三幕:罪は咎めて罰なれど②
この段になってようやく、あやわ自分たちが挟撃されかけていたということに気付いた助手の男は、慌てて採取したサンプルをケースに入れ、すぐにでも移動できるように準備を整える。今頃慌てたところで遅いんだけど……と思いつつ、けれどもその感想を口には出さず冷ややかな目で助手の男を見つめるにとどめる風花たち。
と、そこで不意に風花の後ろへ視線を向けたネルが「あ……」とつぶやく。何かあるのか?と風花が振り向くのと、ジリリリリ!とけたたましい警報が通路内に鳴り響くのとは、ほぼ同時だった。喉元を掻っ捌いて殺したと思っていた巡回兵のうち一体にまだ僅かに息があり、最期の力を振り絞って壁に設置されていた警報ボタンを押したのだ。
これを押されてしまうと、あとは通報のあった地点に怒濤のごとく兵士たちが押し寄せてくる。結界の使える人員がいれば、まあそこまで慌てるほどのことでもないが、今の風花たちにそんな芸当のできるメンツはいないので、必然的に最善策は逃げの一手となる。
今日は比較的軽装だったということもあり、普段よりも軽やかな足取りで駆けるネルたち。スーツに革靴という舐めた格好で地下迷宮にやってきたアホな男を置いていかない程度の速度で走りながら、ハンドサインで猛烈に愚痴る。
(やっぱウチらだけで潜ってテキトーに集めてきた素材を検品してもらうとかの方がよかったんじゃないっすか!?)
(足手まとい一人増えたくらいどうってことないってアンタ言ってたじゃん! こっちにだけ非があるみたいな言い方やめてくれる!?)
(というかそもそも俺としては誰も革靴につっこまなかったことが意外だったんだが!? 絶対に地下迷宮潜る格好じゃないだろ、アレ!)
(だって自信満々に「地下迷宮には何度も潜ったことがあるので勝手は分かっています。皆さんの足手まといになるようなことはしませんよ」とか言ってたから!)
(その発言完全にアウトなやつっす! 最近マリーちゃんに貸してもらってる本でそういう発言してるやつだいたい最初の方で死んでるっすよ!?)
(え、意外。風花って本読むんだ)
(野生児だから文字読めないかと思ってた)
(あんたらウチにどんな偏見持ってるんすか!? 共通語くらい実家にいたころきちんと塾で習ってますから!)
(でも話せると読めるは別だろ? 俺だってこっち出てくるまで文字読めなかったし)
(そうなの? てかよくよく考えたらあんたの過去全然知らんわ。成人してからすぐ村を出たくらいのことしか知らない。話せ)
「今ここでか!?」
思わず声が出てしまったルシール。けれども丁度地面をすべるような動きで敵兵の下に入り込み、逆立ちの要領で相手の頭を足で挟んだあと、思い切りねじって首の骨をへし折っているところだったので、どちらにしろハンドサインでの会話はできない状態だった。
すぐにその場を離れたとはいえ、要塞の中を出た訳ではないので、当然そこかしこから敵兵がわらわら湧いてくる。通報のあった現場に向かおうとする彼らを、遭遇するたびになるべく音の出ない、痕跡の残らない方法で無力化していくルシールたち。むしろ刃物を使っていない時の方がスピーディなのではないかと思ってしまうほどに鮮やかな手際。
あまりにも手際がいいのでその筋の人なのではないかと疑ってしまうほどだが、実際のところルシールと風花はその筋の家系出身である。と言いつつ、ルシールは家督争いがいやでさっさと引退して家を出てきてしまったし、風花の方は次期当主が時の権力者の暗殺に失敗して処刑されてしまったうえお家取り潰しの憂き目に遭ってしまったので、どちらも現役というわけではない。だが、体に染み着いた技術というものは一朝一夕で忘れられるものでもないので、こうして新天地での生活に活用させてもらっているのだった。
それはさておき、今はこの窮地を切り抜ける方が先決である。出口である亀裂のあるところまで最短距離で移動しようとすると、角を曲がるたびにエンカウントが挟まるくらいの勢いで敵兵と遭遇するので、おそらく理由は分からないながらも侵入者は毎回その付近で反応が消えるということだけは把握しているのだろう。でなければ、こんなにも連続して大量にエンカウントし続ける訳がない。
幅せいぜい三、四mほどの通路では回避して進むなどできるはずもなく。もうそれぞれが何体倒したのか数えるのも面倒になってきたところで、脇の通路で扉が開いて中から蜥蜴人の兵士が出てくる場面に遭遇した。風花が「右!」とだけ短く叫び、蝶番が作り出す壁と扉とのわずかなスペースに短剣を投げ入れる。短剣は見事ドアの隙間に噛み、一時的に開閉不能にした。
そして、風花とルシールにはその数秒あれば十分だった。先頭に立っていた蜥蜴兵がとっさに突き出してきた槍を紙一重でかわし、全身で相手にタックルするルシール。彼の構えていた短剣は蜥蜴兵の革の鎧を易々と食い破って臓器を貫き、相手を絶命させる。だけでなく、肉の盾としても使い、追いついてきた風花やネルと共に後続の敵を室内へと押し返す。雪崩をうって室内に転がり込んだあと、素早く立ち上がったネルたちは三体いた敵兵たちをそれぞれ首を折る、心臓を貫くなど、当人たちにとって手際のいいやり方で『処理』する。
遅れて入ってきた助手の男がきちんと風花の短剣を引き抜いてドアを閉めるのを見て、あ、そのくらいの知恵は回るんだ、などと失礼な感想をいだくネル。
その後、室内にもう敵兵の気配がないことと、先ほど仕留めたやつらがきちんと絶命していること、そして別の入り口などがないことを確認して、ようやく一行はゆっくりと息を吐いた。
「はー、すみませんっした。まさか首を切られてもあんなに耐えるやつがいたとは……」
「不可抗力だから仕方ないだろ。速攻が命の奇襲でいちいち相手が死んだかどうかなんて確認してらんないし」
(つーかあそこでこのおっさんがサンプル取りたいなんて言い出さなければ、さっさと移動してたので挟撃なんてされなかった訳だし)
「でも出口把握されてるってのは厄介よね。そこに守り固められるとこのメンツじゃ強行突破難しいし」
(金に目が眩んだせいでこんな面倒なことになるとは……やっぱ普段から少しは貯蓄しとかないとダメね~)
などなどハンドサインと口頭で愚痴第二弾を軽く交えたところで、一行は手早く建設的な話題に移る。
「で、助手のおっさんはこれからどうする?」
「サンプル採取はもののついでで、本題は地図で指定された場所になんかものを設置してきてほしいって話だったと思うんすけど、それって本当にそこまで行かないとダメなものなんすか?」
「逆に、出口に敵が集中してる今なら、普段よりは簡単に階段の移動ができる気はしてるわね」
主人の意思には反するが自分たちの安全を考慮して調査をなあなあで切り上げるか、主人の意思を尊重して危険でもしっかりと命じられたことを成し遂げるか、今ここで選べと言われている。その決定権はたしかに依頼人の関係者たるこの黒スーツの男に委ねられているのだが、実際には彼に自由意思などあってなきがごとしなのだ。
「実は……私も詳しいことはよく知らんのだ。ただこの道具を指定の場所に設置してこいとしか聞かされていないので、この道具がどういうものなのか、別の場所に設置しても効果のあるものなのか、私には見当もつかない」
「え~、マージっすか~……」
自分の代わりに調査に派遣するくらいなのだ、確実に研究の内容にも明るい人材をチョイスしていると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。露骨にげんなりとした表情を浮かべる風花たちに、助手の男は言い訳がましく言い募る。
「自分の身を危険に晒すんだ。私だってもう少しマシな情報が欲しかったが、あのお方は私の家系が根っからのバナービス派ではないことを理由に、私のことを軽んじているのだ! いや、どちらかと言えばあのお方がというより他の助手たちが、といった方が正しいのだが……」
(あ、なるほどね。だからうちらみたいな規模の小さいクランを頼った訳だ)
うなだれる黒スーツの男を見て、得心のいった表情でハンドサインを使うネル。
(なんかワケありなんすか、その宗派)
(ワケありっていうか、分かりやすく『異端』よね、バナービス派)
レヴェノス聖教が国教ではない国出身のためどうやらそこら辺の事情に疎いらしい風花のため、ネルはハンドサインでできる程度に噛み砕き、かつ手短に説明する。
(クレメント帝国やそこから独立したアストール王国がペリファリト派なのは知ってるわよね?)
(それは、まあ……)
(ざっくり言っちゃうと、ペリファリト派は聖典を文字通り解釈することこそが神の教えを正しく理解する唯一絶対の道だとしているわけね。ま、特殊な解釈をしないと神の真意にたどり着けないっていうなら、なんで聖典をその解釈に沿って記してくれなかったんだよっていうお話になるし、これは当然と言えば当然の話ね)
(ふむふむ)
(で、バナービス派っていうのは、ペリファリト派から派生した宗派なんだけど、より過激というか。分かりやすく言えば、聖典に書かれていないことは全て悪だという考え方なのよ)
(ふむふ、む……?)
(神はこの世界を創りたもうた唯一絶対の存在なのだから、その神の教えを記した聖典にはこの世の全てのことが書いてあって当然。裏を返せば、聖典に書かれていないことは全て神の教えに反する異端なのだ……ってわけ)
(なるほど。それは確かにずいぶんとまた過激っすね)
(そ。聖典に書かれていないものやことは全て神の意思に反するものなので即滅ぼすべき、なんて過激な教えをしているから犯罪行為や問題行動を起こす人が続出して、何十年か前のレイルウェイ公会議で異端認定されたってわけ。まさかクレメント帝国内にまだそんな熱心な信者が残ってたなんて、正直意外)
「なるほど。じゃ、あんたは完全に改宗した訳じゃないんだな?」
「……真にバナービス派と認められるには、少なくとも三代先まで遡ってもバナービス派でなくてはならない。私の家系は、まだ私が初代なので仲間内での地位がとても低いのさ」
自嘲気味に語らう黒スーツの男。心なしかサングラスの奥に隠された瞳にも覇気がないように感じられる。
「そうかい。それはよかった。あんたが生粋のバナービス派だったら、俺はこの場であんたを殺してないといけないところだったからな」
「なに!?」
まるで世間話でもするかのような気楽さで吐かれた剣呑な言葉に身を強ばらせる男。
「まあそれは最悪のケースとしてなんだけど。うちの地元ではバナービス派の連中が一回ド派手なテロを起こしててね、俺の一族も何人か巻き込まれて死んでるんだ。そのせいで地元ではバナービス派の人間は家族の仇、見つけ次第殺せ、という風潮ができてるのさ」
何でもないことのように語るルシール。それはもちろん、本当になんでもないことだからである。今の話は全て口から出任せで、実際彼の故郷でそのような事件が起こったというようなことはない。けれども、代々異端審問を生業としてきた血筋の出身である以上、半ば反射的に異端者への害意と殺意が湧いてきてしまうのだ。
それを冗談めかして話すことで、うっかり間違いが起きてしまわないようお互いに気をつけましょうねということを言いたいルシールなのであった。
そして、この脅しは効果覿面、気落ちしていたサングラスの男の全身にともすれば味方に背後から刺されるかもしれないという緊張感がみなぎり、ようやく地下迷宮に潜るに相応しい顔つきになった。
「驚いた。あんたにそんな過去があったなんて」
「まあな。そんな吹聴して回るものでもないだろう」
(もちろんこれはこいつに発破をかけるための方便なので本気にはしないでくれよ)
「あ、そうなの。オッケー、了解」
ハンドサインであっさりとネタばらししたルシールに、この狸め、という感想を抱きつつ、了承の意を示すネルだった。
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