十杯目

「最近告白して、それでOK貰ったんです」

 中学生くらいの男の子がそう言った。店には、その男の子と、それからあめの後輩の穂波が、店の奥でずっと恋愛の話をしている。

 そういえば、穂波はそういう話が好きだったっけか。あめも、大学生だった頃は彼氏がどうのとかそういうことを聞かれたものだ。学科が一緒だったわけでも、サークルが一緒だったわけでもないけれど、あめが働いていた喫茶店によく来ていて、そのままあめが店を出してからはこっちにも来るようになったのだ。

 穂波の前に珈琲を置く。

「あんまり困らせちゃだめだよ」

 あめはそう言って珈琲の上にホイップクリームをたっぷりと載せた。――ウィンナー珈琲という奴だ。発祥の店に行って許可を取ったわけじゃないから、ウィンナー珈琲と呼んでいいのか判らないけれど。ただ、そもそもが裏メニューなのだ。表には書いていない。

 それから、ホイップクリームの上に砂糖を掛ける。

 余程の甘党なのか、あっちで働いていた頃からこれを作ってくれと言っていた。

「でも、他人ひとの恋愛の話気になるじゃないですか」

 穂波はそう言ってスプーンでホイップクリームをすくって食べた。

「あ、あの、僕もこれ飲んでみたいです」

 男の子はそう言ってウィンナー珈琲を指さした。

「かしこまりました」

 カップを出して、お湯を入れておく。

「あめ先輩はやっぱりまだ彼氏出来ないんですか?」

「出来てません」

 出来ていないと言うのか、作る気が無いと言うのか。あまり自分からそういう風な関係になりたいと思うことも無いし、何より今はこの店のことで手一杯なのだ。

 そういう意味で言うなら、あめが人生で一番恋をしたのは珈琲ということになるのだろうか。

「でも、あめ先輩大学の頃って結構告白されてませんでした?」

「されてないと思うけど……」

 そんな記憶はない。

「それあめ先輩が鈍感なだけじゃないですか?」

 そうなのだろうか。昔から、人一倍他人の感情には敏感だと思っていたけれど。魔力が、人間の感情に作用されやすいのだ。勿論、そもそもの性格としての部分もあるのだろうけれど。

「穂波ちゃんはどうなの。新しい彼氏とは上手くやってるの?」

 ネルに挽いた豆を入れて、温めておいた器の上でお湯を垂らす。

「まあそれなりに。もうすぐ三か月です」

 ということは、穂波が前に来たのは三か月前と言うことになるのか。月日は随分と早く過ぎるものだなと思う。気づけば上着を着るような季節になってしまったのだ。

 ポタポタと紅い珈琲が落ちていく。少しずつ少しずつ重なって、そうして黒くなっていく。

「あ、あめさんで、いいですか?」

「ええ、勿論」

「あめさんは、その、中学生で人と付き合うのってばかばかしいと思いますか……?」

 不安そうな顔をしていて、目の焦点はどうしてもあめとは合わない。これは、敢えてそうしているのだろうか、それとも。

 溜まった珈琲をカップに移してホイップクリームを出す。ショートケーキを作るときに使う軽いホイップクリーム。その日作ったケーキによって、ウインナー珈琲に載せるクリームの種類が変わる。

 あくまで、裏メニューなのだ。裏メニューと言うか、そもそもどこにも書いていないけれど。

 砂糖を掛けながら、漸くあめは問に答えた。

「私は、ばかばかしいなんて思いません。好きになるも嫌いになるも、その人の自由ですから。他人を普通じゃないと言うことだって、ね」

 誰かが誰かの考え方を決められるなんてことは、絶対にないだろう。それこそ、魔法でも使わない限り。

「自分に正直に、好きな人に好きだと言えるのは素敵なことだと思います」

「あめ先輩、彼氏いたことない処女のくせにいいこと言いますね」

 穂波の頭を軽く叩く。

「こら!」

「えて」

 男の子は、それでも不安げだった。

「何がそんなに不安なのさ」

「不安っていうか、なんていうか……」

 どうにも、釈然としない。

「全然関係ないですけど、あめ先輩って好きな人もいたことないんですか?」

「え? うん。小さい頃からずっと忙しくて、殆ど友達と遊ぶこともなかったし」

 そういう感情を抱いたことは、殆ど無い。

「おまちどうさまです」

 男の子の前にウィンナー珈琲を置いて、あめは椅子に座ってふうと一息ついた。

「美味しそう」

 男の子はそう言ってクリームごと珈琲を啜った。

「ちゃんと幸せに出来るかなって、なんか不安になっちゃって」

 男の子はそう言って、また珈琲とクリームを一緒に啜った。

「少年よ、他人の幸せの前にまずは自分の幸せからだぞ」

 穂波はそう言って、男の子の頭をガシガシとやった。ガシガシやると髪の毛が落ちるから、あまり好ましくはないのだけれど。

 それから、ウィンナー珈琲を一気に飲み干して、デートに遅れちゃうと言って穂波は店を出て行った。

「あめさんは、どうしてもらえたら幸せになれると思いますか?」

「うーん、幸せ――か」

 今の一番の幸せはなんだろうか、と思う。

 こうしてお店を出せていることだろうか。それとも、色々な人と関わりながら話が出来ていることだろうか、それとも、大好きな珈琲を淹れながら暮らしていることだろうか。

 どれも、なんとなくだけれど、幸せな気がする。

 だったら。

「幸せって一つじゃないんじゃないかなって思います」

 そう言ってみる。

「私は、恋愛をする余裕が無かったから、恋愛をしたことがないし、わからないけど」

 ――きっと色々な幸せがあるだろうと思う。

 男の子は、少し冷めただろうウインナー珈琲をズズズと啜った。

「そういえば、これってどうやって飲むのが正解なんですか?」

 ズズズ、ズズズ、と少し残っていたらしいホイップクリームを男の子は啜った。

「私にも分かりません。お好きなように飲んでいただければと思います」

「そういうものなんですか?」

 男の子はそう言って時計を見た。

「僕もこの後デートなんです」

 それは、いいことだろう。

「その子のこと、幸せにしてあげてくださいね」

 あめはそう言って、自分で珈琲を飲もうと思い豆を挽いた。

 普段お店ではあまり珈琲は飲まないけれど、中学生の男の子の恋愛というのは、どうにも甘すぎたらしい。

 男の子の、はいという元気な返事が聞こえた。

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