も思い浮かばないって、あたしからしたらあんた本当に軽んじられてんのねっていう感想しか出てこないんだけど、普段どういう“お手伝い”をしてるわけ?」
「さすがにその発言にとげがあることは分かるぞ。言っただろう、私は助手の中でも一番地位が低いと。でなければこんな命の危険を伴う“お使い”などさせられているものか」
さりげなく自分たちの仕事を蔑まれたのだが、まあよく言われることなので特に気分を害した様子もなく流すネルたち。
「じゃ、本当に話を戻すけど、ここは一応あたしたちの認識としては『地下』になる訳じゃない? で、そこに『天球』を、つまりははるか天上を象ったものを持ち込み、かつそれを蜥蜴人の血液と同じ色の液体で満たす。これ完全に地上からこっちの様子をなんらかの魔術で観測するための道具じゃん。たぶんだけど、人間の血液と同じ色だし緑と補色関係にある赤い色の液体のほうに定期的かリアルタイムかでなんらかの情報が伝えられて、それを元に観測実験が行われるやつでしょ、これ」
「……だとすると、これを起動するのは、風花、気でガードができるお前がやれ」
「うーん、やっぱそうなるっすよねー。りょーかいっす。人知れず誰かの命を助ける役回り、謹んでやらせていただきまーっす」
「え、なんで? なんでそんな話に?」
何故か通じ合っているルシールと風花を横に、突然の話の飛躍についていけないネルと黒スーツの男の頭上に疑問符が浮かぶ。
「なんだよ、お前。そこまで分かってるくせに一番どうでもいい、けどまったく預かり知らぬ訳じゃない人材に道具を運ばせ、手ずから起動させることと、その道具にこの素材が使われてることとの相関に気付いてないのか?」
「???」
「…………あ、もしかして!」
まだピンと来てない様子の黒スーツの男をさておき、ネルがなんと悪趣味な!でも根っからの魔術師だったらそれくらいのことはしそう!という顔で声をあげた。
「そーそー。つまりはそういうこと。これ、十中八九起動させた当人を殺すための仕掛けが施されてるぜ。それが物理的なものか魔術的なものかは分からんが。ま、枝が指に刺さるだけで致命傷になりかねないようなドエラい危険植物を素材に使ってるあたりから物理的な仕掛けなんだろうけど」
一目見た瞬間にその意図を理解していたからこそ、風花は魔術師本来の陰湿さに嫌気がさしてやる気を失っていたのだった。
「ま、でもフィールドワークぜんぜんしないタイプの研究者らしい発想だよな。自分の専門分野だから魔術的痕跡を残すことには警戒するけど、冒険者相手に地下迷宮由来の素材使った道具見せても意図に勘付かれないと思ってるあたりの迂闊さと想像力のなさ」
これも冒険者という職業に対する無意識の侮りから来るものなのだろうと想像がつくが、犠牲にされそうになっていた人物に言っても仕方がないだろうと口にはしないルシール。
「……ふーむ、となるとあたしらも危険よね」
「もしかすると……この溶液は魔術的な触媒だけでなくその植物と反応して急激に気化するとか、そういう性質も持っているのではないだろうか」
ネルと助手の男が口を開いたのはほぼ同時。まるでネルの懸念を分かりやすく説明するかのような流れになったことに、ネルと男は思わず顔を見合わせ「ふはっ」とどちらともなく吹き出した。
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