episode 28 泣きたくなる優しさ
「美咲がしようとした事は間違ってないし、これはアーシの我儘だってのは分かってる」
「心の気持ちも分かるよ? だけど、夕弦の事を考えたらさ」
センセに知られる事なく夕弦を沢井から守る。それがどれだけリスクが高いものなのかなんて、アーシが一番知ってる。
オンナのアーシが1人息巻いたところで、男のアイツをどうこうなんて出来ないだろうから。
だから、アーシは最悪守り切れなかった場合の事も考えてある。夕弦に絶対に迷惑はかけない。
「お願い美咲。全部アーシが責任とるから、任せて欲しい」
納得していない美咲に頭を下げて嘆願する。
「で、でもさ――」
「――おねがい!」
納得してない美咲の言葉を遮って頼みこむ。
正直キャラじゃないし、そもそも関わるようになってまだ日の浅い子にアーシがこんな事をするなんて有り得ない。
だけどそんな事を無視してでも、アーシはアーシの自尊心を守る選択をした。それがどれだけ馬鹿げた事であっても、今のアーシにはどうしても譲れないものだったんだ。
「……わかった。でも、2つ条件があるよ」
「なに?」
「1つは私が無理だって判断した場合は夕弦の安全を優先して、雅さんに助けを求めるし、場合によっては先生と警察に知らせる」
アーシが最悪そうなった場合にしようとしてる事を知らない美咲にしてみれば、その条件は当然だ。
「わかったし。もう1つは?」
「もう1つはねぇ。この一件が片付いたら、改めて心から私を雅さんに紹介してよ!」
「……は?」
何言ってんだ、こいつ。
大切な友達の一大事だってのに、男紹介しろとかふざけてんのか?
「あんさぁ――」
「――だから、そうなるようにしてよ。雅さんに話されたくないんなら、そうならないようにして! 夕弦は勿論だけど、心も無事で何もなかったみたいに私に雅さんを紹介しなさいよ!」
なんか邪な感情が見え隠れしてる気がするけど、美咲なりにアーシの事も心配してるって解釈でいい……のか?
なんだか騙された感があるような?
とりあえず任せてくれるという事で話がついた所で美咲を解放して、アーシはそのまま【モンドール】に客としてはいった。
「ん? 心? どうしたんだよ」
店に入ると丁度センセがバイトを終えて着替えようと更衣室へ向かおうとしてるところで、アーシが来た事に気が付いて声をかけてきた。因みにセンセのシフトを漏洩されなくなって追っかけの女客達も疎らになったはずだったのに、最近になってまたセンセのシフト時間に集まってくるようになった。
人見サンがマスターを疑って締めあげようとしたらしいんだけど、今回はマスターは関係ないみたいで現在原因を鋭利捜査中らしい。もはや何屋さんで働いているのか分からなくなってきた。
「今日はどうしたんだ?」
「なんとなくマスターの珈琲が飲みたくなってさ」
「ふーん。じゃ頼んでくるよ」
何か言いたそうな感じを見せつつ、センセは外しかけてたソムリエエプロンを締め直してカウンターの方へ歩いていく。
もうシフトの時間は過ぎてるのに、アーシに付き合ってくれるみたいだ。
「ほい、珈琲おまち」
言ってアーシの前に置いてくれたカップの他に、もう1つのカップを向かい側に置いた。
「いいん? センセ帰るとこだったんしょ?」
「ん? まぁ今日の晩飯は家を出る前に下ごしらえしてるし、それに何時も早く帰ってくる夕弦も最近文化祭の準備で遅いからな。ちょっと着替えてくるからそれ飲んで待っててくれ」
「わかったし」
そう言ってセンセは更衣室に入っていった。
どこまでがホントの事なのか分かんないけど、センセってこういうところがある。普段はお金の事に煩くて、相手が女であっても厳しい口調でなんでも言ってしまう人なんだけど、こうしてさり気なく優しくしてくれたりする。多分誰にでもってわけじゃないだろうから……それが余計に嬉しくなってしまうんだ。
「これも食えよ」
センセの事をぼんやり考えてたら何時の間にかセンセが戻ってきてて、アーシの前に美味しそうなクッキーを置いてくれた。
「クッキー?」
「そ。俺が焼いたやつなんだけど、売れ残りそうだから食っちまってくれ」
センセが料理が凄く上手いのは知ってるけど、お菓子作りまでするなんて知らなかった。
「センセってお菓子も作れるんだ」
「最近始めたばっかで味は保証できんけどな」
そんな事言ってるけど、不味かったら店で売るわけないんだから、きっとこれも料理と一緒で凄く美味しいんだろうな。
「うわ! うっま!」
「はは、それは良かった。普段から高価な物食べてる心にそう言って貰えたら自信になるわ」
「何か言葉に棘感じるんだけど?」
なんて言ったけど、実際ホントに美味いクッキーだった。センセの言う通り普段から値段の張る物を食べてるアーシだけど、センセの作ったクッキーはそこらへんのブランドものよりよっぽど美味しいものだった。
一般的に料理は女のイメージがあるけど、実際は料理にハマった男の方がセンスがあるって聞いた事がある。現に有名な料理人に男が多い事がそれを証明してる。
美味いクッキーに合わせた珈琲でホッと息を吐くアーシに、突然センセに「なにかあったのか?」と聞かれた。
その時のセンセの表情が今まで見た事がないほどに優しくて、その柔らかい空気に思わず泣きたくなった。
「なんもないし。なんとなく珈琲飲みに来ただけだって言ったじゃん」
言えるわけない。言ってしまえばセンセにだけは知られたくない事を知られてしまうし、そもそも大事な家族が危険な目に合うかもしれないなんて知ればセンセはきっと沢井だけじゃなくて、助けを求めなかったアーシも敵対視するかもしれない。
(……それは絶対に嫌だし)
結局アーシは大切な友達より、自分の保身をとった卑怯者だ。
好きな人に汚いものを見るような目を向けられたくない。嫌われたくない。離れて欲しくない――好きになってもらいたい。
アーシの自分勝手な欲望を叶える為に、夕弦は死んでも守る。
そして、全部の事が片付いたら――アーシはセンセに綺麗な女として、気持ちを伝えるんだ。
「ほーん。ならいいんだけどな」
「ちな、何でそう思ったんだし」
「ん? 何時もより心なしか顔つきが弱弱しかったから、かな。ま、心にとって俺はカテキョで元バイト先の後輩ってだけの関係で、深く追求できるような関係じゃないしな。余計な事訊いた、忘れてくれ」
忘れてくれ? 好きな人がちょっとした変化に気が付いてくれて気にかけてくれたんだよ? そんなの無理に決まってんじゃん。
「自分の貯金の事しか興味のないセンセが珍しいじゃん。ひょっとしてアーシの事気になってんの?」
「まあな」
「……へ?」
セ、セセ、センセがアーシの事を気にしてる!? う、うそっ!?
「さっきも言ったけど、心はバイト先の生徒であり
「……そ、それって」
も、もしかして……ホントに!?
「心は夕弦の大事な友達で、夕弦を救ってくれた人間だからな」
……あー、うん。わかってた。センセの方からアーシの事を……なんて有り得ないもんね。
(……だけど、これはこれで今のアーシにはキツイな)
「今だから言うけど、本当は心が夕弦の友達だって知った時から感謝してたんだ」
「……なんでだし」
「だって
「……それは違うし」
そうだ、違うんだ。
救われたのはアーシの方で、夕弦にもセンセにも感謝されるような事なんてしてないどころか、これから自分の為だけに酷い事をしようとしてるんだ。
「違わないだろ。勿論、心だけじゃなくて前にウチに来た子達にも感謝してんだけどさ」
「…………」
もう何を言えばいいのか分かんなくなった。何かを言えばボロが出て全部をぶちまけそうになるから。
キツイ。好きな人と向き合って話せてるのに、こんなに辛くなるなんて……。
「さて、そろそろ帰るし」
「おう。俺も帰るし送ってくぞ」
「いい。寄りたいとこあるし、センセは早く帰って夕弦に美味いご飯作ってやって」
「それは言われるまでもないけどさ」
「はは、センセはブレないよね。これ珈琲代、釣りはいらないから。ごちそうさまだし」
「お、おい」
もう一秒でもここにいたくなくなって、アーシはセンセの呼び止めようとする声を無視して店を出た。
「大丈夫。絶対に上手くいく。誰にも迷惑かけずに目的を達成できる」
グラグラと揺らいでしまった気持ちを独り言をしっかり口にする事で、なんとか立て直す。
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