第2話 決意

 「私、バイクの免許取りたいの。」

真面目な話をしたいと言って、お父さんに時間を取ってもらった。お父さんはそうやってお願いをすると、少なくとも話はちゃんと聞いてくれる。私が単刀直入に話題を切り出すと、お父さんは少し驚いたように目を開いて、私の目を見た。

「そうか。それはどうしてなのかな。」

私は、あの夜の、すばるとバイクのことを話した。


 「私、バイクのこと、あまり人には話してないんだけどね。あかりにだけは、見せてあげる。」

すばるはエンジンを切ってバイクを降りた。私たちの学校では免許を取ったり二輪車に乗ること自体は禁止はされていない。だから隠す必要はないのだけど、それでもすばるはバイクの話はしないのだった。

 「バイクに乗ってる女の子って、ちょっとやんちゃというか、不良っぽいでしょ。だからあまり友達に話したくなくてさ。」

「そんなことないよ。」

私はすぐに答えた。白いバイクとすばるはそれぞれが互いと出会うために生まれたのかというようにとても似合っていて、かっこよかった。

「すごくかっこいいよ。私、同じくらいの歳の子でバイクに乗ってる子、初めて見た。とってもかっこいいんだね。」

 愛車を誉められたすばるは照れていて、本当にこのバイクが好きなんだなと感じた。私はもっとこのバイクとすばるのことを知りたいと思った。

「何て言うバイクなの。」

「CBR250RR。トリコロールカラーだよ。」

突然外国語が出てきた私は虚を突かれた。もっと「はくたか」とか「はやぶさ」とか、そういう愛称みたいな名前が出てくると思っていた。バイクのことは調べたこともなかったけど、私はわずかなバイクの知識で話についていこうとした。

「へえ。バイクって型式で呼ぶんだね。あっ、『隼』って聞いたことあるよ。そういうのとはちがうの?」

「隼は……。」

すばるは目を伏せて黙り込んだ。よくわからないけど何か余計なことを言ってしまったようだ。気まずい空気が流れる。

 しばらくしてはっとしたように、すばるは話し始めた。

「は、隼はちょっとちがうかな。あれ大型だし、これは中型だよ。小さいやつ。」

「そうなんだ。ごめんね、私、バイクのこと全く知らなくって、大型とか中型とか分からなくて……。」

また気まずい空気が流れかける。今度はすばるがすぐフォローを入れてくれた。

「知らなくて当然だよ。私も免許取るまで全く知らなかったし。」

 すばるはその後、バイクのことをたくさん教えてくれた。バイクの免許には中型免許と大型免許があること。すばるのバイクは250ccで、中型免許で乗るバイクとしては小さめなこと。とはいえ高速道路を通ることもできること。そして、このバイクで本当にたくさんの場所を走ってきたことを教えてくれた。

「たった一年弱だけどね。でも休みの日はほとんどバイクに乗ってるんだ。先週は湖を一周してきた。」

「一周したの。それはすごいね。」

バイクのことを話しているすばるはすごく生き生きしていて、バイクに乗るのは楽しいんだという気持ちが伝わってきた。私は話の内容に引き込まれて、相づちを打ったり月並みな返事をすることしかできなかった。

 「ごめんね、しゃべりすぎちゃった。」

すばるは少し気づいたようで、謝り始めた。

「そんなことないよ。」

私はすぐに返したけど、これは本心だった。私の心は完全にバイクに引き込まれていた。気がつくと私は、自分でも少しびっくりするようなことを言っていた。

「私もバイクに乗ってみたい。」

すばるは少しびっくりした表情をした。そしてちょっと挑戦的になって言った。

「じゃあさ、乗ってみる?」


 「そうか。お友達が乗ってるからか。」

お父さんはなるほどな、と納得した顔をした。

「でもな、バイクに乗るというのは、大変なことなんだぞ。」

お父さんは続けた。

「まずバイクを扱うのには体力が要る。中型でもバイクは重い。その重いバイクを取り回したり、倒したときは自分で起こさないといけない。それができないと免許さえもらえない。仮に免許を取れたとして公道に出たとき、些細なことで、そう本当に些細ななことで、命を落としてしまう。それに雨からも風からも、何も守ってくれない。バイクっていうのはそんな乗り物なんだ。」

一息おいて、試すようにお父さんは聞き直した。

「それでも、あかりはバイクに乗りたいのかな?」

「うん!」

私はほとんど反射的に答えていた。まだバイクを押したり起こしたりしたことはないし、事故に遭ったら死んじゃうとか、想像もつかない。でもすばるちゃんがあんなに表情を変えて楽しそうに話す乗り物が、そんな無意味な乗り物な訳がない。私は信じていた。

 「それじゃあ。」

お父さんは、面接の練習をしているように、丁寧な口調で質問を始めた。

「あかりはどれくらいバイクのことを知ってるんだい。」

ちょっと痛いところを突かれてしまった。お父さんはお話はちゃんと聞いてくれるけど、理屈で攻めてくるのがうまい。私はすばるに教えてもらった以上のことを知らなかった。

「どれくらいって言われても……。そうだ、中型免許を取ったら400ccまで乗れるのは知ってるよ。」

「ほう。」

お父さんは少し驚いた顔をした。お父さんは、私がバイクのことを全く知らないまま、憧れだけで乗りたいと言い出している、と思っていたみたいだった。

 「結構調べてるな。じゃああかりはどんなバイクに乗りたいんだい。」

しまった。私がちゃんと見たバイクはすばるのCBなんとかだけだった。それ以外はイメージはいくつか浮かぶけど、名前なんかさっぱりわからなかった。お父さんは意地悪だ。

 「えっと、名前はわかんない……。」

「そうか、あかりは乗りたい乗り物の名前も知らないのか。じゃあ仕方がないな。」

お父さんは話を切り上げようとした。だけど、私は諦めたくなかった。お父さんは頭がいいから、小学生の私が通信教育のダイレクトメールを見て受講したいと言い出した時も、中学生の私が近所にペットショップができて子犬を飼いたいとねだった時も、お父さんに説き伏せられて諦めた。だけど、今回は絶対に諦めたくない。そう強く思った。

「かっこいいバイク、私はかっこいいバイクに乗りたいの。かっこよくてどこへでも行ける、バイクに乗りたいの。」

 席を立とうとしたお父さんはもう一度座りなおして、試すような目つきで私の目を見つめた。数秒間見つめあって、これは止められないなと観念したような顔をした。

 「わかった。あかりの熱意は認めよう。でもこれだけは約束してくれ。」

お父さんは一息おいて真剣な顔になった。

「絶対に、何があっても、無茶をしないこと。守れるかな。」

私は即答した。

「もちろん。」

 お父さんは少しだけ表情を緩めた。それと何か思い出した顔をして切り出した。

「それと、あと一つだけ約束を守れるなら、貯金で足りない分は出してあげよう。」

「約束って?」

「それは……。」

少しためてお父さんは言った。

「中間テストの点数を30点上げること。」


 「はあ、試験も終わったあ。」

「お疲れさまだね。」

 私とすばるは学校の最寄り駅のいつもと反対向きのホームで電車を待っていた。試験最終日、昼過ぎで学校が終わりなので、今日はすばるが免許を取った教習所に資料をもらいに行くのだった。テストの結果はまだわからないけど、今回は私史上一番頑張った。毎日ぼーっとしていた朝の時間で英単語の暗記をしたし、苦手な数学の問題を解くために生まれて初めての徹夜もした。

「もうこれ以上勉強できないよお。」

「まだ最初の試験でしょ。それにバイクに乗るなら免許の試験も受けないといけないよ。」

「そ、そうだったあ。」

 そうこうしているうちに電車が来た。3駅先の駅に行って、10分くらい歩いて教習所に着いた。事務所に入るのにコースの横を通った。

「教習所のバイクって、すばるのバイクと違う形してるよね。」

「ああ、スーフォアはネイキッドだからね。中型の教習車はどこもこれだよ。」

 すばるにまたバイクのことを教えてもらった。すばるのバイクはカウルという風避けがついている。そのカウルがあまりついていない、エンジンやハンドルなどがむき出しのバイクのことをネイキッドというらしい。

「そうなんだ。すばるちゃんも教習ではこれに乗ったの?」

「もちろん。」

事務所に入って受付で資料をお願いしてみた。事務員のおばさんが出てきて、教習時間や料金について親切に説明してくれた。中型二輪にも小型限定という免許があるというのを私は初めて知った。

「女の子だから小型の方がいいかも知れないわね。」

「でも私、中型がいいんです。この子と同じバイクに乗りたいんです。」

「そう、だったらチャレンジしてみてもいいわね。重たいけど頑張ってね。」

まだ入ると決まった訳ではないけど応援してもらった。その日は資料を通学かばんにしまって持って帰った。

 1週間後。最後の試験科目の数学Bの答案が返ってきた。

 16点。ここまでの科目で前回から上がった点数。前の数学Aの点数は66点。つまりこの科目で80点以上取れないと、私はバイクに乗れない。

 1年生の時から教わっている数学の先生が答案を返し始めた。五十音順なので、すばるちゃんが先に呼ばれた。答案を見たすばるちゃんはこっちを見て小さくガッツポーズをした。いつもより少しだけ点数がよかったらしい。

 「次、星田。」

「は、はいっ。」

あまりに緊張しすぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。ドキドキしながら教壇に向かう。

 「お前、何かあっただろ。」

先生は私の緊張具合を見て、からかい半分で言ってきた。どっちの意味なんだろうとますます緊張した。

「そ、そんなことないですよ、あはは……。」

先生から裏返しになった答案を受け取った。私は後ろを向いてすぐに裏返した。

 点数欄には、「81点」と書いてあった。私は両手を上げて「やったあ!」と声を上げた。



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