Re:風が紡ぐ詩(2)

日向晴希

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「さて、ルートくん、少し昔の話をしようか」

 教会の長イスに腰掛けたレオンが、そわそわと落ち着かない様子のルートへと、あまりにも気楽な態度で話しかける。

 かつてとある村を丸ごと食い尽くし、聖教会の精鋭部隊により封印されたはずの大吸血鬼、アウルミル。

 そのアウルミルがどうやら復活したようだという報告が入ったのが一週間ほど前のこと。そして、偶然得た手がかりから相手のおおよその潜伏先を特定したのが数日前のこと。

 それから急遽討伐隊を編成し、先遣隊の出発予定時刻まであと一時間とない。慌ただしげに廊下を走るルートをレオンが呼び止めたのは、丁度そんなタイミングだった。

「君はこの世界の始まりについて、どの程度知っている?」

「えっ? ……っと、それはつまり、創世神話についてのことですか?」

 長い足をもてあそぶようにして背の低いイスに浅く腰掛けたレオンが、どこか楽しげに口元をゆるませながら問いかければ、心ここにあらずといった様子でせわしなく周囲に視線を巡らせていたルートが、一応の確認を……といった体で尋ね返してきた。

「あぁ、そうだとも。俺は君の口から、君がどの程度創世神話について知っているか、覚えているかを聞きたいと思っている」

 にこにこにやにやと口元に薄ら笑いを浮かべたまま、レオンはルートに話の先を促す。

「それはもちろん、聖書に書かれていることなら一通り」

「ささ、どうぞ続きを」

 軽く答えて流そうと思っていたルートは、意外と食い下がってくるレオンに不思議に思いながら、わずか居住まいを正して軽く咳払いをした。これから少し長話をする、という彼なりの合図だった。


「まず、この世界にはかつて天と地はなく、原初の混沌と呼ばれるものに満たされていました。そして、その混沌の中から数多の生命が生まれ、それらを管理する役目を負ったものとして、この世界を創りたもうた御々神(おんみかみ)から遣わされたのが、僕たち人間のご先祖様です。しかし、彼らご先祖は世界を統治するうち、次第に自らの責務を忘れ、世界を我が物顔で支配する暴君に成り果ててしまいました。そして、ついには唯一絶対の支配者という地位をめぐり、種族内での戦争を始めてしまったのです。この事態を憂いた神は、混沌を正す秩序の必要性を実感し、自らの分け御霊とでもいうべき存在を、この世界へと遣わしました。それが、我らがレヴェノス聖教の始祖たる聖レヴェノスです。彼は聖なる島アエリアエーデへと降り立ち、愚かな争いに興じる人間たちを粛正しました。そして、彼は神の御遣いとしての使命を果たすため、あらゆるものが渾然一体としていた世界を切り裂き、天と地という二つの場所に分けました。これが世に言う天地開闢です。さらに、地上に陸と海という二つの環境を作り出しました。そうすることで世界には“循環”の概念が生まれ、人間という管理者を必要とせずとも、様々な生命はその“循環”の流れの中で繁栄していくようになりました。こうして管理者の任を解かれ、地上に生きるただの一種族となった人間は、世界を見守るための不死の力を失い、大いなる輪廻の環の中で魂を“循環”させながら生きていくこととなったのです。そして、再び愚かな過ちを犯してしまうことのないよう、天上からの御遣いたる聖レヴェノスを始祖とするレヴェノス聖教を拓き、その教えを後世まで伝え引き継ぐようになったのでした」


 そこで二度目の咳払い。今度は、話が終わったという合図だった。

「……で、この話がいったいどうかしたんですか、レオン殿?」

 怪訝そうな瞳で、ルートは静かに話を聞いていた目の前の男の真意を伺う。

「いやいや、なんということはないさ。ただ、これからジャッジメントとして初めての任務に出発するルート君に、初心忘るるべからずということを言いたかっただけだよ」

 明らかに答えをはぐらかされている。そう感じたルートだったが、悲しいかな、あと数十分で戦地へと赴くことになる彼には、ここでわざわざしたり顔の優男に食ってかかって出陣前の貴重な時間をこれ以上浪費するだけの精神的な余裕はなかった。

「お話は以上ということであれば、僕はこれで。レオン殿も、公的には明日の早朝に到着ということになっているのですから、あまり人目につくようなことはなさらないでくださいね」

「ははは、十分承知しているとも」

 その軽薄な笑い声に、本当に分かっているのかこの人は?という気持ちになるルートだったが、ここで何か言い返しては、またいつ終わるとも知れぬ無駄話に付き合わされることになってしまうと感じ、そのままため息だけを残してその場を後にした。

 せわしなく去っていく足音を聞きながら、レオンは長椅子の背もたれに体をあずけ、天上を仰ぎ見る。

「話は本当にそれだけさ。俺は、君が歴史の真実に気付いているか、この大芝居でコマとしてうまく踊らされてくれるかを確認したかっただけなのだから、ね…………など! と! 去りゆく青少年の足音を耳にしながら! 意味深長な言葉を吐く! 実に一筋縄ではいかないくせ者の気配がしないかね、君!?」

 突如バネ仕掛けかと思うほどの勢いで身を起こした彼が、ロウソクの灯り届かぬ暗がりへと体ごと向き直り、そこに潜んでいるだろう「なにか」へと言葉を投げかける。

 当然反応の返ってくるものと期待している表情で、レオンは人の一人や二人優に身を潜めていられそうな暗がりを見つめていたが、全く反応の返ってくる様子はなく。

 しばらく待ちぼうけを食らったあとで、ようやく一言、「なんだ、誰もいなかったのか」と呟いた。

「これから大一番の幕が上がるというのに助演の様子も見に来ないとは、なんと軽薄な監督殿なのだろうかね」

 呆れたようにため息を吐き、レオンは長椅子の固い座板に寝転がる。

 そのまま静かに寝息を立て始めた彼が再び目を覚ますのは、それから数時間後、帝都の周囲にまで吸血鬼化した魔物の群れが押し寄せてきてからのことだった。

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