十二杯目
開店前の店の中で、あめは一人サンドイッチを作っいた。調子に乗って夜遅くまで本を読んでいたせいで寝坊したのだ。朝食も食べずに着替えだけして家を飛び出して、買い出しを済ませて、それからお腹が空いて今に至る。
ケーキはまだ作っていない。サンドイッチを食べてから作ろうと思っているけれど、出来上がる前に人が来てしまったらと思うと、自分の飯など作っていていいものかとも思う。でも、朝食を抜くと全然頭が働かないのだ。
これで頭が働かなくて調味料の分量を間違えたらいけないと適当な言い訳を考えながら、あめは手際よくパンにハムとレタスとチーズを挟んだ。
口にサンドイッチを咥えながら、ポットに水を入れて火にかける。普通にコンロの火だけで沸かしていたのでは時間が掛かるから、サンドイッチを左手で持って、空いている右手でポットに魔法を掛けた。ものの二、三分で水は沸騰する。
――沸騰はするけれど、そんな勢いよく沸かそうものなら、ポットの口からじゃばじゃばと熱湯が噴き出ることになる。
「わっわあっ」
さっと火を弱めて布巾で濡れたカウンターを拭く。
散々な朝だなあなどと思いながら、あめは豆の入った瓶を持ち上げた。
豆の入った瓶を床に置いて、ふうと息を吐く。あれから三時間くらい経ったけれど、案外寝坊しても何とかなっている。だからと言って毎日この時間でギリギリに動こうだなんて全く思わないけれども。
普段から、客足が一旦収まるこの時間帯にまとめて洗い物をするようにしている。勿論隙間時間にちょこちょこ洗ったりはしているけれど、お昼時にいらっしゃるお客様の料理を作ったり、珈琲を淹れたり、などとやっているとすぐに洗い物が溜まってしまうのだ。
まず、とりあえず何より、カップとソーサーを洗って、洗剤をしっかりと落としてタオルで優しく拭く。そして、後の棚に並べる。これを何度か繰り返し、ホット珈琲用は終わり。
次は、アイスコーヒー用だ。アイス珈琲は硝子製のグラスで出すようにしている。アイスが硝子のイメージなのはそうだけれど、それはそれとして、自分が自分の淹れた珈琲の色を見たいと言うのが一番大きい。あの赤い色を見るのが好きなのだ。
これも、一つ洗っては洗剤を落として、丁寧にタオルで拭く。一つ洗ってはと言ったって、そんなに大量に出ているわけではないけれど。もうすぐ寒くなるし、アイス珈琲を沢山飲むようなこともあるまい。
それにしても、である。久々に寝不足という感覚がする。小学生や中学生の頃は毎日のように寝不足になっていたけれど、改めて大人になって体感してみると、あの時思っていたよりも余程辛い。体力が衰えたのだろうか。一つ一つ単純な動作をしようとするごとに、ちょっとした睡魔が瞼を襲うのだ。時々、気づいたら何を考えていたのか判らなくなったりして、そういえば寝不足というのはこんなものだったな、と思う。
「あっ」
だから、寝不足は困るのだ。すぐ、手許が狂う。
――割れちゃった。
久々に硝子を割った。取り敢えず、元々グラスだった硝子片だけを魔法で宙に上げる。――自分で使っておきながら、なんて都合のいい魔法だろう、などと思うけれど。硝子片だけ宙に上げたら、あとはそれを全部不燃ごみのところに入れるだけ。
それにしても、どうにも今日は上手く行かない。それこそ、毎日のように遅くまで魔法の練習をさせられていた頃は、身体に鞭を打って毎日を過ごしても大丈夫だったのに。
どうなのだろうか。自分は、弱くなってしまったのか。確かに最近は、自分を甘やかしていた節があるけれど。
「まあいいか」
あめはそう言うと、ふうと溜息をついて別の洗い物に手を付けた。
なんだか、本当に散々な一日だった。
寝坊して、熱湯をカウンターにまき散らし、グラスを割って、さらにあの後お皿まで割った。おまけに鍵をかけ忘れて、せっかく片付けをして家に帰る途中だったのに一度引き返す羽目になった。
そんなことをしていたから、あめが家に帰ったのはもう日付が変わろうかという頃だった。
うわあと情けない声を上げながら、着替えもしないでそのまま布団に倒れこむ。別に、特段いい布団でもない。所謂煎餅布団と言う奴だけれど、あめは気に入っている。
こんなことがあった日にはさっさと寝てしまおうと、あめはすぐにシャワーを浴びて歯を磨いた。それから、満を持してもう一度布団に倒れこむ。
――グラスとお皿、どうしよう。
灯りも点けていない部屋の中央付近をぼーっと見て、そんなことを思った。
でも。
「そんな日もあるよなぁ」
そんな日も、あるだろう。
だから、目を瞑った。きっと、明日の自分が考えてくれるだろうと、酷く無責任で適当なことを思ったのだけれど、それでもいいような気がしたのだ。
小さな魔女は、そのまま眠った。明日はきっといい日になると、明日もまた沢山珈琲を淹れようと、未来のことを考えながら。
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