二幕:月は人ほどにものを言う②

 つまり――

「みんな、無事ですか!?」

 認識が現実世界へとアジャストされた瞬間、ルートは手に持った刀に魔力を流し、拡張された斬撃で自身の周囲の空間を一掃する。

 斬撃結界。

 神速の抜刀を得意とするルートが、その剣速を遺憾なく、そして絶え間なく発揮することで作り出す、怒濤の斬撃による飽和攻撃である。

 ルートを中心とした半径数m以内にあるものが、全て残らず粉微塵に切り刻まれる。彼の体に牙を突き立てていた四足歩行の獣たちが、悲鳴をあげることさえ許されずに絶命する。既に吸血鬼の眷属と化していた獣たちは、死体さえ残らず細かな灰となり、剣戟や怒声の響く戦場へと散っていく。

 そう、戦場。ルートの認識ではほんの数分前まで夕闇の迫る中で設営作業が行われていたはずの野営地は、彼が幻術に囚われている間に獣と人が入り乱れて血で血を洗う戦場へと変わり果てていた。

 いったいどれだけの時間幻術に囚われていたのか、それは今のルートには分からないが、少なくとも襲撃を受けた直後という訳ではないだろうことが、すっかりと宵闇の帳が降りた夜空から分かる。

 崩れ落ちた天幕のいくつかからは火の手が上がり、そのおかげで闇夜の中でも周囲の状況を視認することができるというのは、皮肉と言うにはいささか毒の強すぎるものだった。

「誰か! 状況は!?」

 何故幻術に囚われ現実世界で無抵抗になっていた間に自分が殺されていなかったのかははなはだ不思議だが、今はそんなことに思考を裂いている余裕はないと判断し、頭の片隅へと追いやる。

「隊長! ご無事でしたか!」

 ルートの声に反応した隊員たちが数名駆け寄ってくる。しかし、誰も彼もが手傷を負っており、鎧の隙間から血を滴らせていないものはいなかった。

 あれだけ偉そうなことを言っておきながらこの体たらくとは……!と自分を殴りたい衝動に駆られたルートだったが、憤りは全て敵にぶつけてやると瞳に怒りをみなぎらせ、寄ってきた部下からの報告を聞く。

 曰く、戦闘が始まってまだ数十分ほどであり、隊長たるルートはいち早く奇襲に対応していたが、敵の大将格とおぼしき相手と一騎打ちになった際、相手の張った結界に閉じこめられてしまっていたのだという。

 当然、ルートにそのような記憶はない。襲撃があったのは夕方ではなく夕食まで済んだ夜更けということなので、幻術にかけられた際にここ数時間分の記憶もいじられていたということなのだろう。

 認識操作だけでなく記憶操作まで造作もなくやってのけるとは、本当にあの青年は恐ろしい敵なのだと再認識したルート。

 けれども今は、どこにいるのか分からない相手を闇雲に探すより、具体的な脅威に晒されている自分の部下たちを助ける方が先決である。一通り報告を受け、被害状況などを把握した段階で、どこからともなく湧いてきたという敵を蹴散らし、ひとまずの安全を確保するための行動に移った。

 隊員たちの話では敵襲は一度だけでなく、戦力を小出しにするように何度も断続的に援軍がやってきているとのことなので、今いる敵を短時間で残らず排除し、次の敵襲までの間に態勢を整える時間を作る。

 幻術を打ち破ってから意識が覚醒するまでの間、近くにいた獣に噛まれて多少手傷を負ってはいるものの、戦場を疾駆するのに支障が出るほどの重傷ではない。であれば、ルートにとってその程度の傷など、なんのハンデにもならない。

 獣の声が聞こえる方向に走っては刀を振るい、瞬く間に敵を無残な灰燼へと変えていく。相手が絶命すれば返り血すらも灰と化すので、一閃一殺、流れるように敵を排除していくルートの得物には、血脂の付着による切れ味の劣化すら起こらない。起こりえない。

 自分たちが三人がかり、四人がかりでようやく相手をしていた吸血鬼の眷属たちを、まるで綿あめでも千切るように容易く仕留めていくルートの姿を目の当たりにすることで、隊員たちは彼が決して伊達や酔狂などで史上最年少でジャッジメントに選ばれた訳ではないことを、実体験を以て理解させられる。

 ものの数分で敵は殲滅され、部隊は治癒術士たちによる怪我の治療と状況の把握に努める。

「先ほどの敵には三階層で一般的な魔物であるフォレストウルフの姿しか見当たりませんでしたが、我々を襲撃してきた敵の中に他の種族の魔物を見たという人はいますか?」

 軽傷故にすぐに治療の終わったルートは座り込む隊員たちの間を歩き回り、一人一人話を聞いていく。けれども、彼の懸念通り、他の魔物を見たという証言はなく、ルートは眉間のしわを深くする。

「……これは、まずいな……」

「部隊を分けるのであれば、今編成を考えておりますので、しばしお待ちを」

 ルートが一人ごちたのを聞いた副官が、すかさずそう返答する。

「え?」

「魔物たちがどこから来たのか調査するものと、既に帝都に向けて進軍しているだろう別働隊を追撃するものとで、部隊を分けるおつもりなのでしょう?」

 ルートの補佐役として配された壮年の男性が、頭一つ分下にある上司の顔を覗き込む。

「あ、はい。いや、でもなんで僕の考えていることを……?」

 まさか自分が切り出すよりも前に提案されるとは思っていなかったようで、驚きに目を丸くするルート。そうしていると年相応に普通の少年のようだな、と思いつつ、副官は自らの考えを口にする。

「まず、奇襲を成功させたにもかかわらず、我々を初手で撃滅しうるだけの戦力は投入されていなかったこと。次に、波状攻撃と言うにはどんどん頭数が減り、お粗末なものになっていく援軍。そして、こちらの最大戦力である隊長殿を迅速に無力化しておきながら、その後特に危害を加えることもなく放置していたこと。我々がどこかに籠城していたのであれば、戦力の逐次投入による疲労の誘発ということも考えられましたが、実際には我々は単なる先遣隊。この場を死守せねばならない理由はない。となれば、今回の攻撃は単なる我々の足止めが目的だったと考えられるでしょう。つまり、向こうにはそもそもこちらを撃破しようという意思はなかった。だが、こちらから手出しされることもいやがった。それは何故か? 本隊の動きを察知され、妨害されることを懸念したから。けれど彼らは――これに関しては理由は分かりませんが――こちらの戦力を過度に削ることも避けようとした。隊長殿を結界に閉じこめただけで放置したことや、こちらがぎりぎり対処できる程度に少しずつ増援のレベルを落としていたことがその証拠です。ですが、隊長殿の、おそらく向こうの予想よりも遙かに早い復帰によりその目論見はもろくも崩れ去った。この状況はもう向こうにも伝わっているでしょう。つまり――」

「――この凪の状態のうちにどれだけ有効な対応策を実行に移せるかで、今後の戦況が大きく変わりうる」

「そういうことですな」

「ということは、僕は魔物の発生源を探索する方ですよね。そちらの方が単体での戦力として強力な駒が必要ですもんね」

「いえ、違いますね」

「えっ?」

 互いに自明の理だろうと思いながら話を振ったルートは、まさかの否定に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「隊長殿には、第三の選択肢を担ってもらいます」

「第三の選択肢?」

「ここに残り、向こうが差し向けているだろう追っ手を引きつけてもらいます。こちらの動きを察されたくはないですし、この状況で部隊を三つに分けるのは得策ではないので、できれば少数精鋭で囮を配置しておきたいのです」

「なるほど。となると、確かにその役は僕が最適ですね」

「えぇ、一番大変な役どころだとは思いますが、隊長殿なら問題ないですよね?」

 そんな風に振られてしまっては、ルートはこう答えるしかない。

「もちろんです。お任せください」

 上手く乗せられてしまったなーとは思うものの、遊撃の駒として自分が非常に有用であることは自覚しているし、あっさり敵の策にはめられてしまった失態をそそぎたい気持ちもあるので、一人で好き勝手に暴れてよいという副官からの提案は、ルートにとってはまさに渡りに船に近かった。

 腰に提げた刀の柄を指先で撫でつつ、どうせなら敵の大将が来るくらいのミラクルが起きてくれないかなー、などとぼんやり思考を巡らせるのだった。


 ***


「いやぁ、どうせなら……と期待していた部分はありますが、まさか本当にエンカウントするなんて誰が予想していたでしょうか……」

「ふむ、何の話だ?」

「いえ、こちらの話です。あなたには関係ありません」

「そうか。つれないことだな」

「はは、それはお互い様でしょう?」

「まさしく」

 井戸端会議のようにとりとめのない会話。まるで旧知の仲のような気さくな雰囲気だが、その実、ほんの数分前に初めて顔を会わせたばかりである。

 どころか、この二人、現在進行形で殺し合いをしている。

 神速の居合。抜刀術の乱れ打ち。しっかりと手入れのされている刀は金具のぶつかる音を立てることもなく、静かに、けれども確実に相手の命を狙いに行く。

 だが、相手も相手で、そう簡単にやられるような雑魚ではない。

 一秒の間に二度も三度も切りつけてくるような達人に対し、熊かと思うほどの巨体を有する相手は、全身を覆う強靱な毛皮で、そして、そこに張り巡らされた緻密な防御術式で、その斬撃を難なく弾く。

 空中に魔力で足場を作り、縦横無尽に駆け回る小柄なルートの変幻自在な太刀筋に、二本の後ろ足でのっそりと立つ巨躯の相手は、悠然としているように見えてその実機敏な動きで、器用に立ち回っている。

 手数は圧倒的にルートの方が多いにもかかわらず、彼の方が細かな生傷も多いというのが、相手の立ち回りの良さの証拠だろう。

「ええい、堅いですね。か弱い人間がこれだけ必死に頑張っているんですから、少しはお情けくらい見せてくれたらどうなんです」

 露骨な舌打ち。普段の穏和な彼を知っているものからすれば、不機嫌さを隠そうともしない彼の態度は、とても奇異なものに映るだろう。だが、相手の素性を考えればさもありなん。なにしろ、今彼が相対しているのは、彼が部隊を率いて討伐に来ていた対象その人。

 つまり、凶星の祖第十六位『獣王』アウルミル。

 そんな大物が何故こんな野原にいるのか、それはほんの数分前のこと。無事部隊の出発を見送ったルートが一人で暇なのでお茶でも淹れようかと食堂用の天幕で数時間前に設置したばかりの棚を漁っていた時のこと。

 ようやくお気に入りの茶葉を見つけたとほくほく顔で振り返ったルートの視線の先に、アウルミルが平然と座っていたのだ。どころか、開口一番に「我輩の分も頼んでよいか?」などと言われてしまった。

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