第6話 告白

 カレーパンを食べ終わって、私たちはバイクの元に戻った。

「どれどれ、何キロくらいかな。」

すばるはそう言ってYBRのメーターを覗き込んできた。オドメーターは102.6キロを指していた。

「100キロちょっとか。あと50キロだね。」

「ええ、まだ終わらないの。」

YBRは最初の150キロが慣らし運転の第一段階で、5000回転までしか回せない。だからうっかり4速で60キロまで上げることもできないから、のろのろ運転しかできない。その次は500キロまで6000回転。

「早くすばるちゃんについていけるようになりたいよ。」

「帰ったら6000回転までできるようになるよ。」

 みずとりステーションを出て湖岸道路を南へ向かった。彦根の近くではまたすごい渋滞にはまった。渋滞の末尾、ブレーキで体が前のめりになる。すばるは私より滑らかな動きで停止して、シールドを開けた。

「ここもいつも混むんだよね。」

「そうなの、他に迂回する道とかないの?」

そう聞くとすばるは「うーん」と考え込んでしまった。

「国道8号まで回ってもなあ。その後湖岸道路に戻るなら、渋滞をやり過ごした方がいいよ。どのみちあかりのYBRもまだ慣らし運転中だしさ。こういうときは無理して急にルートを変えたりしない方がいいんだよ。」

 「無理はダメだぞ」というお父さんの注意を思い出した。お父さんがバイクに乗るわけじゃないはずけど、バイクに乗る人は無理は禁物が基本なのかもしれない。

 しばらく渋滞に流されていると、市街地に入った。すばるが右手を水平に上げて右折の指示を出す。右折車線に入って交差点を曲がると、元の通り流れ出した。さすがすばるだ。


 行き先標識も彦根、近江八幡、野洲、と私たちの住む街に近づいてきた。長いと思っていたビワイチも終わりは確実に近づいてくる。

 最後の休憩として、私たちは湖岸の駐車場に入った。そこは琵琶湖の見える駐車場で、私たちはバイクを並べて止めた。近くにあるベンチに座った。

 私はペットボトルの飲み物を飲み干して尋ねた。

「ねえ、そういえば、すばるちゃんは、何でこの子を選んだの?」

「それは……。」

 すばるは目をそらし黙り込んだ。その様子から、すばるが時折見せる気まずい奴だとわかった。私はすぐにちがう話題を振ろうと、頭のなかで次の話題を探しはじめた。

 だけどこの日は、すばるは少し間をおいて話し始めた。

「実は、私の兄貴のなんだ。死んじゃったけど。」

 私は、本当に触れてはいけないところに触れてしまったと気づいた。それでもすばるは、ほつれた糸を引っ張り続けてしまうように、話し終わったあとの自分がどうなるか分かっているのに、話し続けた。

「兄貴が初めて買ったバイクなんだよ、この子は。でもさ、兄貴が見栄っ張りでさ、こんなフルカウルのレーサーから乗り始めて、そのくせ『軽二輪は遅え、こんなのよりでかいバイクさっさと買いてえ』って文句ばっかり言っててさ。でもこの子のエンジンオイルは何度も変えてたし、乗るたびにあちこち磨いてたし、とても大切にしてたんだ。あの日までは。」

 すばるの話し方から段々余裕がなくなっていく。私は、どんどん雰囲気が真剣になっていくのを感じとった。

「兄貴さ、就職したら初給料で隼なんか買っちゃったんだよ。」

隼、私が免許を取る前に知っていた、数少ないバイク。

「免許はあるとはいえ、いきなりリッターだよ。あり得ないでしょ。でもさ。」

すばるは言葉につまりはじめ、表情がますます暗くなっていく。

「結局さ、家まで帰ってこれなかったんだよね。」

 すばるのお兄さんは、ディーラーから家に帰る途中、信号待ちの車列の左をすり抜け、前へ出てしまった。白い隼は未熟なライダーにまくられるまま、以前乗っていたバイクの5倍近くある排気量で、凶悪なほどのトルクで急加速した。青信号でゆっくり動き出すバスを左から抜いて先頭に出たとき、不運にもせっかちな対向軽自動車が右折を開始してしまった。軽とはいえ車輪が2倍もある車両はライダーをはねとばし、無慈悲に隼をスクラップにしてしまった。

「あの日のこと、あんまり覚えてないんだ。兄貴が死んだって、お母さんは泣き崩れるし、親父は怒鳴ってばかりだし。だから怖くてなにもできなかった。」

 私は、あまりに壮絶な話にどのような表情を見せればよいか戸惑っていた。すばるは一生懸命言葉を選びながら話し続けた。

「兄貴のお葬式が終わってさ、遺品整理が始まったとき、この子は廃車になりそうだったんだ。そりゃそうだよね。兄貴はバイク乗りにならなきゃ死ななかった。兄貴を殺したのはバイクで、この子もバイク。自分の子供を殺した乗り物を、家に置いとけるわけなんかないよね。」

すばるの声は震え始め、目にはうっすら涙が浮かんでいた。

「でもさ、私、この子を見捨てられなかったんだ。兄貴は死んじゃったけど、この子にとっても大切なライダーがいなくなっちゃったんだ。同じ兄貴を失ったもの同士、庭に停められてるこの子を見たら、いたたまれなくなっちゃって。だから決めたんだ、私がこのバイクに乗りつごうって。」

 あかりはすばるの顔をずっと見ていた。経緯を話し終わると、すばるは下を向いた。

「私、なめてるよね。自分から乗りたいって思ったわけじゃなしに、お兄ちゃんにもらったバイク乗り回してんの。しかも親に『バイクになんか乗るんじゃない』って言われてるのに、そのたびに親とも大喧嘩して、そこまで必死でしがみついてさ。あかりは……。」

すばるの目もとの光る粒が大きくなる。それがこぼれ落ちる前に、すばるが崩れ落ちてしまう前に、私はすばるを抱き寄せた。

「そっか、このバイクはすばるちゃんとお兄ちゃんのとっても大切な宝物なんだね。すばるちゃんは、この子を守ってきたんだね。」

 すばるは私の胸に顔を埋め、震えていた。私はすばるの背中をやさしくさすっていた。すばるは決してバイクをなめてるわけじゃない。すばるがバイクに乗り続けるには、私の何倍、何十倍もの「バイクを降りなさい」という重圧と戦わなければならなかった。そしてすばるは、たった一人で、この小さな背中で耐えてきたのだ。CBR250RRを、そしてバイクに乗る自分を守るために。

 10分くらいして、すばるは小さい声で「もう大丈夫」と言った。

「ごめんね。ありがとう。」 

「いいよ。」

私は、まだ何と声をかけていいかわからなかった。だけどすばるが、1人で抱えていた心にぽっかり空いた大きな穴を、勇気を出して見せてくれたことがわかった。

「ありがとうね。大事な秘密を話してくれて。」

すばるは下を向いていた。

 

 私たちはツーリングに戻った。すばるのCBRを見て、これまでこのバイクのたどってきた壮絶な過去を思うと、より美しく見えた。すばるにも、その前の持ち主にも、大切に磨き上げられてきたのだ。新車のYBRと並んできれいだった。

 すばるは、ミント菓子を一粒口に入れて、ヘルメットを被った。ヘルメットを被るとすばるのオーラが変わったような気がした。私もヘルメットを被って気合いを入れた。

 日が傾きはじめた湖岸道路を走る。琵琶湖を照らす夕日がとてもきれいだった。前を走るすばるは、さっきまでの様子が嘘だったようにしっかりした様子だった。

 やがて湖岸道路を離れ、スタートしたコンビニまで戻ってきた。私たちのゴールだ。駐車場にバイクを止めて、すばるはヘルメットを脱いだ。

「これで、ビワイチ達成!走りきったね。」

私もヘルメットを脱ぐ。

「すばるちゃんのおかげだよ。ありがとう。」

すばるは目をそらして答えた。

「いや、あかりのおかげだよ。あかりがいなかったら……。」

私も少し顔が熱くなった。この間の、怒ってるときのとはちがう、微妙な沈黙。

「あ、あのさ。」

すばるが沈黙を破った。

「また、一緒にどこか行こうね。」

私はすぐに答えた。

「うん、もちろん!」

 そういうと、すばるは笑顔になった。

「そういえば。」

すばるはYBRに近づいてメーターを見た。気がつくと走行距離は180.3kmになっていた。

「慣らし運転、第一段階終了だね。」

私とすばるはガッツポーズを交わした。

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