一幕:身を焦がすは水の底④

 魚竜との不可思議な邂逅のあとは、驚くほどすんなりと階層の入口まで辿り着いた。

「いやぁ、なんというか、拍子抜けって感じっすねぇ」

「だけど、君の探知じゃあ周囲に魚竜はおろか、魚人の影すらないんだろ? だったら、それがどういう理由であれ、喜ぶべきことじゃないのか?」

「うーん、でも、気になるわよねぇ。あれ、思いっきり何かのフラグでしょ?」

 風花の探知能力に頼って周囲を警戒しながら入口付近まで戻ってきたリーゼリットたちだったが、やはり先ほどの魚竜との遭遇が心にひっかかっているようだった。

「フラグ?」

「今後何かの事件の引き金になるような出来事のことね、ざっくり言えば。たとえば、謎の美少年との意味深な出会いとか、謎の美青年が颯爽と窮地に助けに現れるとか」

「それ、フラグとは微妙に違くない? なんかだいぶ直接的な気がするんだけど。フラグって、要は伏線でしょ? どうせなら、物語の序盤に出くわした敵が、実はラスボスの正体につながる重要なヒントになっていた。とか、そういう感じじゃない?」

「くっ、あたしより詳しいとか……マオ、あなた、やるわね……」

「お褒めにあずかり、どーも」

「ふむ、結局よく分からんかった」

「右に同じくっす」

 ネルとマオによる解説を聞いたにも関わらず、頭の上に?マークを浮かべて小首を傾げるルシールと風花。

 今ので分からないとか、こいつらマジか……という表情を浮かべるネルたち。

 その後ろで、今の説明で分からないといけなかったのか……?と密かに驚愕の表情を浮かべるリーゼリット。

 そして、さらにその後ろで、付き合ってらんねぇわ……という表情でマリエッタのほっぺたをつつくシヴァだった。


「うわ、予想以上にエグい惨状」

 入口に辿り着いたマオが思わずぼやく。

「うん、予想以上にエグい惨状ね。食い荒らされたのは魚人だけじゃないでしょ、これ」

 言葉とは裏腹に、そこまで堪えているようには見えないネル。

「ふーむ、魚人と探索者の戦闘中に魚竜が乱入したようだな。まずは魚人に突っ込み、その余波に探索者側が巻き込まれた、という流れだろう」

「とりあえず、他の探索者が来た時に怖がらせないよう、掃除だけしとくよ」


『渦巻け、逆巻け、勝ち鬨を上げよ。我は波濤の頂に座する者』

『周辺一帯に複数の渦巻きを創出。入口付近に漂う大量の肉塊と充満する血液を巻き込んで掃除しろ』


「もー、シヴァ! なんで私がカッコつけたのに、分かりやすい言葉に言い直しちゃうの!」

「いや、指示は具体的の方が分かりやすいだろ? 僕ら、普通の詠唱魔法はそこまで慣れてないんだし」

「それは、そうだけど……せっかくのロマンが……」

「あ、やっぱりカッコいい詠唱ってロマンなのね」

 やいのやいのとやりとりをするシヴァたち。その周囲で、ゆっくりと渦巻き始めた水流が魚竜の“食い残し”を飲み込み、入口から見える範囲の外側まで運び去っていく。徐々に勢いを強めていく渦が、腕や足などの肉片だけでなく、彼らが持っていた武器などもどこか遠くへと運び去っていく頃には、赤い靄のように周囲に充満していた探索者や魚人たちの血液も、綺麗さっぱり除去されていた。

 ようやく、見慣れたわずかに水色がかった風景が戻ってきて、リーゼリットたちは一息つく。

 立つ鳥あとを濁さずといったように、見ず知らずの探索者たちの末路をきちんと後始末したところで、今度こそ彼女たちは、空間に不自然に生まれた亀裂のようなもの――この階層の入口をくぐるのだった。


 彼女たちのいた第五層は巨大な地底湖とでも呼ぶべき空間であるが、しかし、その入口は、決して湖のふちにある訳ではない。むしろ、一見すると周囲に目印となるようなものが何もない平地に、まるで空間そのものがひび割れたかのようにぽっかりと開いている『亀裂』、それこそが地上とこことをつなぐ出入り口なのである。

 けれど、水中に開いているにも関わらず、この入口から向こう側に水が流れ込むことはない。人や物が通る分には何も支障がないのに、何故か向こう側に水が流れ込むことは許さない。そして、そこに住んでいるものも、そこにそんなものがあるということを決して認識できない。そんな不思議な亀裂なのだった。

 同じような現象を引き起こしている亀裂が、地下迷宮には他にも複数存在している。

 その数、全て合わせて九つ。

 つまり、この地下迷宮に確認されている階層の数と同じである。

 というより、亀裂が発見されたからこそその先に広がる階層も認識されていると言った方が正しい。この地下迷宮に、まだ入口となる亀裂の確認されていない人知未踏の階層が他にも存在している可能性は、大いにあるのだ。

 そして、冒険者たちの利用している亀裂は、何故か人間側にしか認識することができない。迷宮の中に住む魔物たちは、決して亀裂の存在を認識できないし、そこを通り抜けることもできない。これは、長年繰り返されてきた地下迷宮の調査によって判明した事実である。

 しかし、地下迷宮に存在する階層との唯一の出入口であるはずの亀裂を通り抜けることができないのなら、何故魔物はいつの間にか地上に侵食し、繁栄するようになったのか。

 その答えはもちろん、人間にしか認識できない入口があるように、魔物にしか認識できない入口が存在しているということなのだろう。そこを通って地上へとやってきた魔物が、人知れず野山などに住み着き、繁殖していった結果が、今の地上の状態なのだというのが通説である。


「とりあえず街に戻って、イレーヌに話を聞いてみるか」

「え、あの情報屋? でもいいの? そしたら“あの”変態に遭遇するかもよ?」

 荷物を車の荷台に詰みながらひとりごちたリーゼリットに、耳ざとく聞きつけたマオが言葉を返す。

「……まぁ、そうなんだがな。私たちに融通を利かせてくれそうな情報屋というと、あそこくらいしか思いつかないだろう? それに、可能ならばジェダくんとの親交も深めておきたい」

「えー? なんであんなバカとー? それってシヴァやマリーじゃ役に立たないって言ってるようなものなんじゃないのー?」

 露骨に嫌そうな顔をするネル。

「え、私はいいと思うわ。だって、移動手段、防御手段はたくさんあった方がいいでしょう? 私たちだって常に陣を展開し続けられるとは限らない訳だし、彼の結界は、率直に言って、とても魅力的だわ」

 遠回しに身内をけなしたネル、擁護したはずの相手から矢を受けるの巻。

「異能と魔術は、発動のプロセスがよく似ている。にも関わらず、異能は行使に魔力を必要としない。ここみたいな、長時間術式を展開し続ける必要のある場所だと、ジェダくんみたいな人材にいてくれた方が安心だと、僕も思うぜ」

 背中から射たれる第二弾。

「え~~~~!? だって……だって! え~~~~~~!?」

「何もそこまで驚かなくても。そんなに弟くんを褒められるのは嫌なのか?」

「うーん……嫌というか……あたしの中では不出来な弟って認識だから、それを手放しで褒められるのは、なんというか……」

「むずがゆい?」

「うーん……」

 胸の中で渦巻く感情をうまく言語化することができず、もどかしそうに顔をしかめるネル。その様子を見て、思わぬところで地雷を踏んでしまったか?と顔を見合わせるマリエッタたち。

「あ、そういえばなんすけど」

 それまで黙って出発の準備をしていた風花が、不意に口を開いた。

「ジェダにゃんと言えば、こないだ酒場で偶然出くわしたんすけど」

「それって本当に偶然? たかりに行ったの間違いじゃなくて?」

「しっ、話を遮るな」

 風花の日頃の行いをよく知っているマオが口を挟むが、即座にリーゼリットに口をふさがれた。

「いや、本当偶然に。で、そこで、ジェダにゃんが酔った勢いでフィーにゃんにキスされて押し倒されてるところに遭遇しちゃったんすよね」

「は?」

「ほう……」

「マジか……」

「フィニジェダ?」

「そこまでは分かんねっすけど、びっくりしたっすね」

 それだけ言うと、また黙々と準備に戻る風花。

「え、それで終わり?」

「終わりっすけど?」

 これ以上何を話せと?という表情で聞き返され、逆に言葉に詰まるネル。

「あ、え、いや、えーっと……ほら、そこに至る経緯とか、その後のあいつの反応とか……」

「だって、そういう場面に遭遇したってだけで、別にあたしがけしかけたって訳でも何でもないし、そのままジェダにゃんはフィーにゃんの股間蹴り上げて脱兎のごとく逃げちゃったから、あの二人がそのあと色宿にしけこんだかどうかなんて、全然知らないっすよ」

「い、色宿にしけこんだ……」

 ものすごく直接的な表現で自分の懸念していた内容に言及され、ネルは完全にお手上げ状態になってしまう。

「つーか、ジェダもフィニアンも男だろ? だったら、単に酔った勢いでのその場限りのおふざけだったんじゃねーの?」

 何故そんなにネルが動揺しているのかいまいちピンときていないらしいルシールが、酔った勢いならそれくらいあり得るだろという顔で首をかしげた。

「いや、ルシール、そこにはあまり深く触れない方がいいぞ。そこから先は……『沼』だ」

「お、おう……」

 ものすごく神妙な顔でシヴァから肩に手を置かれたルシールは、その妙に重みのある言葉に思わず身じろぎする。

 この世の深淵をうっかり覗き見てしまったような顔をするシヴァ。その後ろで、何故か顔を赤らめて恥じらうマリエッタ。それを見て、何かを察するマオ。

「いや、なにうちの弟でかけ算してんのよ、あんたたち」


「いや、それより、お前たちは何故出発の準備を手伝わないんだ? 置いて帰るぞ、おい」


 すっかり出発の準備を終え、完全に車上の人となったリーゼリットが、絶対零度の瞳を以て、ぐだぐだと雑談に興じていた他の面々を見下ろす。憤怒の色もなく完全無欠の無表情であることが、かえって彼女の怒りの強さを示している。

「ひょえっ……」

 思わずのどから漏れる声。

「まぁいい。徒歩で帰りたいというなら、それはお前たちの自由だ。好きにしろ」

 言って、即座に車の魔導エンジンをかけたリーゼリット。慌てて荷台に乗り込む面々を気にかける様子もなく、そのままアクセルを踏む。

「ほ、本当に走り出さなくってもいいじゃない! 振り落とされたらケガじゃ済まないかもしれないのよ!?」

 魚竜と遭遇した時なみに心臓をバクバクと振るわせて抗議の声を上げるネル。けれども、対するリーゼリットの返事は、とても冷ややかなものだった。

「走り出したばかりの車から振り落とされてケガする程度の力量なら、一緒に地下迷宮探索に出ても足手まといになる可能性があるし、それならいっそここでリタイアしてくれた方が後々のためにもいいかもしれなかったな」

「お、鬼ー! 悪魔ー!」

「リズを怒らせるからだ。俺みたいに留守番を買って出ることでずっと車に乗ってれば、そんな迂闊なことをせずに済んだのにな」

「げ、ジル。全然顔出してこないから勝手に帰ったのかと思ってた」

 荷台の隅で丸まっていた男の顔を見て、マオはもぞもぞと対角線上に移動する。

「おいおい、連れないなぁ。今日はまだ酒飲んでないぞ?」

「飲む飲まない以前の問題。人間的に無理」

「ははは、ひどいな。まぁいいか。ほれ、今日の戦利品寄越せよ。鑑定してやる」

 片手を突き出し、ちょいちょいと手招きする男。けれど、風花とルシールは、採取してきた荷物を背中に隠し、決して男に渡そうとはしない。

「なぁ、リズ。他にヒマなメンツがいなかったからって、やっぱりこいつを連れてきたのは間違いだったと思うんだよ、俺は」

「右に同じくっす。なんか胡散臭いんすよね、このおっさん。こないだなんか、いつの間にか支払い押しつけられてたんすよー?」

「や、それは君の言えたことじゃないだろ。僕にいくらツケがあると思ってるんだよ、二人とも……」

「ジルは別に悪い人ではないのよ? ただ、ちょっと人格に難があるだけで……」

「はっはっは、二人とも、味方してくれるのはうれしいが、それは援護射撃として機能しているのかあやしい、なぐっ……! くっ……舌を噛んだ……」

「おいおい……戦闘要員でもないのにこんなところまで出張ってくるからだろ……」

 がたごとと揺れる荷台の上では、険悪な雰囲気も険悪になりきることができず、なんとも言えない気まずい沈黙が車内を支配する。

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