三幕:罪は咎めて罰なれど①
地下迷宮第四階層、樹牢要塞。
基本開けた空間につながっているクローディアの地下迷宮の中で、唯一屋内に入口がつながっている階層、それが第四階層である。出入りする際に通る空間の亀裂も、迷宮内から見るときちんとドアの形になっている。
そして、迷宮内の様子も「要塞」の名にふさわしく、人工の明かりに照らされた細長い通路と様々な小部屋から構成されている。窓らしきものはどこにもなく全体的に重苦しい空気に満ちている空間ではあるが、それだけでは「城」や「屋敷」などでもよく、「要塞」と呼ぶには少し足りない。
では何故この空間が「要塞」と名付けられたのか。それはもちろん、この階層に棲息している魔物が理由である。
蜥蜴人。
二本足で歩行しているが全身は緑色の鱗に覆われ、黄色い瞳には縦長の瞳孔が備わっている、まさにトカゲをそのまま人型にしたような造形の魔物である。そんな彼らが武装し、常に複数で固まって通路の中を巡回しているのだ。さらに、時折存在する大広間では鍛錬に精を出している姿も確認できる。そんな環境なのだから、ここがなんらかの軍事施設であることは疑いようもなく。故に「要塞」と名付けられたのである。
ちなみに、では樹牢のほうの由来は何かというと、こちらも実に単純。この空間が巨大な樹の中に作られているからだ。通路を構成する材質は紛れもなく木材であり、けれどもどこを見ても継ぎ目など欠片も見当たらず、かつ蜥蜴人たちの身につけているものも木製のものばかりで金属などが全くないことから、この階層は想像するのもばからしくなるほどに巨大な樹の中に作られた空間なのだと結論づけられた。
いまだかつて要塞の外にたどり着いたというものはいないため、この結論が本当に正しいのかは定かではないが、冒険者たちにとっては些末なこと。蜥蜴人たちの使っている地上にはない道具などを求めて、日夜少なくない数の冒険者たちがこの階層に侵入し、時には蜥蜴人たちの反撃にあいながら、その日の稼ぎを持ち帰っているのだった。
そして、ここにも要塞の中に隠されたお宝を求めて通路をひっそりと進む一団が。
無言で通路を進んでいた風花が曲がり角ですっと立ち止まり、握りこぶしを顔の高さに掲げる。音を立てずに後をついてきていた他の仲間たちも風花から二、三歩距離を置いたところで立ち止まり、曲がり角の向こうを観察する彼女の様子を見守る。
剄を巡らせることで目視に頼らず向こうの様子を探っていた風花が、人差し指と中指を立てて曲がり角の先にいる生き物の数を伝える。次に親指を立てて、首筋を掻っ切る仕草。最後に親指と人差し指で矢印を作って曲がり角の向こうを指さした。
壁の色に溶け込む暗色の装備に身を包んだルシールが小さくうなずき、音もなく飛び出す。まだこちらの存在に気付いていなかった巡回中の兵士二人を鮮やかな手際で「処理」し、こつこつ、と軽く壁を叩いて仲間に安全を伝えるルシール。
一応通路の前後を見回し、他に蜥蜴人の姿がどこにも見えないことを確認してから、風花たちはルシールと合流する。今回地下迷宮探索に参加しているのは四人。風花、ルシール、ネル、そして見るからに仕立てのいい黒のスーツにサングラスという風体の男。どう考えても地下迷宮に足を踏み入れるにふさわしい格好ではないが、この男が今回風花たちが第四階層に潜ることになった理由――つまりは彼女らに迷宮探索を依頼した人物、の関係者である。
数日前、ネルたちのクラン宛に迷宮探索中の護衛を依頼したいという人物が現れた。聞けば、その人物は長年地下迷宮に関する研究を行っていて、今回は第四階層の調査を行いたいのだが、最近地下迷宮に関してよくない噂を聞くので腕の立つ冒険者に同行してもらいたいのだという。地下迷宮の研究という話はリーゼリットに聞いてもあまり聞いたことがないという回答だったため眉唾ものだなと判断したネルたちだったが、提示された金額が相場の倍以上という破格の値段だったため、金に目がくらんでうっかりオーケーしてしまったのだった。
ちなみに、きちんと理性的な判断を下せたリーゼリット、マオはその場でパス、引っ越しをしたばかりで何かと金が入り用なルシール、ネルが依頼を受けると答え、そのときその場にはいなかったが報酬の話を聞いて無理矢理ねじ込んでもらったのが風花という具合だった。
ちなみに、シヴァやマリーなどもその場にはいなかったが、後日依頼の話を聞いて、しっかり自分は参加しないと表明している。普通に考えればそれが妥当なのだろうが、「普通」の判断ばかり下していては生き残れないのもまた地下迷宮の常識。たまにはこういう見るからに怪しいものにも手を出していかないと、木っ端冒険者たちは生きていけないのである。
そんな経緯があり今日は少人数で地下迷宮に潜っているネルたちなのであった。
依頼者当人はそれなりに高齢ということもあり、実際に調査に来ているのは助手という話だったが、どう考えてもカタギには見えない風体をしている。第四階層は基本屋内行動になるというのは事前に知っているはずなのにかたくなにサングラスを外そうとしないのも、不審さに拍車をかけている。本人曰く視界に問題はないので大丈夫ということだったが、それでもアイコンタクトが取りづらいことに変わりはない。隠密行動中にアイコンタクトが取れないというのはわりと致命的なのだが、それを説明しても聞き入れてもらえなかった。この時点でわりとネルたちから助手への信頼は地に墜ちた。
なので、とりあえず簡単なハンドサインだけ教え、絶対に前には出ないようにとだけ言い含めたあとは相手の好きにさせている。今のところはそれで特に問題は起きていない。このまま何も問題が起きずに終わることも願っている。
しかし、そうは問屋が卸さないのが世の常。首があらぬ方向にねじ曲がって事切れている蜥蜴人の装備を助手が検分していると、はっと風花が通路の向こうに顔を向けた。ネルとルシールはそれだけで事態を察して腰に提げた短剣へと手を伸ばすが、助手はまったく気付かず蜥蜴人の口からだらりと垂れ下がった舌を切り取ろうと四苦八苦している。
口の中でだけ悪態をつき、風花が音もなく通路を走る。ゆらゆらと人工灯の明かりが揺らめく通路の奥から聞こえてくる複数の足音に助手がようやく気付いて顔を上げたころには、既に風花が曲がり角から顔を出した蜥蜴人の巡回兵の喉元を深々と切り裂いたあとだった。
突然鮮血を吹き出して崩れ落ちた仲間の姿に慌てて武器を構える残りの巡回兵。けれども、彼らの準備が整うのを風花は待たない。普段使っている刀の半分ほどの刃渡りの短剣を、普段の太刀筋と遜色ない鋭さで振るい、次々と敵を仕留めていく風花だったが、最後の一体には鎧の隙間を狙って放った斬撃を防がれてしまった。
愛刀ならば木製の盾ごとき上からへし斬っていたのに、と内心で悪態をつきつつ風花は一旦引く。しかし、相手の装備している武器は槍。一度距離があいてしまうと、短剣ではリーチが違いすぎて差を詰められないのではないか。
だが心配ご無用。風花はいましがた自分が屠殺した敵兵の体を蹴飛ばして通路に転がすと、持っていた槍をかっぱらう。そしてきれいなフォームで水平に槍を投擲。当然のように盾で弾く敵兵。お互いにこの展開は予想済みなので、大事なのはその次の行動である。敵兵は掲げた盾で死角になった部分から風花が接近してくると予想して盾の下から槍を横薙ぎにするが、対する風花は忍者のごとき身軽さで壁走り、天井跳びという大道芸を披露し、下を警戒していた相手の裏をかく。敵兵が慌てて顔を上げた時には、時既に遅し、もう彼の眉間に深々と短剣が刺さっていたのだった。鮮やかな黄色の瞳がぐるりと反転し、蜥蜴人の全身から力が抜ける。
あっという間に四人の巡回兵を『処理』した風花。短剣にこびりついた血脂や脳漿などを拭い落としてから元いた通路のほうに戻れば、丁度ネルとルシールが反対側の曲がり角から現れた巡回兵の一団を仕留め終わったところだった。
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