一杯目

 カラカラと音がして店の扉が開く。

「いらっしゃいませ、お好きな――あ、峯山さん、こんにちは」

 どうも、と言った峯山は、狭い店の一番奥の座席に座った。どうやらあの席が気に入っているらしいのだ。

 峯山の前に冷たい水を置く。

「ホットとケーキでよろしいですか?」

「ええ、お願いします」

 週に二回くらい、仕事終わりに店に寄ってくれる。そのときは、毎回温かい珈琲とケーキを食べてくれる。

 ネルの水分を拭き取り、それから豆をはかって挽く。淹れる前にカップを先に用意して、お湯を入れてカップを少し温める。

「ホットとケーキと言うと、どうもホットケーキと混ざってしまいますね」

「あはは、そうですね。ホットケーキは出さないんですか?」

「私の気分です」

 あめはそう言うとカップの中のお湯をシンクに切った。

「私はあなたの気分に救われているわけだ」

「救うだなんてそんな」

 そんなことはあるのさ、と峯山は言った。

 ネルにさっき挽いた豆を入れて、カップの上で少しだけお湯を注いで豆全体を蒸らす。

「この頃ね、どうもうまくいかないんですよ」

 全体が蒸れたら、ゆっくりとお湯を注いで丁寧に淹れる。

「うまくいかない、ですか?」

「ええ、最近は企画の依頼もめっぽう減ってしまいましたから。世間はIT化だのなんだのと言いますけどねぇ」

 よくわからないんです。そう言った。

 ゆっくり、ゆっくり、赤い色の珈琲がカップに落ちていく。少しずつ、少しずつ。

「私も、この通りです」

 あめは、スマホもパソコンも持っていない。何か連絡したいことがあれば手紙を書くし、買いたいものがあれば人に聞いたり本を読んだりして調べて自分で足を運ぶ。ときに通販限定などというときには、人に頼んで買ってもらう。

「ツイッターっていうんでしたっけ。あれでもやったら、もう少しお客さんも増えるのかな」

「あめさんの淹れる珈琲は美味しいから、すぐですよ」

 大体カップの五分目あたり。もうあと少し集中しないといけない。

「私に珈琲の淹れ方を教えてくれた人がそういうの得意なんですよ」

「へえ、お師匠さんですかね」

「そんな感じです。私の珈琲を美味しいと言って下さるなら、あの人の珈琲はもう腰が抜けちゃいますよ」

 あんなに美味しい珈琲は、あそこ以外で飲んだことが無い。

「そんなにですか。いや、あめさんが言うんだからそんなになんだろうなぁ」

 淹れ終わった豆を捨てて、一旦ネルを置く。

「お待ちどうさま、珈琲です。今ケーキも出しますね」

 朝作って冷蔵庫の中に入れておいた林檎のタルトを出して切る。

「そら毎日作ってるんですか?」

「ええ、毎日作ってますよ」

 形が崩れないようにお皿の上に載せる。一番緊張する瞬間と言っても過言ではないような気がする。――いや、過言か。一番緊張するのは、なんだろう。

「毎朝買い出しに行って、食事も仕込んでケーキも作って、すごいなあ」

「でも、やりたいことですから」

「やりたいことを出来るのがすごいんですよ。…………うん、美味しい」


 峯山は、いつもケーキをとても綺麗に食べる。

「ごちそうさまです」

「おそまつさまです」

 ふう、と一息つく。

「そうだ、SNSだ」

「どうかしたんですか?」

 いやね、と峯山は切り出す。

「私もいつもお世話になってますから、私が周りのみんなにこのお店を紹介しようかなと思いましてね」

 峯山はスマートフォンを取り出した。ポチポチと操作をしたのちに、こうやって、とあめに画面を見せてくる。

 画面に映っていたのは、随分前に作ったケーキと珈琲が並んだ写真だった。

「この写真をこうして、こうです。これでツイートできた」

 どうやら、峯山はここで撮った写真を投稿したらしかった。

「これで、もしかしたら誰かがこのお店のことを知って来てくれるかもしれません」

「なんだか魔法みたい」

 でも、本物魔法は便利だけれど、現代には合わない。現に、あめは移動以外に久しく使っていない。魔法なんて使わずとも、珈琲は淹れられるし喫茶店も経営できる。――経営状況が好いかと言われたら、決していいとは言えないけれども。

 だからと言って今から携帯電話の使い方を覚えるか、と言われたら、そんな気にもなれない。

 ただ、自分は珈琲を淹れて細々と生きていければいい。

「魔法ですか、確かに、昔と比べたらそうかもしれないなあ」

 そう言うと峯山はすっと立ち上がった。

「ではそろそろお暇させていただきます」

「あ、はい」

 カウンターの、一番入り口側のところに置いてある伝票に、ホット・ケーキと書き込む。

「えーと、千二百円ですね」

「はい、丁度頂きます。それでは、いってらっしゃい」

「ご馳走様でした」


 誰も居なくなった店の中で、魔女は一人魔法で遊んでいた。大抵の時間は暇なのだ。誰かが来るまで、魔女は一人っきり。箒を魔法で操ってぼーっと床を眺めながら掃除させている。

 店を綺麗にするという意味では仕事かもしれないけれど、魔女にとっては珈琲を淹れそれにあう食事やお菓子を作ること以外は、全て遊びなのだ。

 でも、魔女は一人っきりでも寂しくない。もっとずっと長い時間、一人っきりでいたこともあるから。

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