第3話 ~Ⅲ~

 数日後、先生に進路相談の件で、個別に呼び出された。私は、何故か緊張しながら、職員室の横の準備室のドアをノックし、入っていった。

「あ、田中さん、わざわざ呼び出して申し訳なかったね」

「いえ、大丈夫です」

 先生は、私の返事を聞くと、近くの丸椅子に座るよう促した。


 そこから、先生と私は進路希望の再確認をした。私は、福祉系の短大を希望していた。先生が言うには、成績はそこまで悪くないのだし、もう少し欲張ってみてもいいんじゃないか、という話をされた。

 

 先生から、指摘された事は、実は自分でも考えていた事だった。自分と同程度の成績のクラスメートが、都心の難関大学の入試を受けるという事は、噂話で聞いていたし、4年制大学に進むという事は、もう少し長めに学生の立場でいられる。それはとても魅力的に思えた。しかし、私の答えは決まっていた。

「いえ、大丈夫です。私、出来れば早めに就職したいなと思ってまして・・・」

 そうか、と先生はどこか残念そうな表情を見せ、そこで進路相談は終わった。


 先生に話したことは、半分本当で半分嘘だった。もう少し目標設定を高くしてみてもいいんじゃないかと思った事もある。だが、早めに職に就いて、家族の手助けをしたい、というのも本音だった。

 私の家は両親共働きだが、いわゆる薄給というやつで、家族4人の生活に、私と妹二人分の学費で、割と厳しい事情なのは、なんとなく察していた。高校を卒業して、すぐに就職するという踏ん切りまでは付かなかったが、近場であれば、交通費も抑えられるし、福祉の求人が割と世間に溢れているのも知っていた。

 社会に出るための猶予をもう少しだけもらい、でも、その後はしっかり仕事をして、実家のサポートをする。自分の中では、とてもバランスが良い選択をしたと思っていた。


 家に帰り、今日は早めに帰宅していた母親に、先生に言われた事と自分の考えを交えて、進路についての話をした。てっきり、サチの決めた事なら、それでいいんじゃない、なんていう言葉が返ってくるかと思ったが、反応は意外なモノだった。

「う~ん、話はよくわかったけど、サチは本当にそれでいいの?」

「えっ、どうして? この大学なら、近くて学費も安いし、私も早めに就職出来れば、その分早くお母さんたちを助けられ・・・」

「そうじゃなくて。本当はもっと選びたい道もあるんじゃない? お母さんたちの事を心配してくれるのは嬉しいけど、お金の事なら、その為の色々な制度だってあるんだし、その件で、サチが色々背負いこむ必要はないのよ?」

「背負いこむなんて、私はただ・・・」

 

 まだ時間はあるんだし、もう少し考えてみて、という母親の言葉で、この話は終わり、私は自分の部屋で、先程の話の内容を自分なりに振り返っていた。

 私はそんなに周囲に気を使っているように見えるのかな、とか、逆に私が妹のように思った事をすぐ言うタイプの人間だったら、先生もお母さんもこんなに心配してくれただろうか、など。

 

 私は、今の家族が好きだ。口喧嘩はしてしまうけれど、なんだかんだ仲が良い妹、働きながら家の事全般を見てくれている母親、口をださなければいけない時以外は、実に大らかに見守ってくれている父親。その家族を守る為に、私が何かを我慢をする事は、いけない事なんだろうか。結局、その日の内に答えは出る事はなかった。


 翌日は、朝から雨が降っていた。湿気を帯びた冷たい空気が、どこまでもまとわりついてくる。私は、そんな空気と昨日の話の件もあって、どこか気持ちが沈んでいた。

 帰り道。何となく、いつもの道を歩きたく無くなってしまって、やや遠回りをすることにした。街の景色というのは不思議だ。何年も通っているような所でも、少し普段の道から外れるだけで、別の景色を私に見せてくる。こうやって、雨が降っているだけでもまた違う、直接目で見るのか、ビニール傘というフィルターを通して見るのかだけでも変わってくる、意外と、別世界の入り口なんて、こんな風に身近に存在するのかもしれない。

 

 そんな、少し感傷的な気分に浸っていた自分の前を、一匹の野良猫が横切っていった。そのまま何かに惹かれるように、その野良猫の動きを目で追っていくと、野良猫は、民家のブロック塀の間と間のわずかな隙間を何食わぬ顔で、入っていった。私は、その隙間の正面まで移動して、道路側から、野良猫が直進していくのを眺めていた。

 

 確か”けもの道”とかいう名前だったと思う。野生の動物たちだけが使っている道、人間では進む事が出来ない道。いかにも歩きにくそうな砂利道を、その小柄な身体でどんどんと進んでいく。人間社会のように支えてくれる家族もいないだろうに、その野良猫は険しい道を進んでいく。その光景を見ながら、私はふと思ってしまった。生存競争の頂点に立っているはずの私たちは、なんて窮屈な生き方をしているんだろうな、と。

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