episode16 金の使い道

 沙耶さんとのドライブデート? から三日が過ぎた。

 あの日の帰る道中は話をする前と比べて、お互い話す調子が変わった気がする。沙耶さんは元々気安い感じの人ではあったけど、どこか機嫌を伺うというか必要以上に空気を読んでいる節があった。

 だけど、あれからは遠慮がなくなってきたというか、少し説教癖が表面に現れていたように思う。正直説教が好きな人間なんていないと思うが、何故か沙耶さんのそれは素直に聞こうとしてしまうのが不思議だった。

 

 因みにドライブを終えて玄関を開けると、そこには腕を組んで仁王立ちしている夕弦がいた。

 ちゃんとお互い違うアリバイを作って出かけたはずだが、うっかり楽しく話をしながら一緒に帰ってきてしまった時点で、もう言い訳のしようもなく2人で素直に謝った。

 こうやって家族の事となると何にでも首を突っ込みたがるのは、ずっと心を閉ざしてきた反動なのかもしれないなと思う。


 そんなこんなで今に至るわけだが、沙耶さんは早速行動を起こしたようで、紫音と夕弦に外出の約束を取り付けたようだ。とはいえ、三人の都合が合う日がすぐにはなかったようで、結局外出する日はこの日から更に一週間後になったみたいだ。

 そして俺はというと、やる気は満々にあるわけだが如何せん相手の接触待ちな身だった為、何もできずに三日が経過していた。そんな午後の事。

 大学の講義を終えて少し早い時間になるがこのままバイト先である【モンドール】へ向かおうと正門を出た時「やぁ、月城君」と声を掛けられた。

 馴れ馴れしさといやらしさが混じった口調と、草臥れたジャケットと皴だらけのパンツ、少しこけた頬の下に無精髭の男。沙耶さんの前夫である高橋義之が現れたのだ。


「……どうも」と気怠そうに返事をしたが、内心では戦闘態勢に入る。


「いやー紫音から聞いてはいたんだけど、本当にK大生やってんだねぇ。ここって偏差値高いんでしょ?」

「……まぁ、そうですね」

「こんな大学の学生やってんだから卒業したら一流企業に就職して勝ち組ロードを歩くんだろうねぇ、きみは」

「はぁ、そのために頑張ってるんで」


 良い大学に入って高給が得られる一流企業に就職する。なんとも夢のない目標なんだろうけど、俺には絶対に必要な事なんだ。

 苦労を掛けた親父に孝行したいという目標だったのが、今は沙耶さんと親父の2人の親に孝行したいと心から思っているから。


「三流大学しか出れなかった俺には羨ましい事だね――それはそうと、さ」


(――きたな)


「あれからどうかな」

「どう――とは?」


 勿論意味は察してはいるが、俺はわざとシラをきる。


「分かってるでしょ。沙耶だよ、沙耶。俺と会ったことを沙耶に話してな――」

「――あの」

「ん?」

「高橋さんは沙耶さんとどうなりたいんですか?」

「あの時紫音が言ってた通りだよ。俺は沙耶とやり直したと思ってる」

「それは本心なんでしょうか?」

「――どういう意味かな?」


 どうもこうもない。あの時は離婚した原因が沙耶さんにあると思っていたが、今は目の前にいるこいつがギャンブルで抱えた借金のせいだって知っている。

 そんな糞みたいな人間が別れた人と復縁したいなんて言っても、到底信じられるものではない。

 だがこいつは俺が本当の理由を知らないと思っているんだろう。知っていれば紫音がこいつの側から離れていくはずだから。


「特に深い意味はありませんよ。それより沙耶さんと話がしたいんですよね?」

「ん? ああ、そうだ。あいつもきっと俺を待っているだろうからね――きみには酷な事だろうけど」

「……まぁ、そうですね。でも……いえ……。沙耶さんと話す場を用意します。といっても沙耶さんも忙しい人ですから――二日後の夜7時にそこの駅前にあるカフェに来てください」

「……いいのかい? 今の家庭がなくなるかもしれないんだよ?」

「正直それは困りますけど、今のままでは沙耶さんを信じる事が出来ませんから……ね」

「……そうか。ならお言葉に甘えさせてもらおうか。それじゃ二日後に」

「……はい」


 高橋は勝ち誇ったような目をして俺の前から立ち去っていく。

 人間追い詰められて縋る思いで助けを求めようとすると視野が狭くなるって話、本当なんだな。


(ま、おかげでスムーズに問題が処理できるんだからいいか)


☆★


 そして約束の二日後の夜。

 指定した時間に指定した店のドアを抜けると、奥にある席に高橋の姿があった。

 高橋は俺を確認すると小さく手を上げながら席を立つ。その視線はチラチラと俺の後方に向けていた。恐らく俺の後に沙耶さんが入ってくると思っているのだろう。


「こんばんは、高橋さん」

「うん、こんばんは。時間ぴったりだね。俺は沙耶に会えるのが楽しみで30分も前に来てしまったよ」

「そうですか」


(何が楽しみにしてただ。お前の頭にあるのはこれで取り立てから解放されるっていう安堵だけだろ)


「えっと……それで、沙耶はどこに?」

「沙耶さんなら来ませんよ」

「え? それは俺に会いたくない、と?」

「いえ、そうではなくて――初めから今日の事を沙耶さんに話してないんですよ――あ、俺も同じアイスコーヒーで」


 安堵した目から困惑が滲み、沙耶さんが来ないと知れば驚きの目。そして沙耶さんが来ない理由を聞かされた途端苛立ちを滲ませ、表情が一気に歪んだ高橋を横目に注文を取りに来た店員にアイスコーヒーを頼む。


(やっと正体を見せたな。まあ、安心しろよ――お前の要件は分かってんだから)


「どういう事だ? 話が違うだろ」

「まぁ落ち着いて下さい。確かに沙耶さんは来ませんが、アンタの目的は沙耶さん自身じゃなくて――金だろ?」

「っ!?」

「紫音に口止めされてたから油断してましたか? 生憎俺は元々嫌われてましたから、今更あの人の言う事を素直に聞いて機嫌をとる必要なんてないんですよ」

「……つまり、沙耶から聞いたのか?」

「はい。全部聞いてます。だから沙耶さんをここへ呼ぶ必要がないと判断したんですよ」

「どういう意味だ?」

「どういうってさっき言ったでしょ? アンタの目的は沙耶さんじゃなくて金だろって」


 そこまで話せば俺の意図を察したのか、険しかった眉間の皴の深さが浅くなった。


「いくらですか?」

「…………」

「ちゃんと言わないと分からないですか? アンタはまた借金抱えて首が回らなくなって、沙耶さんに泣きつこうとしたんでしょ? いくらですか?」

「…………300万」


 こいつに学習能力なんて欠片もないんだろうなと、思わず盛大なため息が漏れた。


「まったくアンタって人は……。1000万以上の借金を肩代わりしてもらったってのに、はっ! 今度は300万とか――金をなんだと思ってんだよ」


 もうこんな奴に白々しい敬語なんて必要もないと、まるで汚物でも見るような目を向けて鼻で笑ってやった。


「ガキには分かんねえよ」

「分かりたくもないっての、そんなもん」


 高橋ももう正体を隠す気がなくなったのか、話す口調が汚らしくなった。

 こんな奴のどこに惚れたんだと思わないでもないが、きっと当事者にしか分からない理由があったのだろうと思考を放棄して、本題に入る事にする。


「さっきも言ったけど、アンタの目的は沙耶さん自身じゃなくて沙耶さんが持っている金目当てなんだろ? だからここには俺だけで来たわけなんだけどさ」

「お前が言ってる事が正解だったとして、親のすねかじって学生をやってるお前が来ても意味がないんじゃないか?」

「はっ! 嫁のすねをかじるしか能のないアンタに言われたくないね」

「なんだと!?」


  完全に煽った言い分にテーブルを叩き血走った眼で睨んでくる高橋の前に、投げ捨てるように鞄から取り出した封筒を置いた。

 パンパンになっていて、表に銀行の名前が印刷してある封筒を。


「……なんだ? これは」


 そう言いつつも封筒に印刷されてある銀行名を凝視する高橋の問いに、俺はまた盛大な溜息を返す。


「白々しい。すぐにその封筒の中身を察してるくせによ――400万入ってる」

「400!?」


 言うが早いか高橋はすぐさま封筒を手に取り、恥もわきまえず封筒の中身を確認する。


(まるで薬物が切れた中毒者みたいだな)


「ほ、本当に400万ある……おい、この金は――」

「俺の金だ。100万多いのは手切れ金だと思ってくれ」

「手切れ金……だと?」

「ああ、そうだ」


 そんな風に冷静に話す俺だったが、内心ではホッとしていた。


 封筒に入っている金はほぼ俺の全財産だ。

 もし高橋の借金がそれより多かった場合話を纏めにくくなってしまう為、借金の額を訊いて安堵したというわけだ。


「この契約書にサインと拇印を押せ。そうすればその金は全額くれてやる」

「契約書だと?」

「あぁ。といっても内容は簡単な事だ。この金を受け取ったら今後沙耶さんは勿論、紫音さんや夕弦。それに俺と親父にも一切関わるなというだけだ。悪い話じゃないだろ?」


 意識してニヤリと笑みを作って見せると、高橋の喉がゴクリと鳴った。


「あー、先に言っておいてやるけど、沙耶さんがまだアンタに惚れてるかとのくだりだけどな。あれ、アンタの痛い勘違いだから」

「痛い勘違い……だと?」

「あぁ、沙耶さんが紫音さん達に離婚の本当の理由を隠していたのはアンタに気持ちがあったり、ましてや復縁を待ち望んでいたからじゃない。沙耶さんが嘘をついているのは2人の娘の為だ」

「娘の為? 俺にまだ気があるからじゃないってのか!?」

「はぁ、当たり前だろ。どこの世界に働き詰めで借金返済しようとしてる側から次から次へと借金作ってくる男の事を想う女がいるんだよ」

「…………」

「沙耶さんが嘘をついた理由は、自分達のせいで2人の人生の選択肢の中に結婚を外して欲しくなかったからだ。その為にあの人はアンタの泥を被ってんだよ」

「っ!」


 これは沙耶さん本人から聞いた事。この話を聞いて沙耶さんの母親としての深い愛情を思い知ったのと、高橋への想いなんて微塵もない事を確信した。


「それでも沙耶さんの復縁を狙って話をするというのなら好きにすればいい。ただし、沙耶さんの復縁が無理だったからこの金をってのは無しだ。つまりこの金を受け取れるのは今日この時だけだって事だな。どうする? ギャンブラー」


 嫌味にしか聞こえない名称で高橋の事を呼ぶと、ピクリと眉が上がった。恐らく目の前の金と沙耶さんから得られるかもしれない金を天秤にかけているのだろう。今、奴はそういう目をしている。

 高橋のクズさ加減に内心溜息を零しつつ、どちらを選ぶのかの返答を待つ。


(……まぁ、どっちを選ぶのかなんて分かりきってるけどな)


 どれだけ待つ必要があるかと思案しようとしたが、決着は思っていた以上に早かった。

 悩んだ表情をしたのはほんの1分程で、高橋は一旦手を離した封筒にまた手を伸ばしたのだ。


「さすがに負けが見えてる方に賭ける気にはなれなかったか? ギャンブラー」

「はんっ! ギャンブルってのは勝機があって初めて成立するものなんだ。負けしか見えない事にギャンブルしかける程バカじゃねえよ」


 負けっぱなしで借金地獄に身を落としてる奴が何言ってやがるとは思ったが、これ以上余計な話をする価値もないからと出かけた言葉を飲み込んだ。


「契約書にサインしてやる」

「させて下さいの間違いだろうが……ったく」


 憎まれ口を返した俺は鞄の中からペンと朱肉をテーブルに置いた。


「ペンはともかく朱肉も用意してるなんて、周到だな」

「当たり前だろ。この二択で沙耶さんの方を選ぶなんて有り得ないんだからな」

「……違いない」


 高梨はそう零した後、契約書にサインと拇印を押した。

 俺は書き込まれた契約書に視線を落として間違いない事を確認してから、ウキウキといった感じで渡した封筒の中を眺めている高橋に鋭い目を向けた。


「その金は正真正銘、高校の時からバイトに明け暮れて貯めた金だ。とある理由があって貯めていたものをこうしてくだらない借金の返済の為に譲渡するんだ……」

「言ってくれるじゃねえか。ま、感謝してるけどよ」

「だから確認するぞ。必ずこの契約守れよ」

「ああ、わかってるって」

「もし守れなかった場合――――殺すぞ」

「っ!?」


 脅して釘をさすつもりで言った言葉のつもりが、その言葉に自分でも驚く程――低く、鋭く、そして殺気が籠った。

 俺が言った事を本気と受け止めた高橋は顔面の肉を盛大に引きつらせ、頬から冷たい汗を落とす。


「…………や、約束する。今後一切あいつらとお前達にも関わらねえ」

「頼むぞ? 俺もお前みたいなクズのせいで殺人犯になるなんて、できれば御免だからよ」

「…………肝に免じるよ――そ、それじゃ、俺は」

「あぁ、もう用はない。さっさといけ」


 俺が店を出ていけと顎先を店のドアの方に向けると、封筒をジャケットの内ポケットに仕舞った高橋が席を立つ。

 その間、湧き出てくる殺気を解いていない。というより解く気になれなかった。

 そのまま店を出て高橋とはおさらばと思ってると、あいつの足音が俺の横で止まる。


「あー、その……俺が言えた義理じゃねえんだけど……沙耶達の事――宜しく頼む」


 全くその通りで、お前がクズだったからあの3人はしなくていい苦労を重ねてきたのだ。


「マジでお前が言うなっての。つか、アンタに頼まれなくたって分かってる。沙耶さん達は俺の大切な家族なんだからよ」

「……ふん、愚問だったな。じゃあな」

「…………」


 止まっていた足音がまた鳴り始める。俺は店を出ていく高橋の姿を追わずに、店のドアが閉まる音を待つ。

 その音が俺の仕掛けた戦いを終える合図だから。


 やがてカランというドアベルが鳴る音が聞こえた。

 俺はドッと押し寄せてくる体の重みを預けるように背もたれにもたれて、1人大きく息を吐いてテーブルに置いてあったスマホを手に取る。


(はは、盛大に数字がなくなったな)


 スマホの液晶画面に映し出されている数字に苦笑いを浮かべる。映し出されている数字はスマホと連動させている口座の預金額で、高橋に400万渡した事で桁をみるみる失った数字に笑ったのだ。

 目標額は500万だった。そこまで貯めたらすぐに親父に全額渡そうと、ずっと働いてきた。

 親父にはそんなものはいらないと言われてきたけど、これだけは受け取ってもらわないと納得できないから、何を言われてもバイトも貯金もやめなかった。

 そしてその目標額まであと少しと迫ったところで、口座の預金額の殆どが溶けたのだ。


(親父に申し訳ないとは思うけど、金の使い道には後悔はない)


 金はまた貯めればいいが、家族が余計なトラブルに巻き込まれた場合、取り返しのつかない事になる可能性がある。

 であれば――迷う必要なんてない。


 流石に今からじゃ学生の内に目標額を満たす事は無理だろうけど、足らず分は就職してからでも問題はない。


「…………ふぅ」


 肩の荷が下りたと思いたいけど……まだ問題が残ってる。

 だけど、その問題を解決するのは俺じゃない――まかせたよ、沙耶さん。


(……あれ? そういえば、足音だけ聞いてたけど、あいつ立ち止まらないで店を出て行ったような……って!?)


 テーブルの端に置いてあるプラスチックで出来たケースの中に、入っていてはいけない物がまだあった……。


「あの糞野郎! 100万も余計に渡してやったんだから、ここの代金くらい払ってけよ!」


 俺は残されていた伝票をグシャリと握りつぶして、とことんクズい高橋を呪った。

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