第3話 免許
5月の連休初日、私は2度目の教習所に来た。小さい頃は教習所は4つタイヤのある普通の自動車を運転するために来るところだと思っていた。でも私は、タイヤの数が半分の二輪車の免許を取るためにここに来た。
休みの日だからすばるも一緒に行こうかと聞いてくれた。だけど私は1人で行くことにした。すばるがいても手持ちぶさたにしちゃうし、自分の免許なのだから。
受付で人を呼ぶと、前に優しく説明してくれたおばさんが来た。入所したいことを告げると別の人を読んで、若い教官の男の人が出てきた。
「じゃあ、適性検査をやりますね。」
適性検査。普通自動車では視力を見たりするだけだけど、バイクの免許を取るときはちがう。バイクを取り回せる体格かを見る検査だと事務員のおばさんが言ってた。
私は教習車置き場に案内された。そこには遊園地の乗り物みたいな飾りのついたバイクが、見たことない密度で整然と並んでいた。
教官はそのうち1台を軽々しく引き出して、あかりの前に押してきた。
「はい、じゃあまたがって見て。」
教官にハンドルを支えられながら、あかりは恐る恐る、青いCB400スーパーフォアにまたがった。不安定そうですぐに倒れてしまいそうに見えたバイクは、乗ってみると思いのほか安定していて、少し拍子抜けした。
「じゃあ傾けるから、支えてね。」
教官はまず車体を右側に傾けた。途中までは大丈夫だったが、ある角度を超えたとき、急に荷重が大きくなった。
「おっとっと。」
たまらず膝が曲がる。教官の腕にも力が入る。
「大丈夫?」
「す、すみません。」
今度は反対側に倒す。また同様に限界で倒れそうになった。
「うーん、女の子だからちょっと大変かもね。乗ってるうちに慣れては来ると思うんだけど。」
「そうなんですか。」
この時から、私の中に不安が芽生え始めていた。目の前にあるバイクが大きく恐ろしいのように見えてきた。
「じゃあ次は引き起こしね。」
教官は右側に回って、自分の体重でバランスを取りながらゆっくりバイクを倒した。
「ハンドルとバーを持って、起こしてみて。」
まずは何も考えないで持ち上げようとした。100kgは余裕で超えるだろう車体はほとんどびくともしなかった。
「あー、これ起こすコツがあるんだよ。腰を入れて、向こう側に倒すつもりで押してみて。」
教官は優しくコツを教えてくれた。その通りやろうとしてみた。必死に持ち上げようとするが、バイクは起きあがらなかった。
しばらく格闘した後、教官が重い口を開いた。
「これは厳しいなあ。小型にした方がいいかも知れないね。」
「そんな……。」
すばると同じバイクに乗れない。私はそれが一番に嫌だなと思った。どうしてなのかはわからないけど、すばるとツーリングに行くには、同じ中型バイクでないと、と思っていた。
「もう一度だけ、やらせてください。」
「いいよ。まあ無理はしないでね。」
腰を入れる。向こう側に倒す。私は全体重を車体にかけた。
「そこで脚の筋肉を使う!」
教官が声が飛ぶ。私は脚を伸ばす。すると車体はなんとか起き上がった。
「ふう。」
「起こせたね。でも教習中に転倒したら毎回起こしてもらうからね。」
転倒する度毎回。まあ転倒しなければいっか……。
「ガシャーン」
そのとき隣で大きな音がした。教習車を出そうとした人が倒してしまったのだった。
「こらー!出すときは気をつけんか!!」
大声が飛ぶ。私は初めて痛感した。バイクは簡単に倒れてしまうものなのだ。そして倒れたバイクを起こすのはものすごく大変。教習中は何回も倒して起こしての繰り返しで、教習所を出てからも倒したら起こすのは私しかいない。
「すみません、ちょっと、考えます。」
受付のおばさんの元に戻って共通の手続きだけ済ませ、私は教習所を後にした。道すがら、私はどうすればいいのか分からなくなった。中型の教習を始めることもできるけど、中型バイクが扱えないんじゃ、と怖く感じる自分もいる。でも、小型限定免許ではすばるに着いていけない。
自問自答で途方に暮れながら駐車場まで来ると、見たことのあるレーサーバイクが止まっていた。そばではすばるがスマートホンを見ていた。私はいても立ってもいられず名前を読んだ。すばるが気づいてこちらを向いた瞬間、私は思わずすばるに抱きついていた。頬には涙が伝っていた。
「そっか、引き起こしね。」
すばるはポテトをつまみながら言った。
「教習車って重たいもんね。」
突然泣きながら抱きついてきた私をすばるはしばらくなだめてくれた。少し落ち着いた後、私たちは教習所の近くにあるハンバーガーショップに入った。私の、怖くて、でも諦められなくて、矛盾したわがままな気持ちを、すばるは経験者として受け止めてくれた。ポテトとジュースと引き換えに。
「教習車ってわざと重たくできてるんだよ。中型のバイクがどれでも引き起こせるようになるように。でも教習が終わる頃には慣れてるよ。私も慣れたもん。」
「でもね……。」
私は不安な気持ちを打ち明けた。
「私、やっぱり怖いの。またがったときもちゃんと支えられるか、次に倒しちゃったときにちゃんと起こせるか、それに……。」
「それに?」
「バイクに押し潰されちゃうんじゃないかって。」
すばるは優しい顔をして言った。
「じゃあ小型にしたら?」
「でも、すばるちゃんは中型でしょ。私が小型しか乗れなかったら、一緒に走れなくなっちゃう……。」
すばるは少しびっくりした顔をした。
「あたしはそんなの気にしないよ。確かに小型は高速道路に乗れないけど、そもそもあたし、お金ないから高速あまり乗らないしさ。」
すばるの温かい言葉が嬉しかった。ここで私は一人相撲をしていたことに気づいた。中型じゃないとすばると一緒に走ることはできないと思っていた。
「大きなバイクに怖いと思いながら乗るのは危ないし、楽しくないよ。私のCBRだって教習車より排気量はないけど十分楽しいよ。それにさ。」
すばるは一息ついて言った。
「自分が好きなバイクに乗ればいいんだよ。小型でも、高速に乗れなくても。」
私は小型限定で免許を取ることにした。すばるは、小型限定免許から限定解除したり、そのまま大型免許を取ることもできることを教えてくれた。私は小型バイクを乗りこなせるようになってから次の免許へ進むことにした。
小型二輪の教習は何も問題なく進んだ。最初のうちは何度も倒してしまったけど、難なく起こすことができた。慣れてきてからも、小型であるにも関わらず、支えきれずに倒してしまうことがあった。けど回を重ねるごとに、私は確かにバイクを乗りこなすことができるようになっていった。一本橋もスラロームも急制動も目標はクリアできるようになった。
そして卒業検定の日。学科教習は計画通り全部受け終わって、後は卒業検定に合格するだけになった。
「平常心、平常心……。」
昨日も徹夜とまではいかないけど遅くまでコースを暗記していた。教官いわく、小型はコースを覚える練習をする時間が少ないらしい。
「緊張してるね。」
駐車場に着くとすばるがいた。学校も休みなので、気になって来たらしい。
「うう、そりゃ緊張するよお。」
そう言うと、すばるは微笑みながら私の優しく肩を叩いた。
「大丈夫だよ。きっとうまくいく。」
きっとうまくいく。すばるが言うと、自分で自分に言い聞かせるより100倍くらいそう思えた。
「ありがとう。がんばってくる。」
私はすばると別れて事務所へ向かった。すばるは笑って見送ってくれた。
私の順番は最後だった。私の前には中型が2人、大型が1人いた。3人の検定が終わるまで私は待機なのだけれど、直前までコースを見てシミュレーションするのに必死だった。
隣で「ああっ」と声がして気がついた。2人目の人が一本橋から落ちて検定中止になってしまったのだ。
他人が検定中止になるのを見ると途端に怖くなってきた。中型だから私はもっと簡単だし、最後の教習でも余裕を持ってコースを回れていた。でも他人の失敗を見ると自分もそうなってしまいそうな気がしてきた。
思わず、私は駐車場の方を見た。すばるが手を降っているのが見えた。すばるは自分は関係無いのに、ずっと見守っていてくれたのだ。すると勇気がわいてきた。
「次、4番の人。」
私の番が回ってきた。まず前後の安全確認。よし。スタンドを払ってまたがる。ミラー調節。よし。そしてエンジンをかける。右ウィンカーを出して後ろを確認。発進。
課題はほとんどうまくいった。スラロームはタイムはよくわかんなかったけど通過できたし、一本橋も自分で数えると8秒くらいかけて落ちずに通過できた。これで後は急制動だ。
そのとき、突然目の前に人が現れた。横断歩道だ。教習時間の合間で、四輪の駐車場へ向かう教習生がコースを横断しようとしたのだ。
私はたまらず急ブレーキをかけて止まった。タイヤロックこそしなかったけど、試験中に急ブレーキをかけてしまった。どうしよう。
そうだ、急制動だ。落ちちゃったかもしれないけどコースを一周しないと。私は一生懸命コースを思い出した。そして外周を一周して急制動をした。ラインの前で止まることができた。
最後に所定の位置で停車。安全を確認してエンジンを切る。バイクを降りて、スタンドを出す。
その後、事前に言われていた通り、教官ブースへ歩いていった。落ちちゃったと思っていた。試験官役の教官は、微笑みながらこう言った。
「おめでとう、合格です。」
「えっ……、あっ、ありがとうございます!」
私はびっくりして、大声をあげてしまった。
「でも、どうして、私、急ブレーキかけちゃったのに。」
「急ブレーキ?ああ、あの横断歩道前のやつですか。あれはむしろよく止まれましたね。」
教官いわく、あそこはあれで正解だったらしい。無理に前を通過した場合、歩行者等横断妨害で検定中止になったそうだ。それ以外は、スラロームがちょっと時間オーバーだったり、もうちょっと早く確認できればよかったみたいな細かいところはあるけど、十分合格点だった。
事務所へ戻ると、すばるが歩いてきた。
「合格おめでとう。これでライダーの仲間入りだね。」
「えっどうしてわかったの?」
「大きなミスもしないで最後まで完走したら大体合格だよ。」
冷静に考えるとそうだった。先に不合格になった人も検定中止で最後まで走らせてもらえてなかった。
「でも、横断歩道のところ、本当によく止まれたね。」
すばるもそこが気になったらしい。
「本当にびっくりしたよ。でもそんなところまで見てるなんて、本当にちゃんと見てくれたんだね。」
すばるは照れて、はぐらかすように、早口でしゃべりだした。
「あ、いや、それで落ちた人が……。」
突然言葉が詰まり、すばるの表情が曇る。
「落ちた人が、知り合いにいてさ。」
その後、教室で卒業証明書を受け取って帰った。あとは学科試験を受けて免許をもらうだけになった。
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