第2話 赤い車輪

 「二つ隣の久之助が、あれの夢を見たそうだ」

 自習となった教室で、前の席の小太郎がそう話した。

 「あれの夢?一体何の夢だよ」

 小太郎は首を横に振りながら答える。

 「それは言葉にしちゃいけないって、今日親に叱られた。約束破ると町長の所に連れていくぞって」

 「あのおっさん、顔怖いしな。絶対にヤクザだよアイツ」

 「でも不思議だよな。夢を見たら町長の所に連れていかれるんだぜ。あ、これ内緒にしといてくれ。昨日の夜、うちの両親が話してたのをこそっと聞いちゃったんだけどな、その夢を見た人間は町長の所に連れていかれて、一生帰ってこないんだと」

 「それは怖いな・・・・・・。今日からずっと起きてるわ」

 「俺もそうする。でも絶対に寝ちゃうよな~」

 けらけら笑いながら、後は終業のチャイムが鳴るまで僕らは雑談で盛り上がっていた。



 久之助と小太郎は僕にとって友人以上の存在だ。両親の都合でこの町に越してきた僕は、町の人間からは特異な目で見られていた。

 この町は元々炭鉱が盛んだった町らしく、炭鉱が閉鎖するまではとても活気があったと父から聞いていた。しかし、閉鎖して以降は徐々に人が減り始め、炭鉱夫として稼いだ金で上京する人もいた。

 そんな状況の中、逆に都会からここに来た人間は珍しかったのだろう。遠目から眺める人もいれば、近くに来て顔を見るなり去って行く人もいた。当然。町の学校でも遠慮されていたのか、中々誰も声を掛けてくれなかったし、声を掛けても向こうから遠のいていった。

 友達など出来ない。そう思っていたある日、久之助と小太郎の二人に出会った。

 都会者と呼ばれて僕に対して、ちゃんと名前で呼んでくれて、初めて会ったにも関わらず夕方過ぎまでこの町の遊びを教えてくれたりした。

また小太郎は同じ学校であり、クラスは違うが休み時間や自習の時間になるといつも向こうから訪ねてきてくれてた。久之助は別の学校であったが、放課後のいつもの場所に行けば当然のようにそこにいた。

 その付き合いがもうすぐ一年になろうとしていた時だった。久之助が、『アノ夢を見た』と周囲の大人たちに相談してから、帰ってこなくなった。

 彼の事が心配になった僕と小太郎は、久之助の実家まで来た。しかし、出てきたのは久之助の両親ではない他人が出てきた。

 「久之助なんて名前は知らない。イタズラか?」

 「すいませんでした。失礼します」

 僕たちは頭を下げてその家を後にした。少しだけ後ろを振り向くと、男性は困った顔をして家の中に入っていったのが見えた。

 「どう思う?」

 僕は小太郎に聞く。小太郎は少し考えた後、「分からない」とだけ答えた。

 結局、久之助の行方が分からないまま半年が過ぎた。彼の両親もどこに消えたのかは分からないままだった。

 冬になり、父が買ってくれた防寒着を着ながらの登校を続けていたある日、小太郎から「話がある」とだけ伝えられた。

 「いつもの場所で待ってる」。そう言って彼はそそくさと学校を去って行った。

 最初は風邪でも引いたのかなと考えていた。しかし、彼の顔は真剣そのもので、どこか暗い影が見えた。

 放課後。かつて三人で集まっていたいつもの場所――学校の裏手にある、元々は炭鉱の休憩所のような場所で彼と合流した。

 「どうしたの?元気がないようだけど?」

 「いや、大丈夫だ。来てくれてありがとう」

 いつもは「遅いんだよ~」と軽口を叩いていた彼が、今はこうして正座しているのが、やけに不気味に感じた。

 小太郎は一礼すると、周りをキョロキョロと見た後、急に立ち上がり「こっちだ」と言って使われていない部屋まで案内した。

 部屋のドアを閉め、窓から誰も来ていない事を確認した後、小太郎は足を崩して、こちらと向かい合った。

 「俺さ、見ちゃったんだ」

 「何を?」

 「アレだよ。例の夢。夢の中に、久之助もいた」

 小太郎が自分の見た夢について続けた。

 「見たのは一週間くらい前だ。最初は夢なのか現実なのか分からなかった。家を出たらさ、炭鉱が見えた。夕陽に照らされて、炭鉱の上に付いてる、あの丸いやつが延々と穴の中から炭鉱を上げていた。近づいてみたら、入口の所に久之助がいた。アイツは俺に声を掛けられるまで、ずーっとあの丸いやつを見続けていた。俺が声を掛けると、久之助が振り向いたんだけど、そこにあったのはアイツの笑った顔じゃなかった。薄汚れて真っ黒になって、こっちを睨みつけてた。するとさ、奥の炭鉱からぞろぞろと大人たちが集まってきた。大人たちは睨みつける久之助を担いでそのまま炭鉱に戻っていった。その大人たちの中で、一際背の高い奴がいた。そいつは赤黒い顔して、にぃっと笑ってさ。腰に巻いてた荒縄を解くと、俺の首に巻き付けようとしてきやがった。俺は必死に抵抗して、炭鉱の方へと逃げていった。そこでも見たんだ。あの丸い機械が上げていたのが炭鉱じゃなくて、人間の手足だって。真っ黒に焦げた人間の手足を、アイツらが運んでて・・・・・・」

 呼吸が荒くなった彼の背中を叩き、深呼吸するように指示した。彼は言う通りに深呼吸し、息を整える。

 「ありがとう・・・・・・。その後、後ろから大人たちが走ってきて、俺を捕まえようとしてた。俺は必死で逃げて逃げて、気づいたらこの宿まで逃げていた。そう、この部屋だ。ベッドの下に隠れてアイツラが通り過ぎるのを待ってたんだ。そうしたら、あの背の高い奴が部屋に入ってきた。息を殺して、俺はそいつの足をずっと見てた。汚い作業靴から泥が落ちる中、アイツは荒縄でベッドを叩き始めた。そしたらさ、悲鳴が聞こえたんだよ。俺じゃない。ベッドの上からだ。さっき見た時には誰もいなかったのに、アイツが叩くと同時に、こっちの耳がおかしくなるくらい叫び続けてた・・・・・・。耳を塞いで、目を瞑ってた。それが何時間、何十時間も続いているような感覚だった。そしたらさ、ふと何も感じなくなって、目を開けたんだ。そこにはもう炭鉱も何もない。俺がふわふわと浮いているだけの空間になってた。安心した俺が後ろを振り向いた時だ。久之助とアイツがいた」

 小太郎はため込んだ唾を飲み込む。

 「こっちをじっと睨みつける久之助と、隣でニヤニヤ笑ってる男。男は持っていた荒縄を久之助の首に巻いて、軽く引っ張ってた。まるで動物のようにだ。久之助はその間もずーと俺を睨んでた。そして、口をぱくぱくと開けていたんだ。俺にはこう聞こえた。『どうしてお前だけ』ってそう聞こえたんだ。その瞬間に目が覚めた。いつもの、俺の部屋で・・・・・・」

 小太郎は溜息をついて暫く黙り込んだ。僕は彼の次の言葉を待った。

 「この事を親に話したら、来月には引っ越すと言った。あの夢を見た以上、この町にはいられない。だから、お前とももう遊べない。ごめんな。突然こんな話をして。家まで送るよ」

 立ち上がり、部屋の扉を開けると、どこからか土の臭いがした。周りには誰もいない。

 家に帰るまで、僕と小太郎は一言も喋らなかった。これが最後だなんて、当時の僕は思ってもいなかったのだ。

 僕の家に着くなり、彼は顔を真っ赤にして、泣くのを我慢して、目に涙を浮かべながらこう言った。

 「じゃあな。友達沢山作れよ」

 振り返らず、小太郎は走っていった。次の月に替わった直後、彼とその両親が遠くに旅立った事を父が教えてくれた。

 その後、父が転勤となり、僕もそれについて行く事になった。先生と数人の同級生が家まで来て、励ましとお別れの言葉を言いに来た。

 先生は小さい封筒を僕に渡してきて、「小太郎から預かってた。何かあったら君に渡してほしいと言われてた」と。

 手荷物だけを持って、僕は父と共に転勤場所へと旅立った――。



 僕から俺、そして私へと呼称が変わっていく中。私は久々の暇を取って父が住む家まで赴いた。

 高校卒業まで私の面倒を見てくれた父に見送られてから数年。父が腰を痛めたと連絡をしてきたので、会社にお願いして暇を取らせて貰ったのだ。上司は「お土産を買ってきてくれ」と金一封を包んで見送ってくれた。

 「よく来たな。とりあえず上がってくれ」

 家に入ると、父が元気よく出迎えてくれた。杖を突きながら歩いていたが、体調の方は良さそうだった。

 父の大好きなお酒とつまみを土産に手渡し、私は久しぶりの実家でくつろいだ。

 「そういえばお前。小太郎くんからの封筒を開けてなかったよな?」

 「なんて書いてあるか怖くてね。そろそろ読まないといけないのは分かってるんだけど」

 父は少しだけ考える素振りを見せ、「そろそろお前にも話しておくか」と切り出した。

 「少し長くなる。酒でも飲め」

 私のコップに強制的に酒を注いだ父は、自分の酒が入ったカップを一口飲んで語りだした。


 ――あの町。炭鉱で栄えた町だって言ってたよな。炭鉱ってのは常に危険と隣り合わせだ。ガスやら落盤やらで命を落とす奴も勿論いた。

 この町だけかもしれんが。当時は命が惜しいって奴もいてな。それで当時の町長が一人の外国人を連れてきた。背が高くて、言葉も話せない奴だったそうだ。町長はそいつが逃げない様に腰の辺りに荒縄を巻き付けて、まるで犬のように炭鉱の中に放り込んだそうだ。

 周りの炭鉱夫たちからは蹴られ殴られ、ドロを浴びせられながら、そいつは穴を掘り続けた。するとどうだ。そいつの掘った穴からは多量の石炭が取れ始めた。炭鉱夫たちは大喜びで石炭をトロッコに乗せてクレーンで上げていた。外国人には一切の休憩を与えずに穴を掘らせ続けていた。それに調子をよくした町長は更に外国人を導入した。安い賃金と引き換えに、彼らは死の恐怖と闘いながら炭鉱を掘り進めていた。掘れば掘る程、ガスが発生する場所に連れていかれ――死んだ外国人はトロッコに乗せてクレーンで吊り上げて、海に投げ捨ててた。ある時は落盤に巻き込まれ、見殺しにされたりな。元々いた炭鉱夫たちはそれを知りながら無視した。やがて、炭鉱が閉鎖する事が決まった晩だ。耐えに耐えかねた外国人たちはこの事を国に訴えると言い出して聞かなかった。当然だろうな。仲間を生き埋めにして置きながら、自分たちは酒飲んで騒いでたんだ。彼らが泣こうが喚こうが荒縄で叩いて現場まで引きずりだして・・・・・・最後には殺される。

それを聞いた炭鉱夫のリーダーと町長は外国人たちに酒を振舞った。それで許されるはずもないが、彼らは酒をたらふく振舞われた。意識が朦朧とするまで飲んだ彼らを、炭鉱夫たちがトロッコに乗せて、奥まで運んだ。そして、炭鉱の入口を塞いだんだ。それからだよ。あの町にいる子供でも大人でも、夕陽に照らされた炭鉱が出てくる夢を見だしたのは。夢の中の炭鉱で、外国人たちが休みなく、延々と掘り進めて

いく夢だ。そして、死んだ外国人を炭鉱の奥に運ぶ映像も見えだしてな。俺も見た。最後まで見てしまった。だが本当に怖かったのは、その夢を見た人間を町長が探して殺していた事だった。自分たちの付いた嘘がばれるのが怖かったんだろうな。恐らく、お前の友人だった久之助という子も町長に殺されている。どこで死んだかは分からない。だが恐らく、あの炭鉱のどこかだろうな・・・・・・。


 それから父は満足そうな顔をして寝てしまった。私はどうにもいたたまれない思いで酒を飲み、そして小太郎から渡された封筒を開けようと決意した。封筒はまだ机の引き出しの奥で眠っていた。

 封を開けると、一枚の紙と写真が出てきた。まだ幼かった私たちがカメラに向かってピースしている写真と、小太郎が書いたであろう、どこかの地図が記されていた。地図には「アイツを救ってあげてくれ」とだけ書かれていた。その言葉の意味を理解した私は、夜が明け、酒が抜けた頃に家を出た。

 父に一言伝えて、あの炭鉱の町へと向かう。電車で三十分程度の場所にある、寂れた田舎町の光景に懐かしさを感じつつ、目的の炭鉱跡へと向かった。

 山の中にポツンと立つ炭鉱跡。巨大な車輪のようなクレーンは沈黙を保ったまま、その時が来るのを待っているようだった。

 入口はない。かつて窓だった場所には鉄板が溶接されて、外部から入れない様になっていた。小太郎からの地図には、この内の一つだけが開く仕組みになっているようだった。手で軽く押すと、すぐに分かった。大人一人が入れる窓から侵入し、炭鉱跡へと入った。

 ライトをつける。炭鉱だった穴の入口は流石に入れない様になっていた。その代わり、隣の休憩室のような場所は奥へ奥へと広がっていた。

 天井から落ちてきた水がぽちゃんと落ちる。奥に進むにつれ息苦しさが増す。故障してないライトがチカチカと点滅しだす。隣に誰かいるように、息遣いが聞こえ始めてきた。

 穴を彷徨ってから数時間が経過した。私はついに、かつての友人と再会する事が出来た。

 「久之助・・・・・・久しぶり」。彼が好んで着ていた、青いチェッカー柄のシャツを着た骸骨が横たわっていた。小学生くらいのものだ。久之助の傍には、寄り添うように倒れた小太郎の骸骨も見つける事が出来た。そして、周りには多くの犠牲者たちの白骨死体が、当時の服を着たまま地面に寝ていた。

 洞穴の中心。僕の後ろでぼんやりと浮かび上がる白い影。僕の身長と同じ長さの彼は、僅かに赤い顔に笑みを浮かべながら、腰に巻いた大繩を外した。口をぱくぱくと動かし、最後にもう一度笑みを浮かべ、すぅっと消えていった。

 私はいつの間にか両手を合わせていた。彼らの冥福を祈り、無事に天国に行けるように願って。

 そしてこの光景を写真に収めると、私はそのまま町の警察所へと向かった。警察に写真を預け、私は上司へのお土産を持って新幹線へと乗った。

 帰りの電車の中、あの炭鉱の町で多くの白骨死体が出たという記事がすぐに出てきたのを確認した私は、再び目をつむって手を合わせた。

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