二杯目
お昼を過ぎてしまえば、殆どお客さんは来ない。
だからその間に、メインのケーキ以外のお菓子類――紅茶シフォンケーキとかプリンとか珈琲ゼリーとかそういうものを作ってしまう。
お昼にお客さんが来るかと聞かれたら、別にそれほど来るわけじゃないけれど、それでも近くで働いている人がお昼を食べに来てくれたりする。
とりあえず――あめは冷蔵庫から卵を取り出した。
シフォンケーキを焼いて、プリンや珈琲ゼリーを固めて、というのを平行してやっている間は、ちょっとした休憩時間のようなものだと思っている。平日のこの時間は、大体本を読んで過ごすのだ。それは普通の小説だったり、新書だったりもするし、あるときは魔導書だったりもする。
狭い店の中を紙をめくる音が満たして、時々それに抗うように、どこか遠くの方から街の喧噪が聞こえてくる。
そして、その均衡を壊して、店の扉は開いた。
「いらっしゃいませ、狭いですけれど、お好きなお席にどうぞ」
あめは文庫本を閉じてカウンターの端に置いた。
スーツに身を包んだ女性だった。片手には上着と鞄が提げられていて、少し癖のある髪は後ろで一まとめに結ってある。会社勤めなのだろうか。
女性が座った場所にメニューとお冷を置いて、あめはオーブンの中のシフォンケーキを見た。入れたときよりも、当然だけれど、幾分膨らんでいる。
「あの、サンドイッチとホットコーヒー、頂いてもいいですか?」
「サンドとホットですね、かしこまりました」
伝票に書き込み、冷蔵庫の中を見る。
「珈琲はお食事と一緒がよろしいですか、それとも、食後にいたしますか?」
「ええと、じゃあ食後でお願いします」
「かしこまりました」
ひとまず、野菜、ハム、それからスライスチーズを冷蔵庫から出す。
「食べられないものはありませんか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
それならば、とあめは早速レタスを切り始めた。
「おひとりでやられてるんですか?」
「はい、私一人です」
「こんなところにお店があったなんて、わたし知りませんでした」
それは、そうだろうと思う。横道に入って、さらに覗き込まないと看板も何も見えないのだ。インターネットで調べてこの店が出てくるのかあめは知らないけれど、勝手に出てこなんじゃないかと思っているし。
サンドイッチを皿に盛りつけて、女性の前に置く。
「お待たせしました」
女性が少しだけ微笑むのが見えた。
「美味しそう。いただきます」
女性がサンドイッチを口に含んだのを見てから、あめはネルを取り出した。ぬるま湯で洗い流して、しっかりと水分を切る。
「それはなんですか?」
「これですか? これは珈琲を淹れるのに使うんです」
「紙じゃないんですね」
「味が、こっちのほうが好きなものですから。ネルドリップっていうんです」
ペーパードリップが好きだったら、ペーパードリップで淹れていたと思う。
ポットに水を入れ、あめはそれを火にかけた。金属製のポット特有の音が、今度は店を支配する。
「私、こういうお店初めて入ったかも」
豆を計って挽く。
「探せばありますけど、かなり少なくなっちゃいましたから」
昔はもっとあったのだろう。尤も、あめにしたってまだまだ二十三歳、昔を語れるような年齢でもない。けれど、なんとなくそんな風に思うのだ。
ネルに挽いた豆を入れて、ゆっくりと抽出していく。
「ここに来たのも何かの巡り合わせなのかなぁ」
女性はそう言って、サンドイッチを口に入れた。
「お客様は何をなさってるんですか?」
「私? うーん、なんて言ったらいいのかな。まあ、普通の会社員なんですけど、うーん、なんだろ。まあ、会社の事務的なことです」
ふんふん、とあめは相槌を打った。
「私も、本当は夢があるんです」
そう言うと、女性はスマートフォンを取り出して操作し始めた。どうやら、写真を探しているらしい。
女性は調べている間に、サンドイッチをすべて食べ切った。
「珈琲です、どうぞ」
カップを置いて、サンドイッチのお皿を片付ける。
お皿を洗うよりも先にネルを洗って、それからお皿も洗い始めた。本当は今すぐに洗う必要もないのだけれど、あとで面倒くさくならないとも限らないのだし。
「こんな感じの服を作って売るのが夢なんです」
女性はそう言ってスマートフォンの画面をあめの方へ向ける。
洋服のデザイン画だった。
――とても、かわいい。
「すごい、私、いつかその夢が叶ったら必ず買いに行きます」
「そ、そうですか? そう言ってもらえると嬉しいです。今は働いてお金をためて、それでいつか、いつか、こういう服を売るお店を出したいなって」
女性がえへへと笑う。
「いつかきっと、夢を叶えてくださいね」
カップとお皿を洗いながら、ふと魔女は自分の身体を見た。
身長が低くてしかも線が細くて弱々しいのに、胸だけが大きい。ただでさえ、身長が低いと服があまり似合わないのに、ちぐはぐな身体のせいで、結局最低限着られればいいと思うようになってしまった。本当は、もう少しおしゃれな服を着たいとも思うのだけれど。
そんなだから、自分の身体はあまり好きではない。だからと言ってこの身体を捨てることが出来ないというのは、よくわかっている。どんなに魔法で姿を変えたって、結局それはその人に他ならないのだ。
いつかあの人が自分のお店を持って、かわいい洋服を売るようになったら――そのときは、こんなちぐはぐな身体でも合うような服を作ってもらおう。
そんな風に思って、魔女は少し微笑んだ。
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