一幕:身を焦がすは水の底⑤
「リズ、あたしが運転代わるわ」
「このタイミングでか? 私にも人の心くらいはあるんだぞ?」
気まずさから逃げるように荷台から運転席へと這いだしてきたネルに、今からあの中に加われと言うのか?と、信じがたいものを見る目を向けるリーゼリット。
「うーん……まぁ、そうね……」
曖昧な笑顔でリーゼリットの視線を流し、もぞもぞと助手席に収まるネル。
アクセルを緩く踏みながら、地上へとつながる洞窟のでこぼこ道に注意深く車を走らせるリーゼリット。
彼女が運転しているのは普通の馬車ではなく、文化の最先端を行く帝都でもなかなか見かけることのない魔導式エンジンを積んだ最新式の自動車。その燃費の悪さ故、並の人間の魔力量では数百mを走らせるのが精々といったところだが、彼女はそんな大飯食らいの車を苦もなく走行させている。
魔術回路の質が悪いがために魔術の扱いは苦手なリーゼリットなのだが、その出自が出自故に、魔力だけは良質なものを豊富に宿していた。それ故、戦闘時に備えて魔力を温存しておく必要のあるシヴァたちではなく、純粋な身体能力のみで勝負する彼女が、皆を率いるリーダーでありながら、率先して移動時の足役を買って出ているのだった。
そして、それはネルも同じこと。故に、ネルは剣呑な空気から逃れようと、リーゼリットに運転手の交代を提案しに来ていたのであった。もちろん、そんな見え透いた狙いは、あっさりと切って捨てられてしまったが。
地下迷宮の階層は、発見された順に第一、第二、と名付けられている。つまり、水底の森は五番目に発見された階層ということになる。
言い換えれば、それだけ地下迷宮の中でも深い位置に入口があるということ。地上へ戻るにもそれなりの時間がかかる。その間、わいわいと騒がしい荷台の会話を聞き流しながら、リーゼリットとネルはしばし無言で薄暗い洞窟の路面に目を凝らしていた。
「……ねぇ、あたしが代わりに行くわよ、情報屋のところ」
「ん?」
「ほら、あそこ行くとたぶん『アレ』に出くわすでしょ?」
「あぁ……だが、むしろ好都合だな。ジルクニスは『アレ』が苦手だからな」
「おーいおいおい。君らまで俺のこと厄介者扱いするのかい? 自分から誘っておいて、それはないんじゃないのー?」
「普段の行いを省みろ。まぁ、だから留守番を任せたんだがな」
にゅっと顔を出したジルクニスの顔を、リーゼリットは目も向けずに車内へと押し返す。ついでにネルが、ジルクニスの眉間にびしびしと指を突き立てる。
「どーーーーせ、ただ車で寝てただけのくせに、一人で危ない役目をしてたんだからその分多く分け前よこせって言うつもりだったんでしょ」
「うっ……」
「だから言っただろう、その分、こいつに留守番を任せるなら安心だ、と。人より多く金を稼ぐためなら、仲間を売ること以外は何でもやるような男だからな、こいつは」
「ぐぬっ……」
「だからぼくこいつ嫌いなんだよねぇ。ただの守銭奴ならそういうやつだって割り切れるのに、意外と義理堅いんだもん。もっと潔くがめつくなれよ。そしたら後腐れなく魔物の前に置き去りにできるのに」
言いながら、ジルクニスの襟首をつかんで車内へと引き戻すマオ。まさか邪険に扱われながら褒められるとは思っていなかった彼は、なんとも据わりの悪そうな顔で、「金ならいつでも好きなときに稼げるけど、人脈はそう簡単には築けねぇし、結局のところそれが一番金策に有用だってだけだよ、ばかやろーめ」と、早口に憎まれ口を叩くのだった。
そうこうしているうちに、車は地上まで辿り着き、薄暗かった車内にも明るい日差しが差し込む。
「うわ、まだこんなにも日が高い。もう夏だねぇ」
「夏っすねぇ。こんな日は夜に冷たい麦酒を飲むに限るっすねぇ」
「お前はいつでも酒飲んでるだろ」
「わはは、ばれたばれた」
そう。もうじき季節は夏。夜の一番短くなる季節。そして、夜の闇が最も濃くなる季節。
日の沈む方角へ向けて、リーゼリットたちを乗せた車はゆっくりと走っていくのだった。
***
「あぁ、地下迷宮がなにやら騒がしい件ですかぁ? それなら、聖教会の方でなにやら動きがあるようですよぉ」
「動き?」
「えぇ、そこから先は有料ですけどねぇ」
帝都クローディアの一角にひっそりと居を構える小さなバー。そこでのんびりとグラスを傾けるドレス姿の女性が、カウンターに肘をついて座るリーゼリットに、にやりと笑いかけた。
「あぁ、もちろん料金は用意してあるぞ」
コトリ、と金貨をカウンターの上に置く。
「んー、どうしましょうかねぇ。この情報、私も手に入れたばかりでそう簡単に広めたくはないんですよねぇ」
コトリ、とさらに金貨をカウンターの上に置く。更に置く。更に置く。
安宿なら一年は余裕で借りられるほどの金額が、よく磨かれたカウンターテーブルの上にぞんざいに置かれている。
「ふむ、ふむふむ……まぁ、これくらい景気よく積んでもらえるなら、もったいぶらずにお話ししてもいいでしょう」
本当ならもう少し焦らすつもりだったと言外に告げながら、女性はテーブルの上の金貨を受け取る。
「実はですねぇ……最近、第三階層の森の奥で吸血鬼の眷属が発見されたらしいんですよねぇ。帝都のこんな近く、しかも地下迷宮というイレギュラーな場所で吸血鬼の痕跡が発見されたということで、聖教会の方も慌てて討伐準備を進めているようです」
「なんだ、そんなことだったのか。心配して損したな」
「え?」
もっと慌てふためくだろうと予想していた女性は、リーゼリットのあまりにもさっぱりとした反応に、逆に狼狽してしまう。
「眷属が発見されたというだけで、吸血鬼本体が見つかった訳ではないんだろう? ならば、まだそこまで騒ぐほどのことでもない」
「うーん、確かにそうなんですけどぉ、そんなさらっと流されてしまうともったいぶったこちらの立つ瀬がないというかぁ」
「だが、まぁ、地下迷宮に、というのは少し厄介だな。聖教会が本格的に動き出せば、迷宮が封鎖されてしまう」
「あらぁ、心配するのはそこなんですねぇ……」
はぁ、とため息を吐く情報屋の女性。
「帝都ではどうかは知らないが、国境付近に住んでいれば、吸血鬼や魔物による集落への襲撃事件など、わりと頻繁に発生しているぞ? その度に我が家でも討伐隊を出したりしていたからな、今更身近で吸血鬼の痕跡が発見されたからと言って、慌てふためくほどのことでもない」
さらりと明かされる辺境の治安事情。とてもではないが、魔物が街道に現れたというだけで大事件として扱われる帝都の常識が通用するような世界ではないことだけは伝わってくる。
「でもまぁ、そうですねぇ……地下迷宮の封鎖までは長くても精々数日というところでしょう。肩すかしを食らわされた仕返しに、聖教会側の準備が整ったら無償で教えて差し上げますよぉ」
「それは……ありがたいが、それのどこが仕返しなんだ?」
こちらにメリットしかないような……?と、情報屋の表情をうかがうリーゼリットだったが、次に彼女から発せられた言葉を聞いて、露骨にその怜悧な顔立ちをしかめた。
「えぇ、その時は、うちのマスターを連れて行こうと思ってますからねぇ」
「……なるほど、それは確かに実に的確な嫌がらせだな」
苦々しい表情を打ち消すように、リーゼリットは手に持っていたグラスをあおる。カラン、と小さな音を立てて、グラスの中にわずかに残っていた琥珀色の液体が、彼女の喉を滑り落ちていく。
「今日は偶然いなかったから助かったが、なんであいつはあんなにも私に執着してくるんだ。イレーヌ、お前も仲間なら何か知らないのか?」
「あっはは、情報屋にだって分からないことはありますよぉ。たとえば、私はこの帝都周辺のことならご婦人方の井戸端会議の内容だってつぶさに把握してみせる自信がありますが、逆に言えば、
おかわり、いりますか?と情報屋――イレーヌが小首を傾げて問いかける。色素の薄い金髪がさらりと揺れ、その仕草をより扇情的なものとして演出する。
けれど、リーゼリットはそんな誘惑など歯牙にもかけず、カウンターの向こうで静かにグラスを磨いていたマスターに、「同じものをもう一杯頼む。ロックで」と声をかけていた。
「むぅ、連れないですねぇ。ジェダくんなんかは、鼻息荒くして食いついてきたというのに」
「何年前の話だ! 何年前の! お前みたいな女狐、本性知ってたら絶対がっついてなかったわ!」
「童貞、ゴチでした」
「ど、どどどど童貞ちゃうわ! お前に食われる前にだって彼女くらいいたし!」
「なんだ、ジェダくん。いたのか。久しぶりだね」
店内奥にある個室スペースの扉をスパァン!と開けて飛び出してきた緑色の髪をした青年に、リーゼリットは実にマイペースに手を挙げて挨拶する。
「あ、どもっす。うす、いました、最初から」
アルコールが回りうっすらと上気した頬、わずかに潤んだ瞳、艶のある吐息。それらを全て一度にぶつけられ、年頃の青少年であるジェダは、思わず言葉に詰まって生唾を飲んでしまった。
「はーーー、だからいつまでもジェダくんは概念童貞概念童貞言われるんですよぉ。童貞じゃないっていうなら、もう少し女体への耐性上げたらどうですかぁ?」
「ぐぬっ……」
図星を突かれ、今度はまた別の意味で言葉に詰まるジェダ。日頃の力関係が透けて見えるやりとりだった。
「えっ、ジェダ兄さんの初体験の相手ってイレーヌ姉さんなんですか? つまり、俺が今から姉さんと寝れば、俺とジェダ兄さんは穴兄弟ってことに……?」
ラフな格好をしたジェダ青年の背後からにゅっと手が伸びてきたかと思えば、彼の細い腰をかき抱くように腕を回し、わき腹にあえて頬を押しつけながら顔を出してくる少年がいた。
「ひっ……!?」
ジェダ青年はといえば、本気で怯えた表情で、自分のわき腹に頬ずりしてくる茶髪の少年を引き剥がそうと抵抗する。しかし、少年はどれだけ馬鹿力なのか、ジェダが全力の抵抗を示しても、全く微動だにしない。恍惚の表情で頬ずりを続けている。
「こ、こいつ、完全にデキあがってる!? さっきまでは普通に飲んでただけだったのに!?」
「いやぁ、流石に私もそんな狙いで抱きに来る男の相手をするのは嫌ですねぇ。私をワンクッションにして、別の相手――しかも男とつながろうとしないでいただきたい」
「やぁ、フィニアンくん。君もいたのか。仲がいいのはよいことだな」
「仲が!?」
「いい!?」
流石に目が節穴ではないのかという驚きをこめて、ジェダとイレーヌがリーゼリットを見る。気付けば、先ほどおかわりしたばかりのはずのグラスが、既に空になっている。中々にハイスピードな消費である。
大丈夫だろうか、と彼女の顔をうかがうイレーヌ。まだまだ大丈夫、と笑い返すリーゼリット。
「ねぇねぇ、ジェダ兄さん、俺たち仲がいいんですって。それはつまり、お似合いってことですよね? ね?」
「んな訳あるか! いい加減離れろし!」
「え~~~~? いいじゃないですかぁ。さっきまでは二人で楽しくお酒飲んでたのに、なんで今更拒絶するんですかぁ~~~」
「お前が悪酔いしてきたからだよ! 俺、自分の腹に顔埋めてくるような気持ちワリー男と一緒に酒飲む趣味ねーし!」
「えっ、つまり俺と飲むのは楽しくないってことなんですか?」
「えっ、あっ、いや……別にそこまで言った訳では……」
あ、こいつちょろい……。リーゼリットとイレーヌが目と目で通じ合った瞬間だった。
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