一幕:身を焦がすは水の底①

 地下迷宮第五層、水底の森ディープフォレスト。そこは文字通りフロア全体が巨大な湖の底に沈んでいる。

 そして、洞窟の中をなみなみと満たすのは、酸性の液体。触れればたちどころに肌が焼けただれる……というほど強力なものではないが、その中にダイバーよろしく全身を浸して水中活動をするには少しばかり酸性が強すぎる。そんな、まるで「何か」が絶妙に濃度を調整したかのような液体に並々と満たされた湖の底に広がる石の森。それが水底の森ディープフォレストなのである。

 そして、そんな無色透明の液体に満たされた空間に、およそ自然に発生しているものとは思えない金属同士のぶつかる甲高い音が響いている。

 音の発生源は、水底の森に広がる大鉱脈、その一部が露出している、俗に言う『採掘場』のあたりからだった。

 この第五層には、酸性の湖が広がっているせいで、「自然」と呼べるようなものは石、つまりは鉱物しかない。しかし、その豊富に眠る鉱物こそが、一見すると不毛の地であるこの空間に、肌を酸に焼かれる危険を冒してまで冒険者たちが訪れる最大の理由なのだ。

 端的に言ってしまえば、この『森』から採れる鉱物は、地上の鉱物にはない性質を持っており、それ故非常に高値で取引されている。

 生半可な装備で挑めば半日ほどで土左衛門となって湖面に浮かんでくるような過酷な環境に、それでも冒険者たちが果敢に挑戦していくのは、そういった即物的な事情があるのである。

 そして、この空間へ放逐された大罪人が命からがら希少な鉱石を持ち帰ってきたことで、探索する価値もないと思われていた殺人湖が一気に宝の眠る未踏の地へと変わってから幾年が過ぎ、今では魔法使いをパーティに入れ、探索中常に結界魔法を使ってもらうことで、冒険者たちは肌の焼けただれていく感触を味わいながら水中を進むという苦行から解放され、比較的楽に採掘作業に勤しむことができるようになっていた。

 そうしてできあがっていったのが、この『採掘場』。フロアの入り口から一番近くにある鉱脈の露出地であり、市場で取引される鉱物の中でも特に需要の高いものが採れるということも相まって、頻繁に冒険者たちが採掘活動に訪れているうちに周辺の環境が整備され、誰でも手軽に採掘の行える場所となっていった。

 そんな経緯をもつ場所の近くで、明らかな戦闘音。どう考えても不穏な事態であることは明白だが、とりわけ人の往来が多い『採掘場』では、実は特段珍しいことでも何でもない。

 何故かと言うと、答えは簡単。この第五層には、他の階層同様「先住民族」がいるからだ。

 魚人。

 平たく言ってしまえば、おとぎ話などに出てくるソレである。

 酸性の液体の中で生きていくため、強靱な鱗で全身を覆い、人間で言うところの肋骨の位置に魚のエラを持った魔物。遠目には人によく似た形をしているが、他の階層に住む獣人などと同様、大陸共通語を解することはなく、人を見つけると手に持った武器を振りかざして襲いかかってくる、非常に危険な存在。

 『採掘場』のように人の往来が激しいと分かっている場所には、魚人たちも見回りを密にしており、頻繁に侵入者である人間との戦闘が発生している。故に、この場所での戦闘とは、特に珍しくもなんともない光景なのだった。

「シヴァ! もう少し結界の半径を広げられるか!? あと一歩分でいい!」

「あーーー……ムリ! 僕一人じゃこれで最大半径!」

「仕方ないな……じゃあ一、二の三でこっちにダッシュしろ! それで結界の位置そのものをずらす!」

「マージでー? 僕肉体労働派ではないんですけどー?」

「じゃあ、今からでもマリーと役割を交代してくるか!?」

「それはマジで勘弁。僕の大事なお嫁さんを危険な目に遭わせる気か、リズ?」

「そう言うと思っていた!」

「ちっ、性格ワリーの」

「ははは」

 軽口を叩きながら魚人との戦闘を繰り広げる複数の人影。

 動きやすい身軽な軽鎧で全身を包み、結界の縁を右に左に素早く駆け回っている女性がリズことリーゼリット。そして、その後ろで地面に刻んだ魔法陣に絶えず魔力を流している褐色の男性がシヴァ。

 戦闘をしているのはその二人だけではなく、さらに二人。一人はシヴァの近くに控え、彼を魚人の攻撃から守り、もう一人はリーゼリットとは反対側で魚人の哨戒部隊へと攻撃を仕掛けている。

 リーゼリットともう一人の前衛の得物は、共に刀。水中を自在に泳ぎ回る魚人たちを相手にするにはいささかリーチ不足であり、それ故に攻めあぐねているのだった。


「風花! シヴァ! 一! 二の! 三!」


「ちょっ!? タイミングいきなりすぎじゃないっすか!?」

「せめてこっちの準備ができるの待てっての!」

「ねー、ここでぼくの名前呼ばないのってひどくなーい?」

 口々に文句を言いつつ、けれどリーダーの呼び声にきちんと対応してみせる面々。

 即座に安定性の高い地面に刻んだ魔法陣から、範囲の自在に変えられる手持ち式の魔法陣に魔力の流れを切り替えるシヴァ。前衛が自由に動くことのできる正円形ではなく、細長い楕円形のトリッキーな結界に張り直す。

 風花と呼ばれたもう一人の前衛は、足を地面から離さない独特の歩法で一気に結界の中心、シヴァの元まで下がる。

 名前の呼ばれなかったことに不満を口にしていた少年――マオは、風花にシヴァの守りを任せ、リーゼリットの背中目掛けて弾丸のように飛び出す。

 そして、マオの動きをわざわざ確認することもなく、そうくることが当然分かっていたとでも言うように、リーゼリットもマオと同じように大きく一歩を踏み込んだ。

 急に形を変えた結界に対応ができず、彼らの前方を泳いでいた魚人の一団は水中から結界の中へと飛びこんでしまう。そして、彼らが無防備に空中に浮いていたそのわずかな時間で、リーゼリットの刀とマオの短剣が、素早く鎧の隙間からわずかにのぞく彼らの急所を切り裂いていった。

 的確に急所を切り裂かれた魚人たちは、慣性の勢いで再び水中へと戻ったあと、全員同時に血しぶきをあげ、悲鳴を上げる間もなく絶命した。

 そして、今度は一度下がった風花の番である。へその下、丹田に全身の力をこめ、裂帛の気合いと共に流派秘伝の一撃を放つ。


「――白の舞、哭き桜!」


 剣戟の生み出したうねりが周囲の水を巻き込み、巨大な渦となって魚人たちに襲いかかる。対流のほとんどない湖であるため普段は渦潮のような自然現象が発生することもなく、それ故自分たちが抗えないほどの勢いでどこかに引き込まれるという経験もしたことのない魚人たちは、為す術もなく渦へと飲み込まれていく。そして、うねりのたどり着いた先で勢いよく固い岩盤に叩きつけられて、全身の骨を砕かれて死んだ。

「風花……そんな便利な技があるなら、なぜもっと早く使わなかった」

「うっわ、エグい殺し方。人の心がないでしょ」

「えぇ~~? 必殺技的なのでカッコよくババーンと決めたと思ったらひどい言われ様……」

 水流を発生させるため思いっきり水の中に突っ込んだ刀身に傷みがないかを確認した風花は、周囲からの酷評にげんなりとした表情を浮かべながら、刀を鞘に納めた。

「まぁまぁ、長い人生、たまにはそういうこともあるって」

「一番年下のお前がそれを言うか」

「言うとも。何故ならぼくは、この中で一番濃い人生を送っているという自負があるからね」

 よく晴れた青空のごとき瞳を細め、にこにこにやにやとイタズラっぽい笑みを浮かべるマオ。

 リーゼリットは呆れた表情で肩をすくめ、けれども何も言わずにシヴァの方へと顔を向けた。

「どうした? 何か珍しいものでもあったか?」

 絶命し、力なく水中を漂っている魚人の死骸をなにやら思うところありげな面もちで見聞していたシヴァは、「いや、別に……」と言葉端を濁しながら適当な返事をする。

「意味深長な表情をしておきながらそれはないだろう。何が気になっている。話せ。地下迷宮では些細なことでも情報共有はきちんとしておくのが吉だからな」

「うーん、であれば話すんだがね、こいつら、いつもより数が多かったなと思ってさ。普段のように単なる哨戒部隊なら三体が常、多くても四体程度だろうに、今日のはさっき救援を呼びに帰った個体を合わせても六体もいたから、何かあるのかなと思ったんだよ。ただそれだけ」

「なるほど、それは確かに気になるな。理由の分からない以上、今日は早めに切り上げておいた方が良さそうだ」

「常と異なることがあれば警戒を密にすべし、アングラ潜りの常識だよね」

「ふーん。まぁ、あたしは偶然複数の部隊が合流してるところにかち合っただけ説を支持するっすけどね」

「その根拠は?」

「えっ? いや、なんとなくなんすけど、こいつら、救援呼びに行ったやつも含めて、装備が二セットあるじゃないっすか」

「ふむ?」

 言われて、改めて周囲を漂う死骸の様子を確認するリーゼリットたち。

 たしかに、死んでいる五体の魚人のうち、同じ装備をしているものがそれぞれ二組いた。しかも、リーゼリットたちの倒した方と風花の倒した方とで、きれいに分かれている。

 これならたしかに、元は別々の部隊が偶然一緒に行動していただけという風花の推論も、それらしい雰囲気がある。

「だが、それならまだ疑問はあるぜ」

 すっと人差し指を立てたシヴァが、反論を口にする。

「もし風花の言うことが本当だとして、それでもまだ、肝心の『なぜ複数の部隊が一緒に行動していたのか』という謎は解けない」

「うんうん、そうだね。ところでその話、歩きながらじゃダメ? 普段と様子が違うから早く切り上げようって話をしてるのに、なんで正解の分からない話題で無駄に時間を浪費しようとしてるの? バカなの?」

 にこやかな笑みを浮かべ、淀みない口調で小首をかしげるマオ。珍しい赤色の髪がさらりと揺れ、彼の静かな苛立ちを垣間見せる。

「…………そうだな! 歩きながら話すか!」

 十も年の離れた少年からド正論をぶつけられたシヴァはしばし沈黙し、そして、やけに元気のいい声でその提案を受け入れた。

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