十一人目 獏

 土を盛り上げて山を造る。

 「何作ってるの?」

 俺の上に影が覆い被さる。

 陽射しが遮られて寒かったがその影を持つヒト自身があったかいから俺は平気だった。

 「種を植えた。」

 振り返るといつもの笑顔。

 「そんなに土掛けたら重いんじゃない?俺はてっきりお墓でも造ってるのかと思ったよ。」

 大きな一本角に着いたチェーンが陽射しを受ける度にチカッチカッと光る。

 俺はそのヒトに両手を伸ばす。

 抱きあげられどんどん地面が遠くなる。

 怖い位の高さが俺の定位置。

 大きな角をしっかり持つ。

 「放さないで。」

 視線を下に向けると穏やかな笑みが返ってきた。

 「こっちの台詞だよ。」

 陽溜が風を捉えては昇って行く。

 全てが自分の下にある。

 地面が遠くなり、視える世界が広がる。

 両手を広げて山を二つ握る。

 「俺、今、山二つ握り潰した〜!」

 自分の声がビュウビュウと言う風の音に負けそうで大声を張り上げた。

 「怖〜!敵に回さない様にしなきゃあ。」

 いつもの陽溜のフザケた物言い。

 俺は思わず笑った。陽溜も釣られる様に笑った。

 陽溜の笑顔は暖かい。ヒトの笑顔を視るのは好きだ。表情の中で一番笑顔が好き。でもそれでも俺は一番陽溜の笑顔が好きなんだ。

 見慣れてる筈なのに見飽きた事がない。

 いつだって面白い事を教えてくれて、見付けてくれて…。

 地面に戻ると目の前で血の気の多そうな若い鬼と年配の鬼が肩をぶつけ合って言い合いしていた。

 俺は陽溜にしがみついた。

 陽溜は何度か瞬きをした後、年配の鬼の足元に屈み込み

 「コレ、落としてますよ。」

 と、光る石を差し出した。

 「何だ?オマエ!そんなのワシのじゃねぇ!引っ込んでろ!」

 顎を上げて横暴に喋る年配の鬼。

 陽溜は

 「これ、黒真珠でしょ?スッゴイ珍しい石だよね!誰が落としたんだろ。俺、貰って良いかな。傷一つないし、この大きさなら米十俵の価値はあると思うんだけど…ヤッタ!得した!!」

 ギュッと握って微笑う陽溜の手から若い鬼が「俺の!俺の!俺の!!」と奪う。

 「嘘言うんじゃねぇよ!若造が!そりゃワシんだ!」

 「オメー嘘付くんじゃねーよ!オメー今、『ワシのじゃねぇ』っつったろーが!」

 二人が又言い合いを始める。

 陽溜は若い方に掌を広げて

 「年長者を敬いなさい。血の気が多いのは判るけど喧嘩する相手が違うでしょ?

 取り敢えず口の利き方、謝罪しときな?」

 そう言いながら彼の耳元で「そしたらその石、あげる。」と囁いた。

 若い鬼は納得がいかない風でもありながら石欲しさに

 「すまなかったよ。爺さん。ついカッとなっちまって。」

 取り敢えずの謝罪を述べた。

 「若い頃には色々あるからどうか歳上の器量を見せて許してやってください。」

 陽溜が余りに深々と頭を下げるものだから俺は落ちてしまうかとヒヤリとした、が実際はその爺さんとしっかり目線が合っただけだった。

 「何処の若い衆かと思ったらなんじゃ…金糸の陽溜かぃ!相変わらず子供とブラ付いとるんじゃなぁ。そろそろジジイらしく隠居したらどうぞ?」

 お爺さんに言われて陽溜は肩を竦めた。

 「動ける内にやりたい事やっとかないとね。今度、北に行ったら旨い酒でも土産に届けるよ。」

 そう言って陽溜はお爺さんの肩を叩いて手を振った。

 「あの石、ホントは誰の?」

 何気に尋ねた。

 「俺の。」

 陽溜が軽く笑う。

 「だと思ったよ〜!あんな仲裁の仕方してたらキリがないよ?もっと頭を使わなきゃ!」

 陽溜が好奇心の塊みたいな眼差しを向けてきた。

 「じゃあ今度是非教えてね!」

 教えて欲しいヒトの態度とは思えない。きっとそんな事微塵も思ってない。思ってないのにその場の空気を変える為ならなんでもやる、それが俺の知る陽溜と言う男。

 陽溜は弱くて落ちこぼれ。だから喧嘩して勝っても何の得にもならない。大人は皆知っていた。だから喧嘩を売ってくる奴も居ない。陽溜が装飾品を造るのは周知の事なので陽溜に見返りが何も出来ない、が装飾品は欲しい、という奴が時々拳や刃物で脅してくる事はあった。そう言う時には陽溜お得意の舌で上手く転がしていた。

 「俺が作品を造ってる間に家族を大切にする事。」「絶対に喧嘩をしない事。」「ヒトを幸せにする、自分で出来る何かを見付ける事。」こうやって相手を巧く操る。大抵の鬼はそうこうしている内に良く笑う良い奴になる。きっと陽溜が装飾品に術を掛けているんだ。だけど陽溜はこう言う。「本当は自ら変わりたいと思っているヒトが俺に声を掛けるんだ」と。どちらが先なんてどうでも良い。結果が大事と陽溜は笑う。陽溜が笑うのだからそうなんだろう。こうやって陽溜の廻りの人間はどんどん笑顔になってくんだ。

 あの、「変わり者」として有名だった珠晶じゅらでさえ…。

 珠晶は当時華通り一帯の土地を持っていた金塊掘りに、両親から金塊欲しさに生後数日で売られた。金塊掘りの男の元で底辺層…つまりは奴婢ぬびとして育てられたが素行も悪く残酷でやがて主から絶対的な信頼を得、「金庫番」として知られる様になったと言う。大人は皆、珠晶を避ける。初潮も未だの若い小娘でさえ強姦する見境無しだったからだ。その珠晶ともしっかり友達しているんだから陽溜はある意味立派だ。

 「あ、想巳そうし〜!」

 いきなり陽溜が一組の夫婦に声を掛けた。

 大きな畑の一角で西瓜を取るのんびりとした風景が広がる。熱い気温に涼しい風が吹き抜けた。

 「手伝ってくれたら好きなだけやるよ。」

 想巳と呼ばれた初老の鬼が微笑う。

 俺はすいかが山程乗った荷車の脇に鎮座する。

 「じゃあ、二つ頂戴。」

 そう言うと陽溜は一つを俺に、一つを自分の足元に置いた。

 そして俺の耳元で

 「想巳ってね、俺、ずーっと想う己だと思ってたんだけど、己じゃなくてへびだったんだ!己と已と巳の字は凄く似ていてね

 巳は、うえに、おのれつちのとしたにつき、すでに已む《や》むみ、なかばなりけりって言う覚え歌がある程、この三文字は似てるけど意味は全く違うものなんだよ。」

 コッソリ教えてくれた。

 「陽溜がヒトの名前を活かすきっかけになった話?」

 首を傾げると陽溜は満足そうに笑った。

 陽溜が西瓜を取って荷車に乗せる間、想巳さんは近所の鬼に声を掛けて、西瓜と交換する物との交渉を始めた。

 鬼の商売は面白い。

 「今年は偉い実ったなぁ。毎年不作じゃのに。狐に化かされとるんと違うか?」

 皆がドッと笑う中、俺は髪を揺らした女性の姿が頭に過ぎった…が靄が掛かったようにハッキリとは姿形は見えない。誰だったか…とんでもなく臭かった気がするのに…。

 客の一人が陽溜を捕まえて長話を始めた。

 今日中に帰れたら良いけど…。

 西瓜を掲げて横になると、みるみる空が曇り、雨がしとどに降り始めた。

 「こりゃ本格的な雨になるぞ!」

 想巳さんの声で急いで飛び起きた。

 陽溜に目を向けて、瞳が固定された。

 眼を見開く陽溜。

 その胸を貫く腕。

 「違う!!そんなの間違ってる!俺は信じない!!陽溜は死んでない!!」

 俺は我武者羅に西瓜を投げて荷車から駆け出した。

 陽溜が居ない世界なんて俺には必要無いんだ!!


 足の裏に何かが刺さって転んだ。

 バシャッという、辺りに広がる水音で水溜りよりまだ深い水溜りなのだと知った。

 眼を開けると、いつもの膝丈のパンツの陽溜が微笑っている。

 「だから走るなって言ったのに〜。」

 目の前に広がる大きな河、滝の上に虹が掛かりそこだけ水の色が違って見える。

 俺は必死に陽溜にしがみついた。

 「怪我はない?」

 こくんと頷く。

 「ダセー!何転んでんだよっ!」

 振り返るとボサボサの紅い髪を振り乱した褐色肌の女の子を先頭に、背の高い女の子、他の子より一段とお洒落な女の子と、薄紫色のフンワリした髪の毛の女の子が寄ってきた。

 ビリビリとした恐怖が襲ってきた。

 心臓の鼓動が身体を支配する。

 今、動かないと絶対に動けなくなる、野性の勘がそう言う。立ち上がり、薄紫色の髪の少女を突き飛ばした。

 風船の様に軽く、シャボン玉の様にフワリと浮いた。

 後ろへ転がり、彼女は大きな声を立てて泣き始めた。

 紅髪やのっぽや派手が俺を責める。

 「何やってるの!?槐が何したの?」

 「謝って!槐にちゃんと謝って!」

 「オメー面白え事すんじゃねーか?喧嘩売るなら自分より強い相手に売れよ。男らしくねぇぜ?」

 彼女を陽溜が抱き上げる。

 「陽溜!近寄っちゃダメだ!槐が陽溜を殺した!!」

 陽溜に走り寄る。

 皆が眼を丸くする。

 槐の泣き声だけが響く。

 「俺は槐に殺されてるの?俺はもう死んでるんだ?知らなかったな…。そりゃ意外だ。」

 陽溜は笑いながら槐を抱きかかえ此処に向かって歩いてくる。

 暑い日差しが頬を突刺す。

 俺の夢だったのか?

 夢かもしれない。

 なんとなく夢だった気がしてきた。

 良かった、夢で。

 「ご…ごめん。槐。」

 槐は首を左右に振りながらそれでも泣くのを止めない。

 「陽溜…死なないで…。」

 槐の呟きが俺の胸には痛い。何故だろう。

 「それは出来ない相談だなぁ。」

 陽溜は槐の後ろ頭にコブがないか確認している。

 「そろそろお腹空かない?河から上がろう?」

 空いている陽溜の手を取ろうとしたら紅髪が俺を突き飛ばし自分が陽溜の手を取った。

 「陽溜、死ぬのか?」

 紅髪の一言に紅髪を睨み付けた。

 「生き物は皆平等に死ぬ。死は生を受けた時に定められた契約だよ。だから俺も『死なない』約束は出来ない。」

 言葉とは裏腹に陽溜は嬉しそうに微笑った。

 目の前に大きな桃の樹がなっている。

 芳しい桃の香り。瑞々しい桃の甘い香りが愛しく、懐かしく感じる。

 陽溜が桃の実を採って渡してくれた。

 皆が大口を開けて噛じり付こうとしている所に男の子が三人走ってきた。背中にお爺さんを引き連れて…。

 「コラ〜!クソガキ共がっ!今度うちの前で小便しくさったらそのゴザ被り、切り落としてやるからな!」

 お爺さんが後ろから怒鳴る。

 「わ〜!」

 と言いながら三人の男の子が陽溜の後ろに隠れた。

 「やぁ、鷲吉!杖付かなくても歩けてるじゃん!凄い凄い!この子達にお礼言わなきゃ。」

 陽溜はヘラヘラと手を叩いて見せた。

 「何言うとんじゃぃ!こンクソガキ共、わしゃの玄関の前で並んで小便しくさるんじゃ!陽溜!オマエからもちぃと叱れ!!」

 鷲吉と言われた爺さんは顔を真っ赤にして怒っている。

 「鷲吉、泣いても一生、笑っても一生、だよ?この子達と後で掃除に行くからさ、もうそんなに怒らないで、ね?笑おう?」

 「こンのクソポンコツが!!!笑えるかぁ!!」

 鷲吉爺さんは陽溜の頬を平手打ちして立ち去って行った。

 「ありゃ〜、鷲吉…相当お冠だなぁ。

 でも、お前達も悪いんだよ?おしっこは畑の溝って言われてるでしょ?」

 陽溜は自分に張り付く子供を見下ろした。

 「あそこ臭くて嫌なんだもん。」

 「クソ踏む!」

 「汚ぇから嫌いだ!」

 各々主張する子供に陽溜は身体を屈めて目線を合わせると

 「そんな臭くて汚い場所にしちゃうの?鷲吉の家の前を。

 きっと鷲吉困るよ?鷲吉の家にお客さんが来なくなるかも。」

 三人共、顔を見合わせて俯いた。

 陽溜が河を指差す。

 「水を流して綺麗にしてあげようよ。水を入れる大きな器があると良いな…。」

 陽溜の一言に、おかっぱ頭が手を挙げた。

 「うち、桶があるよ!」

 「千代光の所は金塊掘りやってっからな!一杯あるよな!」

 「じゃあ、皆で取ってきて。女の子達も申し訳無いけどもう一回河に行ってくれる?お前も混ざっておいで?」

 陽溜がコッソリ俺の耳元でそう言い、背中を押してくれた。

 千代光の家は煉瓦造りの立派な家だった。優しそうなお父さんとふくよかなお母さん。

 俺達にべっ甲飴をくれて桶も貸してくれた。河に戻る道中、

 「キサマ等、随分と面白え事してくれたじゃねぇか!」

 紅髪の女の子がガハハと品無く笑う。

 「やりたくないって僕言ったのに…。」

 千代光と言われたちっちゃな男の子が小さな声で呟く。

 「あのジジイいつもうるせぇもんなぁ〜。」

 一番背の高い男の子がそう言いながら桶をクルクルと空中で回転させると紅髪の女の子が

 「良いこと考えた〜!」

 ニヤリと笑った。

 「ダメよぅ。きくま〜。怒られちゃうよぅ。」

 「泣き虫槐は引っ込んでな!」

 紅髪の女の子、きくまは髪を振り乱しながら男の子達を引き連れ何処かへ行った。

 やがて、桶一杯に何かを入れたきくまが戻ってきた。

 陽溜は疑う事なくそれを玄関に撒く。

 「皆、もう二度としないって約束出来るね?」

 笑顔の陽溜がそう言い終えた後、背中でボォン!という派手な音がして鷲吉爺さんの家が一瞬にして無くなった。

 残されたのは便所で座っている鷲吉爺さんと、台所で料理をしていたのだろうフライパンを持った若い女性、殴り合いの喧嘩をしている四人の孫と思われる幼い子。

 便所真っ最中の鷲吉爺さんの眼が光る。

 陽溜は俺達に「皆、かけっこ得意かな?」と聞いて鷲吉爺さんの「きぃさぁまぁらぁぁぁぁぁ!!!」と言う怒鳴り声を号令に

 「よーいドン!」

 と声を残して走り出した。途中、転けた槐と遅い千代光を拾いながら…。

 走りながら誰もが笑っていた。

 きくまなんか腹を抱えて笑っている。

 「笑い事じゃないよ!菊美!どーせ菊美の仕業でしょ?後でお父さんに話して鷲吉の家を建て直して貰わないと!

 じゃないと鷲吉は家の中なのに野糞…ププッ…かわいそ…プッ……ククククク…。」

 陽溜まで腹を抱えて笑い出した。

 俺も可笑しくて堪らなくて堪えようとすればする程吹き出してしまった。

 その後直ぐ、陽溜は爺さんの家に謝罪に行って、正座のままこってり二時間絞られた。

 音を聞きつけたきくまのお父さんがきくまの頭を拳骨で殴り、鷲吉爺さんに家を元通りにする約束をした。

 「鷲吉爺さんに謝りなさい!!」

 お父さんの声にきくまは唇を尖らせながら

 「ブリブリ爺さん、ブリブリ真っ最中に家吹き飛ばしてごめーんね。」

 「ブフーーーーーー!」

 きくまのフザケた謝罪に一番反応したのは陽溜だった。陽溜は四つん這いになって俯いて笑いを堪えている。

 土の家からしわしわの婆ちゃんが出てくる。

 「なんて事だろうねぇ!」

 陽溜がピピンと背筋を伸ばして、土下座した。こういう光景を幾度となく見て来た気がする。頭を下げているのは陽溜だけじゃない。大きな背中に一本角が長い黒髪の女性に頭を下げている。

 「俺です!俺の監督不行届です。子供だけ叱らないで下さい!」

 「当たり前さね!陽溜!アンタが付いてながらこんな事起こすなんて…。もう二度と子供とは遊ばせないよ!」

 シュンとなる陽溜の前に立ちはだかる。

 「婆ちゃん違うよ!陽溜は知らなかったんだ!きくまが考えてきくまが用意してきて、槐は止めたけどきくまが聞かなかったの!」

 「あ〜!?結局全部俺のせいにするつもりかよ!クソビビリが!」

 またお父さんの拳骨がきくまの頭に落ちる。

 「お前だっつの!お前が一番悪いんだから反省せぇよって!お前、子供だから許される事にも限度があるんだぞ?」

 そう言うなり、お父さんはきくまをひっつかんで家に戻っていった。

 「十日間反省部屋行きに処す!」

 「やだ〜!あんな、本しか置いてないクソ部屋!クソだぁ!父ちゃんもクソだぁ!」

 きくまの叫びだけが虚しく遺った。

 その場に正座してしょげかえる陽溜の手を婆ちゃんの手が優しく包む。

 「さぁ、夕飯にしよう。今夜は熊鍋だよ。」

 陽溜の頬が紅く染まる。

 「俺も良いの?」

 「当たり前じゃないか。」

 婆ちゃんはそう言って家の扉を開けてくれた。

 皆が「バイバイ」と手を振り去って行く中で、爺さんが一言「今夜からワシ等どうするんぞ?」呟いた。

 陽溜も婆ちゃんも笑顔で一軒のお屋敷を指差す。

 橋を無視して建っている大きな大きな木製の屋敷、きくまの家を。

 「じゃと思うたわい。」 

 陽溜は俺を肩車して家に入った。

 凄く凄く嬉しそうに。

 「か…お婆さんのこの味!どうやったらこの優しい味が出せるかなぁ。俺は何度やっても凄く雑な味になるんだよ。」

 鍋の汁を吸うなり陽溜が溜息を零す。

 「出汁が一番大事なのさ。陽溜は火力が強いんだろう?ちゃんと鬼火を使っているかい?」

 婆ちゃんに言われて陽溜は肩を竦めて首を左右に振る。

 「鬼火に勝る物は無いよ。弱火にしたけりゃ鉄の蓋をほぼ閉める、中火は真ん中、この蓋の開きが火力に関わる。

 火力が強けりゃ良い出汁は取れない。」

 陽溜は判っているのか無いのか「へぇ〜」と言いながらずっと鍋をつついている。

 陽溜が俺の寝床に横になって両手を差し出す。

 「おいで!」

 「俺の寝床だぞ!」

 文句を垂れるも笑いも洩れる。

 ベストを脱いだ陽溜の身体中の入墨をジックリ観察する。

 「今度は何いれて貰うの?」

 「沢山の桃。」

 「沢山?」

 「そう。世界で一番愛しくて、大切で、手放したくない桃が、沢山沢山増える予定なんだぁ。

 想像出来ない?」

 陽溜の声が胸骨を通じて低く聴こえる。耳に届く振動が心地良い。

 「出来るよ。とてつもなく可愛いんだ。愛しくて、甘い香りがして、何よりも大事…誰にも渡したくない、手放したくない…。」

 何故か涙が込み上げる。

 必死に陽溜にすがった。何故か愛しい何かを思い出すと陽溜を失う気がして怖かった。

 ハッと気付くと眠っていたのは俺一人で慌てて寝床から跳ね起きた。

 居間で婆ちゃんの笑い声がした。  

 小動物の鳴き声みたいな可愛い声だった。

 陽溜が婆ちゃんの手を握っている。

 「本当だよ?鳩が七色なんだ!幻想的だと思わない?世界は広い、花芽美さん。いつか一緒に行こう?」

 「冗談言わないで。こんな年寄りに長旅が堪えられると思ってるの?」

 いつもの婆ちゃんの喋りじゃない。そもそも俺の知ってる婆ちゃんって誰だ?本当にこの人だったか?じゃあ他に婆ちゃんって何処に居るんだ?頭が変になりそうな位、この婆ちゃんは俺の知ってる婆ちゃんとは程遠かった。だって、婆ちゃんじゃない。これじゃまるで恋する乙女だ。

 「俺が背負って行くよ。花芽美さんには見せたいんだ!俺の見た全てを!」

 「私は話を聴くだけで充分よ。陽溜。」

 「ずっと一緒に居たい。君の隣で眠りたい。君に勝つ事が出来なかった俺にはそんな資格は無いんだけどね…。でも俺が愛してる事実は嘘じゃないから。」

 「愛してる」その一言に胸が熱くなった。

 好きと恋と愛は違う。

 子供の俺がなんでこんな事だけは判るんだろう。

 好きはとても軽いもので何にでも使える気持ちだけど、恋は淡く美しい、そして愛は深くて時に欲を持つ。情欲や独占欲や性欲とか…きっと綺麗なだけじゃない深くて重いモノなのだ。愛する人を失う喪失感の辛さは何故か知っている。失うのは辛い。

 「うぅ…。」

 陽溜の唸り声に思わず顔を上げる。

 婆ちゃんが陽溜の胸に手を刺し込んでいる。

 「私も愛してるの、陽溜。殺したい程。

 貴男を置いて死にたくないけど貴男に置いていかれるのはとても辛い。

 お願い…戻ってきて!お願い!私には貴男しか居ないの!貴男が私の全てなのよ…。」

 婆ちゃんの悲痛な叫びに俺は俺の声を重ねた。

 なんでこんな最期を見せる?どうしていつもこんなエンディングになる?俺は唯陽溜と居たいだけなのに。ずっと陽溜と微笑って居たいだけなのに!!!!


 チャラチャラと陽溜のアクセサリーの音がする。

 聞き慣れた、バングルやブレスレットがぶつかる音、楕円の笛に繋がっているチェーンが揺れる音、ベストの中の作品がぶつかり合う音、いつも軽快でリズミカルで心まで弾ませてくれる音。

 俺の背後で音は止まる。

 「ねぇ、いつまでこんな所に居るの?もう三日も此処に居るけど…。」

 陽溜のいつもと寸分違わぬ明るい声にゆっくり振り返る。

 「何度繰り返しても良い最後にはならないよ?眼を覚まさなきゃ。」

 陽溜の哀しそうな声色に顔を上げた。反論してやろうと思ったが陽溜の哀しそうな笑みに何も返せなくなった。

 俺と陽溜は真っ白な世界にたった二人だけで立っていた。

 後は何処までも続く恐ろしい程の白の世界。

 「嫌だね!何も要らない!陽溜以外要らない!!」

 不安を抱えながらも言い切る。

 本当にそうなのか?言い切って良いのか?そんな不安を抱えながら強がって言い切った。

 心臓が痛い程、鼓動を打つ。

 「本当にそう?そんな筈ないはずだよ?『お前』の還りを待ってるヒトは居ないかい?お前の愛しいヒトは?」

 陽溜が右手を拡げると真っ白だった世界に一面の花畑が拡がった。

 蝶が舞い、七色の鳩がはばたいている。

 溜息が溢れる程綺麗だ。

 遠くから子供が駆けてくる。見覚えの有り過ぎる大きな吊り目を好奇心で満たして、隣には紅髪の二本角の女の子。

 「菊美の親友はたった一人、桃香が自分の心をさらけ出せるのもたった一人。」

 陽溜の一言に息が止まりそうになった。

 陽溜の後ろで二人は叩き合いの喧嘩を始めた。

 桃香じゃない。菊美だ…ともう一人の俺が反応した。

 陽溜が俺の背中を押して前屈みに身体を倒した、かと思うと、俺の影から掌から少しはみ出す位の大きさの黒いのを引っ張り出した。

 「何!?コレ!!」

 ソイツは眼だけ金色で後は真っ黒。何やら怒った様な声を上げてくる。

 「これは元人間の邪念。小鬼だよ。お前は不貞腐れて、心を汚してすっかり小鬼を育ててしまってた。寂しがりで怒りっぽくてそしてとても甘ったれ。とても可愛い。

 お前達みたいだろ?」

 「達?」その言葉に心がざわめく。

 鼓動がズレて聞こえる。

 二つの意思が頭の中で言い合いしている。煩い。

 「鬼の癖に桃太郎!」言われる度に暴れた。早く陽溜が帰ってきたら良いのに。そしたらうんと甘やかして貰うんだ。抱っこしておんぶして肩車して肩に乗せてもらって…一杯、一杯、他の子の父ちゃんみたいにしてもらうんだ!

 モモタロウ、この名前は大嫌いだった。でもいつの日か自慢になった。次に繋げよう!と愛しい人と語り合った。繋いだ細くて綺麗な真っ白い、頼りない手…。

 重たい刀を持って、先代桃太郎の末裔として鬼倒を背負っていたとは思えない華奢で綺麗な身体なんだ。

 俺の人生でこの人程愛した人はいねぇ。

 人間だけどよ、それでも良いんだ。仇とかそんなんもうどうでも良い位惚れちまったんだからしょーがねぇじゃん。

 こんなに愛してるのに何で手放そうとした?何で忘れられた?

 ボロボロと涙が落ちる。

 「出ておいで。桃太郎。」

 陽溜に手を差し伸べられて、俺の手が勝手に動いて魂が抜けたみたいにスゥッと俺の中から子供が出てきた。

 「いつまでも子供でいちゃダメだ。

 お前には護るべきモノがあるだろう?」

 子供は陽溜に抱き着いてワンワン泣いた。

 「良い夢見てたのに邪魔すンなよ!陽溜!居なくなって欲しくなかった。どうしても受け入れ難かったんだ!あの時もっとああだったらこうだったら…ってそればっかり頭に過る。責任とか護るモンがスゲェ重くなって陽溜に甘えてたくなった。子供の頃みてぇにずっと愉しくやっていきたかったんだ。」

 「そうか、そうか。」と陽溜は何度も言葉にしながら子供をしっかりと抱き締めた。

 「家族に産まれてきてくれて、有難う。」

 陽溜の瞳からも涙が溢れる。

 「これからもずっとお前の胸に居座り続けるつもりだから覚悟して?でもね、コレは良い夢じゃない。『都合の良い夢』なんだ。いつまでもこんなぬるま湯に浸かってちゃダメだよ。俺はいつでもお前の『都合の良い夢』で待ってる。寂しくなったら数時間限定でおいで。お前の一番大切がお前の還りを待ってるよ?

 愛してるよ、桃太郎。さあ、行きなさい。」

 陽溜の喉仏が痙攣を起こす。

 子供だった吊り目がグイと涙を拭くと瞬く間に親父の姿になった。

 「いつまでも不貞腐れてンじゃねぇぞ!桃次郎!!俺は大切な家族が待ってるからよ、先に帰るぜ!」

 親父は迷う事なく真っ直ぐ歩く。

 道の向こうに何が待っているのかは明らかだったが俺はやはり不安で陽溜の腕に捕まった。

 陽溜が抱いていた小鬼が俺に向かって「ギャギャギャ!!!」何やら文句らしきモノを発した。

 陽溜は

 「見て。」

 と、また何処かを指差した。

 つまらなそうに小石を蹴るダサいジャージを着こなした紅髪の少女。

 「あれは誰?」

 「ズルいよ!陽溜!俺の大切な人を視せて、俺に『帰れ』って言うんでしょ?俺は親父と違って友達も居ないし、教室に居場所もない!唯、孤独に黙々と走って記録を出すだけ!俺の価値はそんなモンなんだよ!」

 陽溜は俺を抱き上げ、「そんな哀しい事言わないでよ。」ジッと眼の奥に訴えかけてくる。

 「お前は俺の愛する桃次郎。そして、お前の愛する妹達の『にいに』じゃないの?」

 陽溜が指差していた先にまた視線を向けると、桃李が寝っ転がって「兄ちゃん、いつ起きるの?」と呟いた。桃美は皆に胸を張って「ニイはスネてるんだよ。長男であんまり陽溜に抱っこされた覚えがないから。大丈夫!今日には戻るから!ニイは世界で一番私達の事が好きなんだよ?私達置いていつまでも寝てたりしないもん。」そう口にしながら両手を握り締めていた。桃美の「ニイ!帰って!お願い!じゃないと私…嘘つきになっちゃう!!!」という心の声も聞こえた。桃恵は俺の身体をガクガク揺すりながら「にいにちゃん!起きなきゃもうチューしてあげないからねっ!起きて!朝だよ!何回目の朝だと思ってるの?起きなさい!おーきーろーーー!」声の限りを尽くして吠える。桃果は一人、離れた所で泣いている。

 「桃果!お漏らし代えてもらってきな!臭いから!」

 桃恵に胸を押されて尻餅を付いて益々泣いた。

 「にいにがいい〜!にいにがいい〜!!」

 (馬鹿か、俺は…。)

 何処に出しても恥ずかしくない可愛過ぎる妹達を放置して何が「居場所がない」だ!?

 「桃李を退屈させてるのは誰だ!?桃美を嘘付き呼ばわりする奴は!?桃恵のチューは俺のモノだ!桃果を泣かせるのは誰だ!?」

 陽溜が真直ぐ俺を指差す。

 「お前だよ。桃次郎。」

 無意識の涙がワッと流れた。滝みたいに。水道が水漏れを起こしたみたいに。前触れもなく感情の高ぶりも予兆も無く。

 陽溜が俺を抱き上げてくれた。

 「桃次郎、桃李と桃美と桃士と桃恵と桃果の後ろの人はだぁれ?」

 俺の部屋の隅っこで体育座りのムスッとした顔の大守さんが居る。

 「あれは…クラスメイトの大守さん。安倍晴明の末裔らしくて、十二人の式神を使役するつもりなんだって。今はまだ三人しか居ないし、使役出来てるかどうかも怪しいけどやる気は誰にも負けない天邪鬼みたいな女の子なんだ。」

 「へぇ、凄い娘なんだぁ!」

 陽溜に言われて少し笑みが溢れた。

 「その隣は淫魔の花園先輩。俺、相当振り回されたんだ。」

 「そ〜なんだ、良い香りがすると思った。」

 花園先輩を抱き寄せた和心くんに俺も胸が熱くなった。

 「先輩を抱き寄せたのは天狗の和心くん。

 天狗なのに凄い真面目で良い人で、今のところ大親友なんだ。和心くんのお父さんとは親父もなんだかんだ仲良くやってる。陽溜にも会わせたかった…。」

 皆にお茶を配るヨーコ先生を指差す。

 「あれが九尾狐のヨーコ先生。保健医なのに保育士目指してる目標ズレまくってる変な九尾。親父は先生に『臭い』連発して嘔吐したんだよ!?」

 「桃太郎は〜もう〜!」

 呆れ口調で陽溜が呟く。

 一番部屋の奥で膝を抱える慈と慈の手を取る貧野先生を指差す。

 「金髪は座敷童子でその隣のお化粧した綺麗な人は貧乏神。信じられる?凄い組み合わせでしょ?」

 思わず涙がまた溢れた。

 「素敵だね。背中合わせの関係なのに上手くいくなんて、桃太郎と桃姫ちゃん、桃次郎と桃香みたい。」

 陽溜の言葉に目頭を抑えた。

 眠る俺の手を握って項垂れている桃香の姿は今迄で一番寂しそうに見える。

 「陽溜、視えてる?

 見てよ。俺にもいつの間にかこんなに大切なヒトが出来てた…。

 俺…気付かなかった…。」

 陽溜の大きな掌が俺の頭をガシガシと撫でてくれた。

 「桃次郎。俺はお前を誇らしく思うよ。

 お前の事を案じてこんなに沢山の友達が集まってくれてる。お前の『大切な』人達だね。」

 涙を拭いながら何度も頷いた。

 「これからもお前には沢山の試練が襲い掛かるだろう。

 でも、それはお前を陥れる為にやって来るんじゃない。乗り越える為にやってくるんだ。

 幸せは苦痛の後にやってくる。必ずやって来るから…乗り越えるんだよ?だからお前は傷付かなくて良い。お前のままで良い。俺がお前を認めてる。」

 涙が止まらない。

 「お前達の幸せを心から願っている存在がある事を決して忘れないで。」

 陽溜に地面に降ろされた。

 別れの時が来たのだと感じた。

 陽溜を振り返る。

 陽溜はいつものお日様みたいな暖かい笑顔を浮かべて手を振った。俺も陽溜に手を振り返した。


 何処からか落ちる夢を見て驚いて眼を開けた。

 彼方此方から飛びつかれて、頭がついていかない。

 まずビックリしたのは俺の布団で一緒に横になっている見知らぬ男性。

 「わ〜!!」 

 「どうも、はじめまして…わたくし、夢枕備たすくと申します。」

 布団の中で自己紹介されたのなんて初めてだ。

 俺は返す言葉すら見付からず唯軽く頭を下げた。

 「も〜!兄ちゃん!テレビ何日見逃したと思ってんの!?」

 「ニイ!良かった!死んでなかった!」

 「桃兄、俺も離に住む事にしたから!」

 「もぉ〜!心配させてぇ!なぁくんが帰りたがらないんだもん、デート何日キャンセルしたと思ってるのぉ?」

 「お帰り!桃次!」

 「にいに抱っこ〜!」

 「アハハやっぱこれは座敷童子、アタシの力デショウ!!」

 「さっきまで不安そうな顔してた人の台詞じゃないわよ?」

 「ホンット人騒がせなんだから!獏…夢枕さん、探してくるの大変だったんだから!」

 「いや…ペチャパイさんは殆ど何もやってないよね?俺の千里眼のお陰だよね?」

 「目覚めのハーブティーは如何〜?コーヒー切らしちゃって〜、ハーブティーで良いわよねぇ〜?」

 皆が一斉に話しかけてくる。

 誰から答えれば良いかまだ頭がついていかない。

 取り敢えず、(おしっこくさい)桃果を膝に乗せ、ヨーコ先生からハーブティーを受け取り、部屋を散らかしている桃士に「部屋を片付けろ」と注意してから桃香の手をそっと握った。

 ただいま。俺の充たされないと思っていたけど贅沢な日常。愛が止まらない愛し過ぎる妹達と、あやかしまがいとあやかしばかりの大切な友人。

 俺はこの正解の無い世界を歪に生きて行こうと思う。

 

  

 

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