episode 21 雅の趣味
沙耶さんの元夫である高橋が接触してきたのを機に紫音が俺達の家族として共に生活を始めてから、二週間が過ぎた。
あれからも俺が家でする事は変わっていない。皆の朝食を作って家族を送り出す。夕食は遅くまでバイトがある日は沙耶さんが、そうでない場合は俺が作るのも変更はない。
ただ、朝皆を送り出した後の光景が少し変わった。
「紫音さん?」
「んー?」
「仕事行かなくていいの?」
「あーうん」
そう言ってソファーで寛いで淹れた珈琲カップを口元に当てる紫音。今までならもう仕事に出掛けているはずの時間なのだが、今日は随分とのんびりというか、まだ着替えさえしていない状態だ。休みの日ではない事を知っているだけに、今の寛ぎまくっている紫音に首を傾げる。因みに俺は午後からの講義でまだ家にいる。
あれから朝食を家族と食べるようになった紫音ではあるが、その後にゆっくりと身支度を整えて家を出ていたのだが、現在午前10時を過ぎていて完全に遅刻だ。
「あたし、今日から暫く無職だから」
「…………へ?」
無職? それはつまり仕事を辞めたって事か!?
俺はまだ社会人経験のない学生だから詳しくは知らないけれど、職を失った人間ってこうも落ち着いていられるものなのか?
親父も今の仕事に就くまで転職経験があると聞いた事がある。前職の業種がどんなだったかとか詳しい経緯は聞いた事がないが、今の仕事に落ち着くまで大変だったとは聞いた。
(少なくとも、今の紫音みたいな余裕なんてなかったはずなんだけど……)
「と言っても、これからハロワに通うとかするわけじゃないけど」
「そ、そうなのか?」
「うん。やっと今の仕事を辞める事が出来たから、本当は暫くゆっくりするつもりだったんだけどねぇ。それだとアンタに借りを返すのが何時になるのか分かんないしさ」
「いや、だから借りとか――」
「――絶対に返すって言ったでしょ?」
「…………はい」
どうあっても借りを返すつもりらしい。一度言ったら簡単には引かないとこは、やっぱり沙耶さんの娘だな。
「というわけで午後から打ち合わせがあるから、出掛けるまでにお昼ご飯よろしく~」
「あ、いや、俺も午後から大学が――」
「――よろしく~」
「……はい」
(あれ? これから何かいい感じに紫音とも家族やれると思ってたんだけど……これじゃあんまり変わってなくね?)
☆★
結局昼飯を作らされてバタバタで大学へ滑り込み受講予定の講義を終えた俺は、中庭のベンチで休憩をとっている。
今までならこのまま【モンドール】へ向かうか、一旦帰宅して夕食の下ごしらえを済ませて後、カテキョのバイトへ出かけるのが平常運転だったんだけど……。
(やべぇ、バイトがない時って何したらいいだよ)
親父達から散々大学生らしく楽しめと言われ続けてきたけど、こうしてそれが出来る環境になって気付く……。大学生らしく楽しむって具体的になにすればいいのだと。
金ももうケチらなくて済むようにはなったが、そもそも大学生ってどんな事に金かけてんのかがさっぱり分からん。
自分がズレてるって事に自覚はあったけれど、それに対して困る事なんてないと思ってたんだけどな。
「おう、雅。陰キャ臭まき散らしてどうしたよ」
「言い方……ってまぁ、そうだな」
中庭で佇んでいるところに、陽気が服着て歩いてる代表格である瑛太が声をかけてきた。相変わらず遠慮がないというか、言葉を選ぶ気がないというか……。
(まぁ、友達に相談してみるのもいいか。友達って瑛太しかおらんけど)
「なぁ、ちょっと訊きたい事があんだけど」
「ん? なんだ?」
「大学生って何して遊べばいいんだ?」
「………………」
何言ってんだ?こいつって顔をあからさまに見せる瑛太。こいつはある程度俺の事情を知ってるくせに!
打ち上げの日から俺と瑛太の関係は修復出来たと言っていいだろう。今回の事で瑛太がどれだけ役者に対して実直であったのかが分かって、友人として鼻が高い思いにもなれた。
「いいか? 雅よ」
「お、おう」
「大学生らしい遊びと言えば一つしかない!」
「おお! それはなんだ? 俺にも出来る事か!?」
「出来る! いや! お前はその分野では最強と言っていいだろう!」
「そ、それはいったい!?」
「それはな……合コンだ! 合コンはいいぞー! 出会いの玉手箱だぞ!――っておい! どこ行くんだよ雅! 丁度週末にS女の女の子達と合コンがあってだな。是非お前に客寄せ、ゲフン! ゲフン! お前も参加して新しい出会いをだなぁ! おーい! 雅くーん!」
相談した相手を間違えてしまったようだ。っても、この大学で他に相談できる奴なんて……1人いたな。
☆★
「で、突然呼び出してなに? とうとう成長したウチの体に欲情したとか?」
「なんで俺からお前に声かけたら何時もそうなんだよ。俺ってそんなに欲求不満に見えんの?」
「ミエル」
「見えんのかい!」
合コンだと暴走する瑛太を中庭に置き去りにした俺は、すぐさまこの大学で唯一の女友達に連絡をとった。
都合よく有紀も大学にいた為、特別棟の空いている講義室で待ち合わせたのだが、冒頭のように俺を常に性欲に飢えている獣みたいに扱われている。まったく失礼な話である。
「それで? ウチこの後動画の撮影するのにスタジオ抑えてるから、手短によろ」
「あぁ、実はさ……バイト三昧の生活を止めて普通の大学生をやってみようと思ってるんだけどさ。普通の大学生って何時も何やってんだ?」
「……ウチに普通を問うとか、喧嘩売ってんの?」
「い、いや! 別に……そういうわけじゃ」
(うん。相談する相手また間違えたわ)
有紀も駄目かと盛大に溜息を吐きながら講義室を出る。何なんだと口を尖らせてついてくる有紀に申し訳ないと思いつつも、どうして俺の周りには普通がいないんだと内心嘆いた。
☆★
この問題を重くしているのは必然なのか、単に俺が残念な奴なのか……。希少な大学の友人に相談してもその答えに辿り着けない。
(大学生の連中って、いったい何して過ごしてんだ?)
親父達の強い希望もあり、これまでバイト三昧だった生活を変えようと決めたものの、まさか何をして過ごせばいいのかを悩む羽目になるとは思っていなかった。
同じ大学の馬鹿共(瑛太&有紀)は使えない為、こうなったら手段を選んでいられないと他校の大学生を頼るべく、現在シフトが入っているわけじゃないが通いなれた【モンドール】にいる。
「雅君がバイト以外でここに来るなんて珍しいよね」
「えぇ、まあ。実は人見さんに折り入って相談があって」
「へ? 私に相談? お金ならないわよ」
「いや、そういうんじゃないから」
俺からの相談と聞けばすぐさま金だと思われてしまうのか解せんと言いたいところだが、これまでの俺をよく知る人間からすれば致し方がないだろうか。
「俺と同じ大学生やってる人見さんに訊きたい事があって」
「手っ取り早くお金を稼ぐ方法とか?」
「いい加減、金の事から離れてくれませんかね?」
やれやれと注文した珈琲で喉を潤して、中々進まなかった本題を尋ねる。
「人見さんって勉強とバイト以外で普段なにしてます?」
「ん? それって趣味とかの話?」
「そうです」
自分の趣味を問われて指を顎先に当てて、眉間に皴を寄せて考え込む人見さん。
そんなに難しい事を訊いただろうかと一瞬思ったが、俺もずっと悩んでいるのだから同じかと思い直す。
「んー、今はネイルアートに凝ってるかな」
「ネイルですか?」
「そそ! 実は昔からそういうのが好きでね。自分の爪で散々練習して、今は友達にもしてあげてて結構好評なんだよ」
「なるほど」
これは女性特有の趣味なんだろうが、やっぱり人見さんも趣味に時間を費やしているみたいだ。しかもこの趣味は収入を得る道にも繋がって……いや、金の話はもうよそう。
「なに? 趣味でも探してんの?」
「そうなんですよ。親父達にバイトばかりしてないで大学生らしく楽しめって言われてて」
「なるほどねぇ。それでここのシフトを減らしたんだ」
「そういうわけです。でも恥ずかしい話、俺はずっと勉強とバイトしかしてこなくて、自由に時間を使えと言われても何をすればいいのかと」
これまでに少しでも興味があるものに触れたりしていれば、ここまで悩む必要なんてなかったと思う。
勿論焦る必要なんてないんだけど、こうして時間を無駄に浪費する生活はもはや体質に合わないと言っていい。ガキの頃はひたすら時間を無駄に溶かしてきた俺が言うのもなんだけどさ。
「て言われてもねぇ。雅君の事ってバイトしてる時くらいしか関わったこなかったし、君って自分の事話してくれたのって殆どなかったしなぁ」
「うっ」
痛いとこ突かれたな。確かに俺は仕事中は任された仕事を完璧にこなす事しか考えてなくて、バイト仲間とかマスターにだってプライベートというか雑談すら殆どした事がなかった。
(そんな人間の相談なんて乗れるわけないよな……)
「あ! でも雅君って何気に料理とか得意じゃん?」
「調理は得意っていうか、生活環境のせいで作れるようにならないといけなかったからで、好きというわけじゃ……」
「えー? そっかなぁ。嫌々やってるんだったら、ウチの新メニュー開発になんて協力しないんじゃない? 協力しても別ギャラでたわけじゃないんだしさ」
……そうか。料理なんて好きとか嫌いとかじゃなくて、もはや生活の一部になっていたから考えた事もなかったけど、別に嫌々作ってるつもりはなかった。特に親父が再婚して新しい生活を送る事になってからは積極的にキッチンに入ってたしな。
家族が美味しいって食べてくれるのが嬉しくて、気が付けば作れる料理の幅を広げようとは思ってた。
(それって趣味という事になるんだろうか。好きで何かをやるってんだから趣味って事だよな!)
「……そうか、料理か。うん! いいかもしれない。今まで料理を深堀してこなかったのは、バイトが忙しくて時間がなかったからなんだし……」
「うん! いいじゃん、料理! 女子力高い男ってモテるし!」
「え? いや、モテるとかは別に……」
「そんな事言って! もし雅君に好きな女の子が現われて、その女の子に手料理を食べされたいって思わない!?」
(好きな女の子。つまり恋人って事だよな)
俺は顔も想像つかない恋人がいる生活を想像してみた。
付き合いの期間がそれなりになってきてお互いの事をある程度分かった時期。もしかしたら家族に恋人を紹介する事があるかもしれない。その時、手料理を恋人に振る舞えたら……。
「あ、ヤバい……。それいいかもしれない」
「あっはは! でしょ! 絶対にポイント高いって!」
「ですね。うん……ちょっと本腰いれてやってみます!」
全く想像すら出来なかった趣味をもつという事。
こんな俺でも得意と言っていいのは料理だと気が付く事ができた。それにともなってずっと書いてなかったネット小説の事を思い出した。
(そうだよ。小説だってこれから書く時間なんていくらでも作れるじゃん! それに今書いてる作品とは別に、これから料理を趣味にするんなら飯テロ作品を書いても楽しそうだ!)
俺は相談に乗ってくれた人見さんに礼を言って店を出た。
さっそく帰りにスーパーに寄って夕食を作る傍らに何か一品創作料理を作ってみようと、少し速足で駅に向かうのだった。
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