第11話 記憶と戦慄
「明けましておめでとう!」
私たちは年が明けると、SNSで一番最初に挨拶を交わした。ほとんど同時に2つのメッセージが画面に現れた。
朝になって、私たちは近くの神社に初詣に行った。神社の鈴を鳴らして手を合わせた。私は心のなかでお願いした。
「今年もすばるちゃんとたくさんバイクに乗れますように。」
次の人に順番を譲ると、すばるは尋ねてきた。
「あかりは何かお願いとかした?」
「たくさんバイクに乗れますようにってお願いしたよ。すばるちゃんは?」
「私は、交通安全、かな。」
私たちは社務所でおそろいの交通安全お守りを買って、おみくじを引いた。私は末吉だった。
「すばるちゃんはどうだった?」
すばるは「末吉」と書いてあるおみくじを見せてきた。
「あかりと一緒だね。」
「待って、書いてることはちがうよ。お父さんが『おみくじは文章をよく読まないとダメだぞ』って言ってた。」
すばるは少し笑って、自分のおみくじを読み始めた。
「えっと、『初めは気苦労が多いが、周りの人を大事にしていれば、最後はよくなるでしょう』って書いてある。」
「私は『恩返しのときです。自分のしてもらったことを他の人に施しなさい。そうすればやがて自分にも返ってくるでしょう』だって。」
私はおみくじを財布にしまった。すばるはスマホでおみくじを撮影すると、おみくじをくくっているところに結びつけた。
新学期が始まった頃、私たちはいつきちゃんの住む大阪に行くことにした。滋賀から大阪は交通量が多く、山道でもない。だから冬でも走ることはできる。SNSで打ち合わせた。
「東大阪来たことないやろ?1回来てみいへん?」
「うん、行ってみたい!すばるちゃんもいい?」
「うん、いいよ。」
宇治から大阪中央環状線に向かう途中でのことだった。後ろからやたら大きな音を鳴らしながらバイクがやってきた。ミラーで見ると、私たちと同じくらいの若いライダーだ。ヘルメットは原付用の半ヘルだった。
「うるさいなあ。あれ絶対マフラーいじってるよ。」
「乗ってる人はうるさくないのかな。」
「きっと耳の感覚がおかしくなっちゃったんだよ。」
信号が赤になって、前の車が速度を落とした。私たちも速度を落とす。そこへ左からさっきのバイクが猛スピードですり抜けしてきた。すばるが「危ないなあ。」とひとりごちる。
その時だった。2台前のワゴンが突然左ウィンカーを出した。私は教習所で見たビデオを思い出した。すり抜けしたバイクは速度を落としきれない。ワゴンはそのまま左へ曲がり始める。
典型的な巻き込み事故。私たちは路肩にバイクを止めてライダーの元へ向かった。
バイクは前輪を支えるフォークが曲がって、前輪が不自然な方向を向いていた。
ライダーは意識はあるようだった。ワゴンのドライバーが出てきて、110番をかける。通りがかった人とライダーを歩道に寝かせた。
そのとき、私はすばるの様子が明らかにおかしいことに気づいた。いつも冷静沈着なすばるの姿はなく、何もできずつっ立っていた。顔色は真っ青になり、息が早かった。
「すばるちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。」
そうこうしているうちに救急車とパトカーが来て、ライダーは搬送されていった。私たちはその場で警察官に事情聴取を受けた。警察官もすばるの様子に心配したようだった。
「君、大丈夫かい。」
「え、ええ、大丈夫です。」
「君たちも滋賀に帰らないといけないんでしょう。少し休憩して、落ち着いてから帰るようにしなさい。」
「はい。」
いつきちゃんには私が電話をかけた。
「ええ、事故!?大丈夫なん!?」
「私たちが巻き込まれた訳じゃないから大丈夫だよ。でも、すばるちゃんの具合が悪くて、今日はこのまま帰るね。ごめんね。」
「気にせんとって。それより気をつけて帰ってな。」
警官に言われた通り、私たちは近くのハンバーガー店に入って休憩した。すばるを席に座らせて、私はポテトとホットコーヒーを2つ買った。
「大丈夫?落ち着いた?」
「うん、ごめんね。」
口では大丈夫そうだけど、まだ少し余裕がなさそうな様子だった。
「あんなの見たら、落ち着かないよね。」
「……。」
すばるは黙り込んでしまった。張りつめた沈黙が漂う。
私はすばるの横に座って肩を抱いた。すばるは震えていた。見た目は防寒着とプロテクターのせいで大きく見えるが、実際はか細く、簡単に壊れてしまいそうな体だった。すばるも私と同じ17歳なのだ。
そのまま30分くらいすると、すばるの様子も段々落ち着いてきた。
「そろそろ、帰ろうか。」
「もう大丈夫?」
「うん。なんとか。」
帰りもすばるが前を走った。最低限の運転はできていたが、いつもよりブレーキが急だったりギクシャクしていた。私はすばるを家まで送り届けることにした。
すばるはバイト先のコンビニにCBRを止めた。
「家に止められないから、ここに止めさせてもらってるんだ。」
私はYBRを押して、すばると一緒に歩道を歩いた。
すばるの家に来るのは初めてだった。私はインターホンを押した。
「ごめんください。すばるちゃんの友達です。すばるちゃんを送って来ました。」
やや慌てた様子でインターホンが切られると、小柄なおばさんが出てきた。私のお母さん世代にしては少し老けた印象の人だった。
「あら、どうしたの。」
「実は……。」
私は今日の経緯を話した。すばるは、まるで尋問を受ける捕虜みたいに、黙って下を向いたままだった。事情を話し終えると、すばるのお母さんは形相を変えてすばるの方を向いた。
「あんた、また迷惑かけて。どれだけ心配させてるか分かってるの!?」
私は、あまりにきつい罵声のような説教に驚いて、思わず止めに入った。
「お、落ち着いて下さい。すばるちゃんも具合悪いみたいですし……。」
すばるのお母さんは私に視線を向けた。やせ細った野良猫のような、敵意に満ちた目線だった。その目線はすぐにすばるに戻った。
「まったく、あんたがバイクなんか乗るから、こんなことになるんだよ。」
あまりの剣幕に、私も何も言えなかった。すばるは震えていた。お母さんは少しだけ表情を作って私に礼を言うと、すばるを連れて家に入っていった。
私は、ショックでしばらく呆然としていた。私の家も、私の友達も、みんな家族は仲良しだった。みんな両親は優しいものだと思っていた。しかし、すばるの家は、そうではなかった。
次の日、すばるは学校に来なかった。先生に聞くと、風邪とのことだった。すばるにメッセージを送信してみたけど、反応がなかった。
私は昨日のことがあって、すばるのことが心配だった。
私はその日はそのまま家へ帰った。そのときいつきちゃんからメッセージが来た。
「すばるちゃんから返事がないんやけど、大丈夫だった?」
「無事に帰れたよ。でも今日は学校お休みだって。私のメッセージも見てくれてないみたい……。」
「そうなんや……。」
家につくと、お父さんもお母さんも食卓にいた。
「ただいま。」
「おかえり。今日は早かったのね。」
早かった?そうか、今日はすばるとお話したりしないで帰ってきたからだ。お母さんは台所で鼻歌を歌いながらシチューを煮込んでいた。唐突に、昨日のすばるのお母さんのにらみつけるような目線が脳裏をよぎった。私は、どれだけ恵まれていたのだろう。
お父さんが読んでいた新聞から顔を上げて尋ねてきた。
「あかり、何かあったか。」
お父さんはたまに心の様子を見抜いてくる。
「実はね、昨日すばるちゃんが……。」
私はお父さんに全部を話した。すばるの過去のこと、昨日の事故のこと、お母さんのこと。
「お父さん、私、どうしたらいいのかな。」
お父さんは話を聞くと、少し考えてから話し始めた。
「あかり。まず、これは基本的にすばるちゃんと、すばるちゃんのご家族の問題なんだよ。だから、すばるちゃんとご家族が向き合わなければならないことだし、あかりがしょいこむことでも、どうにかできることじゃない。」
お父さんは続ける。
「すばるちゃんも、お母さんも、誰も悪くないよ。人が突然亡くなるということは、家族にもぽっかり穴が空くということなんだ。その穴が完全に埋まるのには、とても長い時間がかかる。そして何かに一生懸命にならないと、穴が空いた心がつぶれてしまうんだ。」
私はすばるの抱える問題の大きさを改めて感じた。あの日琵琶湖で泣き崩れたすばる。昨日崩れ落ちてしまいそうで必死にこらえていたすばる。私が触れた肩は私たちの年相応に、華奢で簡単に壊れてしまいそうなものだった。すばるはその肩で、空洞のあいた心を必死に支えているのだ。
「お父さん、どうしよう。このままじゃ、すばるちゃんが壊れちゃう。」
私は動揺していた。お父さんは「落ち着きなさい」と言って私をなだめた。
「確かに、これはあかりにどうにかできることじゃない。だけどあかりにできることもある。それは……。」
お父さんは一息おいてから言った。
「すばるちゃんが独りにならないように、すばるちゃんとお話してあげることだ。」
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