二幕:月は人ほどにものを言う④
「
ルートの胸元に提げられていた十字架がまばゆい光を放つ。
「ぬぉっ!?」
光を浴びたアウルミルの毛皮が泡となって蒸発し、その分厚い毛の下に隠されていた肉が見る間に露わになる。
慌てて距離をとるアウルミルを見ながら、ルートはため息と共に愚痴った。
「起動までに時間がかかりすぎなんですよね、これ。神代の聖遺物を利用しているとはいえ、単なるレプリカなんですから、もう少し起動までのプロセスを簡略化してもいいんじゃないかと思うんですよ。まぁ、僕はそういった方面には全くの門外漢なので、まったく見当外れなことを言っている可能性もありますけど。そこの狼狽っぷりが滑稽な吸血鬼さんはどう思われます?」
全身を光に包まれたのもほんの数秒のこと。すぐにまばゆい輝きは収まり、中からは先ほどまでとは打って変わった衣装に身を包んだルートが現れる。
「神代の術式、だと? なるほど、通りで現代魔術への対抗手段として日々アップデートさせている我輩の防御術式をいとも簡単に貫通してみせた訳だ。かつてと今では、魔術体系はすっかり様変わりしているからな」
アウルミルの大木のように太い腕はほんの一瞬の間に骨まで溶かされかけていたが、光さえ収まってしまえばなにも恐れることはない。原理の分からない攻撃による損傷は瞬く間に修復され、毛並みもつやつやに生え揃っている。
「だが、専門家として意見を言うならば、起動までの時間が長いというのは妥当だな。その術具、貴様が操作して起動させた訳ではないのであろう? いや、何らかの形で起動のスイッチ自体を押したのは貴様だろうが、その後、実際に今の状態になるまで術式を展開させたのは事前に仕込まれていた遠隔術式によるもののはずだ。ならば、使う当人が直接操作している訳ではないのだから、相応の時間がかかるのも通りというものよ」
「なるほど。そういうものなんですね。正直、あなたの話は半分も聞いていませんでしたが、とりあえず相づちは打っておきます」
わずかな明かりも反射する目にも鮮やかな純白のコート。そこに添えられたラインは、ルートの髪色によく似た薄紫。そして、少年特有の細い腰の両側には、彼の華奢な手にも十分収まる細身の両刃剣。それらを手元も見ずにスラリと抜き放てば、磨き上げられた銀色の刃が闇夜にほんのりと淡い光をこぼす。
つまり、完膚なきまでの臨戦態勢。両手に一振りずつ持った両刃剣には既にしっかりと魔力が通り、最早剣筋を隠すつもりなど毛頭ないことが分かる。というより、もう剣筋を隠す必要がないのだ。何故なら
「ほらほら、逃げないでくださーい。やっと通常攻撃で特攻入るようになったんですから、僕はこの機会を逃したくないんですってば」
「貴様、先ほどから時折言っている言葉の意味が分からんかったが、今の発言は輪をかけて意味が分からんな! なんだ、通常攻撃に特攻とは!」
ルートは適当にぶんぶんと長剣を振り回しているだけなのに、アウルミルは今までになく焦りの表情を浮かべて大仰に身をよじって避けている。まるで刃に触れることを恐れているかのように。
「ほらほらー、逃げるなー……ふふっ」
「くっ、性格の悪いやつめ……!」
ルートが思わずこぼした笑みを目ざとく見咎め、アウルミルは悪態を吐く。
なにしろ、ルートは先ほどまで彼が反応できないほどの速度で剣を振るっていたのだ。それが、剣筋のはっきりと見て取れる状態で、それでも問題なく避けられる程度の太刀筋で攻撃してきているのは、なにも得物が手に馴染んだ刀ではなくなったことだけが原因ではないだろう。
「よっ……と!」
あえて避けられる程度の速度でアウルミルの胴体めがけて十字切りを放ったあと、地面に着いた手を軸に体を回転させ、後ろに跳びすさった相手の鳩尾に抉り込むようにかかとをめり込ませる。ルートの華奢な体と比べるのも馬鹿らしくなるほどの巨体を、相手自身の跳躍を利用することで、垂直に蹴り上げた。
百八十度近い開脚を華麗にキメたルートは、軸足でわずかに溜めを作ると相手の動きを追うように自分も垂直に跳び、空中で華麗に体を回転させ、追撃を食らわせる。その細身にいったいどれだけの筋力が秘められているのか、なんとルートは自身の何倍、下手すると何十倍もの重さのある相手を蹴り飛ばし、頭から地面へと墜落させた。
「この状態、警戒すべきなのは武器だけじゃないんですよ」
蹴りを受けた部分から不自然に煙を上げているアウルミルの体。それもそのはず。ルートの蹴った部分が先ほど十字架の光を受けた時のように泡立ち、じゅくじゅくと溶けだしている。
「ちっ、原理さえ分かればこの程度……!」
口ではそう言いつつも、浮かべている表情には焦りがにじんでいる。いまだ自らの防御術式を貫通してくるルートの攻撃の正体を掴めずにいるのだ。
頭から墜落したアウルミルがその巨躯を起こそうと腕を地面についたところで、その腕の肘から先が宙を舞う。ルートがあえてそのタイミングを見計らって相手の腕を切り飛ばしたのだ。突如支えを失ったアウルミルは、そのまま再び地面とキスすることになる。
「はは、無様ですねぇ。神の教えを理解しない異端者にはお似合いの格好です」
ニコニコと心底楽しげに笑いながら、ルートはアウルミルのもう片方の手も切り飛ばす。今のタイミングで相手の首を飛ばすなり頭蓋に刃を突き立てるなりしていれば殺せたかもしれないにもかかわらず、あえてそれをしなかったルート。その顔には嗜虐の色がにじんでいるが、理由はそれだけではなかった。
「さて、これであなたを達磨にできた訳ですが、あなたの手足が再生するまでの間に少し質問をさせてください」
自分の胴体よりも太いアウルミルの両足を手早く切り落としたルートが、淡く光る刃を顔の近くにちらつかせながら、彼へと問いかける。
「あなた方の本当の目的はなんですか? 単に都喰らいがしたい訳ではないんでしょう? 三百年、四百年前ならいざ知らず、今の帝都にどれだけの人が住んでいると思っているんです? たとえあなた方二人がどちらも祖と称される大吸血鬼であったとしても、到底一晩では喰い切れませんよ?」
「……なるほど。つまりあやつはおぬしに何も語っていないということだな。安心したよ、我輩が囮にされたという訳ではなさそうでな」
「はぁ? 訳の分からないことを言っていないで、僕の質問に答えてください。それとも、舌の一枚や二枚焼かれないと答える気になりませんか?」
これみよがしにルートがアウルミルの鼻に刃を当てれば、ジュッと音を立てて煙が上がる。
「……そこは鼻だぞ」
「……減らず口を」
不機嫌さを露骨に表に出して、ルートが悪態を吐く。そうこうしているうちにアウルミルの四肢の再生がおおかた終了してしまった。
「ちっ、これだから吸血鬼は面倒くさいんですよ。首の一つや二つ落としたらさっさと死ね……!」
いや、普通は首は一つ落とされた時点で死ぬだろう。そう思うアウルミルだが、余計なことを言っている間に首を刎ねられてもたまらないので、何も言わずに素早くその場から飛びすさる。
その判断は正しかったようで、彼の顔が一瞬前まであった空間を、白銀に輝く刃が通り過ぎた。
けれども、相手が避けることなど想定済みだったルートは、後退する相手の鼻先を貫くようにもう片方の手に持った剣を突く。
さしもの大吸血鬼といえど、単に防御術式を貫通してくるだけでなく、触れた部分の魔力を問答無用で分解し、肉体を自壊させてくるようなえげつない攻撃をまともに頭に食らってしまえば、ただでは済まない。どころか、並の吸血鬼ならば即死ものの攻撃なので、そういった攻撃への対処が十分ではなかった場合、下手すると彼も木っ端吸血鬼同様即死してしまうことすらあり得る。
使用者の力量に依らない、古代の術式を利用した強制的な魔力簒奪。
なるほど確かに。魔力によって肉体を、ひいては生命を維持している吸血鬼相手に、これほど効果的な攻撃もないだろう。特に、使用者の力量に依らないという点が非常によい。そのおかげで、魔力操作では本職に一歩もとるルートでも、十二分にその効果の恩恵にあずかることができている。
吸血鬼側にしても、相手の使う術式の構成が分かればまだ対策の立てようもあるだろうが、そのために行使する探知魔術すらもたちどころに吸収・分解されてしまうのだから、打つ手がない。
なるほど確かに。何百年という長きに渡って吸血鬼の殲滅に情熱を燃やす聖教会が、秘中の秘として持ち出してくるだけのことはある。
だがしかし、そんな風にのんびりと感嘆できるのも、この窮地を乗り切ってからの話である。手足の再生が完全ではない状態で跳躍したので、体勢は最悪。空中で身をよじって回避するなど、到底できそうもない。こちらの速度を完全に見切っての攻撃であるため、タイミングのずれやリーチ不足などによる空振りなど見込めようはずもない。まさに必中の一撃。
そんな状況下で、なんとかしてこの攻撃は自分に対しても有効である、頭部への直撃が決まれば討滅も可能かもしれない、と
相手に、自分が絶対的優位にいると誤認させて、勝利を確信したその瞬間に一気に形勢を逆転する。そうやって、こんなものは想定外だという顔をする相手の無様な反応を楽しむ。それが、戦闘などというかったるいものに付き合わされた時のアウルミルの密かな楽しみなのだった。
そのためには、万に一つも今この場で彼の攻撃を食らってやる訳にはいかなかった。何の偽装もしていない今の状態で彼の攻撃をまともに食らってしまえば、彼が絶対の自信を持っている礼装による魔力簒奪が、アウルミルには実質なんら痛手にもなっていないことがばれてしまう。
もし仮に彼の放つ突きを食らって頭蓋の半分が吹き飛んだとしても、
だが、それを明かすには、もう少しルートを調子に乗らせてからでないと面白くない。もう少し自分が相手の生殺与奪権を握っているのだと錯覚させてからでないと、種明かしをした時の面白味が足りない。
そういう訳なので、アウルミルは今眼前に迫り来る攻撃を何とかして回避しなければならないのだった。自らの愉悦のために。
しかし、むべなるかな、どうすれば回避できるのか、全く名案が思い浮かばない。このままでは、あと半秒もすれば自分の顔に刃のめり込むあの嫌な感触を、数十年ぶりに味わわなければいけなくなってしまう。どうしてもあの不快な感触を体験しなければいけないのなら、その先に極上の愉悦がなければ割に合わない。
けれども。
結局のところ。
結論から言ってしまえば。
彼の葛藤や苦悩は、全て杞憂に終わった。
というより、正確に言うならば、終わらせられてしまった。
パリン、と音を立てて、アウルミルの鼻先まで薄皮一枚という距離にまで迫っていたルートの銀剣が、粉々に砕けた。それは、なんらかの強い衝撃が加わってへし折れた、というよりは、蓄積されてきた疲労が限界を迎えたのでぽっきりと折れた、と表現した方が正しいような、そんなあっさりとした砕け方。
ひと度崩壊が始まってしまえば、あとは流砂に飲み込まれたがごとく、為す術はない。
白銀の剣は見る間に輝きを失い、崩れ落ちていく。純白の衣装も見る間に色褪せ、枯れ葉が舞うように崩れ去っていく。
「いったい、何が……!?」
ルートとアウルミル、その場にいる二人の思考がシンクロした。
事態を一瞬早く理解したのは、ルートの方だった。アウルミルがわずか驚きの表情を浮かべるのを見て、この事態が彼の手によるものではないこと、そして、そうでないならこんなことができる相手に心当たりが一人しかいないことを刹那の間に把握した。
――黄金のごとく輝く豪奢な長髪を無造作になびかせた青年が、彼の脳裏で笑っている。
「……ちっ」
渋面を浮かべての舌打ち。
直後、どこからともなく降ってきた長剣が、彼の無防備な腹を貫いた。仕掛け人の悪趣味さを全身で表現するソレは、なんと、今さっき粉となって崩れ去ったはずの白銀の剣だった。
次いで降ってきた二本目は、腹の傷が広がるのもかまわず上体をそらしたことでなんとか回避に成功する。ご丁寧に、二本目はきっちり首元を狙ってきていた。
だが、即死は回避したとて、ただの人間に過ぎないルートが腹を貫かれてまともに動けるはずもなく。逆流してきた血が、口から濁流のようにあふれ出す。
「……つまらん。あぁ、実につまらん。最悪な気分だ」
悪態を吐きつつ、四肢の再生を完全に終えたアウルミルが立ち上がる。
「こちらがこれからどう料理してやろうかと考えていたものを横からかすめ取られるというのは、実に最悪な気分だ」
深々とため息を吐いたあと、彼は地面に突き刺さった二本目の銀剣を手に取り、それをルートの腹の、まだ剣が刺さっていない側へと突き立てた。
「あっ、こら、そういう遊び心はいらない……!」
激痛をこらえながらもルートが律儀にツッコミを入れる。だがアウルミルは無言でぐりぐりと剣を動かし、ちょっとやそっとでは抜けないように固定する。剣を動かすたびにルートの口からごぼごぼと血がこぼれ落ちるのに少しの面白さを見いだしながら、ようやく丁度いい位置に固定できたので「これでよし」と呟き、アウルミルはのそのそとその場をあとにする。
「え、放置なんですか? 放置しちゃうんですか? この状態で? 普通ここからとどめ刺しに来たりしません? え、本当に行っちゃう? え? おーい……」
まさかの昆虫標本みたいにされた状態で置き去りにされるとは思っていなかったルートが、思わず素のトーンでアウルミルの背中に声をかけるが、相手が振り返ることはなく、あっという間に夜の闇の向こうへと消えて行ってしまった。
「うわー、本当に行ってしまった……うっ、ごほっ……本格的にしゃべるのがつらくなる前に救援を呼ぼう……」
滑稽なポーズで地面に縫い止められてしまったルート少年は、恥を忍んで緊急通信用の術具を使って救護班の派遣を要請し、動ける程度まで傷が回復すると、すぐさまアウルミルのあとを追って帝都へと向かうのだった。
そして、親友の窮地にベストタイミングで駆け付けることとなる。
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