第5話 ビワイチ

 「来週、琵琶湖一周しようか。ビワイチ。」

お昼休み、すばるはたまごロールをほおばりながら切り出した。

「び、琵琶湖を一周!?」

私は驚いてしまった。琵琶湖を一周するのが途方もなく長い距離に思えたからだ。

「琵琶湖だよ。そんなにびっくりすること?」

「びっくりするよ。琵琶湖だけど、一周でしょ。何日かかるの。」

 中学校のとき、琵琶湖を自転車で一周した同級生のことを思い出した。1日ではとても無理で2日かかったと言っていた。バイクでも同じくらいかかるんじゃないかと思った。

「いやいやいや、自転車とバイクだとちがうから。」

そういうと、すばるはスマートホンを取り出してマップアプリを開いた。私たちの高校、近江大橋、浜大津駅、「追坂峠」「みずとりステーション」「道の駅草津」、私たちの高校。経路検索を押す。すると琵琶湖の湖岸を一周するようなルートが出てきた。

「183km。これくらい1日で回れるよ。」

「そうかあ。バイクって時速60キロで走れるから、3時間で回れるね。」

計算の苦手な私にしては珍しく即答した。しかしすばるは「ちっちっちっ」と人差し指を立てた。

「最高速度はね。でも普通の道路だと信号もあるし、休憩だってするし。実際は30キロくらいって言われるよ。それでもちょっと混んでたらすぐ時間オーバーしちゃうし。琵琶湖一周だと大体6、7時間くらいかな。」

 7時間。今度はまたすごく長く感じた。

「7時間もバイクに乗ってて大丈夫なの?」

私がそういうと、すばるは笑い出した。

「大丈夫だよ。世の中丸一日バイクに乗ってても大丈夫な人もいるし。私はそこまで無茶しないし、あかりと一緒ならもっと気を付けていくから大丈夫だよ。」

すばると一緒。私一人だと7時間もかけて琵琶湖を一周するなんて恐ろしくできなかったけど、すばるがいるからいけそうな気がしてきた。

「それなら、行こう。私も行きたい。」

すばるはそうこなくっちゃ、と言った顔をして、予定表アプリに書き込んだ。


 「琵琶湖一周?大丈夫なの?」

お母さんに言うと少し心配された。

「だって琵琶湖一周って500kmくらいあるんじゃないの。」

お母さんがそういうと、お父さんは大笑いした。

「琵琶湖一周が500kmもあるわけないじゃないか。ここから新潟までが大体500kmくらいだよ。」

お母さんが「そうだったかしら」という。お父さんはこっちを見て昔の話をし始めた。

「あかりが小さいかったころに車で琵琶湖一周したけど覚えてないか。あれは何歳くらいのころだったか。確かつづら尾崎の展望台まで行ったな。あかり、すごくはしゃいで『いつもの琵琶湖じゃないみたい』だなんて言ってたんだぞ。懐かしいなあ。そのあかりがバイクでビワイチか。」

急に老け込んだみたいな物言いで、私もお母さんも笑ってしまった。

「もう、お父さんったら、おじいちゃんみたいだよ。」

「でも、やっぱり大丈夫なの?あかり、まだバイク初心者なのに。」

お母さんは少し心配した。私は答えた。

「大丈夫だよ。友達と一緒に行くんだから。」

「そう?でも気をつけて行かなきゃだめよ。ちゃんと若葉マークもつけなさいよ。」

またお父さんが笑う。

「若葉マークは自動車だけだよ。」

談笑。

「でもお母さんの言う通り、気をつけて行かなきゃダメだぞ。絶対に無茶はしてはいけない。」


 7月中旬。とてもラッキーなことに、前日に梅雨明け宣言が出た。当日も曇りだったけど雨は降ってなかった。

 近くのコンビニで待ち合わせた。時間の加減がわからず早く着きすぎてしまって、ジュースを買って外で待っていた。すると約束の時間通りにすばるを乗せたCBRが入ってきた。すばるは白黒ベースに青いラインのジャケットを来ていた。

 「ごめん、お待たせ。」

「ううん、私が早く出すぎちゃったから。すばるちゃんは何か飲み物買ったりする?」

「いや、大丈夫だよ。」 

 初めてのロングツーリング。先導はもちろんすばる。すばるが左によっていたら私は右後ろ、あるいはその左右が逆でついていく。千鳥走行というらしい。

 2人で計画を確認した。まず瀬田川を渡って大津周辺で休憩。そして琵琶湖を時計回りに回る。すばるいわくこの方が混まないらしい。

「トイレに行きたくなったり、疲れたら遠慮なくパッシングして。休憩場所探すから。我慢しながら走ってたら危ないからね。」

「わかった。」

「ほかに確認しておきたいことはある?」

「大丈夫。」

すばるも免許を取って1年経っていないのにしっかりリードしてくれる。とても頼もしいなと思った。

「今日は一日、よろしくお願いします。」

 「そんな、大げさだよ」と言いながらすばるはCBRにまたがってエンジンをかけた。私もYBRにまたがってエンジンをかける。聞きくらべるとエンジンの音にもちがいがあるのがよくわかる。CBRのエンジンはドコドコ低い音がするけど、YBRは排気量が小さいからか、新聞屋さんのバイクみたいな軽い音がする。

 すばるのCBRが左折で出ていき、私もついていく。すばるが左側を走り、私が右後ろをついていく。信号で止まるとバイクが並ぶ。

 しばらくすると、瀬田川を渡って大津市内に入った。市街地になって流れる速度が落ちる。ここでコンビニに入って1回目の休憩をした。

「第一ラウンド、どうだった?平気?」

「大丈夫だよ。これならまだまだ行けそう。」

確かに前よりは少し疲れたけど、まだまだ最初だったので休憩したら大丈夫だった。すばるは買ったばかりのミント菓子を開けて1粒口に入れた。

 大津市内を北上する。市街地が続く道だった。途中すごい渋滞に数回捕まった。最後のは特に長くて、全然進まなかった。

 途中で右折して、休憩スポットに入った。「琵琶湖大橋 米プラザ」と書いてあった。橋に入る前に左の脇道にそれて道の駅に入る。駐車場を一周して二輪駐車場にバイクを止める。すばると私はヘルメットを脱いだ。

 「ごめんね。この辺りいつも渋滞がひどくって。この先はだいぶマシだよ。」

「そんなのすばるちゃんが謝ることじゃないよ。」

とはいえ、長い渋滞で少しだけ疲れた。建物の方を振り返ると、その裏にあるものに気づいて思わず指を指した。

「見て、あれ。」

建物の横の桟橋に大きな船が泊まっていた。学習船「うみのこ」。私は小学生のときに乗ったことがある。すばるもすこし驚いていた。

「これまだ動いてるんだね。ここに泊まってるのは初めて見た。」

 スマホで写真を撮った。

「すばるちゃんも一緒に撮ろうよ。」

「えっ、あたしはいいよ。」

「いいからいいから。」

私は恥ずかしがるすばると少し強引に肩を組んで、インカメラにしたスマホを構えた。すばるは愛想笑いをして反対側の手で小さくピースをした。「うみのこ」をバックにいい写真が撮れた。

 米プラザを後にして、私たちは再び琵琶湖の西側を北上した。段々市街地を離れて建物が少なくなってきた。少し飛ばすと集落に入って速度が落ちる、というのを数回繰り返した。

 やがて私たちの道は丁字路で大きな国道と合流した。左から合流してくる道路には歩行者、自転車と並んで「125cc以下の自動2輪通行止め」と書いてあった。

 国道と合流してしばらくすると、前を行くすばるは右側を指差した。右側を見た私は、ヘルメットのなかで「うわあ」と声を上げた。

 そこには雄大な琵琶湖が広がっていた。左側に山、そして道路、右側に琵琶湖。ここまで走ってきて最高の眺望だ。いつも見ている南湖は対岸が見えるけど、琵琶湖大橋より北の北湖は対岸じゃなくて水平線が見える。

「思いきってここまで来てよかった。」

私はそう思った。

 高速道路みたいな道に入りそうになったところで左側に抜けて、「湖周道路」と書いてある方向へ向かった。

 久しぶりに信号待ちで並ぶ。すばるはシールドを開けて話しかけてきた。

「景色すごかったでしょ。」

「うん!」

私は頭を大きく縦に振って答えた。すばるの目尻が上がった。そしてエンジンの方を指差して言った。

「あまりエンジン回しすぎないようにね。」

答えるまもなく信号が青に変わった。すばるはシールドを閉めて発進した。

 そこから私たちは流れのゆったりした道を走った。後で聞くと、ライダーもバイクも慣らし運転中の私に気を使って、すばるはあえて国道でないゆっくりした道を選んでくれたらしい。

 市街地を抜けて、今度は山道に差し掛かった。少し山を登って、右折で道の駅に入った。「道の駅 マキノ追坂峠」。建物の前に看板が立っていた。

「ここをまっすぐ行くと北陸なんだね。すごく遠くに来た気分。」

「そうだよ。今日はここで曲がって折り返しだけどね。」

地図で交差点を指差してすばるは言った。真っ直ぐ北へ向かう道から右側へ分かれて琵琶湖の東へ道が伸びていた。


 コーヒーを飲み終えると私たちは先を急いだ。近くのガソリンスタンドですばるはガソリンを入れた。その後いくつかのトンネルを通り、3回右折して、「さざなみ街道」と書いてある道へ入った。しばらく進むと右側にまた琵琶湖が見えてきた。

 車の流れがとても速かった。すばるは時々私の方を見てペースをあわせてくれた。だけど後ろには車列ができてしまい、私たちは渋滞の先頭になってしまった。

 休憩に道の駅に入った。3つ目の道の駅、「湖北みずとりステーション」。私たちはここで昼食を取ることにした。

 「渋滞の先頭になっちゃったね。」

すばるはヘルメットを脱いでそう言った。

「でも大丈夫だよ。こっちは法定速度守ってるんだしさ。それに慣らし運転だから仕方ないよ。後ろは気にしないで行こう。」

 バイクを降りたすばるは建物の前を歩いていった。その先には背の高い黄色いワゴンが止まっていた。

「ここのカレーパンおいしいんだ。あかりもカレーパンでいい?」

「うん。」

すばるはワゴンのおばさんに声をかけてカレーパンを2つ注文した。今から揚げるから少し時間がかかるらしい。しばらくすると熱々のカレーパンが出てきた。

 すばると二人でカレーパンにありつく。私は猫舌だから、フーフーしながら少しずつ食べた。その間にすばるはパクパクっと食べ終わってしまった。

 先に食べ終わったすばるはマップアプリを見ていた。

「この辺りが距離的には中間地点だよ。」

すばるは交通状況も調べてくれたようだ。

「この先はちょっとだけ渋滞ポイントがあるけど、それ以外は流れてるよ。もうずっと琵琶湖。」

「へえ、そうなんだ。」

そういうと、私はカレーパンを一口かじった。熱々だからなかなか飲み込めない。

「そんなに焦って食べなくていいよ。」

口の中で少し冷まして飲み込んだ。おいしいカレーパンを食べると元気が出た。

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