十四杯目
夏の終わりと言うのはいつも唐突に訪れる。つい昨日まで玉のような汗をかいていたはずなのに、気づけばしとしとと雨が降り、長袖に薄手の上着を羽織るくらいがちょうどいいような気温になってしまう。
雨音を聞きながらぼーっとしていたあめは、その寒さに少し身震いをした。
「甘いもの飲みたいなぁ」
身体が温まるようなものがいい。
あまり今までこういう風なことを思わなかったからか、メニューにはそういう飲み物はない。甘くできるものと言えば、カフェオレとミルクティーくらいなものだろうか。もう少し、何かがあってもいい。
平日の昼間ともなると、お客さんは殆どいない。
――今なら。
あめは身体にふっと力を入れて立ち上がると、壁にかけてあった薄手のカーディガンを羽織った。ユニクロで買った、灰色の安いやつだ。
冷蔵庫の中にある甘いものは、デザートを作るのに使うフルーツやチョコレートくらいだろうか。砂糖は珈琲に入れる用のものとシロップを作る用のもの、それにお菓子用のものと色々あるからそっちは困らない。それよりは、メインとなるほうだ。いまいち、店にあるもので新しい飲み物を作るビジョンが沸かない。
――ココアだと、お湯で割るのでないと作るのは難しいし。
かといってうんと甘くしたカフェオレという気分でもない。
「うーん、どうしようかなぁ」
どうにもいまいちぱっとしない。何か、全然系統の違うものを身体が求めているのだ。
書置きを残して、あめは店を出た。
冷蔵庫に向かってうんうん一人で考えていても埒が明かない。それなら、ちょっと買い物がてら散歩をすればいいのだ。適当にスーパーを回るのもいいし、意外とコンビニに並んだペットボトルや缶の飲み物もアイデアの元になる。実際に自分でも楽しみたくて作った結果メニュー入りしたものだって沢山あるのだ。
傘を差すと少し大きめの雨粒があたって心地のいい音がした。少し寒いけれど、案外悪くない。ブーツで水を蹴りながら、少し上機嫌にあめは街を歩いた。
あめは近所のコンビニに入ると、レジの前を通り過ぎて暖かい飲み物のコーナーの前に立った。とは言え夏が終わってまだ間もない。殆ど補充されていないらしく、缶コーヒーとミルクティーくらいが精々だった。
――冷たい方も。
おにぎりやサンドイッチを横目に、奥へと歩く。冷蔵庫から溢れた冷気が身体を冷やして、あめはまた少し震えた。
冷えた飲み物の方は冷蔵庫に扉がついているから、幾分マシだった。お酒とか、エナジードリンクもあるけれど、今はそういうものが欲しいわけではない。コーラとか、カルピスとかも少し違う。
――あ。
あめの眼に止まったのは、どうやら最近色々な会社が売り出しているらしい抹茶オレだった。これならホットにも出来るし、抹茶を用意すればすぐに作れる。
硝子の扉を開けて、あめは一本抹茶オレを取り出す。珈琲メーカーのものと緑茶メーカーのものがあったけれど、なんとなく珈琲メーカーの方の抹茶オレにした。多分、馴染みがあるような気がしたのだ。普段はペットボトルの珈琲なんて飲まないのに。
「ありがとうございましたぁ」
会計を済ませてコンビニから出る。レシートを仕舞い、抹茶オレの蓋を開けた。ちゃんとした抹茶を飲んだのはもう随分前だけれど、匂いはそれっぽい。若緑を一口二口と含んで、なんだかすこし幸せな気持ちになる。元々は温かい飲み物が飲みたかったはずなのだけれど、甘いというだけでも違う。美味しい珈琲を飲んだときとは、少し違った幸せだ。
三分の一くらい飲んだところで、あめはまた雨降る道を歩き始めた。
「結構おいしいなぁ」
抹茶オレ片手に進むのは、少し人通りの多い道だ。行く先は、普段紅茶を買っている店。あそこは紅茶だけじゃなくて、緑茶や抹茶も売っているのだ。お茶なら大抵あそこへ行けば揃ってしまう。尤も、珈琲について言うならあっちの店だって同じようなものだ。マイナーな産地の豆でも言えばどこからともなく仕入れてくれるし、コピ・ルアクとかも平然と置いてある。高いけど。
大通りの交差点を右に曲がって、坂を上がる。
――そろそろ人が来る時間かな。
時計を見ると、案外時間が経っていた。少しだけ歩調を速めて、あめは坂の上にこぢんまりと店を構えた馴染みの店に入った。
「いらっしゃい」
初めて来たときから変わらない、店主のおばあちゃんが不愛想に言った。
「抹茶、ありますか?」
「珍しいね」
「ええ、少しやってみたいことがあって」
あーたんとこは喫茶店だろう、とおばあちゃんは顔を上げた。あめは頷く。
「ケーキの味付けかい? それとも、本当に抹茶を出すのかい?」
今度はふるふると、左右に首を振る。
「抹茶オレ、作ってみようと思うんです。気温も下がって来たし、温かいものでも、と思って」
「なるほどねぇ。それなら出来るだけ細かいのがいいね。篩はあるね?」
「あります」
立ち上がったおばあちゃんは、抹茶と書かれた紙の貼ってあるところから、一つ缶を取り出した。
「これがいいね。でも抹茶てのは量がない。メニューにするならもっと量が要るよ」
ふるふると、缶が振られる。中の抹茶がサラサラと音を立てては車の音に消されていった。
「ひとまず、自分で試作してみようと思って」
「そうかい。また必要になったら言いな。幾らでもある」
「ええ、そうさせていただきます」
おばあちゃんが電卓をたたく。ディスプレイには八百二十と表示されていた。サイズにしては案外値段がするような気もするけれど、他の抹茶も概ねそれくらいか、もっと高いようなものが多い。スーパーとかで買えばもっと安いのだろうが、この人がこれがいいというのだ。多分、これがいいのだろう。そういうのも含めて、今度スーパーの安い抹茶でやってみればわかる。
小さいビニール袋に缶一つ入れたあめは、外に出ると路地裏に入った。少し残っていた抹茶オレを飲み干してビニールに入れると、一気に空に飛びあがった。そろそろ戻らないといけない時間なのだ。
店の前には、高校生くらいの女の子二人が立っていた。見られないように少し離れた位置に降りて、そこから走って店に向かう。
「すみません、お待たせ致しました。狭いですが、お好きなところにどうぞ」
ポットの乗ったコンロの火を点けて、簡単な下準備をする。
それから――小さな鍋を取り出してコンロに乗せた。
早速、抹茶オレを試作しようと思うのだ。篩にティースプーン三杯分抹茶を落として、鍋の中に落とす。適当な量お湯を入れて軽く泡立ててから、これまた目分量で牛乳を入れる。色がそれっぽくなったところで止めて、コンロに火を点け温める。ミルクティーと同じで、沸騰しないくらいで止めるのがいいだろう。あっためているあいだに、砂糖もティースプーン四杯分くらいをたっぷりいれて、あとは混ぜるだけ。
初めて作ったにしては、意外とそれっぽく出来ている気がする。これで味がよければいいのだけれど。
「抹茶オレですか?」
「はい。…………作ってみようと思って」
「え! それって頂けます?」
「ええ、構いませんよ」
「じゃあそれと、カレーで」
「私も」
「かしこまりました」
カレーに火を点けて、温める。抹茶オレの方は、ひとまず自分のマグカップに注いで飲んでみる。
「あ、意外と」
味も悪くない。
もう一口だけ飲んで、あめは鍋をシンクに置く。それから同じ鍋をもう一つコンロに出して、今度は抹茶を六匙入れた。
「おいしかったです! 抹茶のやつも!」
「それはよかった。――抹茶オレは試作品なのでお代は結構です。なので、六五〇円ずつになります」
外はまた雨が降っているらしい。雨音が店内にまで聞こえてきていた。
お代を受け取って、二人を店の外まで見送る。
「ごちそうさまでした! また来ます!」
「おそまつさまでした。ぜひお越しください」
二人が角を曲がって道に出たところで、あめはもう一度店内に戻った。
それから席に一つずつ置いてある手書きのメニュー表を一箇所に集めて――
『抹茶オレ――――――700』
また一つ、書き足した。
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