29.少女に弁当を渡したのだが
俺が歩き始めると、教室が騒めきを取り戻す。いや、頼むから静かなままであってほしかったよ。
緊張したような顔の九条さん。
だけど、そんな顔をしないでほしい。別にデートに誘う、だとか言うわけじゃないんだから。
たかだか弁当を渡すだけの事なのに、こっちまで緊張しちゃうじゃないか。
俺は弁当箱を九条さんの方に向けながら言った。
「はい、約束の弁当だよ」
クラス内が騒めく。
「まあ、覚えていてくれたのですね!」
とても驚いたような嬉しいような表情を浮かべる九条。
ただ、俺にはそれが仮面なのか素顔なのかわからない。
というか、九条さんの口調が大衆のイメージするお嬢様のモノになっている事に今更ながら気付いた。
丁寧語ながらも多少雑な喋り方のアイツしか知らなかったけど、やっぱ社交会とかに参加したりしてるのかな。
「いや、弁当を作る約束をすっぽかすほど薄情な人間ってなかなかいないと思うぞ」
「片倉さんにはもう少し自信を持ってもらいたいものです。……そうすれば、私も自慢できるのに」
「ん? なんか言ったか?」
「別に、ただの独り言ですわ」
「そっか。んじゃ、今度、弁当の感想聞かせてくれよな。バイバイ」
「チョ、チョットマッテクダサイヨオヤジサン、ソリャナイレショ?」
「俺は親父でも大家でもねーよ」
ってか、オンドゥル語かよ!
クラス中がさっきと違う意味で騒がしくなる。
そりゃ、そうだろうけどさ。
ちなみに言っておくと、オンドゥル語とは、とある特撮テレビ番組で登場した、ある意味圧倒的な滑舌による特殊言語である。
その番組の主人公だけでなく、ほとんど登場人物が使いこなして(?)いた。
けどさ、お嬢様が見るもんじゃないでしょ、アレ。
放送開始時期だって俺が生まれるより早かったし。
これがこのとっさのタイミングに出てくるだなんて恐ろしい事があるものだ。
ちなみに、さっき九条さんが言っていた、「チョ、チョットマッテクダサイヨオヤジサン、ソリャナイレショー?」を一般的な日本語に直すと、「ちょっと待ってくださいよ大家さん、そりゃないでしょ?」という意味になる。
あの大家さん、ある意味存在感の塊なんだよな……。
「あら、片倉さん、オンドゥル語、知っていたんですか、驚きです」
「……君はオーストラリアで先住民族が狩猟に用いていた武器を知っているかな?」
「ブーメランですか」
「そう言う事だ。ともかく、『そりゃないでしょ』とはどう言う事かな?」
「普通は昼休みに『弁当作ってきたから、一緒に食べようよ』と言うべきでしょう」
「俺は普通とは違うからな。つーか、どこで食べるんだよ。他のクラスで食べるわけにも行かんだろ」
「それでしたら、お兄様に相談して生徒会室を開けてもらいましたわ。『男子と二人きりでお昼を食べたい』と言ったら、引きつったような笑みを浮かべながら、了承してくれましたわ」
本当は嫌だけど、可愛い妹の頼みは断れない、だとかそういう話か。
ヤバイじゃん、それ……。
もしそのお兄様に遭遇したら、俺はどうすれば、いいのよ。
つーか、クラス内の男子も引きつったような笑み、浮かべてるし。
仕事が早いのは有能なのだが、俺が断ったらどうするつもりだったんだよ……。
もしかして断れないようにするヤツ?
玲亜の言ってた外堀埋めてるヤツ?
いや、考え過ぎか。
何はともあれ、面倒な事になったな、と俺は溜息を吐いた。
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