十二人目 アマビエ

 俺と親父は陽溜の死後三日間眠っていたそうだ。

 閻魔様の最初の審判が降された。

 陽溜の魂は七日間だけ自由を許され、その三日を俺等に費やしてくれたらしかった。その後は鬼ノ国の仲間と過ごしたそうだ。

 最期の日、世嗣に九体の1cm程のチャームを渡して陽溜は地獄へと連れて行かれた。その後、陽溜がどうなったかは知らされて居ない。通常は地獄の窯の火種となるそうだが俺達の誰もがそんな事信じてなかった。きっと陽溜の事だ。色んな所の奇妙で珍奇な話を閻魔様に聞かせる為に閻魔様の傍に居る事を許されて居るんだろう、と親父が言うので俺達は皆そう思う事にした。弟、妹達には「陽溜は閻魔様の側近として地獄勤務になったので二度と地上に上がれなくなった」と嘘を付いた。桃美が見抜きそうだったので世嗣に術を掛けて誤魔化して貰った。

 陽溜のチャームの九体目は作り掛けだった。お腹の子供のを慌てて造ろうとしたのだろう。

 陽溜のキリを受継いだ世嗣が「続きは俺が彫るから出来たら届ける。」と八体を持ってきた。

 それは小さな小さなアマビエだった。

 相変わらず仕事が細かい。髪の一本一本から鱗の一つ一つに至るまで、陽溜の気持ちが籠っていた。

 俺はそれを鞄のファスナーチャームにした。

 桃李はブレスレットに着けて、桃美と桃恵はペンダントに着けた。

 桃士はそのまま机に置いているがいつか失くしそうで怖い。

 桃果はビー玉やシールを入れてる宝物箱にしまっている。

 両親は世嗣にピアスに加工して貰っていつも耳にぶら下げている。

 両親は相変わらず仲が良い、仲が良すぎて苛つく事もあるがこれからの俺はそんな事も気にしない様な大人になれそうな気がする。


 今日から新学期。

 残暑厳しい時期、朝なのにもうワイシャツにジワリと汗が滲む。

 「おはよう。」

 重い足取りで教室に入ると久々の大守さん攻撃が早速始まった。

 「休みボケしてるんじゃないでしょうねぇ!気を抜かないで私に狙われてる自覚持ちなさいよねっ!」

 「ハイハイ」と聞き流しながら椅子に腰掛け肘を付く。

 「ところでね…アンタの従兄弟の…」

 モソモソと恥ずかしそうに大守さんが話題を出してくる。

 「桃香?」

 尋ねた途端に大守さんの大声が戻る。

 「違うわよ!あの…小鬼集めの…。」

 「あれは俺の大叔父。世嗣が何?」

 彼らは俺が昏睡中皆顔を合わせているので然程驚きはしなかったがそれでも大守さんが世嗣に興味を抱くのは何となく不思議な気がした。彼こそ生粋の鬼だからだ。

 「アイツにね…「御護、おひさし〜!!」

 そう言いながらクラスの…お菓子造りの面子が大守さんのスカートを捲った。相変わらず桃美も履かない中学生パンツ。

 「きゃーーーーーーっ!」

 大守さんの「キャー」は正しい。

 「御護もっと色気あるパンツ履かなきゃダメだよ〜!元気だった?お菓子焼いてた?」

 お菓子メイトの「色気あるパンツ履かなきゃ」も正しいが、「元気だった?お菓子焼いてた?」の流れはオカシイ。

 担任が気怠そうに教室に入ってくるなり出席簿で教壇を叩いた。

 「休み明け早々、転入生だ〜。

 入ってきなさい。」

 手招きされて足取り軽く頭の上で二つ、団子に結った赤髪の少女が教壇の前に立ち、頭を下げた。

 「鬼倒桃香です。

 好きな物はイイ香りです。」

 頭を上げた桃香と視線がぶつかる。

 微笑んで見せる。

 桃香も微笑み返してくれた。

 「あの子!キトウって……!!!」

 斜め前の大守さんが振り返る。

 俺は出来るだけ冷静を装った。

 「あやかしがまた増えるね。」

 先生が席を伝えようとする前に、桃香が此方に向かって飛び込んできた。

 「桃次郎!」

 俺も人目を憚らず両手を拡げて歓迎した。

 「これからもヨロシク!」

 桃香の作り物じゃないまつ毛が上下する。

 「鬼倒〜!教室でジミ党に所属してると思いきやの休み明けのキャラ変ですか?

 陰キャ封じか?」

 「大守!浮気者にはお仕置きだっちゃ!」

 「彼女が義理の姉妹?って展開、漫画かゲームかラノベだろ!」

 教室中湧いた中で先生の「静かに!静かに!」と言う声は掻き消されていた。

 俺に口々に煩い軽口を叩く皆に俺は初めて笑った。陽溜みたいに幸せに。親父みたいに歯を剥いて。

 なんだ、思ったより「笑う」って大した事無いじゃないか。

 隣の桃香も愉しそうに笑う。

 不貞腐れた俺の世界にヒビが入った。


 休み時間、慈が教室に飛び込んできた。

 「古文の現代訳、誰かやってぇぇ〜!」

 慈だけ同居のよしみで貧野先生から宿題が追加されたらしい。

 「私、結構得意だよ?」

 お菓子メイトの星衛ほしえさんが手を伸ばす。

 慈は星衛さんに抱き付きながら

 「女神〜!天使〜!福の神〜!!」

 オーバーな程喜んでいる。

 ノートを拡げて現代訳を教わる慈を見詰める俺の肩をツンツンと大守さんが突いて手招きする。

 教室の隅に連れて行かれて

 「アンタの言う大叔父…と…世嗣…って奴!!」

 まだ続きがあったのか、と頷く。

 「今度、いつ来るの?」

 陽溜の足取りだって俺達には知らされて無かった。更に無口な世嗣が何処に出没するか俺の知る所じゃない。きっと親父も知らない。

 「どうかな…。定期的に人間界に小鬼を捕まえに来るけどいつかは判らないんだよね。

 どうしたの?」

 大守さんはオデコまで真っ赤にさせて

 「別に!!どーでも良いけど…辰の式神を一緒に探してくれる約束したから…。」

 絶対に「どーでも良い」とは思っていない事を教えてくれた。

 なんだか微笑ましく感じた。

 おこがましいが大守さんは俺が好きなんだと思っていただけに意外だったが大守さんの女の子らしい一面に笑みが溢れた。

 「桃次郎、どしたの?」

 桃香が寄ってくる。

 「世嗣がいつ此方に来るか判る?」

 窓にもたれながらのんびり尋ねると桃香は窓の外に向かって息を吸い込んだ。

 「世嗣のママ、凄いばあちゃーーーーーん!!!」 

 大声でそう言って「いい仕事した」と言う様なドヤ顔を見せた。

 ものの数分としない内に世嗣が跳んできた。

 窓にしっかり張り付いて  

 「ママの悪口言う奴は誰だ!?」

 いつものクールさは鬼ノ国に置いてきたのか肩で息をしながら眼なんか血走らせている。

 「彼女が用事あるらしい。」

 桃香が大守さんを指差すと大守さんは更に真っ赤になった。打って変わって世嗣はシラケた顔して「なんだ…ペチャパイか…。」言い捨てた。

 「ペチャパイってアンタ…!!」

 いつもの大守さんに戻る。俺としてはこちらの方が親しみが湧くが。

 「本当の事だろ。俺が揉んでデカくしてやろうか?って言っただろ?」

 手をモミモミと揉む仕草をしながらもいつもの無表情を貫く。

 大守さんがどんな顔をして怒るかハラハラする俺の隣で桃香が

 「ダイジュサンに何か約束した?」

 救いの一声を発した。

 「あ〜…。」世嗣は頭をポリポリ掻きながら「辰の式神が要るっつーからさ、探すの手伝うか?」って言ったんだ。

 「手伝って欲しいか?」

 やはり偉そうな世嗣の態度。

 大守さんは「もう要らない」とか言い出すかと思いきや俯いて指を絡めながらモジモジとし始めた。俺の時とは偉い態度が違う。若干不服に思いながら、それでもなんだか大守さんの可愛さに折れてやる事にした。それもこれも皆、俺の隣に桃香が居るからだ。

 「手伝ってやりなよ。俺も随分と世話になったんだ。助けてあげてくれよ。」

 世嗣にそう言う。ジロリと俺を睨み上げたが涼しい顔して世嗣は大守さんに「じゃー、行くか。」そう素っ気無く言った。

 俺と桃香は手を握り合ったまま微笑み合った。

 相変わらずヨーコ先生はポンコツだ。

 保健室は生徒の中では(何故か)役に立たない大人が一人居て、薬が一通り揃っているから有難い部屋と言う程度の認識となった。

 ベッドは徹夜で遊んだ寝不足の奴等で占領されているが、凄く良く眠れる!と高評価を得ている。

 貧野先生はすっかりメイクの腕が上がり、それなりに男子ファンが付いた。慈は貧野先生に怒られる事が多い様で座敷童子だからって常に幸せな訳では無さそうだ。

 花園先輩は和心くんの命令により、すっかり慎ましくなった。むかしのセクシー路線から一転、胸もパンツも出し惜しむ様になってからの方が花園先輩は人気が出た。和心くんは気が抜けない。

 その和心くんも少しずつ走る事に慣れ、今では3000の選手に選ばれる様になった。実力で、だ。これはかなり凄い事だ。

 世間では何処かの赤鬼まがいの政治家が物欲に負け、金を横領した。

 ぬらりひょんまがいは他人の家族に成り済まし、通帳の金を狙い根こそぎ奪う。

 いつも通りの嘘と高慢で満ちたこの世界。

 信号がゆっくりと青を点滅させる。

 俺は桃香の手を取り、足を停めた。  

 「行けたのに…。」

 桃香が小首を傾げる。  

 「うん、もっと人を見ていたくてさ。」

 バスを待つ老婆がベンチに荷物を置くか、自分が座るか悩んでいた。

 ショーウインドウを眺めながら、何が良いか指を指しながら話し合う楽し気なカップル。

 バカ笑いしながら小突き合う男子学生。

 制服を各々オシャレに着こなす女子学生。

 一体この中のどれ程があやかしでどれ程があやかしまがいなんだろう。

 愉しげに見詰める俺の瞳を桃香が覗き込んできた。

 「私、この中に紛れてる?」

 少し、視界を拡げてみた。

 スクランブル交差点を行き交う人達に桃香は簡単に紛れた。

 「隠れて判らなくなるよ。」

 桃香は嬉しそうに走って交差点を渡り切ると両手を拡げて見せた。

 「ここにも溶け込んでる?」

 大きな建物が喰らい付かん勢いで背中に立ち並んでいる。

 その後ろの駅ビルも、高層ビルも、視界に入れて眺める。

 「うん、ちゃんと溶け込んでる。

 判らなくなったら必死で探すけど。」

 桃香は嬉しそうに、本当に嬉しそうに駆け寄って来た。

 「その心配はない。

 ワタシ、桃次郎から離れない。」

 心が震えた。

 理解するのは脳だけじゃないんだと知った。心でも理解するのだ。そして、心で理解した方が感情的になり易い事も学んだ。

 俺も走って所狭しと建ち並ぶ裏通りの店の前で手を振る。

 「俺も紛れてるかな?」

 桃香は微笑みながら大きく頷いた。

 「オカシくない?」

 桃香はもう一度頷く。

 「ヘンじゃない?」

 桃香は「当り前」だと言わんばかりに頷く。

 「だって俺…鬼…だよ?」

 「違う。残念。桃次郎は半分だけ。

 本物はワタシ。本物はスゴイ。一緒にしないで。」

 怒った様にそう言った後、桃香は俺に微笑って見せた。

 「大丈夫。皆、ちゃんとヘン!!」

 「ミンナ、チャント、ヘン…」呪文の様な言葉だと口の中で転がす。何度も何度も転がして、飴玉の様に胸に甘く溶け込んで、「へへへ」と笑えた。

 「桃香がそう言うんだったらそうなんだな。」

 桃香の手を取る。

 「今日こそシャンプー、買って帰ろう?」

 桃香が大きく頷いた。

 二人で歩き出したその時、海とも山とも思える自然の濃い香りが、街の雑踏に紛れてうっすら香ってきた。

 桃香が俺の手をグイグイ引っ張る。

 建物と建物の隙間に横たわる緑の髪のクチバシのある魚…?とても弱っている。

 桃香は屈むと

 「こんな所で寝ると暑い。建物の中で眠ると良い。

 なんなら家に来る?」

 そう話し掛けた。

 アマビエだ…と思ったが、今迄人間の姿と同化しているあやかしにしか出会った事のなかった俺にしてみたらその如何にもアマビエを「アマビエ」と捉える事の方が困難だった。

 桃香は補助バッグを開けると「行く」とも言ってないアマビエを放り込んだ。

 「助ける。」

 桃香の迷い無い言葉に俺は唯頷くしかなかった。

 「心配しないで。ワタシは鬼。アナタを助ける。」

 バッグをしっかり抱き締め、桃香が少しずつ体力をアマビエに与えているのが判った。

 俺も桃香の肩を抱きながら桃香を通してアマビエに力を与えた。

 俺は下手くそだけど家に帰れば親父が居る。親父は体力馬鹿だからきっと救いになるだろう。

 ヒトは何か一つは取り柄があるものだ。

 

 アマビエ入りバッグを抱えて家に着くと、親父はまた鬼神様達と戯れていた。

 トラネはピンクのフリフリ紐パンを親父に「可愛いにゃ?可愛いにゃ?」と見せ付けている。親父は鬱陶しそうに

 「ハイハイ、ハイハイ!良いですね!新品良かったネ。」

 を繰り返している。

 鬼神三人娘と親父が眼を金色に光らせながら此方を振り返る。

 「強いあやかしのニオイにゃ!」

 「神聖なる存在ですの〜!」

 「桃次郎さん、おかえりなさい!」

 「そのバッグはいつからそんな偉そうになったんだ!?」

 各々バッグを取り囲む。

 「頭が高い!下がりなさい!!」

 鬼神様に向かって桃香が言い放つ。

 俺は急いで台所へ向かった。

 夕飯の冷しゃぶサラダを造る母の横から冷蔵庫を漁る。

 「おかえりなさい、桃次郎。手は洗ったの?」

 「お母さん、弱ったアマビエが居るんだ。」

 母は、「まぁ」と零すとあやかしと接する事が当り前かのように

 「夏バテかしら。冷たい物でも差し上げたら?冷えた缶ジュースがあるわよ。」

 なんて淡々と言ってくれた。

 「そんなモノなんて拾ってきて!」とも言わない、「アマビエなんて居ないわよ!」とも言わない母をオカシな人だと、オカシイ程優しい人だと思う。

 冷蔵庫から缶ジュースを渡してくれる母に「有難う。」としっかり発音して居間へ戻る。

 居間は鬼神三人娘と親父が大騒ぎしていた。

 「アマビエにゃ〜!!!写メ!写メ撮るにゃ!!」

 「ワタクシ、サインが欲しいですの〜!」

 「トラネさん、私達、携帯持ってませんよ?」

 「ちくしょーにゃ!」

 「へっへ〜ん!俺なんか俺専用スマホ持ってるもんなぁ!写メるけどお前等にはやらねぇからな!俺の勝ち!!!」

 「俺の勝ち」が何の勝ちだかまた底辺の争いをしている…と親父を冷たく睨みながら、桃香が鞄から出したアマビエに缶ジュースを開けて渡した。

 美味しそうにジュースを飲むアマビエを眺めていた鬼神三人娘と親父。

 「良いな〜。」

 「欲しいにゃ〜。」

 「美味そうだな…。」

 口々にそう零すと台所へ駆けて行った。

 「桃姫さん!俺もカノレペス欲しい!!」

 「ワタシはイチゴ味が良いにゃ!」

 「ワタクシ、ございましたらマスカットが良いですの。」

 「私も…構いませんか〜?」

 (欲しいってそっちか!!しかもカノレペスって…。)

 「はいはい。」

 馬鹿四人が台所で大はしゃぎしている所へ

 「只今〜!お腹空いた〜!」

 「ただいま〜!!!」

 桃李と桃美が帰ってきた。

 二人はアマビエを視るなり

 「何!?こいつ!」

 「鳥?魚?」

 当り前と言えば当たり前の反応を見せた。

 こう言う反応を見せてくれないとあやかしもあやかしの姿をしている甲斐が無いだろう。

 アマビエは頭を掻きながら

 「初めまして、アマビエです。」

 照れ臭そうに頭を下げた。

 桃李も桃美も興味津々で寄ってくる。

 「ジュース、美味しかったです。助かりました。

 人間に化けて仲間と街を彷徨いていたのですが何せこの暑さと酷い病みにやられて人化は解けるわ仲間とははぐれるわで参ってました。」

 「助かって良かったね。」

 そう言う桃李の手をアマビエは取ると

 「貴女のお陰です。一生、大切にする事を誓います。結婚してください。」

 まだ頭は覚醒されていないのか何故か桃李にそう言った。

 「いや、見付けて助けたの俺達。」

 俺が自分と桃香を指差すもアマビエは

 「大丈夫です。一目惚れです。」

 と続ける始末。

 「あれ…おかしいな…日本語通じない。」

 苦笑するしかない。

 災厄を除けてくれるあやかし様とは言え、俺の可愛い桃李の手を掴むとか頭叩いて良いかな。

 「気が付いたにゃ?」

 「アマビエ様〜!お腹空いてませんの?」

 「何か頂いてきましょうか?」

 鬼神三人娘は俺の家を別宅とでも思っているのか当たり前の様に「かかにゃん、アマビエに何か持ってくるにゃ。」「お酒は召し上がりますの?」「私、頂いてきます〜!」各々また台所へ走った。

 ウシネが直ぐ戻ってきて

 「お酒は座敷〜。」

 と言いながら隣の座敷へ向かった。

 俺も慌ててウシネを追った。

 各銘酒並ぶ酒瓶とは別に隠す様に置いてあった「御神酒」を手に取る。

 そう、陽溜に最期の一撃を喰らわせた忌々しい奴だ。俺や親父は叩き壊そうとしたがそれでも触れるのが怖かった。

 その一瓶を漸く手にした。

 あの悪夢を失くして欲しい。こんな物、早く無くならせたい。瓶が無ければあんな事、きっと色褪せる。そう思いたくてアマビエに差し出した。

 「これを飲んで頂けますか?」

 アマビエは何でも見透している様な澄んだ瞳で俺を、そして瓶を見て、

 「災いを消して行くのが私達の仕事です。」

 笑顔で呟き、瓶の蓋を机の縁で開け、鬼神三人娘にも「器をお持ちください。共に災いを消し去りましょう。」酒に誘った。

 親父は乗り気がしなかった様で、和心くんのお父さんを電話で呼んだ。

 「神聖な酒だからよ、そんで、俺達には最高の家族の心臓に成った酒だから飲んでやってくれやぁ。」

 親父は悲しそうに、でも親父らしく和心くんのお父さんに声を掛けた。

 大人六人は座敷で宴会を始めた。

 悪い事を忘れる為に。捨てる為に。

 俺達は居間で楽しい食事をする予定が、母が急に箸を置いた。

 「うちは家族が多いし、そろそろ桃李や桃美も勉強に身を入れなきゃならない。

 だからね、離を二階建てにするか、桃太郎の蔵を壊して建物を改めて建てるか、の話をパパとしてるの。

 皆の意見を聞かせて?」

 桃香はうちで居候する事になった時、桃李と同じ部屋を使う事が決まっていた。無論、桃李は渋々だ。だからこの話には桃李はいの一番に賛成した。

 「離の上に二部屋作って、上に私と桃美の部屋作ってよ。

 そしたら私の今の部屋を桃恵が、桃美の部屋を桃果が使えるじゃん。産まれてくる子は…桃兄が居る間は父ちゃんと母ちゃんの部屋で一緒で良いじゃん。」  

 「でも、桃香ちゃんの部屋が無いのは可哀想だから桃太郎の蔵…もう潰しても良いんじゃない?

 桃太郎だってさ、もう充分鬼倒の家を護ったよ。」

 桃美の発言は寂しかったが桃太郎の縛りを解くキッカケにもなるし、親父が言っていた様にこれから「桃太郎と言う名が広まる事があればそれは確かに親父の事」だ。

 母に視線を戻す。

 「もう少しだけ時間を頂戴?  

 桃太郎は長い間私の事を護ってくれた人。お礼をちゃんと言って、お別れをしたいから…。」

 母の緩やかな笑みに皆頷いた。


 お風呂から出て、桃香は桃李の部屋へ向かわなかった。

 「別に一緒でも良いって言ったけど…『まだ寒くないからヘーキ』って外に出てっちゃった。」

 悪びれず桃李が言うので多分、彼処だ、とマットレスとタオルケットを手に蔵へと向かった。

 案の定、桃香は蔵で膝を抱いていた。

 「寒くはないけど床は硬いよ?」

 マットレスを敷いてポンポンと叩く。

 桃香はその上に寝っ転がって俺に両手を差し出してきた。

 「今日からここはワタシと桃次郎の巣。」

 「だから…俺はまだ…。」

 ボソボソ言い訳する俺の手を自分の胸に誘う。

 「ワタシも…ワタシの発情期は80年以上先。

 ゆっくり育んで行けば良い。」

 桃香のパジャマのボタンの隙間から指を差し込むと桃香の身体が跳ねた。

 「痛い?」

 「ビリビリした。」

 思わず笑った。

 生の女性の胸に触れた。

 俺と同じヒトの肌とは思えないすべすべでサラサラで柔らかくて芸術的。

 唇を求めた。

 桃香の紅い髪がうねりを伴い美しく広がる。

 桃香と身体を密着させる。

 息が上がる。

 血液が集まってきて、少し硬くなった。

 それを桃香が触れる。

 「ダメだよ…。役立たずだから…。」

 そう言っても桃香は手を止めない。

 「桃次郎の全部、知りたい。

 桃次郎はどんな顔で感じるの?桃次郎の苦痛に歪む顔は?桃次郎が残念がる顔も知りたい。獣の様にワタシを求めるところが見たい。」

 酸素が欠乏して何度も大きく息を吸った。

 真っ白になった。

 それでも果てない。

 頂きは見えない。

 もどかしくて桃香の手の上から手を重ねて自分でも扱く。

 「ワタシも触って。」

 ルームウェアのパンツを下ろされて唾を飲んだ。

 初めて触れる桃香の聖域。前の先輩のアレはカウントしない。アレは唯の接触事故だ。

 指で掻き回しても判らない。

 完全に桃香の下を脱がして腿の間に自身を挟んでみた。

 触って扱かれてもダメだったんだ。ダメ元で好きに前後に揺する。

 硬い俺が桃香の筋をなぞる。

 「硬い…。擦れる…。」

 桃香の声に俺は益々昂ぶった。

 「痛くない?」

 痛くない筈無い。でもその内きっと小さくなる。

 判ってるけど気持ち良くて腰は止まらない。

 やがて、俺の知らぬ間にやはり柔らかく小さくなっていたが俺は下半身に襲い来る痙攣に呼吸を乱していた。恐ろしい位感じた事の無い鋭利な快感だった。気持ち良すぎて痛みすら感じた。真っ白な頭が漸く動き出して温かい気持ちに包まれた。

 射精しなくても気持ちよくなれるんだ…。

 肩で息をする俺の下で桃香は「気持ち良い…」を連発していた。

 彼女の為なら何度でも擦ってあげたい気持ちになった。

 俺がイカなくて良い。一晩中でも丸一日でも彼女の気持ち良い所を擦り続けて、愛を囁き合いたい。

 そう思いながら桃香を抱き締め、二人でマットレスに身体を沈めた。

 「俺が大人になったら鬼ノ国に行っても良い。歳を取らない桃香を世間は怪しむだろう。俺もちゃんと歳を取るのか判らない。

 親父はお母さんが死んだら子供の為に人間界に残ると言ってるけどきっと転居、転居の生活になるだろう。

 そんな生活に馴染む自信ない。それなら好きな人と生きていきたい。」

 桃香の唇を吸う。

 「妹と離れてヘーキ?」

 「あ…うぅ…今、この良い空気の中で言う?」

 「ヘーキ」と即答出来ない辺り、俺だ。

 「ワタシはもはも好きなモモジローも好き。もはも一緒でも構わない。」

 真剣な桃香の顔に微笑む。

 「その頃には桃果にもきっと良い人が出来てるよ。」

 寂しいかな、哀しいかな。でもきっとそれが現実だ。

 「その時はワタシが慰めたげる。」

 桃香の髪に口付けてもう一度、桃香の上に覆い被さる。

 「もう一回…。」

 うわ言の様に呟くと桃香は華が咲いた様に笑った。


 桃香は俺が部活の間、バイトをする事にした。「いらっしゃいませ」を言われる側から言う側へとなった。ハンバーガーのチェーン店。俺の方が先に部活が終るのでいつも店内で待っていた。桃香の愉しそうな「いらっしゃいませ!」に俺の心も躍る。一期一会の出会いを愉しむ様な桃香の声が俺の心にも届くのだ、きっと客にも届いているだろう。

 アマビエは数日うちに滞在したが人化出来る程の体力が戻ると「一目惚れ」とほざいておいて桃李に「さよなら」も告げず出ていった。

 仲間と早く合流しなければならない、と。そして、遠くを見ながら

 「もし、困っている奴が居たら親切にしてあげて欲しい。そいつは俺の仲間かもしれないから。」

 なんて事も口にした。

 俺は特に何も思う事もなく、「ふぅん。」と流した。

 けれどこの言葉は心にささくれを作った。

 桃香と過ごす幸福に満ちた明るい時間にふと、この引っ掛かりを気にしてしまう。

 女友達に囲まれる大守さんの笑い声を桃香との会話の隙間に聴いてしまうみたいに、桃香を見詰める背景に入る慈を追うみたいに、何故か気に掛かった。

 久し振りに和心くんと会った。

 正しくは俺が呼び出した。

 部活が終わった時間、桃香のバイト先で俺と桃香、和心くんと花園先輩でお茶した。

 和心くんにアマビエを助けた話をした。

 和心くんは「桃次達は試されたのかもね。」と軽やかに微笑って、ストレートティーに口を付けた。

 「試された?」

 「災厄を除いている自分を助ける奴はいるのか?って。アマビエっていうのは存在しているだけで災厄を除ける力があるんだと思うけど…俺達天狗はそうなんだけど例えば『不幸事を失くして欲しい。』って願いをされるとその不幸事は消えてしまう訳じゃなく、俺達に来るんだ。背負った物は山で浄化したり、火を点けたりして俺達が処理する。

 幸福の象徴とされてるあやかしって…どうなんだろう。自分で浄化したり跳ね除けたりする力があるのかな。それなら羨ましいけどもしアマビエが俺達みたいに、抱えた物をどうにかしないと我が身に襲い掛かる種なら、災厄によって弱ってたって可能性もあるよね。

 そして、そんな自分を助けてくれるヒトはいるのかなって試してたんじゃないかなぁ。」

 やっぱり和心くんは察しが良い。

 「それで困っている奴が居たら親切にして欲しいって…?」

 ささくれが取れた。

 「そんな事で災厄が無くなるならお安い御用だよ。」

 俺の一言に炭酸飲料を飲んでいた桃香も大きく頷く。

 「もっと困ったヒト助ける。」

 花園先輩がガラス張りの向こうを行き交う人達を見詰めながら

 「このヒト達の一体どれ位が悩みも無く幸福のみで生きていると思う?」

 先輩らしくないまともな事を発した。

 「悩みが無い事って幸福なのかな。」

 思わず口にした言葉に皆が此方を振り返った。

 「俺は悩みだらけだけど今、一番幸せだからさ。」

 歯を剥いて笑う。

 「ホント…桃次、幸せそうに微笑う様になったよね。」

 和心くんはそう満足そうに微笑ってくれた。

 ヒトの事なのに自分の事の様に喜んでくれる、そんな和心くんが好きだ。

 「で、悩みって?」

 「硬くなってもすぐ小さくなる事。」

 「もももももももももも桃香!!!!?

 それ言うの!?」

 桃香の話に和心くんと花園先輩が「きゃ〜〜〜〜〜!」と、はしゃぐ。

 和心くんは「二人でイチャイチャしてるのが愉しいから!」と慰めてくれた。花園先輩も何度も頷く。

 和心くんと出会って和心くん好みに自分を変えていった花園先輩が好きだ。

 こういう時間も、ヒトと戯れるのも、好きだ。

 家に帰るとまた、鬼神三人娘が来ていた。否、もう一人居る。頭から龍のヒゲの様なモノをニョロリと生やした蒼い髪を長く伸ばした、ネネよりまだ小さい少女。

 「ワレは辰の式神ナリ。」

 「辰ってもっと絶大で荘厳なイメージなんだけど…。」  

 珍しく一緒に来ていた大守さんに零す。

 大守さんは地面を踏みながら

 「仕方無いじゃない!デカくて…生意気で…私の手に負えなかったの!!!」

 悔しそうに顔を真っ赤に歪めた。

 「手に負えそうなサイズに俺が縮めてやった。」

 世嗣が腕組みしながら無感情に応える。

 「今日は珍しいな。世嗣が大守さんと此処に来るなんて…。」

 しかも俺の部活後、俺が外で時間を潰した後だ。こんな時間に大守さんが此処に居る事が不思議だ。

 「俺は桃太郎のブレスレット回収。御護は早速辰を自慢したかったんじゃないか?ペチャパイのクセに。」

 (御護!?今、世嗣、みかごって呼び捨てにした!?)

 でもどうやら驚いて…と言うより気付いてるのは俺一人の様だ。

 親父は世嗣と眼も合わせようともせず、ブレスレットをテーブルの上に置いて鬼神三人娘を連れて中庭に出た。

 「まぁ、貴方達こんな時間に帰ってきて皆夕飯終わったわよ?」

 母がパジャマを着るのを嫌がる桃果を追いかけながら風呂場から出てきた。

 「ああ、ごめん。外で和心くん達とお茶しただけだからなんか軽く食べるよ。」

 母はタオル一枚巻いただけのみっともない姿で皆の前に現れた。何故か世嗣が大はしゃぎしている。それを嗅ぎ付けた親父が飛んできて世嗣の頭をはたいた。

 「おめー!ヒトの嫁さん、何って眼で見てんだ!!」

 「良いじゃねーか!減るもんじゃないし!触らないだけ有難いと思え!!」

 言う事めちゃくちゃだ。

 世嗣の隣の大守さんをコッソリ観察すると自分の胸を気にしていた。

 「ごめんなさい、まさか世嗣くんが来てると思ってなくて…。桃次、桃果お願いね。」

 母は恥ずかしそうにそれだけ残して立ち去った。むかしは母も花も恥じらう乙女だったのだろう。今ではすっかり花ではなく母だが。

 「彼女もペチャンコ、婆ちゃんもペチャンコ、で、アレか?陽溜の血筋はペチャンコ好きなのか?」

 親父がまた子供みたいな事を言う。

 「俺のママを婆ちゃん言うなって言ってんだろ!?」

 世嗣は本当に「ママ」の事となるとヒトが変わる。

 「ちげぇもん!お前のママの前に俺の婆ちゃんだもん。」

 親父が大人気なく世嗣をからかいつづける。

 桃果にパジャマを着せながら呆れた顔で桃香を見下ろすと、桃香が

 「どちらも違う。花芽美さん。」

 陽溜が呼んでいた名前を出す。

 「とにかく!俺はボインのがタイプだから別に御護の事なんか好きじゃねぇし!」

 言い放った世嗣に対し、絶対に大守さんは大爆発を起こすと思った。だけど大守さんは何故か俯いて黙り込んでしまった。

 …と思わせてからの「ウガーー!!」…もありそうにない。

 胸に手を当てて肩を落としている。

 「女の子泣かせるなよ。」

 取り敢えず一言注意。  

 俺がそう言うと桃香も続いて

 「世嗣、最低。世嗣の母上に言う!」

 舌を出した。

 「外野は黙ってろ。俺は女は自分好みに育て上げるタイプなんだよっ!

 だから御護!さっさと乳デカくなれよ。」

 世嗣は照れ隠しにオデコを擦ると机の上のブレスレットを乱暴に取り上げ、代わりのブレスレットを置いて玄関に向かった。大守さんに「帰るぞ!」と偉そうに言いながら。

 胸に手を当てて小さくなっていた大守さんが「私…ダサい…。」と呟いた。

 何を指しているのだろう。どれも当てはまってどれも見当違いで下手な事は言えないな、と思った。

 親父が世嗣の立ち去った先を見詰めながら

 「なんだーあいつ、史上最低の男だな。小鬼狩りとしてはどーか知らんけど男としてはダメだ。俺は雄鬼としても認めねぇ!小娘!お前陰陽師なんだからもっと力付けてあんなのさっさと首輪つけちまえよ!あいつにゃヒトとしての大切なモンが足りねぇ!抜けちゃいけねぇスゲェ大切なモンだ。小娘!!お前が教えてやってくれ!無理なら俺も手伝ってやっからよぉ。歳上の甥っ子としてな!」

 眼を細めた。

 たまに、本当にたまに、親父は父親らしい事を言う。それがいつもならきっと偉そうで俺も反感を買うのかもしれないし、聞く耳を持たないかもしれない。それを小出しにする所がなかなかに親父の良い所…と言えなくも無い。親父のそう言う所は好きだ。

 大守さんは女の子らしい一面を持つくせに俺にはとことん本音でぶつかる。その、素直さが好きだ。

 他の大人の常識と外れた母の不思議ちゃんっぷりが好きだ。  

 とことん素直じゃない世嗣が内心陽溜の深層心理とぶつかり合っているくせにおくびにも出さない強さが好きだ。

 どんどん大人になっていき、いつかはアマビエが迎えに来てくれると信じて、夢見ている案外女の子らしい桃李が好きだ。

 ヒトの全てを見通し、冗談半分にアドバイスをくれる桃美の気配りが好きだ。

 桃果にヤキモチをやいて、構って欲しくてあの手この手を尽くす可愛い桃恵が好きだ。

 ナチュラルに可愛くて俺の癒やしのお姫様、桃果が好きだ。

 この世界は醜いが「愛しい」で充ちている。


 俺達の巣と化した蔵の隅で桃香にもたれ掛かる。

 桃香も俺の頭に頭を当てた。

 「愛しいなぁ。」

 ポツンと呟いた。

 「今日は交合まがい、しないの?」

 思わず苦笑を漏らす。

 交合とはすなわち俗語で言えば「エッチ」鬼ノ国では交尾でもあり性行でもあるこの行為をそう呼ぶ様だ。魔界との交流はまだ無いので英語が話せる鬼は少ない。陽溜みたいな一部の地獄勤務者が魔界への接触がある程度。それ等の鬼は無論英語も勉強する様だが鬼ノ国と魔界とが自由に行き来するのはいつなんだろう。即、解禁にならないのは信仰するモノの違いや思想の違いからのトラブル回避なのだろうが早く行き来出来るようになれば良いと思う。狭い世界しか知らないと思考は堅くなる。堅物と堅実なのは違う。

 何より俺がそうだった。

 俺は桃香を抱き寄せながら

 「俺はね、世間が大嫌いだったんだ。

 家族以外のヒトを信用してなかったし、人の眼を恐れて、人の言葉に怯えて、人の群れを避けて目立たないように小さくなって、細く細く呼吸して生きてた。

 でも今は世間が愛しいんだ。」

 独り言を呟いた。

 「その話、つまらない。ワタシが出てこない。」

 機械の様に無機質に桃香が呟く。

 思わず声を立てて笑ってしまった。

 「そうじゃないよ。桃香。大切な話なんだ。

 俺の世界は白黒だった。

 でも、陽溜が光を照らしてくれてた。

 そこに彩り取りの色を付けてくれたのは他でもない、君だよ?桃香。

 桃香と出会って俺の世界に色がついた。

 深呼吸してもっと肺の奥まで酸素を求める様になった。そして、白黒だって、白と黒という色の付いた世界だった事も気付いた。白と黒の世界なら自分の好きな色に塗って良いんだって判った。

 俺を蔑んできた連中は、俺と同じだったんだ。俺の正体が判らなかったから俺を知りたくてああだ、こうだと噂し合ってた。

 正体なんてどうでも良いじゃないか、そう言ってくれたのは桃太郎。そこそこのルールがあると教えてくれたのは和心くん。世界は美しいと教えてくれた陽溜。世界が愛しいと気付かせてくれたのは桃香、君だ。有難う。本当に、有難う!!」

 桃香をギュッと抱き締める。桃香が俺の顔を覗き込んで

 「交合しないの?」

 また尋ねてくる。

 俺は桃香のパジャマの裾から手を入れながら

 「しない訳ないよ。」

 桃香の柔らかな胸に向って手を進ませた。

 俺の下でクスクスと笑い声を立てる桃香。

 俺の相棒はこの時ばかりは「ヨッシャ」と言うように張り切る。

 せめてナカを三擦りはしてみたい。

 欲を言えばそうなのだが俺は桃香の胎内を知ってしまうと他に手がつけられなくなる事も危惧していた。

 互いがすっかりその気になった顔をしている。恍惚な桃香の顔はどんな薬より効く。

 愛してる、の一言より口付けすれば全てが伝わる。愛の深さも、心の奥も。

 幸せだ…と胸に届くようにゆっくり飲み込んだ。 

 

 肌寒い風が吹く様になって、制服が合服になり、ユニフォームが長袖になり、そろそろ親父に異変がおこるぞ〜と思い始めた頃だった。

 世嗣と手を繋いで鬼ノ国の曾祖母がやってきた。

 相変わらずつばの広い帽子を被って角を隠して、手には包を二つ下げて…。

 母は目立つ様になったお腹を両手で支える様にして中庭に出てきた。

 「婆ちゃんだ!」

 「婆ちゃん!!」

 「ばぁば!」

 「婆ちゃん」と言う言葉に世嗣は本当に面白くない、と言う様な顔をしている。

 「俺、ちょっと出てくるから話してれば良いよ。」

 そう言って世嗣は俺達に背を向けた。

 大守さんの所に行ったのだろう。

 「今日は引越しの挨拶にきたのよ。」

 婆ちゃんの意外な言葉に俺達誰もが驚いた。

 「人間界に住むの?」

 桃李が最初に口火を切った。

 「いいや、南地区にね、陽溜が遺した沢山の子供が居るでしょう?閻魔様が直々に、私にも手伝って欲しいと伝令をくださったの。世嗣も継いでる事だし、私もさせていただこうかな、って…。」

 婆ちゃんは世嗣と共に南地区に引っ越すつもりだ。

 家内から親父が跳んできた。 

 「じゃあ、あの家はどーなるんだ?」

 母がそんな親父をたしなめて

 「まぁ、中でお茶でも飲みながらお話しませんか?」

 と家屋内に招き入れた。

 婆ちゃんは草履を脱ぎながら、親父に包の一つを手渡した。

 「婆ちゃんの塩むすびだよ。もっと美味しいものを食べてるだろうからもうこんな物、美味しくもなんともないかもしれないけどね。」

 親父は複雑を顕にした表情のまま突っ立っている。

 婆ちゃんは桃果を抱っこして背が高くなった桃士の頭を撫でながら母の後に続いた。

 「引越しの時は引越し蕎麦を配るもんだと聞いて、朝から蕎麦を打ったのよ。

 世嗣や菊美ちゃん、菊美ちゃんの旦那さんや子供達も手伝ってくれて楽しかったわ。」

 そう言いながら大きな包を机の上に置いた。

 「昨日、鷲吉が亡くなったのよ。」

 婆ちゃんが声のトーンを落とした。

 「鷲吉は私と同じ歳だったから本当なら私もそろそろなのでしょうけど…。婚姻の誓いを交わした日、陽溜が私に寿命の半分を分けてくれたの。

 迷惑な話でしょう?

 私の事、散々放っておいて、やっと一緒になれたと思ったのに自分はさっさと…。

 そして私はまた一人で育児をしてる。

 世嗣が毎日一緒にいてくれるから寂しいなんて言っちゃいけないのは判ってるのよ。

 でもね、あの家には思い出が有り過ぎて…独りで過ごすには辛過ぎるのよ。」

 「婆ちゃん」と呼ばれるには若すぎる、幼すぎる婆ちゃんが、桃果の「ねぇ、ねぇ」と言う言葉に頷きながらも俺達に教えてくれた。

 独りで寂しさを誤魔化しながら長年生きてきた家で又、戻らぬ愛する人と過ごした家で生活する婆ちゃんの気持ちは計り知れない。

 座敷で立って聴いていた親父が包を乱暴に開けると塩むすびに噛りつきながら

 「ろーせめちゃくちゃボロ屋らったもんな!嵐になりゃ壁は飛んれくわ、ガラフがハマってねぇ窓から雨は入り込むわ…ホント、とんれもねぇ家らったんら!ふてちまって構わねぇよ!」

 クチャクチャ音を立てながら親父は乱暴におむすびを喰う。

 「私は棄てるなんて言ってないよ。桃太郎。アンタの事だから鬼ノ国には帰ってこないだろう事は判ってたよ。でも、桃次郎が…桃李が…桃士が…鬼ノ国で暮らしたいって言うかもしれない。その為に置いて置きたいんだよ。」

 其処まで話した婆ちゃんは一口お茶をすすった。

 茶菓子の餅入り最中もなかを出す母に桃美が不思議そうに尋ねる。

 「なんで陽溜の分のお茶ないの?」

 俺達誰もがギクリとした。

 「陽溜なんて来てないじゃん。」

 当たり前の様に応えたのは桃李だ。

 桃士も最中に手を出しながら

 「眼のビョーキ?頭のビョーキ?」

 とからかった。

 「『俺は頭の良い子にしか視えなくなったんだよ』だって。」

 桃美がそう言った途端、桃李も桃士も親父まで

 「「「視える!居たんだ?気付かなかった!」」」

 なんて言い出した。

 婆ちゃんは恐る恐る隣に手を伸ばす。

 其処に本当に陽溜が居るのかどうかは俺には視えない。

 「『俺はいつでも花芽美さんの隣に居るよ』だって。

 ねぇ、皆には視えてないの?もしかして私だけに視えるって事は陽溜死ん…だの……?」

 不安気に桃美が口にする。

 桃美の視線は一箇所に固定されたまま  

 「そう…なの?ホント?そう言うのってあるの?」

 視えない誰かと必死に会話している。

 親父も座って食い入る様に其処を見詰めている。

 「陽溜、なんて言ったんだ?」

 親父が膝を揺すりながら尋ねる。

 「陽溜は地獄に行ったけど閻魔様に煩い!!って言われて魂と身体をべっこにされちゃったんだって。」

 婆ちゃんの眼が大きく見開かれる。

 「婆ちゃん、怒らないであげてよ。陽溜は婆ちゃんの隣に居たいんだって。」

 ね、と桃美が微笑う。

 きっと陽溜も微笑ってる筈だ。

 「もう…、本当に貴男は口先だけなんだから。鬼のくせに情けないわ。」

 心の底から落胆した様な婆ちゃんの声。

 でも判る。本気じゃない。婆ちゃんはちゃんと喜んでる。陽溜が隣に居る事を喜んでる。

 「あ…」

 それを唯見詰めていただけの俺達の中で反応したのはやはりの桃美で、

 「凄く凄く綺麗なお花畑の中で婆ちゃんは眠ってる。なんか周りに黒い変なのが一杯いる…。」

 そう呟いた。眼には金色が混ざり、鬼の眼で視て居ることが見て取れた。

 「それってゴキプリ?」

 話の腰を折るのはいつも桃士だ。

 「小鬼だ。一杯って事は南地区じゃねぇかな。」

 親父も口を挟んだ。

 「なんだ?誰か降りてきた。

 アハハ!鬼の面被ってら!

 あ!!あ〜…そう言う事かぁ〜…。」

 桃美は何を視ているんだろう。気になる。

 「婆ちゃん、婆ちゃんがいつ死ぬのかそれは判らないけど婆ちゃんの最期は凄くロマンチックって事だけは教えてあげるっ!」

 桃美が意地悪く笑う。

 「桃美ちゃん、婆ちゃんはいつ死ねるのか判る?」

 婆ちゃんが寂しそうに俯く。

 「ばーちゃん!!そんな事言うなよ!!

 ばーちゃんには俺の十番目の孫も桃次郎の子供も抱かせてやるから!」

 親父にとって婆ちゃんは母親同然の存在。

 長生きして欲しいに決まってる。

 俺も長生きはして欲しい。

 …でも、婆ちゃんの事を思うと…複雑だ。

 桃美は独りで愉しそうに微笑っている。

 否、婆ちゃんの隣に視線を向けて人差し指を口元に当てて微笑っている。

 独りで育児も狩猟もなんでもやってきた肝っ玉の座った女性。長寿の鬼が年老いていくと言う事は生活に疲れ切っているからなのだそうだ。生活に負われて人生をすり減らし身体もすっかり年老いてしまった婆ちゃん。俺はそんな婆ちゃんが好きだ。だからやっぱり

 「死ぬ時なんて考えないでよ。」

 「婆ちゃんは独りじゃないよ!婆ちゃんが寂しく思うなら私、鬼ノ国に住んでも良いよ!」

 まだ世間の酸いも甘いも噛み分けてない桃恵が胸を張る。

 「俺も今は鬼ノ国に行っても良いと思ってるよ。」

 桃香の手を取って微笑う。

 桃香も嬉しそうに微笑った。

 婆ちゃんの肩に手を置いて母も微笑う。

 「私達も居ます。

 『花芽美さん』の幸せを願って陽溜さんはソレを作ったんだと思います。」

 指輪に加工されたアマビエを母が指差す。

 婆ちゃんも両手で顔を抑えたまま「有難う…。」とやっと微笑った。

 世嗣が帰ってきて、婆ちゃんの涙に

 「ママを誰が泣かした!?」

 と荒れた。

 この辺は想定内なので詳しく語る必要はない。

 帰り支度をしながら世嗣はついでっぽく親父に

 「桃太郎も一度地獄へ来い。

 閻魔様直属で正式に小鬼回収の仕事をするなら自由に鬼ノ国と地獄と人間界の出入りを許可してもらうべく閻魔様の焼印が必要だ。

 俺も肩に持ってる。」

 半袖を捲りあげて「閻」の字を見せてくれた。

 親父は「焼印なんてヤだよ!痛そ〜じゃん!要らねぇよ!」と即答したがそれを入れていればいつだって婆ちゃんに会いに行ってあげる事が出来る。

 「桃太郎くん、それって陽溜さんのやっていた事を桃太郎くんも任されるって事じゃないの?人間界では『出世』って言うのよ!!おめでたい事だわ!」

 母は親父を持ち上げ作戦に出た様だった。

 母が手を叩くと桃果も桃恵も訳も分からず手を叩いた。

 そうなれば桃士や桃美がお祭り騒ぎする事なんて目に見えてる。

 「父ちゃんスゲェ!!鬼スゲェ!!」

 「私、学校で自慢しよ〜っと!!」

 二人に言われて親父は鼻の穴を膨らませてちょっとニヤけた。

 「どうせもう時期、発情期でしょう?

 身重の桃姫さんにはアンタの相手はしんどいでしょう。ついでだから帰ってきなさい。」

 婆ちゃんは言い出したら止まらない。

 前は急げとばかりに親父の首根っこを捕まえた。

 「えっ??ヤダヤダ!!せめて今夜の夕飯は皆で楽しんでから桃姫さんと濃密な時間を過ごしてから…。」

 「往生際が悪いよ!アンタは!!」

 婆ちゃんは親父の尻を叩いて引きずっていく。

 親父の母ちゃんはやっぱり婆ちゃんの娘だ。

 引きずられていく親父を皆が見送った。

 「お土産ヨロシク〜!」

 「叔父さんにヨロシク〜!」

 「浮気すんなよ〜!」

 「とと!ろこいくの?」

 「風邪ひくなよ〜!」

 「桃太郎くん!待ってるから!子供の事は任せて!」

 「親父の留守は任せろ!」

 まだ力は弱いけど、親父の背中の大きさには敵わないけど、俺も「鬼倒」の人間として恥ずかしくない様に、キチンと刀を継承していければ…と思う。そして、ゆくゆくは陽溜の様に暖かく気長に小鬼を育てていけたら良いな、と今は思う。

 取り敢えず今はランナーとして記録が出せる様に、高校生として友達と上手くやっていく様に、ヒトとして損得考えず手を差し伸べられる様に、そして桃香の彼氏として淫らで気持ち良い秘事を愉しんでいければ良いな…と思う。


 大守さんは髪の毛を頭の上で括るのを止めた。下ろしている方が大人っぽいと言われたそうだ。月に二度、ブレスレットの交換を言い訳に世嗣は来ては大守さんの手伝いをしている。(大守さんには少し荷の重い様な強いあやかしが悪さをしているとあらば手を貸して退治に付き合っている。付き合っているのはそれだけかどうかは判らないがどうも俺はお邪魔らしい。)

 「モモジロー!!!!ヘルプ!」

 慈が教室に駆け込んでくる。

 どーせ貧野先生に叱られてるんだろう…と呆れた顔で出迎える。

 「何!?」

 「もうすぐ香ちゃんの誕生日なの!香ちゃん、趣味は読書でファッションには興味ないんだけど何プレゼントしたら良いのか判らないよぅ!!」

 俺の腕にしがみついていた桃香が

 「お揃いのモノが良い。

 服とか、良い香りとか、持ち物とか、同じは嬉しい。」

 何気に口にした。

 そうだな。あのダサいジャージはオススメ出来ないが家の中で身に着けたり、使ったりするものなら喜ばれる気がする。

 「俺もそれ良いと思う。慈の気持ちが籠もってたらきっと嬉しいと思うぞ?」

 そう言うと慈は華が咲いた様に微笑った。

 こうやって素直に気持ちを表してくれる慈が好きだ。

 慈に感化されて貧乏神のくせにどんどん幸福そうに変わってきた貧野先生も好きだ。

 相変わらず保健室は寝不足の溜り場。その横で保育士の通信講座の勉強をしているやっぱりズレたヨーコ先生も好きだ。

 

 部活上がり、いつもの様に桃香のバイト先で桃香を待つ。

 桃香と手を繋いで家路に付く。

 何故か今日は落ち着かなかった。

 桃香といつもの道を歩きながらも昨日とも一昨日とも変わりない桃香なのに今日はオカシイ位、気が狂いそうな程、桃香に噛み付きたくて触りたくて母屋に「只今」も言わず蔵に連れ込んだ。

 「桃次郎?」

 置いてけぼりにされた不安そうな桃香の瞳が俺を更に昂ぶらせる。

 「今日は…いつもと違うんだ。身体が熱くて…ずっと桃香を求めてる。」

 下着をずらせて無理矢理その間から割り込ませた。

 どうせすぐ小さくなるのは判ってるから少しでも刺激を与えたかった。

 何度か前後させた後、自身を包む熱くて柔らかな肉の層に思わず声が漏れた。

 「ヤバ…気持ち良い…。」

 桃香を見下ろすと桃香は唇を噛んで微笑んでいた。

 「ワタシのナカ…来てる…。」

 桃香の言葉だけでイキそうになった。

 「ホント…?ナマはヤバイよね…。」

 本当は全てがどうでも良くて我武者羅に腰を振りたかった。

 桃香の応えは

 「ワタシ、まだ初潮きてない。ヘーキ。」

 俺を獣に変えるのには充分だった。

 動ける間…大きな間…と必死に腰を動かした。前後に、左右に、上下に、押し付けて、腰を回して、呻き声がどんなに響こうともお構いなしに。

 いつも知ってる登り詰める瞬間迄腰を振り続けた。

 「うん…………ン!!」

 信じられない。

 自分のが桃香のナカで痙攣している。

 しかも何かを吐き出している。見なくても判る。俺の体液だ。

 ゆっくり抜いてもまだ俺のは小さくなっていない。

 「コレッてなんのジョーダンだ!?」

 魔法としか思えない。もし、魔法が掛かったとしたらこんな下世話な魔法一体何処のマヌケな魔法使いが間違った魔法の使い方した!?

 「桃次郎は鬼でもあるけど人間でもある。成長は人間と同じだったってだけのコトじゃない?」

 桃香に言われて嬉しくてもう一度覆い被さった。

 「もう勃たなくなる迄ヤるのが夢だったんだけど試しても良いかな?」

 俺の声は情けないかな震えていた。

 「その前に『ただいま』しないと心配される。」

 起き上がる桃香をマットレスに押し付けた。

 「そんな心配より小さくなって二度と大きくならない事の方が俺には問題だ。」

 桃香の唇を塞ぐ。

 「もし両親に心配されたら鬼倒の人間として鬼を抑え込んでたって話すから大丈夫。」

 笑えない身内ジョークだ。

 俺はこの日、溺れる怖さを知った、と同時に酸素の大切さも。愛すると言う事は命掛けだと言う事も。

 誰かを愛するのと言うのはとても尊い。

 妹を想う想いとはやはり少し違う。

 妹は抱え込む愛で、桃香に対するものは抱き合う愛だ。

 

 俺はクラスメイトの観察を止めた。

 まがいでも本物でも何でも良い。どうだって良い。仲良くなるだけだ。

 これから先、何か大きな災厄があるとしよう。俺達あやかしがきっと全力を尽くして人間を護る事をあやかしの大将、鬼として約束しよう。だから約束して欲しい。俺達を異端視せず受け入れてくれる事を…。身の回りにちょっと変わったヤツが居たってきっとヒトとそんなに大差はない筈。なにかの折に雨を降らしたり災難が振りかかったりしてしまう奴も居るかもしれない。

 わざとじゃないんだ。唯、そんな風に生まれてしまったダケ。だから許してやって欲しい。責めたりしないでやって欲しい。

 あやかしってのは結構傷付きやすいんだ。

 青空を見上げて深い息を一つ、真っ直ぐ真っ直ぐ前に向かって駆けて行く。

 空の上まで駆けて行けそうな、そんな気がした。

 

 

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