二人目 淫魔

 朝、ヘアワックスで髪を立てて角を隠している俺に

 「色気付いちゃって〜!高校デビューですか?」

 親父が肘で付いて茶化してきた。

 「頭蓋骨の奇形でも、隠しとかないと何言われるか判んないだろ?」

 冷たく応えると「ツノ!」と親父が被せてきた。

 「ソレはツノ!鬼のシンボル!ポリシーでプライド!隠すなんて以ての外だ!」

 「おはよう、お母さん。」

 「おはよう、桃次。パンとご飯、どっちにする?」

 親父の会話はスルーに限る。ズレてる事のが多いから。俺はずっと無視してるのに構わず親父は風呂場から台所まで小言(小言と言うより茶番劇に近い)を言いながら俺に付いて来た。

 「小さなパンある?ロールパンみたいので良いんだけど。あったら飯の後に焼いて。」

 「あるわよ。

 桃太郎くんはご飯?パン?」

 「白飯大盛りで!ヨロシク桃姫さんっ!」

 「はいはい。」

 毛先を巻いた胸迄の長い髪を揺らして母が炊飯器の蓋を開ける。

 昔はストレートだった髪を、親父がフワッと巻いた髪の方が好きだと聞いた母はその日、早速パーマを当てて帰ってきた。

 親父は感激していたが俺はその日、失恋した様な気分になった。小学一年の事だった。

 母に抱っこされる度に頬を擽る毛先が気持ち良くて大好きだったのに、親父の為にその毛先を巻き上げた。その毛先が俺の頬を、鼻を擽る事はもう無くなった。 

 母は基本、親父に甘い。親父が馬鹿だし子供っぽいから母親が自然と歳上を演じるが、(嘘か本当か)親父はもう既に150を越えていると言う…。人間としては有り得ない年齢だ。母親は現在35。親父との年齢差は凄い。だけどワガママ、馬鹿、非常識、チャラい何処までも馬鹿、とにかく馬鹿、馬鹿オブ·ザ·馬鹿、親父を見ているとどうしても親父の方が歳下に感じる。

 

 食卓に食事が並ぶと眠そうな眼を擦りながら俺のエンジェル桃果が足をもつれさせながらやってきた。

 「桃果〜!!おはようのチュウは?」

 膝に乗せながら頭を撫でる。

 桃果は「チュー」と素直に唇を尖らせた。

 これで昨日の疲れが取れる。昨日迄の絶望も今日の希望へと変わる。有難う!運命!桃果を俺の妹にしてくれて!!そういう事で絶対に桃果は嫁にはやらない。

 桃李は中学二年に進級し、故に彼氏が居るような状態(いつ別れていつ新しいのと付き合っているのかすら教えてくれないのでその辺は詳細不明)。とにかくモテる。母に似て豊満な身体に対し幼く視える大きな丸い眼が愛らしい。人形の様だ。身内だから褒める訳じゃない。本当に可愛いんだから仕方ない。その辺の下手なアイドルなんかよりよっぽど良い。寧ろアイドルになれと思う。否、他の男の眼に晒す位なら閉じ込めておきたい。心配で堪らない兄心。妹がモテると言うのは兄としては面白くない。いつまでも俺の桃李ではなくなってきた事実を突き付けられるからだ。

 中学一年生の、次女桃美は「特別な眼」のせいで小学校にはほとんど通えなかった。視えてはいけないモノが視えては周囲を怖がらせて、結局虐めに遭った。母は大丈夫だから、と登校を進めたが逆に親父が行かせなかった。「くだらん事言う連中が行く所なんて行かなくて良い!」と言ったのだ。中学に上り、他小の子も加わった今も学校に行きたがらなかったが一つ上の姉が毎朝無理矢理引きずって連れて行く。「学校に行かなくなると癖になる!」と言って。

 俺自身虐め体験者なので何も為になる助言は出来なかったが母が話してくれた「リセット」について、そうであって欲しいという願望も込めて、自分の体験も重ね合わせて「いつか悪い噂は消える」と根拠も無く口にした。

 そんな事想ってもない俺の言葉はきっと桃美には見抜かれている。だから俺は桃美の眼が怖くて見られない。本当は穴が空くほど見詰めたい。親父に似て吊り気味な瞳が好奇心旺盛に動く。人を虜にする話術を持ち(恐ろしい事に俺は手中にまんまとハマり簡単に虜にさせられている)お茶目で可愛い。全てがずっと見詰めていられる要因であり、見詰め過ぎると溶けてしまいそうな怖れアリ…という説明は俺の心の中だけに留めておく。

 桃士は小学六年生。弟の頭の中は「チン毛」と「精子」で支配されている。会話のあらゆる所にこの単語が散りばめられているので姉二人にどつかれる毎日だ。親父とは相性が良いらしく二人で馬鹿な会話を繰り広げている事が多い。有難い事に角も目立たず今のところクラスでも人気者だ。勉強は全くだが鬼の力のお陰か運動神経は極めて良くスポーツさえ出来たらクラスの人気者という小学生の神話大的中。順風満帆な人生を歩んでいる。「角みたいのがあるお兄ちゃんが居る」と言う噂も無い様で俺としてはホッとしている。

 小学三年生の妹、これまた可愛くて仕方ない桃恵は桃士同様お調子者で二人は良くタッグを組んで学校でも家でも皆の中心でいてくれる。ムードメーカーで俺の心の安定剤だ。

 お喋りが過ぎて母や姉達からしょっちゅう「静かに!」と怒られているがその時の不満そうな唇を尖らせる顔が俺的特盛絶賛高評価。噛み付きたい位可愛い。

 そして、俺のエンジェル桃果、三歳。

 母や姉達の真似をしたくて堪らないおませさん。しかし言えてなかったり、言い間違え(俺はオモカワ桃果語録と呼んでいる)が兎に角可愛い!!舌っ足らず万歳!ロリコン上等!俺の全身をゾクゾク駆け登らせるのは桃果だけだ。

 しかしながら、俺は外の幼女を視ても可愛いと思った事が無い。可愛いと言えば確かに可愛いが俺の妹達の足元にも及ばない。俺は妹達に囲まれていたら家庭内ハーレムじゃないか?と思い付いて戸惑う事もある程妹達がそれぞれ愛しい。

 俺には恋愛がちゃんと出来るのか?と不安に思わなくもないが今のところ俺にはまだ初恋すら、初キュンすら外の人間に感じた事が無い上に他言無用でお願いしたいが俺は夢精すらした事が無い未精通だ。

 男として未だ機能しないのでは恋愛云々言ってもつまるまい、と今は妹達を見詰めてニヤニヤしていれば幸せだと結論付けている。

 妹についてはまだ語り足りないがこの辺にして、俺の家族紹介を締め括る。

 母方の曾祖父はもう10年前に他界したし、曾祖母も曾祖父の後を追う様に逝ってしまった。曾祖父は厳しい人だった。「大和撫子はこうでなければならない!!」と言う括りがあり、母はそれに従い髪を伸ばしていたし、膝から下のロングスカートしか身に着けなかった。それなのに、強く勇ましく!と剣武を教え、代々我が家に継がれて来た刀を持たせていた。三つ指を付いて親父や曾祖父に仕える母も、刀を持ち勇ましく竹を斬る母も、どちらも俺の好きな母だったが俺が一番好きなのは失敗して照れ臭そうに笑う一番油断している時の母だった。曾祖父亡き後、我が家の家訓は随分緩和され、桃李も桃美も自由にミニスカートやホットパンツを履いてウロウロ出来るのだが曾祖父が二人を見たらきっと卒倒するだろう。

 そして紹介し損なってはならぬ、とてもとても奇妙でなんとも珍妙な親父側の家族。

 今では年齢不詳の親父側の曾祖父と、恐ろしい程若い…を通り越して幼い曾祖母、そして無口な、親父より150以上歳下の大叔父が「鬼ノ国」にいる。親父には父親が居ない。母親は居るそうだが遊び回って、未だに会った事がない。自由な一族だ。

 親父は自分の故郷を「都会、都会。」と吹聴しているがそんな事もなく、自然豊かな田舎だったし、コンビニどころか店すら無かった。その代わり、欲しい物があると何かと交換するという物々交換がモットーで、助け合い精神みたいな旧き良き温かなモノを幼心に感じたのを記憶している。

 俺が感じた鬼ノ国の印象はその程度だ。

 母側の祖父母は祖父は、母が中学生の頃に他界し、祖母は母が小六の時、母の10歳下の妹だけを連れて家を出たそうだ。今でも何処かで生きているのだろうが母は話題にも出さないし、誰も「お祖母ちゃんは?」と言わない。家族の中では「おじいちゃん、おばあちゃん」は角の生えた不思議に若いヒトという認識で間違い無いのだろう。

 

 学校迄は電車を使う。親父には「走れ!」と言われるが電車と言う楽な乗り物があるのに何故走らねばならないのか…いつものオールスルーを決め込み「行ってきます。」と玄関の扉を閉める。

 自分の事を知っている町から離れて行くと少しホッとする。

 もう、此処までは噂は流れてないかな、と大体の目測を付けながら一つ一つ駅を見送る。

 家から8つ目の駅で降りる。

 同じ制服の姿が前に後ろに溢れかえる。

 少しでも目立たない様に端に避けて歩く俺の手を握る温かな手があった。

 先日の大守さんの手を思い出して振り返った。

 「…?」

 見知らぬ顔。

 俺の手を取った女性は俺と同じ制服を着ているが制服のくたびれ様や鞄の使い古し様から見て、一年生ではなさそうだ。

 「転びそうになっちゃって…。」

 彼女は頬を染め、眉をハの字に苦笑を洩らした。

 「大丈夫スか?」

 化粧っ気も何も無いのにナチュラルに綺麗、正直な感想だ。

 「降りるのほぼうちの生徒なのにこの混み様…。凄いよねぇ。怖くなっちゃうね。」

 俺達の右から左から、人が抜き去って行く。

 急がなきゃ損…とでも言いたげだ。

 その背中を呆れた眼で見送る俺の隣で、ぶつかられてはよろめく先輩。

 俺は、先輩の手を引っ張り壁側に導いた。

 「有難う…え〜と…。」

 「鬼倒です。一年の鬼倒。」

 先輩は恥ずかしそうに、華が咲いた様に華やかに微笑った。

 「私は花園 香音かいん。」

 (やっぱり高校生にもなると大人の色気みたいのが出てくるんだな。中学生とは大違いだ…。)

 なんて妙に漏れ出る先輩の色気に独り、ひっそりとドキドキした。

 「歩けますか?」

 いつまでも通り道を塞いでいる訳にもいかず改札を指した。

 「手、このままでも良い?」

 懸命に俺の手を取り、純真無垢な眼で俺をニコニコと見詰めてくる先輩。

 歩く度に何かが俺のビミョーな所を掠る。

 チラリと覗いてみるとソレの正体は先輩の空いている手だった。

 (人が押してくるから転びそうなのかな…にしても持つとしてももっと何処かあるだろ。際どい所だし…でも逆に年頃の女性がうっかり脚の付け根を触っていたなんて人前で言われたら気分を害するに決まってるよな…。)

 悶々と悩む俺の脳裏に現れるヘラヘラ嘲笑う親父の顔。

 「女の子の臭いさせて、どーした?桃次郎?色気付きやがって!100年早ェ!」

 (ヤバイ!!)

 思わず先輩の手を振り解いた。

 その勢いで先輩がよろめいた。

 逆にこっちが先輩の腕を掴んだ。

 「すんません!通してください!通ります!すんません!」

 人を掻き分け改札口から飛び出した。

 余りの事に先輩は状況が掴めない…と言った顔をしている。

 「すみません…ちょい乱暴でしたよね…。」

 笑って誤魔化しながら自分に付いた先輩の臭いを払い落とす。(目の前で失礼とは思いつつ…)臭いが付いたら困るから手を繋いで居られない、のに手を振り解いた先輩の顔を見て、そのままにしていられなくて結局抱き上げたなんて、とんでもなく頭が悪い行動に出たと思う。けれど俺の脳内では先輩の純真無垢な笑顔と親父のニヤケた笑いが天秤に掛かったまま大きく振り子の様に揺れてしまったのだから致し方ない。

 「ううん、助けてくれて有難う!鬼倒くん。また、明日、会えると良いな…。」

 はにかみながらそう言う先輩につい鼓動が乱れそうになったが頭の中で冷やかし続ける親父を思い出しては首を左右に振った。

 「足元、気をつけて!じゃあ!」

 先輩に手を振り、学校に向かうと、先輩に感じた色香とか、鼓動の乱れなんか綺麗サッパリ忘れてしまえた。あのおかしな感覚はなんだったのか…我が胸を擦りながら想った。


 教室に入るなり、早速大守さんが駆け寄ってきた。

 「鬼倒くん!貴男、あやかしの臭いがするわ!

 淫らで低俗なくさい匂い!」

 力を込めて力説してくる大守さん。

 俺は後ろ頭を掻きながら一番後ろの俺の席に座った。

 誰の事か…なんて花園先輩の姿は頭の隅に追いやる。

 「言ってる意味…判んない。」

 大守さんは机の上にグイグイ身を乗り出して俺の臭いを嗅ぐ。

 「貴男、触ったわね?いや、何かした?」

 思わず眼を反らした。

 「思い当たる事があるんでしょ?何よ!涼しい顔しておいていやらしいっ!」

 その言葉に反論の意味を込めて大守さんを見上げるも、言葉にならなかった。

 いやらしい事など何もしていない…。

 ドギマギはしたけど…。でもそんな事を問い詰められて暴かれなければならない話なのか?そもそもどうしてそんな事を大守さんに問い詰められなければならないのか…。

 「別に犯罪おかした訳じゃないし…何もしてないよ。ふらついた先輩を助けただけだし…大守さんに責められる必要なくない?」

 俺の顔を覗き込んでいた大守さんの顔が怒りに染まる。

 あくまで冷静に対応していた俺にもその動揺が伝わって、俺の方がいたたまれない。

 「そうよね!私には関係無いわよね!アンタが何処の淫魔にそそのかされようとナニしようと!唯のクラスメートだものね!

 折角近付けたと想ってたのに…何よバカ。」

 「なによバカ」が妙に意味あり気に響いたが俺は大守さんが去るまでずっと机の木目を睨み続けた。

 やがて教室に喧騒が溢れる。

 俺は音楽でも聴く様に耳を澄まして聴き入る。

 百々目鬼どどめきもどきが誰かのナニカを又見付けたらしい。愉しそうに口を動かす。

 やる事なす事ついてない、「ついてねぇ…」を連発する疫病神まがいは今日も「ツイテなかった」らしい。喧嘩で、力で、自分を鼓舞しようとするそれこそ鬼みたいなヤツが「シメたい誰かさん」について周りに意気込んで語る。

 俺達の周りは実はあやかしで一杯なんじゃないかと思う。それが本物のあやかしか、そうじゃないかなんて俺には判らない。最も、河童の様に全身緑で甲羅でも背負ってくれてれば判るんだろうけど…。

 隣のクラスの金髪がピースサインを振りながら通り過ぎていった。

 俺は少し笑みを返した。派手な金髪に短いスカート。誰にでも話し掛ける人懐こい性格。彼女の幸せそうな笑顔を見ると安心する。 

 

 昼休みを報せるチャイムが鳴り、弁当箱を広げようとしていた俺の前にふくれっ面の大守さんが現れた。

 「呼んでる…。今朝の淫魔が。」

 ポソポソと零す言葉に眉間に皺を寄せた。

 見ると、教室前に立つ花園先輩の姿があった。

 「先輩?どうしたんスか?」

 先輩は手に小さな弁当箱を抱えて明るく微笑んだ。

 「今朝のお礼に、お弁当を食べて貰おうと思って…。」

 「いや…俺も弁当なんスよ。」

 こういう時は何と返すのが失礼に当たらないんだ?

 「じゃあ、取り替えっこしよっか?」

 先輩の心ばかりの提案を「俺の弁当、デカイだけの茶色い男子弁当ですよ?先輩に喰いきれるとは思えません…。」あくまで柔らかく断っていく。

 「私!結構食べる時は食べるタイプなの!

 食べ貯め出来ちゃうの!

 それに…一度見せてもらったら鬼倒くんがどんなの好きで、どんな味付けが好みか判るでしょ?

 今度は手作り出来るきっかけになるもん。

 押し掛け女房しちゃおうかな…なんて。」

 心臓をスコップで掘られる様な衝撃だった。

 可愛いって言うか…健気と言うか…ちょっとツボった。

 「じゃあ、持ってきますね。」

 先輩から離れた途端不思議と胸の衝撃は消えた。

 お弁当を取りに席に戻っても、お弁当を手にしても、さっきの衝撃がどんなモノだったのか胸に再来する事なくサラリと感覚は消えた。

 俺の手に残った先輩の小さな弁当箱。

 開けてもう一つビックリした。

 ブロッコリー、プチトマト、スイートコーン…色とりどりの野菜が狭そうに並んでいる。

 あの手の美人はビタミンで出来ているのか?

 ほじくり返してもベーコン一枚、ウインナー一本出てこない。

 取り替えた事を90%後悔しつつ青々としたブロッコリーに箸を刺した。

 「良い気味!そんなダイエットメニューで花の高一男子のお腹が満たされる訳無いじゃない。

 見た目に騙された馬鹿な男の成れの果てね。」

 いつの間に隣の席に座ったのか大守さんが鼻で嘲笑う。

 「先輩の好意を無駄に出来ないだろう?」

 味の無いブロッコリーをひたすら咀嚼する。

 母ならミックスチーズを掛けてオーブンで焼くだろうな。それより桃士や親父の好みに合わせてツナ缶とマヨネーズで和えるかもしれない。

 ひたすら咀嚼する俺の机で重量のある音が跳ねた。

 「食べなさいよ。そんなんじゃ午後の授業、もたないでしょ。」

 重量の音の正体はラップに包まれた長方形。

 「何?コレ。」

 「チーズパウンドケーキ。」 

 思わず大守さんを見上げる。

 「私、お菓子作り結構好きなの。

 食後の楽しみで毎日焼いて持ってきてるの。」

 いつもおやつは手作りの我が家。  

 大守さんと母が重なる。

 「大守さんって家事の一切を式神に任せてこういうのしない人かと想ってた。」

 正直に述べると大守さんは弁当箱が入ったままの包を俺の頭にぶつけてきた。

 痛かったがそれより角で弁当箱を貫通させてないかの方が心配だった。

 「アンタ!そんなんじゃ一生結婚出来ないわよ!嗚呼、淫魔を嫁にするんだっけ?」

 大守さんは気にするでもなく弁当箱を包から出した。

 良かった。どうやら角には当たって無いらしい。

 「俺は一生結婚出来なくて良いよ。俺は妹を世界一愛してるから。」

 不潔なモノでも見る様な大守さんの眼差しを避けるようにラップを開いてケーキを二つに割った。

 「美味しい物は独りで食べても美味しくないんだ。分け合う方が絶対美味しい。食べよう。俺も少しもらうよ。」

 「要らないわよ!私があげるって言ったんだからあげる!!情けなんて要らないわ!」

 大守さんは怒っているのか大声で俺の手を遮る。

 「毒が入ってるかもしれないし。」

 「アンタ、人の親切にとんでもない事言うわね…。」

 冷静になった大守さんの机にパウンドケーキを置く。

 「死なばもろともって事で…ね?」

 薄く笑うと大守さんは唇を尖らせながらもソレを付き返して来る事はなかった。

 味気ない野菜が美味しくなった気がした。

 やはり、食事は独りで食べるより誰かと食べた方が美味しい。

 俺は家での食事が最も好きだったりもする。ちょっと眼を放すと親父や桃士が盗みに来るが、文句を言うと桃果が分けてくれる。桃恵が「同情する奴ァ飯をやれ!」とカンパを募ってくれる。母が時間差でもう一品出してきてくれる。それがサラダでも漬物でも嬉しい。大勢で食べると何でも旨い。

 「大守さんは家族何人でご飯を食べるの?」

 俺の質問に大守さんは顔を曇らせた。 

 「うちは父親が忙しいし、共働きだからいつも独りよ。」

 心が冷えた。

 「なら今度、鬼神様達と一緒に食べなよ。絶対に楽しいから。」

 「馬鹿じゃないの?式神は使い魔なのよ?

 なんで一緒に食卓を囲まないといけないの?そんなのペットとご飯食べるみたいなモンじゃない。馬鹿馬鹿しい」

 「使い魔」ってなんだ?家事手伝いはさせるくせに。そんな事言わず仲良くすれば良いのに…。

 「今度うちに飯、食べに来なよ。鬼神様も連れてさ。

 誰かと食事をするってどんなに楽しいかを知るよ。」

  何気に放った一言だったが、大守さんが余りに赤くなるので、俺もつられて赤くなった。

 花園先輩のヘルシー弁当はひたすら味が無くて、太りたくない女子の想いが詰められていた。逆に、大守さんのチーズパウンドケーキは甘いのにチーズの塩っぱさが良い具合に同居していて美味しかった。

  

 夜、皆が部屋に籠もった時間を見計らって弁当箱を洗う。

 「おやおや、桃次くんはいつからそんな少食になったのかね?」

 からかう様な親父の声が背後から聞こえてきた。

 (嫌な奴に見付かった…。)

 「弁当箱ひっくり返して親切なクラスメートが分けてくれたんだ!」

 嘘八百どころか八千。

 「オマエ、今日帰って直ぐに風呂に行ったろ?  

 臭いを消す為だな?」

 人間界に来て、花粉症になった癖にそれでも変に鼻が利く…先日も大守さんに「臭い」と失礼言ったばかりのくせに。

 「どんな娘だ?可愛い?美人?スタイルは?おっっっっぱいデッカイか??」

 グイグイと肩を押してくる。  

 「関係ないだろ?」

 そう言うと、「あ!」と言い捨て

 「桃姫さ〜ん!桃次がなんかエロい事してるみたいだよ〜?」

 大声で母を呼ぼうとしたので親父の頭の角を力一杯掴んで

 「先輩だよ!今朝、転びそうになったのを助けたお礼に弁当くれたんだ!」

 ザックリ真実を語る。

 親父は右足で左脹脛を掻きながら

 「ふぅ〜ん…まぁ、一応信用してやるけどな。あんまり深入りすンな?相手は『あやかし』だ。隙を憑かれるな?」

 大守さんの「淫魔」発言を思い出す。

 「親父…あやかしがそんなに悪いの?俺達だってあやかしじゃん。近寄っちゃいけないあやかしと、そうじゃないあやかしの線引きは何処でするんだ?」

 久々だった。親父に助言を求めるのは。

 親父は後ろ頭を掻きながら

 「心の隙を狙ってくるのが近寄っちゃいけないあやかしだ。お前みたいな不安定な年頃は狙われ易い。

 言っとくけど、ソイツは本物のあやかしとは限らねぇぞ?

 人間は心に小鬼を飼ってる。お前はまだ小鬼を捕まえられねぇからな。ヤベェと思った奴からは距離を取れ。

 桃美みたいにな。」

 小鬼から、悪鬼から身を護る為に親父は桃美に「学校に行かなくて良い」と言ったのだろうか。

 桃美は確かに学校に行っている間、みるみる痩せて弱っていった。

 色んな想いを抱えつつ俺は自身の部屋がある離へ行く為に外に出た。

 手には食事の乗った盆。

 離から少し離れた場所に桃の樹が周りを囲った護られている様に建つ大きな蔵がある。

 脚を向けるはその蔵。

 「ただいま。遅くなってごめん。

 今夜はアサリのバター焼きとほうれん草とベーコンのトマト煮ね。

 え?アサリは食べられない?もうおかず無いぞ?アレルギーじゃないなら食べてみなよ。海苔の佃煮も荒鮭ほぐし身もあるよ。まぁ、適当に食べなよ。

 俺は宿題してくるから。」

 俺はその盆を蔵の前に置く。

 皆で食べるのは美味しいと言っておきながら俺のやっている事は矛盾している。

 後ろめたい想いもある。

 きっとコレも桃美には見抜かれているんだろう。だから俺は桃美の眼を真っ直ぐ見られない。


 翌日、部活の朝練の為に早く起きて母の作る朝飯をかき込み、弁当を手に静かに玄関の扉を閉めた。

 家から離れた八つ目の駅で降り、いつもと違って人の居ないホームに降り、改札を潜って驚いた。

 制服姿の花園先輩が大きな紙袋を手に其処で待っていたからだ。

 「先輩も運動部ですか?」

 先輩は頬を染めて左右に首を振る。

 「鬼倒くんに…貰って欲しくて。」

 紙袋を差し出されて、昨日のダイエット弁当が過ぎった。

 「いや、頂く訳にはいきませんよ。

 俺、今日部活の朝練で急ぐので先、行きますね。」

 背中を向けようとした俺の手を先輩が取る。

 「全部…あげる。」

 先輩の言葉が俺の胸に火を付けた。火傷しそうで思わず熱い息を吐いた。

 先輩は俺の胸に紙袋を押し付けてきた。

 余韻の様に、その手を俺の胸に滑らせて

 「大好きよ。鬼倒くん…。」

 濡れた眼差しを向けられた。

 「俺…朝練…行きますんで。」

 正直、心は揺らいでいた。

 今すぐ振り返って先輩を抱き締めたい衝動に駆られたが駅を離れると不思議とその想いも消えた。

 「隙を憑かれるな」

 親父の真剣な眼差しを思い出す。

 学校まで走った。全て消し去る勢いでひたすら走った。

 「遅くなりました!」

 この事は大守さんに見抜かれない様にしないと…と変な勘が働いた。

 部活でひたすら走ると先輩から何かを渡された事などスッカリ忘れてしまえていた。

 朝練上り、ロッカーを見る迄。

 一年が使って許されるのは部活道具が置かれた棚。その隙間に道具の邪魔にならない様に置かなければならない。

 道具に寄りかかったり、道具の上なんかに置けばそんな荷物、床に容赦なく放り捨てられる。中には弁当が溢れて散乱していた奴も居た。黙って床の掃除をさせられたが後で奴は文句を言いながらパンを購買に買いに走っていた。

 こう言う理不尽が人間界ではまかり通る。

 学生だから、子供だから、じゃない。

 「人間」とは時にそう言う行動に出る。意味や理由や理屈や道理は俺には判らない。判る奴にだけ判れば良い道理なのだろう。

 俺はいつも荷物を床に置く。ゴミだと思って…とか、要らないのかと思って…と、ゴミ箱に捨てる先輩や、中を覗く先輩も居るが俺には隠す物はないので「あ、どうぞ。」と逆に差し出す。

 見てくれ、と言われると逆に見る気にはならないらしい。不思議な人間の心理。

 だが今日は違った。

 花園先輩から渡された紙袋の中身を覗いた先輩が嬉々とした悲鳴を上げた。

 「鬼倒〜!お前!下着泥棒でもやってんのか?」

 その一言を喰らう迄、本当に紙袋の事なんて頭の隅にすら無かった。

 記憶どころか先輩の指の感触すら鮮明に蘇る。

 俺は紙袋の中身に恐怖した。

 「どう言う事ですか?」

 先輩が愉しそうに紙袋から女性用の下着を引っ張り上げた。

 部室がドッと湧く。

 信じられない、と首を左右に振るしか無かった。

 言い訳が思い付く訳もない。

 趣味です。母親のです。妹のです。親父が下着泥棒なんです。電車の中で荷物がすり替わった…。

 どれも却下だ。

 「知らない女性に今朝、渡されました。中身は知りませんでした。」

 語る時は嘘の中にほんの少しの事実を混ぜると本当っぽくなる…と聞いた事はあったが嘘臭いにも程がある。  

 一層、花園先輩の名前を出した方が信憑性があった気がした。けれど、そこは彼女の沽券こけんに関わる。「知らない女性」としてあげるのが親切だと思った、が、先輩どころか、同級生も

 「コレは犯罪だし退部だろ…。」

 囁いた。

 俺はスポーツ特待で学校に入れてもらっている。入学の条件は退部しない事。両親やコーチ、担任の顔がチラついた。

 「つーか、いつも澄ましてる鬼倒も男だったんだなぁ。俺等の事見下してると思ってただけに笑えね〜。」

 (俺はそんな風に思われてたのか?)

 胸が捻られる様に痛んだ。

 「取り敢えず、先生に報告行ってくるわ。」

 部室の扉に手を掛ける三年の先輩の言葉を、カラカラになった喉に無理矢理唾を飲み込み潤わせながら聞いていた。

 「まぁ、落ち着けよ。古味も落ち着け。

 鬼倒。」

 キャプテンの声に跳び上がりそうになった。

 「はいっ!」

 「見知らぬ女って高校生か?」

 「判りません。」

 頭の中で女性像を創る。俺が知ってる女と言えば母親と妹位だ。それなら思い切り充分過ぎる程生々しくリアルに描ける。

 「判らんって何でだ?」

 キャプテンの言葉を待っていたかの様に詳細を語る。

 「ピンクと白のモコモコしたルームウェア着て、サンダル履き、毛先を巻いた女性が、ゴミでも捨てるように、『あげる。』と手渡してきました。」

 いつでも何処に行くのもサンダルな桃李、ピンクのルームウェアを着ている桃美、直ぐ、ゴミを「あげる」と手渡してくる桃恵、毛先を巻いた母に頭の中で手を合わせながら苦し紛れに言い放った。

 「ソレ、渡されたらフツー、中見るだろ。」

 「いや…俺の隠れファンで、実はプレゼントだったら良いな…と部活が終わったらじっくり見ようと思ってたんです…。」

 本当に急に降りてきた言葉だった。

 「フツーは中を見る」と言われるに決まっている、とは思っていた。だったら直ぐに見られない言い訳を考えれば良い、と。

 ドッと皆が湧いた。今度のは明らかに俺を受け入れてくれている空気のものだった。

 「鬼倒でもモテたいんだ?」

 「当たり前じゃないですか!」

 「実は下着で嬉しいんだろ?」

 空気は和んだ筈なのに居心地が悪い。

 「流石に下着は遠慮します。最初は相手をちゃんと知りたいですよ。」

 「やっぱりお堅いなぁ、鬼倒ちゃん。

 そこは『下着より中身が良い。』が正解だぞ?」

 先生に届けようとした古味先輩の言葉に「そうか、しまった〜!」と笑ってみせておいた。

 「鬼倒、コレは外には内緒にしといてやるよ。」

 キャプテンはそう言って自分のロッカーに紙袋を押し込んだ。

 「有難うございます!!」

 頭を下げた俺にキャプテンは耳元で

 「その代り俺が貰って良いよな?」

 と囁いた。俺は何度も頷いた。

 退学にならずに済むなら毎朝キャプテンの靴も磨くし、使いっパシリにだって喜んでなる。

 俺は胸を撫で降ろした。


 しかし、その日の三時限目の休み時間には俺が下着泥棒をしていると言う噂が生徒間で流れた。先生の耳に入るのも時間の問題だ。

 エセ狐め…と苦々しく思いながらヒトを信用した己の責任だと自分に言い聞かせる。

 遠くから大守さんの視線が突き刺さる。 

 直接問い詰められるより効く。

 「やってないからね!」

 言葉にすると物凄く嘘臭く、言い訳めいて聴こえた。己の耳にそう聴こえたんだから周りで聴いていた連中なんかはもっとそう思っただろう。

 「好きに思ってろ。」

 誰に言うでもなく吐き捨て、何もかもを投げ出した。

 もうすぐ先生から呼び出しが来て、部活も何もなくなるだろう。

 もし、そうなったら花園先輩が淫魔だと言い降らしてやろう。硬く拳を握って固く固く誓った。

 

 昼休み、何喰わぬ顔して花園先輩がやって来た。

 いつもの淫靡な筈の微笑みが今日は挑戦的に見える。

 「今日は外で食べない?二人っきりで。」

 「上等ですよ。」

 弁当箱片手に教室から出ようとする俺に大守さんが心配そうに声を掛けてきた。

 「アンタ…大丈夫なの?」

 「大丈夫な様にする為に闘ってくる。」

 正直、俺は怒っていた。

 眼球が熱くて堪らない。

 「頭から湯気がでる」とは良く言ったものだ。

 花園先輩はすれ違う男子生徒の視線を釘付けにしながら間を縫うように、何かを仕掛けるように、愉しそうに歩いていく。

 俺は古文の地味な痩せた教師が放つ独特の陰気な空気に身震いしただけで花園先輩の後を追った。

 散って枯れて、ゴミに姿を変えてしまった桜の花弁達が狭くなった肩身を温め合うように隅に寄り集まっている中庭。

 数人の生徒が寛いでは居るが各々のプライベートは護られているような間隔。

 俺も腰を降ろしたが先輩は立ったまま。俺を見下ろしている。

 「私の下着は?」

 先輩の一言目は「ごめん。」では無かった。

 衝撃と動揺で目の前が眩んだ。

 「キャプテンが持ってますよ。」

 「どうして?」

 俺は又、苛立ちの再来で憎々しく花園先輩を睨み上げた。

 「なんであんなもの俺に渡したんですか!俺が持ってたら可笑しいでしょ!?」

 花園先輩の表情に影が差した。

 「好きだから全部あげるって言ったよね?

 それをどうして他の人が持ってるの?」

 俺は勘違いしていたと、ハタと気付く。

 先輩は俺を陥れようとして下着を持たせたと思ったのは俺の早合点。

 アレは先輩からの贈り物で、勝手に見たのは二年の先輩。

 俺には花園先輩を責める権利は無い。花園先輩だって被害者なのだから。

 「部室にはプライベートな扉付きロッカーなんてありません。だから誰かに覗かれたんです。それで、俺が下着泥棒の疑いを掛けられました。」

 先輩も被害者かもしれないが俺は決して加害者では無い、と遠回しに言葉から気付いて貰おうと言い逃れた。

 「言い逃れた」の言い回しはオカシイが、それでも俺は被害者だ!と言葉にしなかっただけ自分はまだマトモだと、罪は無い、と言いたかった。

 「そうなの。そう言う事だったの。

 良かった。鬼倒くん、私を売ったのかと思って私、落ち込んじゃった…。でも、やっぱり鬼倒くんは私が想ってる通りのヒトだった。私、本当に鬼倒くんが大好きだから鬼倒くんを傷付けたりなんてしないから。」

 そう言いながら、先輩がやっと腰を降ろした。

 俺の直ぐ隣に膝を付いて俺の左手を取る。

 「鬼倒くんだけなのよ。」

 最初、俺には自分の左手が何を触っているのか理解出来なかった。

 触った事も無いし、知識も無い、未知の領域だった。

 しっとり濡れて温かい、俺の左手の行方が先輩のスカートの中に導かれていると判り、慌てて立ち上がろうとした俺の中心を先輩が弄る。

 「先輩!困ります!」

 「静かに!他の人達に勘付かれちゃうよ?気付かれる前にサッサとヤッちゃおう?」

 数人の甲高い笑い声が左側から響いて、右手校舎の壁に背中を預けて並ぶ低い声数人にも視線を走らせる。

 先輩は嬉しそうに、愉しそうに俺の中心を弄るが

 「駄目なんだ…。止めてくれ…。」

 俺の…身体は…

 「え〜…やだぁ。」

 残念そうな先輩の声が俺を批難している。

 思わず弁当箱をひっくり返して走り出していた。

 俺はもしかしたら不能なのかもしれない。重度の遅漏と言う可能性もある。 

 男として機能しない、なんて、これだけは知られたく無かった。

 世界中に向けて無茶苦茶に叫んでやりたい気分になっていた。

 俺の目の前を歩く名前も知らないコイツを死ぬまで殴り飛ばしてやりたい。

 通りすがりのこいつ等に一発ずつお見舞いしていったら…

 「モモジロー!」

 俺の眼に見えそうな程の怒気を無視した、隣のクラスの金髪ギャルが気安く声を掛けてくる。唯一、俺が下の名前で呼ぶ事を許す、お互い、下の名前で呼び合う仲、高屋敷 めぐる

 慈はいつものキラキラした色の付いた唇を引き上げ、ニカリと笑うなり俺の左手を取った。

 手を振りほどこうとしたのに、慈の力は強く、慈のされるがまま動く。

 やがて、左掌を慈はベロリと舐めて

 「ショードク!!」

 と、またニカリと笑った。

 「良い事あるよ!」

 慈はそう言って手を振って駆けて行った。

 慈には桃美とは少し違う「力」がある。力と言うか存在しているだけで運が開ける。そう言う奴。


 絶対、俺が不能だとか遅漏だとか言う類の噂が立つと覚悟していた俺には嵐の前の静けさを匂わせる程、何も無く放課後まで迎えた。これも慈の力か。

 家の玄関扉を開けると、奥の居間でワイワイ声が聞こえた。

 外で張り詰めていた気持ちが一気に緩む。

 「おかえり!ニイニちゃん!」

 桃恵が飛び付いてくる。

 桃恵は桃果が産まれてから少し赤ちゃん返りをしている気がする。俺としては大歓迎だけど…。

 桃恵を抱き上げるとチュウされた。

 愉しそうに微笑う桃恵に心迄擽られる。

 「早くご飯にしよ〜!お腹空いた〜!」

 桃李がスマホから顔を上げて台所の母を急かす。

 母は「今日は何の日〜?」と言いながら台所から大きな鍋を持ってきた。

 「「「カレー!!」」」

 桃士、桃美、親父が声を揃える。

 母がデッカイ鍋をテーブルの真ん中に置くと桃果が「カエーだ!カエーだ!」遅れて、はしゃぐ。  

 桃美と桃恵が皿とスプーンを、母が炊飯器を持って戻ってきた。

 うちのカレーはご飯つぎ放題、カレー掛け放題、自分でご自由にどうぞ!だ。なので、何故か一大イベントの様に弟達は盛り上がる。

 母は横でサラダを皆によそい、親父は、自分のにだけ恐ろしい量のデスソースを掛ける。

 「今日、桃李が三年の先輩振ったんだよ〜。」

 桃美が面白そうに話題を出した。桃李はそんな桃美の頭をはたき、

 「言うなよ!馬鹿!」

 と怒鳴る。

 「いつも、りーネエの浮いた話ばっかだけどニイちゃんはどうなんだよ?」

 桃士の言葉に喉が詰まりそうになった。

 「オニィはもっと大人な悩みを抱えてるからうちらみたいにワーワー喋らないの!」

 桃美はやはり見えているのだろう。桃士の言葉を斬る様に言って捨てた。

 「桃次郎は俺に似て男前なのにお洒落もしねぇし、走ってばっかだからモテねぇんだよ。」

 親父が付け足した言葉にカチンときた。

 「そんな、チャゲかハゲしかしない頭に手拭い巻く真似はしたくない。」

 妹達が一斉に笑う。

 「阿呆言うな!この間何かの芸人がしてるのも観たんですぅ〜。まだまだ被りファッションは廃れませんから!」

 親父は大人気なく反撃してくる。

 俺の膝の上で桃果も笑っている。

 「今日はね、ママ、急にお菓子焼きたくなってマフィン、桃果と焼いたの、ね?桃果。」

 桃果が口の周りにカレーテロを受けながら得意気に笑った。マジ天使!

 母は、台所からカラフルなマフィンを天板に乗せたまま持って来た。

 「早い者勝ちよ。」

 そう言う母の言葉を聞いて、親父はこれまた大人気なく一番にカレーを掻きこんでマシュマロとチョコレート満載のマフィンを手にガッツポーズを見せた。

 「桃姫さんの愛情一番取り〜!!」

 母は笑いを零した。

 桃李は猫が描かれたやつを、桃美はウサギを、桃恵はパンダをそれぞれ手にした。

 どんどん可愛いのが無くなる天板を見ては焦る桃果がグズり始めた。

 「桃果、ワンちゃんと、アヒルさんと、カエルさんが残ってるわよ?」

 桃果は首を横に振る。

 「桃果、ニイニに桃果が造ったのちょうだい?どれ?」

 桃果を見下ろすとまだ不貞腐れていたが、イチゴジャムが中に入って、上にレーズンが乗ったのを指差してくれた。

 「イチゴの赤が綺麗だね!コレ、半分こする?」

 桃果は無言で頷いた。

 「桃果はワンちゃん、アヒルさん、カエルさんは要らない?」

 桃果は少し考えて「カエウさんが良い…。」モジモジ呟いた。

 どんな時でもこうやって家族で解決してきた。

 なんとなく解決する方法は知っている。

 俺には家族以外の世界なんて、要らない。

 デコペンで黄色やピンクや白い華が描かれた物もある。

 片付けながら、軽くご飯を注いでカレーを上から掛け、白い華と、アヒルのカップケーキの二つとサラダを盛って盆に乗せる。

 「ご馳走さま、部屋に行くよ。」

 靴を履く俺の背中に桃美が

 「ニィ、もうそろそろ潮時だよ…。」

 意味有り気に呟いた。

 なんの事かは判ってる。背中を向けたまま、頷く。

 いつもの様に蔵に向かう。

 「今日は有難うな。良い事なのか、母がお菓子焼いてくれてた。お裾分けだよ。

 カレー、うちはチビが居るから甘かったらごめん。ポテトサラダは良い味だったよ。

 置いておくから食べてな。」

 それだけ独り言を呟くと立ち上がった。

 後ろで扉が開いた。  

 ひょっこり顔を現した金髪ギャルがニカリと笑って見せた。俺もつられる様に笑って、片手を上げた。

 全てが巧く行くなんて思ってないんだ。最初から。

 それでも夢見てしまう。整然とした何の問題も感じない未来を…。高望みなんだろうけど。

 今日の星も綺麗だ。口の中に吸込めたらきっと激しく弾けて全て忘れ去れる…そんな気がした。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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