episode13 訊きたかった事

「スゲッ」


 車を降りて思わず漏れた一言。


「んふふ、綺麗でしょ」

「うん」


 目の前には目を見張る程の夜景が広がっていて、俺は足を止めてその景色に意識を奪われる。


「どこかの高層ホテルのラウンジでお茶しようかとも思ったんだけど、折角雅との初めてのドライブデートだからここに連れてきたかったのよ」


 目的地であるログハウスはどうやらカフェになっているようで、沙耶さんはラウンジではなくこのカフェで話をしようと連れてきれくれたようだ。


「よく来てるの?」

「再婚してからは初めてかな。ここって交通手段が車かバイクしかないから不便なんだけど、その分美味しい珈琲を飲ませてくれるし、この景色が見れるから昔からお気に入りなんだ」

「そうなんだ」

「太一さんとお付き合いしてる時も、何度か来てたのよ」


(親父がここに?)


 こんな隠れ家的なお洒落なカフェであろうと沙耶さんは絶対に似合うと思うんだけど、あの親父の場合落ち着かなくて挙動不審になってんだろうな……うん、目に浮かぶようだ。


「さあ、お店の中からもこの景色を楽しめるから中に入りましょ」

「あ、うん」


 カフェの中に入ると外見からも想像は出来ていたけど、モダンな作りでとても落ち着く雰囲気の店で、カウンターにいるマスターと思われる人も見事に店内の空気に溶け込んでいるような感じでとても好感がもてる店だった。


「いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ」


 カウンターから声をかけてくるマスターに沙耶さんは軽く会釈だけ残して、俺を目線で案内しながらガラス張りになっている席に向かう。


「うっわ……これは」

「ふふ、外で見る景色とはまた違って、いいでしょ」

「うん。これは贅沢な席だね」


 沙耶さんが案内してくれた席は窓というよりガラス張りになった壁際の席で、そこからまたあの絶景の夜景が眺める事が出来た。

 店内は夜景を楽しむ為に照明が暗く落とされていて、寧ろ夜景の光が店内を照らしているような、そんな幻想めいた感想を抱いてしまう程に贅沢は時間が過ごせる席だった。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 注文をとる為にマスターがトレイに乗せた水をテーブルに置き伝票を構える。俺はこの店のメニューを知らないから後で注文をしようと思ったんだけど、沙耶さんが「私が決めていい?」というので任せる事にした。


 まだ残暑が厳しい季節といってもここは標高が高い山の上にある為、半そででは少し肌寒く感じるのと店の自慢がホットコーヒーらしく、沙耶さんは昼飯を食べてから何も食べていないからとホットコーヒーのセットを注文した。


マスターがオーダーを復唱して席から離れていくのを見て、俺は改めてガラス一面に広がる夜景に目を移す。


「こんな雰囲気のあるところじゃ、親父のやつ挙動不審だったんじゃない?」


 俺の中の親父はお洒落なレストランより大衆食堂。落ち着いたBARより騒がしい居酒屋ってイメージだから、親父がこんな所に来ればどういうリアクションだったのか容易に想像できた。


「あら、雅は分かってないわねぇ。太一さん落ち着いたリードをしてくれるのよ? あの時も楽しくて時間を忘れていたわ」

「え? あの親父が!?」


 こんな店でしかも沙耶さんを連れている親父がそんな対応をとったなんて想像できない。勿論、俺が見てきた親父が偽りのものとは思わないけれど、俺には見せない姿ってのがあるみたいだ。


「お待たせしました」


 沙耶さんから親父とここへ来た時の話を聞いていると、マスターが注文したメニューを運んできてくれた。そのセットメニューが美味そうで空腹だった事を思い出し早速口に運ぶ。


「あ、美味い」

「ふふ、でしょ? ここが美味しいのは珈琲だけじゃないのよ」


 珈琲とセットで運ばれてきたのはライ麦パンで挟んだサンドイッチだったのだが、これが予想以上に美味くて思わず笑みが零れるほどだ。


「これレシピ研究したいかも。朝飯にこれ出したら夕弦喜びそうだし」

「んふふ、雅は本当に夕弦を可愛がってくれて嬉しいわ」

「俺にとって大切な義妹だからね。俺一人っ子だったし、ずっと親父と2人で生活してきたから……可愛くって仕方がないんだよ」

「ありがとう、雅」


 お礼なんて言われる事をした覚えはないけど、沙耶さんがお礼を言いたくなる理由も分かるから……俺は素直に沙耶さんの礼を受け取った。


 それから家族の事や大学の事。そして最近撮り終えた映画の撮影話に花を咲かせて食事を楽しみ、お代わりをした珈琲に口を付けたことろで本題を振ろうとしたら、沙耶さんの方が先に口を開いた。


「ねぇ、雅。どうしても聞きたい事があるんだけど……いいかしら」

「うん……でも先に俺の話をしていい? 多分その話が沙耶さんの聞きたい事に繋がってるはずだから」

「……そうなの?」

「うん。だから俺からでいいよね」

「…………」


 俺の提案を沙耶さんは無言で頷いてくれた。

 正直話すをと決めていたのに、いざとなると腰が引けてしまう思いがある。

 だけど、今日こうして沙耶さんと過ごした時間が嘘でも演技でもないと――俺はあの時の事を口に出す。


「高橋義之って人……知ってるよね」

「っ!?」


 俺が前夫である高橋の名前を口に出すと、沙耶さん顔が目で分かる程に硬直した。

驚くのは無理もない、親父は知ってるんだろうけど、俺とはその人の話をした事なんてなかったんだから。


「……どうし……て、雅がその……名前を?」

「実はこの前その人と会ったんだ」

「っ!?」


 今度は沙耶さんの顔から血の気が引いていき、元々の白い肌から生気のようなものが抜け落ちていくような色に変わっった。

 そんな変わりようを見せられたら、大丈夫だと信じてた気持ちの根本がグラついたけど、もう後戻りはできないと話を続ける事にした。


「偶然とかじゃなくてR駅で待ち伏せしてて、俺が通りかかるのを待ってたらしくて話しかけてきたんだ」

「…………なんの話だった?」

「沙耶さんと復縁したいから協力してくれって」

「………………」

 

 本当はそこから紫音も混じったんだけど、その事は内緒だと釘を刺されてるから今は言わない方がいいだろう。高橋と会った事を話してしまったんだから、手遅れかもしれないけど。


――それに俺が訊きたい事は紫音がどうのって話じゃない。


「高橋さんが言ってた。『あいつはまだ俺に惚れてる』って」

「っ!? な、なにを根拠に……」

「そう断言したのは、沙耶さん達が離婚した原因にあるみたいな言い方だったよ」


 そこまで話すと、俯いていた沙耶さんの顔があがり俺は思わず息を呑んだ。眉間に深い皴を作り目尻に涙が溜まっていて、歯ぎしりの音が聞こえてきそうな程に歯を食いしばっていたから。こんな沙耶さんを見るのは初めてだ……。


「……それで私が雅に訊きたかった事に繋がるの、ね。納得したわ……」


 言ったのと同時に沙耶さんは席を立ち伝票に手を伸ばす。


「ちょ、沙耶さん!?」

「ちょっと急用が出来たから帰るわよ、雅」


 こんなに一方的な言い方をする沙耶さんも初めてで困惑する思いが膨らんだけど、このまま帰るのだけは違うという事だけは分かる。


「待って、沙耶さん」


 俺は伝票に伸びた沙耶さんの手首を掴んで静止を促した。帰って沙耶さんが具体的にどうするのかまでは分からないけど、高橋と会おうとしてるのは間違いないはずだから。

 俺は高橋が会いに来た事を沙耶さんに文句を言うつもりで誘ったわけじゃない。


「……私達の事で迷惑かけてごめんなさい。ここからは私が――」

「――違うよ、沙耶さん。俺は文句を言う為に沙耶さんと話したいって言ったわけじゃない……俺は本当の事が知りたいだけなんだ」

「……本当のこと?」

「うん。教えて欲しいんだ。沙耶さん達が離婚した本当の理由をさ」


 そう、俺が知りたいのは2人が離婚した本当の理由。

 

 高橋の言いぶりだと俺が訊かせている理由と違う、本当の理由を隠されているとしか思えなかったから。

 沙耶さんは俺の真意を察してくれたのか、伝票から手を引いて元いた俺の向かい席に腰を下ろす。


 そして、小さく息を吐いて俺の目をまっすぐに見るのだ。


「確かに私は雅に嘘をついてたわ。それに紫音と夕弦にも……」

「2人にも……?」

「ええ。だってこの嘘はあの子達の為についた嘘だから」


 離婚した理由を子供の為に偽る理由なんて思いつかないけど、沙耶さんの人となりを知る身としてその理由が決してくだらないものじゃない事だけは分かる。


「勿論、本当の理由は太一さんには話してるんだけど、あの子達の耳に入って欲しくなかったから他言しないようにお願いしてたの」

「……聞かせてもらえますか? 紫音さんと夕弦の為についた嘘なんだったら俺には話してもらえるよね。勿論、2人には話さない事は約束するから」

「うん。何時かは話すつもりなんだけど、お願いね――実は私達が離婚した理由は……」


 そして俺は沙耶さんの離婚した理由と、紫音と夕弦に隠していた理由に、驚きと母親としての深い愛を思い知らさせる事になる。

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