十三杯目
「おめでとう!」
小さな店の中で、小さな魔女が声を上げた。カウンターには、あめの知らないどこかの高校の制服に身を包んだ男の子が座っている。対するあめは、カウンターの内側でケーキを作っていた。
男の子は、嬉しそうに珈琲に口をつけた。
「もうだめだと思ってたんですけど、なんとか」
そう言って、へへと頬を掻く。
あめは男の子の名前も知らない。ただ、一ヶ月に一度か二度ほどお店に来てくれる。だから、顔は覚えている。
前に来たときは、不安そうな面持ちでこれから受験なんです、なんて言っていたけれど――
「そっか、よかったなぁ」
そうしたら、この子も大学生になる。
「今日も美味しいです」
珈琲に顔を落としていた男の子は、不意に視線を上げた。男の子の目は、とても澄んでいるように見える。
「よかった。――はやいなぁ」
ついこの間まで大学に行っていた気がするのに。きっとすぐに老けて、絵に描かれるような白髪で皺々な魔女になる。それはそれで、ちょっと面白いかもしれない。
ケーキをオーブンに入れて、あめは自分用に淹れた珈琲を飲んだ。それで、カップは空っぽになってしまう。
「卒業式はいつなの?」
さっき淹れた珈琲の香りが、まだ店の中には漂っていて、あめの鼻を刺激する。もう一杯、珈琲を飲みたくなった。
「卒業式は来週です。そうしたら――」
この子も大学生なのか。
そうしたら、自分も歳を取る。そのこと自体には何にも抵抗は無いけれど、なんだか不思議な感じがする。あれだけ長くて苦しいようだった一年が、こんなにも早く感じるようになるだなんて。
なんとなくいつもと違う味が飲みたくなって、棚の奥にあるお店で出す用のとは別の豆を挽いてネルに入れた。二日前か三日前にお客さんにプレゼントしてもらったものだ。
「大学では、歴史系を勉強しようと思ってるんです」
「どんな歴史?」
お湯を珈琲ポットに移して、ちょっと残ったお湯は自分のカップに注いでおく。
「あの、ここへ来るようになってから、魔女っていうのが気になり始めて。それで、魔女裁判とか、魔女狩りとか、中世でそういう風に呼ばれているものがなんだったのかなっていうのを研究したくて」
数滴、お湯をネルの中心に垂らして中を蒸らしていく。
「いつの時代も、異端っていうのは嫌われるものだよ」
「え?」
「ううん、こっちの話」
程よく蒸れたら、今度は少し注ぐ量を増やして、珈琲を抽出していく。
「そういえば、どうして魔女珈琲店っていう名前を付けたんですか?」
ぽたぽたと小さな音を立てて、紅い珈琲が雪平鍋に溜まっていく。集まれば真っ黒に見えるけど、そのほんの一部分を見ると、珈琲は紅い。
「どうしてかな」
「もったいぶらないでくださいよ」
――だって、本当のことは言えないから。言ったら、君も。
ちょっとだけ、昔のことを思い出した。
あめは、雑念を振り払うように頭を振った。綺麗に切りそろえられた髪が、薄暗い店内で揺れる。
「魔法みたいな時間を過ごして貰えたらなって」
そう思ったのは、それは嘘ではない。本当でも、ないけれど。
「あめさんは、魔女って実在すると思いますか?」
「どうして?」
お湯を注ぐのを止めて、全部落ち切る前にシンクの方へネルを移す。豆は捨てて、ネルはぬるま湯で洗ってやる。
「一定数、魔女は実在するんだ、なんて書いてある記事があるんですよ。例えば、図書館とか、インターネットにも自分は本物の魔女だって名乗る人が居ました」
そうやって自分が魔女だと言って名を売る人も、確かに居たような気がする。超能力とか、もしくはハンドパワーみたいな、そんな感じだ。魔法ですと言って、テレビに出たり。
自分だって魔女なのだから、超能力はあるのだろうし、ハンドパワーもあるのだろう。みんな嘘だというけれど、常識が真実とは限らない。
「私は、魔女は居ると思うよ」
「それまた、どうして?」
「魔法があったほうが、なんだか夢があるじゃない?」
――私の夢は。
あめの一番最初の夢は、魔法があったがために潰えてしまったけれど。
「確かに、空を飛んだり、火とか水とか、なんだかファンタジーっぽいですよね」
「自分の知らないものが存在しないものだとは限らない。教科書や論文に書いてあることが全部じゃないんだよ。案外、魔女は目の前にいるのかもね」
まさかぁ、と男の子は笑う。それから、あめの淹れた珈琲を一口飲んだ。もう冷めてしまっているだろうか。
「でも、埋もれた歴史の中に本物の魔法使いが居たら、もし僕がその痕跡を発見出来たら、なんて思うとワクワクしてきます」
「埋もれたのか、埋められたのかでも変わってくるけどね。不思議な力、面白いじゃん」
ちょっと冷めてしまった珈琲を少しだけ魔法で温めて、カップに注ぐ。ほら、こんなところにも魔法が、なんて、ちょっと意地悪なことを思った。
「もし魔女が居たら、本当に魔女が居たとしたら、この世界の見え方も変わってくるのかな」
珈琲を口に含むと、珈琲の香りと、うまみ、それから苦みが来る。その奥には酸味がいて、バランスは丁度いい。今日はちょっと美味しく淹れられた。
「でも、ちょっとくらい常識が変わったって、世界がガラっと変わることなんてそうそう無いよ。特に、生活に直接支障が出ないようなことならね。――魔法を使える人達の生活はガラっと変わっちゃうかもしれないけど」
「どうして?」
「だって、魔法が使えない人達は便利な力を利用しようとするか、自分たちとは違う魔法を使える人達を差別するか、兎に角、線引きされてしまったら、きっと私たちはそれまで通りにはいかなくなってしまうから」
言ってから、ちょっとまずかったかな、と思う。
「そんな、酷いですかね」
「うーん、人類の歴史っていうのはそうやって出来上がってるのかなって」
強者が弱者を駆逐する、みたいな。この場合強者というのは、所謂多数派の、魔法の使えない人達だろうか。高校の頃の歴史の授業でそんな話を聞いた覚えがあった。あれは何年前になるのだろう。
「なんか、あめさんってなんでも知ってるみたいですね」
「そんなことないよ」
あめは、ちょっと笑った。冷蔵庫からプリンを出して、珈琲と一緒に食べる。本当はあんまりよくないのだろう。でも、甘いものが食べたかったのだ。
「ごちそうさまでした」
いつの間にか珈琲を飲み終わっていた男の子が、両手を合わせてそう言った。
「お会計?」
「お願いします」
随分と、余計なことを話してしまったような、そんな気がする。お金を受け取って、おつりを渡す。
「じゃあ、また来ます」
「お待ちしてます」
カラカラと音を立てて扉が開いて、ゆっくりと閉まる。
――あれ?
「忘れ物だ!」
カウンターの上に、小さな硝子玉みたいなものが置いてある。魔法とは違うけれど、なんだかちょっとヘンだ。
魔法ですぐに手の中に収めて、ぱっと外に出る。時間的にはまだ通りにも出ていない――はずなのだけれど。
ほんの数秒前にお店を出た男の子は、もうどこにも居ない。路地の奥、突き当りの方を見ても、居ない。
「行っちゃった……今度かなぁ」
「今、貰ってもいいですかあ?」
男の子の声だ。前でも、後でも、横でもない。上だ。
「わっ、誰かに見られたら」
「それが無いと暴走しちゃうんですよね。今コントロール出来てないんです。おろしてもらってもいいですか?」
「ええっ、大変」
男の子を包んで、ゆっくりと地面に下ろし、それから手に硝子玉を握らせてあげる。
「ふう、すいません、油断してました。忘れた場所が魔女さんの喫茶店で助かりました」
肘やら膝やら、あとは首やらをポキポキ鳴らして、男の子は身体の様子を確かめた。
「……まあ、これでお互い様ということで」
「……そうですね」
「また来ます」
「ええ、お待ちしてます」
男の子は、指を鳴らしてどこかへ消えた。
あめには、男の子の力が何なのかはわからない。ただ、自分の使う魔法とは何か別の、それでいて一部の人にしか使えない特別な力だというのは解る。魔法以外で、そういうものを見たのは初めてだ。
でも、なんだかああいうトラブルも、ちょっと楽しい。
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