三人目 座敷童子

 曾祖父母が亡くなった歳、一度だけ家族旅行と言うのをした。

 俺が五歳の事だった。当時、二歳の桃李と一歳の桃美、乳飲み子の桃士を抱えて、両親も良く思い付いたものだと思ったが若かったから出来たのと、曾祖父母を亡くしたばかりで、母の、曾祖母の故郷に一度俺達を連れて行きかったと言う想いが強かったから実現出来た事じゃないかと思う。

 両親は結婚して二年間子供が出来無かったそうで俺が出来た時は親父は泣いて喜んだと聞いた。

 それを物語るかのように幼い頃、親父には随分と可愛がられた記憶がある。

 力が強く、走っても速い、投げても飛ばすし、見てくれも若い。幼稚園に迎えに来てくれる親父が自慢だった。

 幾つから親父が鬱陶しくなり始めたのだろう。親父の「構ってちゃん」性質が嫌になったのは…。

 角で友人を傷付けた時、「人間として毎日を送ってきた自分がやはりあやかしだと現実を突き付けられた」その気持ちを汲むどころか、「角をプライドだと想え!」と発言した親父を恨みに思ったからか…。

 桃士は俺が親父に冷たいからか、反抗期を迎えてもおかしくない年齢の割に今でも親父とは仲が良い。だから俺は大いに親父に冷たく出来る。

 その旅行での話に話を戻すと、実は旅行と言っても酷く田舎だった事しか記憶に無い。

 テーマパークがある訳でもなければ特別な観光スポットがあるでもない。だから場所は残念ながら記憶していない。

 ここで、鬼の曾祖父、陽溜ひだまについて語ろう。親父の祖父に当たるが見た目は親父の兄貴と言っても可笑しくない程若い。それでも六百年以上生きているだけあって知識は豊富だし、何より漢字に詳しい。幼少期、歌人からことばを習ったと言う陽溜の語録は時代背景を引き連れてとにかく多く広い。

 陽溜はアクセサリーを作っている。金銀銅から革製品に至るまでデザインして造る。陽溜にとって、宝石は品物を造るのに使える物ではあるが、絶対に必須ではない。絶対に必須としてしまうと血眼になって求めてしまうからあくまで執着しない、その程度の物だと言う。それでも、人間界に来た時なんかは親父や俺が買物に連れて行くとアクセサリーどころか電器の傘やドアノブに至るまで眼を奪われてワァワァ言うのだから見せ甲斐がある。きっと美術館なんかに連れて行った日には「此処に住む!」と言いかねない。それだけ鬼ノ国には物が流通していない。文化も遅れている。都会だなんて鼻で笑える。それでも「良いんだよ。」と陽溜は言う。物が無ければいけない世の中にしてはいけないのだと。せめて鬼ノ国だけでも今のままが良いのだと。

 鬼の子供は夏になると日がな一日河で遊ぶのだそうだ。一時間幾らとか、混んでないかとか、心配も要らない。

 だからきっと母は此処を旅行先に選んだのではないかと思う。ガタガタ震える電車から降りて一番はしゃいだのは親父だったからだ。

 何も無い景色にガッカリしたのも束の間、親父は眼をランランと輝かせ森の中から昆虫を採って見せてくれた。そう言うのはゴキブリしか知らない俺は怖がったけど桃李が興味津々、手を伸ばしていたのには度肝を抜かれた。

 早速見付けた河で、親父は人目もはばからず裸になった。

 やがて俺も裸にされて、泣き喚く俺を構わず抱えて親父は深い翠を目指して泳いだ。

 「自然の力には俺達は遠く及ばねぇ。身体で覚えろ。」

 そう言って親父は俺に息を深く吸う様に言い、河の中に潜った。

 泣いていては死んでしまう!と咄嗟に呼吸を整え、親父の手をしっかり握り、親父に連れられるまま潜った。

 親父に肩を叩かれ川底を指差された時に見えた光景は初めて見る世界で、俺の知らない世界で、世界とは一つではないんだと感激した。

 陽光が川底を照らして光る。輝く。

 反射した魚も輝く。

 やっと水面から顔を出して、何度も呼吸を整える俺に、親父は

 「生命の美」

 だろ?

 歯を剥いて笑った。

 人間の母にプロポーズした時に自分の鬼歯を抜いた親父の左右の歯の隙間が擽ったかった。

 それから俺は怖がる事なく無料の河で時間を気にする事なく思いっきり遊んだ。

 桃李と桃美は浅瀬で石を集めたり水を掛け合って遊んでいた。

 母は冷やしているスイカの番をしながら愛しそうに俺達を眺めていた。

 何も無い俺達の何物にも買え難い幸福な時間。幸福とはお金ではない事を教えたかったのだと今になって想う。

 冷蔵庫ではなく、河で冷やしたスイカを初めて食べたが冷蔵庫ではないのにとても冷たくなっている事に感動した。桃李が「冷蔵庫要らないね!此処で冷やせば良いんだもん!」と言って笑わせてくれた。

 種はその辺に吹き飛ばし、皮は土に穴を掘って埋めた。

 「悪い事だよ。」

 ってヒヤヒヤしながら親父を止めたが、親父は歯を剥いて晴れやかに笑いながら

 「生き物は全て土から産まれて土に還るんだ。こいつはゴミじゃねぇから良いんだよ。」

 と教えてくれた。

 あの時の親父の笑顔は今でも俺の胸で咲き続けている。

 鬼の教は単純明快で、嘘偽りや駆け引きなんて無くて…だから間違え易いのだと親父も陽溜も言う。

 欲しい物は自分で捕る。一歩間違えれば「盗る」になる。

 「鬼は欲に忠実だから腹八分目くらいで良い。」

 俺を肩に乗せながら親父は語った。

 親父も陽溜も俺が見る限り、人間より無欲な様に感じる。無料の河で思い切りはしゃいで河で冷やしたスイカで満足し、親父が河で獲った無料の魚を母が焼き、「頂きます。」と魚に手を合わせ、「旨い、幸せ、嬉しい」と、全身で笑って喜ぶ親父。簡単に言うとやはり「単純」なのだ。

 俺はその旅行中、旅館に泊まったと思っていたが母曰く、曾祖母の親戚の家に泊まらせて貰ったのだと言う。つまり、今回の旅行で掛かった旅費は交通費のみ。一切現金を持たない、現金を嫌う親父らしい旅だった。

 しかし、其処でも、親父は電灯を磨いたり、屋根裏からネズミを追い出したり、年寄りには手の届かない仕事を張り切って動き回っていた。つまるところ、鬼の世界の「等価交換」だ。母は親父が戻ってくるまでいつまでも座って待っていた。

 俺は親父がガタガタしているのを座って待っている事が出来ず、フラリと出歩いた。

 とある一軒家、目を見張る程の大豪邸。

 しかし、人の気配は無い。

 門構えから中の様子を伺うと、縁側に座るおかっぱの少女が退屈そうにしているのが視えた。

 俺より少し歳上だろうか…?

 「何してるの?ここの子?」

 そう言うような事を聞いたと思う。

 「私、座敷童子なの。

 ここの老夫婦はもう年老いちゃって都会に住まう娘夫婦の元に行っちゃった。

 この家も売りに出すんですって。

 折角栄えさせても結局人はこうして家を捨てる。なんかもう…そういうの馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。」

 そう言う、着物のおかっぱ娘に興味を持ったのは同じあやかしだったからか理由は判らない。唯、この娘を独り此処に残す事が正しいとは思えなかった。そう、彼女は座敷童子だった。人間界にあやかしが存在する事を知った瞬間でもあった。

 親父のモットーは等価交換。一番、座敷童子には縁遠い家庭だ。うちを栄えさせて貰おうと言う裏があった訳じゃない。

 言っておくけど、親父は年がら年中遊び呆けてる訳では無い。

 頭の中は年がら年中お遊びで夢中だが、一応、表向きは「祈祷師」だ。

 うちの、鬼倒の「キトウ」を「祈祷」と勘違いしたものやらうちの先代が鬼を倒した桃太郎である事から縁起が良いとされたものやらそう言う噂はネットで簡単にあっという間に広がる。そして、全国から、様々な悩みを抱えた人が助けを求めてやってくる。

 中には本当に誰かのねたそねみによって厄災に悩む人もいる。そう言う場合は親父の出番だ。

 人間が産む妬み嫉み恨みと言った邪心が具現化した物を俺達は「小鬼」と呼んだ。

 親父はソレを捕まえる事が出来る。

 母は、先代桃太郎の鬼を斬る刀の正統継承者だ。ソレで母は小鬼の角を斬る。小鬼は死んだ訳じゃ無い。角だけになって影に消える。親父はソレを集めて陽溜に引き渡す。陽溜の仕事は鬼ノ国で小鬼の面倒を見る事。上手い具合に効率よく流れる家族内作業だ。

 親父は鬼ノ国を捨て、自分の祖先達を斬り殺した憎き桃太郎の家に婿入りした。

 理由は一つ、母に一目惚れしたから。

 そして、婿としてこの家に入ってから小鬼捕獲の事業を思い付いた。

 それでも金銭は受け取らない。

 お礼は米や果物、野菜、缶詰…。

 これには母方の曾祖父母も母も頭を痛めたそうだ。何度も親父をスーパーに連れて行き、物が欲しい時にはお金が必要だと教えた。しかし、親父は納得しない。

 「肉をこんな風に切っちまうから有難みを感じねぇんですよ!ちゃんと自分で捌かねぇと!」

 そう言って、人間界の親切ルールを批判した。

 うちは曾祖父母の年金で細々と生活していた。

 座敷童子も手を貸すつもりは無かった様で、うちは一向に裕福にはならなかった。

 座敷童子には先代桃太郎を筆頭に、鬼と闘った御先祖の刀や遺品の眠った蔵を住まいとして与えた。

 座敷童子は将来の夢を「モモジローのお嫁さん!」と言っていたが、俺が中学に上がった頃から人間に憧れて「ギャルになりたい。」と言い出した。俺の嫁より随分と夢がリアルになったものだ。

 そして、俺の高校入学が目前に迫り始めると「高校入学には金が掛かる」と言う現実を目の当たりにして漸く親父のファンタジックなオツムも覚醒したらしく、ある日突然、相談者に「そんなモンより金をくれ!」と言い出した。

 「金をくれ!」なんて、出来の悪い子供が親に言うセリフだと思っていただけに想像を絶する程、相談者も驚いたに違いない。

 唯一の収入源だった曾祖父母が亡くなって年金が絶え、沢山の子供を抱え、母はどうやってやりくりしていたのだろう。いつも穏やかに微笑んでいた母の見えない努力には恐れ入る。

 だから俺達のおやつはいつも手作りだった。親父は知らずと楽しそうに喜んでいただけだったが…だからこそ母も微笑っていられたのかもしれない。

 まぁ、なんせうちは裕福ではなかったが、不幸だったと思った事はない。

 座敷童子のお陰か、両親の質素でも幸せと言う教のお陰か。


 俺が高校に入学して、先ず驚いたのは座敷童子も同じ高校にちゃっかり入学していた事だ。

 おかっぱだった髪を金髪に染めて巻いた髪をポニーテールに括っている。 

 「どうやって入学した?これ、どうやって買った?」

 派手にメイクしている座敷童子の顔を指差し眉を潜める俺の肩を叩きながら座敷童子は

 「私が富と名声の座敷童子ちゃんって事忘れないで〜?

 ちなみに、私の事は高屋敷慈ちゃんって呼んでネ!」

 歌う様に言った。

 タカヤシキメグル…。

 こうして、一居候から彼女は俺の同級生へと昇格した。

 慈の周りでは不思議と揉め事が起こらなかった。入学式早々、品定めの様にコソコソクラスメートをリサーチするうちのクラスと違い、隣は慈を中心に盛りがっていた。

 入学式二日目から慈には仲良しグループが既に出来、愉しそうにスクールライフを送っている。

 コソコソヒッソリと身を潜める俺とは大違いだ。こんな俺だが慈が自慢だった。

 学校ですれ違う度に、手を振ってくる彼女にコッソリ微笑って手を振り返した。

 それでも家では互いのプライベートゾーンには入らない様にしていた。

 公私混同するのが気恥しかった。俺には慈が自慢だが慈にとって俺は自慢の存在とは到底思えない、「あんなのが知り合い」と思われるのが怖かった。

 

 いつもの様に、トラネ、ウシネ、ネネの三人娘が力試しに親父の元へ来て手合わせをしている隙に、台所から食事を拝借し、いつもより早く慈の蔵へ脚を向けた。

 花園先輩の一件のお礼をまだ伝えていなかったからだ。

 ほうれん草とツナのマヨネーズ和えと、野菜たっぷり味噌汁、鮭のチーズ焼きにマッシュポテトが添えてある。缶詰のパイナップルを開けて、それもサービスした。

 蔵の扉をノックすると、暫くガタガタと音がしたが、いつもの金髪頭が顔を出した。

 「先日は有り難うな。」

 盆を差し出すと、「良いって事よぉ!」あっけらかんと応えてくれた。

 「久々に中に招待してあげようではないかっ!」

 大きく開かれたドアの隙間から大きな姿見と派手なピンクのカーペットが見えた。

 適当に鴨居にハンガーを掛け、色んな服が吊ってあるがどれもこれも見覚えがあった。

 桃美のルームウェア、桃李のロングパーカー…。特に桃李の服が目立った。

 「この服…」

 指差すと、慈は小さなテーブルに盆を置き、手を合わせて早速食事を口に放り込み始めた。

 「あれ、何年前かなぁ。桃美が持って来てくれるようになったんだわ。」

 やはり桃美は慈の存在を知っていた。

 「桃美と話した?」

 「無論。桃美は私を『座敷童子ちゃん』って呼んだよ。

 『ニィは女の子の必要な物に気付ける性格じゃないから欲しいの言って』ってさ。

 ツナとほうれん草オイシ〜!」

 辺りを見回すと、母が勉強机として使っていた物がスッカリドレッサーと化していた。

 ヘアゴムやシュシュやヘアピンが並び、色とりどりのメイクパレットまである。

 「これらは?」

 「桃李の使わなくなったやつ!流行遅れのカラーだって桃美がくれた!

 ヘアピンは桃美の。

 桃美は本当に良い子だよなぁ。」

 しみじみ語る慈に「そうだろ?」って自慢したくなった。

 それと同時に桃美の「潮時」発言を思い出し、首部を垂れた。

 「ねぇねぇ!私の話、聞いてくれる?」

 俺と違って慈はキラキラした眼で俺を見詰める。

 「何?」

 「アタシ、自分の全力を試してみたいヒトに出逢っちゃった!コレ、運命だよ!

 アタシの力が勝つかあっちの力が強いか…。自分の限界が知りたいのさぁ。」

 左手で俺の手をバシバシと叩く。

 「好きなヒト?」

 小首を傾げると、「う〜ん…」と唸り

 「そーかも。運命の…一生を共にしてみたい手放したくない存在だねぇ!」

 慈の一言に、完全に俺のお嫁さんになりたい夢はもう捨ててしまったのだと改めて知った。

 「色々、助けて貰ったし…俺も力を貸すよ。」

 笑顔を向けると、歯に葱が挟まったままの慈がニカリと笑った。

 それからは成績の話をしたり、得手不得手な授業の話をして、まるで学生の…唯の学生の様な話題で盛り上がった。


 空になった盆を手に外に出ると、此処まで重い音が響く程本気の取っ組み合いをしているのだろう四人の姿を描いた。

 桃の樹の隙間から覗いてみた。

 親父は珍しくつんつるてんの金棒を手にしている。

 良く描かれるオニの金棒には、「星」と呼ばれるトゲトゲがある。

 しかし、それは「一人前」だと認められなければ貰えない優れた鬼の証なのだそうだ。

 親父は認められる前に人間界に住み着いた。なので、一見太目の金属バットみたいな金棒なのだ。

 親父は手にしていた桃の種を投げ上げ金棒でソレを地面に打ち込んだ。

 親父の能力であり、鬼らしくない手口。親父は植物を自在に成長させられるのだ。

 何も知らないトラネが高く跳び上がり親父目掛けて踵を降ろした。

 土の中から枝が伸び、トラネの脚に絡み付き、トラネはすっかり逆さ吊りになった。

 親父はまだ集中して樹を成長させ続ける。

 ナニカを察したウシネが飛び上がったが伸びたつるがウシネの身体に巻き付き樹にそのまま貼り付けにした。

 豊満な身体が締付けられて露わになったが見ないフリをした。 

 慌てるネネの頭に熟れ過ぎた桃の実が落ちた。

 「いや〜!臭いですぅ〜!」

 「離して下さいですの!」

 「にゃ〜んっ!パンツが見えるにゃっ!」

 (パンツを恥ずかしがるなんてトラネも成長したなぁ。)

 しみじみ思いながら、カラカラ笑う親父にも迂闊にもだいぶ動きを取り戻した様だと感心してしまった。

 「どうだ?『参りました』と言え!」

 親父の阿呆丸出しの嬉々とした声が響く。

 「うにゃ〜……。」

 悔しそうなトラネの唸り。

 俺は他人事だとそのままに、その場を離れた。

 

 翌日、教室に入るや大守さんから五芒星が描かれた木の札を渡された。

 「淫魔に取り憑かれてるアンタを見てたら可哀想になってきたから…武士の情けでソレあげる!」

 陰陽師のお護りなのだろう。

 「幾ら?」

 「はぁ?あげるって言ってんだから貰っときなさいよ!

 此処で金額言うと私の誠意が消えるでしょ?」

 いつもの天邪鬼の大守さんが強気に俺の手を振り解く。

 「有難う!大守さん!俺絶対大切にするっ!」 

 薄っぺらな木の板で造られたソレは何よりも強固な気がして心強かった。

 「私の手造りだもん…効かないかもしれないわよ?」

 不貞腐れた様に大守さんが俯いてボヤく。

 「ううん、効かない訳ないよ!凄い心強いし!」

 微笑う俺と違って大守さんは最後まで俯いて頬を膨らませた顔をしていた。

 その日は大守さんのお護りが効いたのかお昼、花園先輩が来る事は無かった。

 大守さんも俺の席に自分の弁当を持って来ながら

 「珍しい事もあるのね…。」

 と呟いた。

 大守さんは今日は大量のクッキーを焼いて来ていた。

 宿題も、(花嫁)修行もあるのに良くこんな暇があるものだと感心する。

 「クッキー…凄いね〜!」

 素直な感想を口にすると

 「クッキーじゃなくてビスケット!!」

 また、天邪鬼な応えが返ってきたが俺にはクッキーとビスケットの違いが判らない。

 最近ではお菓子をくれる大守さんにはお礼に飲み物を買ってくる様にしている。俺なりの等価交換だ。

 「ミルクティーで良いんだよね?」

 大守さんが小さく頷くので販売機まで走った。

 「あ〜、君ぃ。」

 医務室の前で白衣の校医に呼び止められた。

 「なんですか?」

 この人は何度も何となく眼が合う事があった吊り目なのに何故かぼんやり見える不思議な女性だ。

 「歩き方がおかしいな〜と思ってぇ、右足、怪我してなぁい?」

 自覚が無かった。

 右足を上げてみるも痛みも何もない。

 「特に変わった所はありませんが…。」

 そう言った矢先、外側の筋がピリッと張ったのを感じたが言わないでおいた。

 「それなら良いのよ〜。おかしくなったら来てね〜。湿布は沢山あるから好きに持ってって〜。」

 「診てあげるから」ではないのか…と脳内でツッコミつつ頭を下げてその場を去った。

 ミルクティーと、ブラックコーヒーを手に二階に上がる。

 信じられない様子を眼にした。

 大守さんの周りに数人の女子の人だかりが出来ていた。

 「え〜!大守ちゃん!このクッキー超美味しいじゃ〜ん!」

 「大守ちゃんってお菓子作り好きなの?」

 「マジ売れるよ!コレ!!今度お金出すから作って〜!」

 大守さんは真っ赤になりながら困惑した顔を見せながら

 「お金なんて要らないわよっ!簡単だしっ!私…作るの大好きだからいつでも作るわよっ!」

 俺に言うより少しおとなし目に、でもやはり天邪鬼な口調で、彼女達に対応した。

 「良かった〜。大守ちゃんっていつも鬼倒くんとしかつるまないから喋ってくれないのかと思ってた〜。」

 「ね〜、良かったら私達とも遊んでね〜。」

 「また、お弁当一緒に食べよ〜!」

 彼女達はそう言いながら手を振って大守さんから去っていく。

 他人の事なのに嬉しくてニヤけた。

 唇を噛みながら大守さんの元へ歩み寄る。

 「お待たせ。」

 席に着くと大守さんはさっきの四割増不満気な顔を作った。

 「俺も貰って良い?そのクッキー。」

 笑いを殺しながら大守さん曰くビスケットを指差す。

 「だからっ!!」

 大守さんは大声をあげたそうにしたが、唇を尖らせて

 「食べれば?」

 と、続けた。

 母の作るクッキーよりバターが多い気がした。なるほど、コレがビスケットか…。

 「いい感じで話せてたね?」

 軽く微笑って見せた。ギロリと大守さんが睨みつけてきた。

 あ、怒鳴られる!と思ったが意外や意外、大守さんは

 「アレで良かったのかなぁ。もっと親しみ易い返しが出来たんじゃないかな…。私、下手くそだから…もっと盛り上がれたら良かったのに…変な子って思われてたらどーしよ…。」

 思いがけない大守さんの悩みに心が擽られた。

 しっかり椅子に腰掛け

 「良いと思うよ?今度は作ってくるねって次に繋げたじゃん?俺、偉いなって思ったもん。何だかんだ言って大守さんもフツーの女子高生なんだな。」

 大守さんの眼がまた光る。

 「フツーってどう言う事よ!?」

 「俺もそうやってスムーズに会話出来る様になると良いなぁ…なんて思った。」

 本当に羨ましいって思えた。この新しく湧き上がった感情が嘘になる前に行動に移せたら良いなって。

 

 部活上がりのいつもの時間。薄暗くなり始めた中、玄関の扉を開けた。

 「おかえい〜ニイニ〜!」

 愛しの桃果が親父に靴を履かせてもらっていた。

 「何処行くんだ?」

 目の下で動いていた手拭い頭が俺の視線を持ち上げ、俺の頭の上に位置する。

 「其処のスーパーに。

 桃果がどうしても今日はハンバーグが良いってんで肉買いに行く所だ。」

 「じゃあ、俺が行こうか?」

 親父は少し考えた様子だったが財布を俺に託すと「任せた!」とサッサと靴を脱ぎ始めた。

 桃果と二人きり手を繋いで歩くのはどれ位ぶりだろう。ずっと陸上陸上で遊んでやる暇が無かった事がじわじわ胸に押して来る。

 「桃果、ハンバーグ食べたくなったの?本当はお母さん、何作ってたの?」

 桃果は小さな歩幅で懸命に俺に付いてきながら

 「ちちんあいす。」

 と答えた。母の事だからケチャップで可愛い絵とか描く気満々だったんだろうな。

 「チキンライス、桃果、好きじゃん。なんで嫌だったの?」

 桃果は唇を尖らせて

 「もはね〜、おともらちほしかったの〜。」

 突然呟く。

 桃果は自分を「もは」と呼ぶが本人はちゃんと「ももは」と言えている気満々、可愛い半端ない。

 「ふん?」

 桃果は

 「れも、ととは『めっ!も〜はちゃん!かえぃますよ!!』っておこったの〜。」

 と続けた。

 別に友達くらいでそんなに怒る事ないだろうに…。

 「それでストライキなんだ?」

 桃果はスカートの裾をギュッと握って小さく頷いた。

 何にだって理由はあるんだ。

 親父も一方的に言わずにちゃんと桃果の主張を聞いてやれば良かったものを…。

 「それはととが悪いな!ニイニは桃果の味方だからととに言ってあげる!」

 桃果が明るく笑った。

 「鬼退治みたいに?

 ももたお〜みたいに?

 えいやってすゆ?」

 うちの「制裁」の基本はやっぱり桃太郎なのだ。こんな幼い桃果迄使うのだから浸透しまくってる。

 笑い声を立てながら頷く。

 「えいや!するよ!約束。」

 二人きりの片道20分ちょっとのデートを楽しんだ俺の幸せ時間も家に帰ってたった5分で撃沈する。

 桃果が友達になりたいと言っていたのは男の子だと親父から聞いたからだ。

 「桃果、桃果にはぴょん子ちゃんやガー太郎くんやケロリもいるでしょう?男の子は裏切るけどぬいぐるみは裏切らない!傷付く前に止めなさい!」

 いつの間にか立場が親父サイドになった俺を桃果は叩いて批難した。

 「自分はかーちゃんと年中チュッチュやってるクセに娘には異性の友達作るなとか言える?アンタ等のイチャイチャ見せられるのだってこっちにすりゃセクハラだよ。」

 スマホから桃李が顔を上げて最もな事を言う。

 「おだまり!桃李ちゃん!?言っとくけどお前達は父ちゃんが母ちゃん大好き過ぎたお陰で出来た父ちゃんの上質なタンパク質の塊なんだから有難く思いなさい!

 男の子の友達が欲しい?女の子が大好きなデーズニーのプリンセスシリーズ見てみろ!み〜んな動物さんと歌歌って仲良くしてんじゃねぇかよ!お友達は動物まで!」

 親父の理不尽な屁理屈がまた始まり俺は台所に母の手伝いに行く。

 「そんなん言うなら男だってある意味動物じゃんか。」

 桃李の過激な発言に桃恵が笑う。

 「ウサちゃんとあひるくんとカエルちゃんだけで良いって〜の!桃李もだぞ!お前が一番心配なんだよ!年頃の男子のツチノコ達に近付くんじゃねぇぞ!?」

 「またセクハラ〜!母ちゃん!父ちゃんがセクハラ言う〜!」

 居間から桃美と桃士の馬鹿笑いが聞こえてきて母が俺に困った顔を見せる。

 「こっちは良いから誰もが納得する一言を長男として神言、よろしく!!」

 母はそう言うと俺の肩をポンと叩いた。

 なんとも肩の荷が重い仕事だろうか。

 母はもうハンバーグを焼き始めている。

 「俺は、妹か友達か取れと言われたら友達なんか要らない。」

 居間に座っていた親父含める四人のイタイ眼差し。

 喜んで来てくれたのは桃恵。

 飛び付いて、顔中にキスをくれた。最高のプレゼント、有難う!!

 これがいつの日か「思い出したくないから言わないで!」とか言う日か来るのだろうか…。

 桃果は不満気に唇を尖らせたまんまだったが桃恵と一緒に抱っこして、

 「ニイニの一番は桃恵と桃果って事だよ〜。」

 と言うとちょっとだけ微笑ってくれた。

 「ニイちゃんも考え方キモい人だからなぁ〜。うちってなんでこうまともな大人が少ないんだろう。陽溜が一番まともだよね。」

 「私も〜!陽溜が父ちゃんだったら良かったのにねぇ〜。」

 「俺も〜!陽溜優しいし面白いし色々教えてくれるし頭オカシイ事言わねぇし!!大好き!」

 軽く傷付いた。妹が好き過ぎるだけなのに「キモい」と言われてしまった…。

 親父は大人気なさをフルに活かし桃李と言い合いを始めた。俺は傷心の中、妹達のふっくらほっぺに挟まれて暫しの癒やしを味わった。

 その夜、別アカで「妹か友達か取れと言われたら妹を選ばせてくれない世の中なんか滅べ!!」という内容をSNSに投稿したら見た事も無い桁の「イイネ!」があって、心が震えた。本当の友達は実はネットの中に居るのかもしれない…。

 

 

 

 

 

 

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