episode 20 早朝会議
「お、親父も今朝は早いな」
「はっはっは! 俺も寝れなくて徹夜だ。ったく、仕事でなんかやらかしたらお前のせいだからな、雅」
「うっ……ごめん」
「それで? いい落としどころって? 太一さん」
一緒に寝ている沙耶さんが気になって寝れなかったのか、昨日の事が気になってなのかは分からないが、どっちにしても俺が悪いのは間違いなく素直に謝ると、沙耶さんが本題に話を戻した。
「うん。なぁ、雅」
「なんだ?」
「先方に金を渡す時、迷わなかったか? 後悔してないか?」
「沙耶さんにあんな顔をさせてしまった事は後悔してる。でも、金を渡すと決めるのに迷いはなかったし、その事自体は今でも後悔してない」
「そうか。俺に迷惑をかけた償いと感謝の気持ちとして受け取って欲しいって言いだして、バイトばかりして作った金を違う事に使うのに迷わなかったし、後悔もしてない、と」
「そうだ。金はまた貯め直せば済む話だし、流石に今からだと来年は就活もあるし学生の内にってのは無理かもしれないけど、金は必ず親父に渡すよ」
「俺は最初からそんな金はいらないって言ってるのにか?」
「あぁ、それでもだ」
「ふむ、ならこうしたらどうだ? 今回の件は方法はどうあれ沙耶さんと助けようとしてくれた事には感謝してる。だけど、渡した額を返そうにも雅は受け取らない。それじゃ沙耶さんはずっと心苦しい思いをする事になるな」
「…………」
そうなんだろうか。いや、そうなんだろう。今の沙耶さんの顔が親父の言っている事の証拠になるには十分だ。
せめて支払った額を俺に渡せば気持ちが軽くなるんだろうけど、それだと今度は俺が悶々とした気持ちを引きずる事になってしまう。なら半額だけ受け取るのはどうだろう――いや、中途半端過ぎて意味がないな。
俺が勝手にした事なんだから、本当に沙耶さんが気に病む必要なんてないんだけどなぁ……さて、どうしたものか。
「そこでだ。これは俺からの提案というか条件なんだが」
(条件? 一体なんの条件っていうんだ? )
「雅、今回支払った金を俺に渡した事にしろ。そうすれば沙耶さんもお前に余計な事をさせてしまったと心苦しい思いをしないで済む」
「…………は?」
(何を言ってる? 親父に渡す金を沙耶さんの為に使ったと思え?)
「いや、ちょっと待てよ! そりゃ親父にも迷惑かけたとは思ってるけどさ」
そうだ。今回の騒動の引き金になった高橋を除くと、俺と沙耶さんの問題であって、親父はあくまで外野でしかない。
だけど、あの金を元々渡すつもりだった親父が加わってしまったら、もう外野扱いが出来なくなってしまう。
「さっきも言ったが結果や沙耶さんを思う気持ちがどうあれ、お前のとった手段は悪手で、助けようとした沙耶さんを苦しめたんだぞ? だからこの条件は雅にとってうってつけだろう?」
それは親父の言う通りだ。
沙耶さんの為に使った金額を本来の使い方とみなすと言うんだから、俺にとってこれ以上ないくらいにいい提案だ。
だが、それはそれ、これはこれと考えていたから正直素直に従う気にはなれない。
「そうね! そうよ! 私は母親として傷付いたの! だから太一さんの条件を呑まないと許さないわ!」
「なんで急にそっち側につくんですか……。あと親父のいい事言ったって感じのドヤ顔ムカつくんですけど……」
まいったな。いきなり2対1になってしまったぞ。それに沙耶さんの期待に満ちたキラキラした目が突き刺さって痛い。
「アンタはゴチャゴチャ考えすぎだって、雅」
「わっ! ビックリした……なんだ紫音さんか。おはよう」
「ん、おはよ」
形勢不利な状況に追い込まれて条件の事を考えこんでいると、突然部屋の方から2つのマグカップを持った紫音が現われた。
「よかったら太一さんもどうぞ」
「! うん、ありがとう紫音ちゃん。いただくよ」
紫音はマグカップをテーブルに置いて親父に渡した。どうやら随分前から俺達のやり取りを見ていたようだ。その事に気が付かなかったのは、持ってきた珈琲がインスタントだった為だろう。
誰かが教えたわけじゃないはずなのに、我が家の早朝ルールを知っていたみたいだ。
とはいえ、ここに4人が集まったっていう事はグースカ寝ているのは夕弦だけということだ。
「それで? どうするか決めた?」
自身で淹れた珈琲を少し口に含んで小さく息を吐いた後、紫音はさっきの親父が出した条件に対する返答を問いてくる。この時点で3対1の構図が出来上がってしまった。
紫音は金を返す代わりに違う事で借りを返すと夜中に言っていたが、具体的に何をするつもりなのかは聞いていない。ただ、紫音が自身の過ちを謝罪してきた事で、もうこれまでの彼女ではなくなっているのは間違いないから、何をしてくるのかはあまり心配していないが。
「……親父はさ、俺に金を渡されるの迷惑か?」
「迷惑とは言わんが、正直困るな。俺は親として当たり前の事をしただけだと思ってるし、なにより子供に気遣われるのは寂しいよ。前から言ってるように、大学生活を楽しんでくれるのがお父さんにとって一番のご褒美だと思ってる。それに……」
「それに?」
「お前からそんなものを受け取ったら親としての面子がな……」
親としての面子……。言ってる事は間違ってない。
(……だけど、それは正確には俺達には当てはまらない――)
「……うん、わかった。親父の条件とやらのむよ」
「ほ、ホントか!?」
「あぁ、俺は親父に感謝と謝罪の気持ちで渡したかったけど、親父が望んでないのなら、な。それにこの条件をのめば沙耶さんに余計な心労を掛けなくて済むんだったらさ」
「……雅」
本当は親父に言われ続けた事が本心で、俺もその言葉に甘えるのがベストだとは分かってた。
だけど、なんというかずっとバイト尽くめの生活を送ってきたのは、自己満足の為と意地も多分に含まれていた。
自己満足と意地と、親父の面子と沙耶さんを助ける事が出来るのを天秤にかけたら……答えなんて決まってる。
「決まったね。なら、雅はバイトのシフトを減らしなさいよ」
「え? なんで?」
「何でって、太一さんも言ってたじゃん。もっと大学生らしい生活をしろってさ」
紫音がいきなりバイトを減らせと言うものだから首を傾げたが、そういえば親父に大学生らしく過ごそうと思ったら、時間を作らないと駄目か。
「それに雅がバイトを減らせば我が家の晩御飯の水準が爆発的に上がるし」
「ちょ! それどういう意味よ紫音! お母さんだって頑張ってるし、最近じゃ美味くなってるって雅に褒められる事だってあるんだからね!」
「それは分かってるよ。でも……比べる相手がわるいよ」
「っう、た、たしかに……」
紫音の指摘にがっくりと肩を落とす沙耶さん。紫音にそう言って貰えるのは素直に嬉しいけど、沙耶さんだってお世辞抜きに上達してると思うんだけどな。
それにしても、俺の顔を見れば毒しか吐いてこなかった紫音の口から、俺の飯が美味いだなんて言って貰える日がくるなんて思わなかった。ずっと内心でそう思ってくれていたんだと思えば、頑張ってきてよかった。
「まあ、料理とか家事の事は置いておいて、これからは自分の為に使う時間を増やして楽しめ。3年になったら就活が始まって忙しくなるんだからな。俺は極端に羽目を外さずに勉強もしっかりやってれば他に言う事なんてないから」
「親父……うん。じゃあそうさせてもらうよ」
すっかり冷めてしまった珈琲の残りを飲み干して、改めてキッチンに向かう。早速と言わんばかりに今朝は私が作ると張り切っている沙耶さんを宥めて作りかけていた料理に取り掛かった。
シフトを減らして自由に使える時間を増やすとは言ったが、朝食だけは俺が作ろうと思っている。俺達の為に毎日仕事を頑張ってくれている2人の忙しい朝に、少しでもゆとりをもって欲しいから。
完成した朝食の配膳を終えて、最後に寝こけている夕弦を叩き置きして、家族揃ってテーブルを囲む。
何時もなら出勤が遅い紫音はまだ寝ている時間なのだが、今朝は俺達と話したからだが、これからも出来るだけ一緒に朝食を摂ると言ってくれた。
「ねぇ、雅。前から気になってたんだけど、このスクランブルエッグって基本的なレシピ通りに作ってないよね。凄く好きなんだけど、どんな事してんの?」
「あぁ、それは――」
「へぇ、この前撮影した作品入賞しても表彰式に出ないんだ」
「うん。俺はあくまでヘルプの部外者だからね。それに――」
「そういえばさ、この前雅が――」
「――ねぇ、お姉ちゃん」
「ん? なに?」
朝食を食べながら紫音と話をしていたら、ずっと黙っていた夕弦が割って入ってきた。。その事に2人で話ていた親父と沙耶さんも口を止めて顔を夕弦に向ける。
「今朝は随分とこれまでと違う気がするんだけど、雅君となんかあった?」
「何かあったって、昨日アンタもいたでしょ?」
「いたけど、お父さんの事を話してそれからお母さんが怒って部屋に行っただけだったじゃん。なんでそれでお姉ちゃんが雅君に対して態度が変わったの?」
「ん~ホントの事を知って、雅が本当にいい奴だって分かったからね。それにさっきテラスで皆と話して思う所があったからかな」
昨日のアレだけしか知らない夕弦にしてみれば、紫音の変貌ぶりに首を傾げるのも無理はない。ついでに加えるならあの後、夜中に紫音が俺の部屋に来て話をした事も原因だろう。
とはいえ、俺も今の紫音の変貌ぶりには内心驚いてるわけだが。
「はぁ!? なにそれ!? 私だけのけ者にしたって事!? ズルい! なんで起こしてくれなかったんだよ!」
「いやいや……皆誰かに起こされたんじゃなくて、自発的に起きてきたんだってば。というより、皆碌に寝れなかったんだよ。アンタこそよく涎たらして寝てられたわね」
「よ、涎なんてたらしてないもん! ホ、ホントは私も明け方まで寝れなかったんだからね!」
「あーはいはい」
確かにあの空気でぐっすり眠れるのは凄いと思う。事情は断片的にしか分からなかっただろうけど、そんな夕弦だからこそ我が家のムードメーカー的な存在なんだ。
ぷんすか怒る夕弦を軽くあしらった紫音がコホンとわざとらしく咳をして、親父達に顔を向けた。その目はこれまで見てきたどれとも違って、申し訳なさが滲みでるもので。
「太一さん。今まで失礼な態度をとってすみませんでした」
まだ食事中であったが、紫音はフォークを置いて向かいの席に座っている親父に頭を下げた。
そんな紫音に面食らった様子の親父が俺をチラッと、何かを確認するような視線をよこす。
それがなんなのか理解した俺は黙ったまま頷くと、再び頭を下げる紫音に視線を戻した。
「気にしてないとは言えないけど、純粋にお父さんの事を想っての事なのは分かってるからね。だからそれは構わないんだけど……」
親父はそこで言葉を切ると、席を立ち紫音の隣に立った。
「辛かっただろう。家族に裏切られる辛さは……分かるから」
(……親父)
「……いえ。あたしが馬鹿だったんです。以前からお母さんに散々警告されていたのに聞く耳も持たずに……。ここに引っ越してきてからも太一さんと……特に雅に酷い態度で接してしまって……ごめんなさい」
夜中に謝罪した紫音の気持ちを疑っていたわけじゃないが、こうして改めて家族が揃っている前で深々と頭を下げる姿を見せられると、救われた気持ちになる。
(だけど、この湿っぽい空気はなんとかしないと、な)
「ほんとだよなぁ! 窓枠に指を走らせてまだ誇りがあるって言われた時は、小姑かって突っ込んだもんだし」
「誰が小姑よ! アタシはまだ20代なんだからね!」
「ははっ! それでいいんだよ。紫音ちゃんを責めようと思ってる人間なんてここにはいない。これからも色々とあるだろうけど、今日から家族になるんだから1人で抱え込まないで何でも相談してほしい」
「はい……ありがとうございます」
紫音が沙耶さんの娘だと知ってからずっとギスギスというか、ずっと責め続けられる日々だった。元の家族に戻りたいと願う紫音からすれば俺と親父は目の上のたん瘤的な存在だったんだろう。
だけど、どれだけ理不尽な事をされたり言われたりしても、紫音の事を拒絶する気になれなかったのは、彼女が純粋であったがため。そんな紫音と家族になりたいという気持ちをどうしても諦める気になれなかったから。
親父からかけられた台詞を嬉しそうな笑顔で応える紫音を見て、俺は諦めなくて良かったと心から思った。
「お母さん」
「なあに? 紫音」
親父に下げていた頭を上げた紫音はすぐさま沙耶さんに向き直って、真っすぐに声をかける。その目は真剣そのもので、これからの話がとても大事なものだと分かった。
「あの件だけど、正式にお願いしていい?」
「ふふ、決心がついたのね。勿論いいわよ。ずっと何もしてあげられなかった私を頼ってくれて嬉しい。物件はあそこでいいのよね?」
「うん。あそこに決めた。今日正式に契約してくるよ」
「分かった。じゃあ今夜にでも書斎で打ち合わせしましょうか」
「宜しくお願いします」
2人の話から推測するに紫音の仕事に関わる事のようだけど、具体的に何を始めるのかは分からなかった。
というより、そもそも紫音は何の仕事をしてるんだろうか。これまで何度か訊いてみた事はあるんだけど、その度に「なんでアンタにそんな事教えないといけないの」と突っぱねられてきたのだ。
「あの、紫音さん」
「ん? なに」
「本当に今更な気はするんだけど、紫音さんの仕事って?」
「……あぁ、そういえば教えてなかったね。うーん、この際だからもう少し秘密にしてようかな」
「いや、何でだよ」
「はは、別に嫌がらせで言ってるわけじゃないから大丈夫。それに私の仕事を教える時にはきっと借りを少しだけ返せるはずだから」
「借りを返す? いや、そもそも借りを作ったなんて思わなくていいって言ってるじゃん」
「そういうわけにはいかないよ。昨日も言ったけど、このままじゃ胸を張って雅の姉を名乗る気になれないだよ。ま、楽しみにしてなさい」
(紫音が何か大きな事をしようとしてるのは分かったけど、和解しても意地悪なところはこれまでどおりか……。まぁ、時が来れば教えるって言ってるんだから、いいんだけどさ)
こうして高橋が俺の前に現れたのをきっかけに、血と涙の結集ともいうべき貯金を失った代償として――俺達5人は本当に意味で家族になるきっかけを得たのだった。
因みに後日【モンドール】でのバイトの際、これからシフトを大幅に減らしてくれと頼んだら……マスターが血の涙を流して床に崩れ落ちた。いや、なんで?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます