四杯目

 店の中に音が響くほどに、強い雨が降っていた。時折、ゴロゴロと雷も鳴っている。

 こういう日は、頭が痛くなる。頭が痛くなるからと言って、店を閉めるということは無いけれど、どうしても少し憂鬱な気分になってしまうものだ。

 ――雨の音は好きなのだけれど。

 こんなときは、珈琲を淹れて飲むのが一番だ。

 憂鬱なときほど、好きなことをするに限る。

 棚の奥の方に仕舞ってあったお気に入りのマグカップを取り出して、ひとまずお湯を入れる。

 暫く店で自分のためにちゃんと珈琲を淹れていなかった。


 パチッ。


 部屋の照明が落ちた。雷がどこかに落ちたのか、或いはそれ以外の原因での停電なのだろうか。このままコンロの火を点けておくのも怖いから、ひとまずガスを止める。

 そういえば、前に雑貨屋に買い物に行ったときに、可愛かったからキャンドルを買ったはずだ。確か、棚の中に仕舞った。

「このへんだっけ」

 ――あった。

 ビニールの包装を破り、一緒に買った燭台に載せてカウンターに置いてみる。

 それから、指先にほんの小さな火の玉を作って、芯に火を移した。

 淡い光が薄暗い店内を照らす。電気の照明も嫌いじゃないけれど、こういう火の光も好きだ。こうやって燃えている炎は、魔法で作っただけの炎とは違って生きているように見える。

 魔法で作った人何が違うのか聞かれても、解らないけれど。


「あ」


 珈琲を淹れようと思っていたのだった。

 お客さんも居ないし、面倒だから魔法でお湯を沸かす。さっきと同じように指先に火の玉を作って、それをポットの底面に当てるのだ。

 お湯がぽこぽこと沸いている感触が手に伝わってきたら、火の玉を消してネルにお湯を注ぐ。豆からぽこぽこと泡が出て、ゆっくりと琥珀色の珈琲がカップに落ちる。

 雨は相変わらず強いらしいし、電気も全然復旧しないけれど、それでも淡く照らされた店内は穏やかだ。蝋燭は時々風で揺らめいて、店の中の明るさもそれに呼応して少しずつ変わる。

 椅子に座って火を見ながら珈琲を飲む。偶にはこういう日があってもいいかもしれない。


 パチっと音がして、電気が点く。蝋が溶けてだいぶ小さくなったキャンドルの火を消してカウンターの隅に置いた。

 マグの中に少しだけ残っていた珈琲を一気に飲み干してシンクに置いた。

「あっ」

 冷蔵庫を適当に冷やすのを忘れていた。だいぶ涼しくなってきたから大丈夫だとは思うけれど、ケーキは大丈夫だろうか。

 ひとまず冷蔵庫の外にケーキだけ出してみて、冷蔵庫の中は魔法で冷やす。

 ケーキを一切れ切り、お皿に盛り付け、それから自分で一口食べてみる。

 ――大丈夫そうだ。

 今日は、シャインマスカットがちょっと安かったから、それでショートケーキを作った。

 ケーキを一切れ食べて、あとはすべて冷蔵庫に戻す。味が劣化しているというわけでもなさそうだし、今から新しく作るほど材料がない。店員が他に居るなら材料も買ってこれるかもしれないけれど、何せこの店は自分ひとりでやっているのだ。

 ――でも。

 ひとりでやろうと思ってこのお店を始めたのだ。狭いお店だし、誰かを雇えるほどの余裕もない。

 まあ、一人で自由気ままにやろうと思うのだ。


 店の扉が開いて、珍しく三人一緒に入ってきた。

 その内の二人は所謂常連で、もう一人は初めて来てくれる人だった。

「いらっしゃいませ、お好きなお席に」

「どうもね。俺珈琲とケーキで」

「僕もそれでお願いします」

「えっと、僕は――」

 三人が席に座る。

「メニュー、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 珈琲を淹れる準備をする。

「いや、もう雨が強いんすよ、外」

「さっきまで停電してましたものね」

 ポット一杯に水を入れて火にかける。

「あ、僕もホットコーヒーと、ケーキで」

「かしこまりました」

「そう、停電で作業もへったくれもないから、せっかくだし珈琲でも飲もうと思ってきたんすよ。後輩連れて」

 わざわざありがとうございますと言いながら、豆を挽く。

「あめさんは停電してる間何してました?」

「私ですか? 蝋燭の火を眺めながらお客様に出す用の珈琲を少々……」

 あめはへへ、と頬を掻いた。

「それじゃ僕らの飲む分が減っちゃうじゃないですか」

「大丈夫ですよ、沢山買ってあります」

 瓶に詰めた珈琲豆を持ち上げて、三人に見せた。

「そら安心だ」

 さっき洗ったネルをもう一度ぬるま湯で濯いで水をしっかりと切る。

「ネルドリップなんですね」

「ええ、こっちの方が私が好きなものですから。でも、お詳しいですね」

「前に一度凝って自分でもネルドリップで淹れてたことがあって。でも、使い方がいまいちちゃんとわからなくて美味しく淹れられなかったから辞めちゃったんですけど」

「お前が珈琲詳しいとは知らなかったな」

 珈琲好きなんすよと、後輩らしい人が言った。

「じゃあ、こいつに一番ウマいの淹れてやってください」

「かしこまりました」


 丁度三人がケーキを食べ終わって、珈琲を飲み終わったころに雨は上がった。

「雨、止みましたね」

「なんかそれ、あめさんがしんどくなってるみたい」

「昔は雨の日に学校行くのが嫌いでした」

 そうでなくても魔女だからと、何か言われるのに。

「小学生ってのは幼稚ですからねぇ」

「先輩も昔は小学生だったんすよ」

 みんな昔は子供です、と言いながら空いた食器を下げる。

「私だって昔は子供だったんですよ」

「あめさん俺らより若いでしょ」

「そうでした、へへ」

「そんじゃお勘定お願いします」

「かしこまりました。えーっと、三人ともケーキと珈琲なので千三百円ですね」

 小さな窓から見える雨上がりの外は、別に晴れ間が見えているということもなかった。たぶん、また暫くしたら降り出すだろうと思う。

 でも、雨は嫌いじゃない。雨が降っていたって、好きなことは出来るから。

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