episode 12 ドライブデート
「人見さん。お疲れ様です」
「うん。お疲れ、雅君。病み上がりだけど大丈夫?」
「はい。おかげ様で」
風邪が完治して再開させた【モンドール】でのバイトが終わり、同じシフトだった人見さんと挨拶を交わしてながら裏口から出て、店の表に向かう。
沙耶さんに看病してもらっている時、その現場を目撃した夕弦に盛大な勘違いをされて誤解を解くのに更に熱が上がりそうになったが、何とか風邪を治す事が出来た。
(本当にあの時は大変だったなぁ……はぁ)
「ね、雅君」
「なんです?」
「今日って後ろはないんだよね?」
後ろがないというのは、この後に他のバイトの予定がないという意味だ。
「今日のバイトはこれで終わりですよ」
「ならさ! 晩御飯付き合ってよ。最近バイトの愚痴が溜まっててさぁ」
風邪でシフトを代わってもらったし、それで迷惑をかけたお礼になるのなら問題はないのだが……。
「すみません。今日は――」
この後予定があると言うとした時、店の前から短く車のクラクションの音が聞こえた。
「待たせちゃったかしら、雅」
クラクションが鳴る方に顔を向けた先にある車から降りて声をかけてきたのは、仕事帰りの沙耶さんだった。
長く細い足を際立たせるパンツに上等な素材で作られたシャツ。胸元にはさり気なく光るアクセサリーに綺麗な髪をアップでまとめて、ハリウッドスターばりに似合うサングラスをかけた沙耶さんは、どこからどう見ても≪出来る女≫そのもので。
しかも高級外車から降りてきたものだから、一緒にいる人見さんは言葉を発する事なく呆気にとられているようだった。
「俺も丁度終わって出来たとこだから、全然待ってないよ。今日もお仕事お疲れ様」
「そう? ならよかったわ。雅もお疲れ様」
そんな人見さんを置いて、俺の方に歩み寄る沙耶さんと気心の知れた挨拶を交わす。
「……ねぇ、雅君」
「はい?」
「この人……だれ?」
正体が分からないと言えはいえ、本人が目の前にいるというのにそれを問うのは失礼だとは思うけど、多分それだけ困惑しているんだろうな。
だって、どう考えても一介の学生の知り合いには見えない程に、今の沙耶さんが放つ雰囲気が凄いものだから。
「えっと、紹介しますね。こちらは俺の……は、母です」
「…………は?」
「え? いや、だから……は、母ですよ」
以前から沙耶さんから敬語を止める事と、自分の事はお母さんと呼んで欲しいと言われていた。敬語は止める事が出来たんだけど、お母さんと呼ぶ事は恥ずかしくて未だに沙耶さんと呼んでいる。
だからまさかだったな。まさか初めて沙耶さんの事を母と呼ぶ時が誰かに沙耶さんを紹介する時になるなんて。
(ハズい! 死ぬほどハズいから聞き直さないで下さい!)
「雅の母の沙耶です。息子がいつもお世話になってます」
自分の事を母と紹介された沙耶さんは、それはもう心の底から嬉しいという感情を一ミリも隠そうとせずに、定番ではあるけれど人見さんに自己紹介してくれた。
「あ、えっと……人見です。こちらこそ雅く……雅さんには大変お世話になってます」
困惑したままではあったけど、人見さんも自己紹介してペコリとお辞儀する。
だが、顔を上げた人見さんの表情からは驚きの色は消えていなくて、緊張した声色で話を続ける。
「あ、あの……失礼ですけど、本当に雅さんのお母さんなんですか? お姉さんじゃなくて……」
「あら、そう言って貰えるなんて嬉しいわ。でも、正真正銘私は雅のお母さんですよ」
言って、沙耶さんは茶目っ気たっぷりにピースする。大変失礼な話ではあるけれど、沙耶さんの実年齢の同世代の女性がこんなポーズをしたら……しかも自分の母親がそんな事をしたら正直キツいものがあるんだろうけど、沙耶さんがすると可愛らしく見えてしまうのは仕方がないだろう。
だって、二十代後半だって言っても誰も疑わないであろう程に沙耶さんは若々しい人だから。
「それより雅! ついに私の事お母さんって言ってくれたわね! これからもそう呼んでくれるのよね!?」
もう目をキラッキラさせてそう詰め寄ってくる沙耶さんに、やっぱりそうくるかと顔を引き攣らせる。
「い、いや、今は人見さんに自分の母親だって紹介しただけであって、呼び方を変えたわけじゃ……」
「…………違うの?」
「うっ」
悲しそうに目を潤ませて上目遣いでそう問う沙耶さん。
ズルい……俺が沙耶さんのその顔に弱いのを知っててやってるのが分かるから……ホントにズルいですってば!
「ぷっ、あはははは!」
沙耶さんの攻撃にタジタジになってると、そのやり取りを見ていた人見さんが吹き出した事で人前だった事を思い出してハッとした。
(……は、恥ずかしい……)
穴があったら入りたいなんて言うけれど、初めてその気持ちが分かった。
「雅君にも弱点があったんだねぇ!」
人見さんがそう言いながらまだ笑っている。そんなに面白かったんだろうか……。というかまるで無敵みたいに言わないで頂きたい。何時もバイト先では仕事に対して完璧を求めてきたから驚かれるのは分かるけども。
だが、これはナイスな援護かもしれない。話題が逸れた事を利用して有耶無耶にしてしまおう!
「俺は弱点だらけですよ、人見さん。それより沙耶さん時間が勿体ないから」
「…………そうね」
納得いってない感がありありだけど、時間が惜しいのは間違ってないから沙耶さんも渋々と人見さんに会釈して車の方に向かう。
(ごめんね、沙耶さん。もう少しだけ待って)
「というわけですみません、人見さん。今日はこれから母と約束があるので帰りますね」
「え、あ、うん。その代わり今度お母さんについて色々教えてね」
「? まぁいいですよ。それじゃ」
何で人見さんが沙耶さんに興味を持ったのか分からないけど、とりあえず今はこれからの事が最優先だと、沙耶さんが待つ車に乗り込んだ。
「シートベルトお願いね」
「了解」
俺がシートベルトを締めたのを確認した沙耶さんが車をゆっくりと発進させる。
正直さっきの事で車内の雰囲気が悪くなる事を覚悟していたんだけど、それは杞憂だったみたいで交差点を一つ曲がった所で沙耶さんから鼻歌が聞こえてきた。
嬉しい誤算ではあったけど、勿論≪機嫌がいいね≫とは藪蛇になるような事は言わない。
何故こうして沙耶さんと外で待ち合わせたのか。
それはお互い2人きりで話がしたかったからで、家では中々そう時間が取れないからと外で話をする事になったからだ。
そして、外で待ち合わせたのは家から一緒に出掛けようとすればほぼ間違いなく夕弦が「2人だけでお出かけなんてズルい!」と抗議してくるのが目に見えていたから。
だから今日は2人共別の用事があって帰りが遅くなるからと伝えていて、晩飯は久しぶりに親父が作る事になっている。
勿論、親父には今日2人で出かける事は知らせてある。
そういえば外で話をするって事だけ決めてて、どこへ行くのか訊いてなかったな。まぁ話をするだけだからそんなに遠い所じゃないんだろうけど。
そう考えていたんだけど、沙耶さんはそのまま高速道路に乗り快調に車を走らせる。わざわざ高速を使ってどこまで行くのかと目的地を訊こうとしたら、先に沙耶さんがご機嫌なトーンで話しかけてきた。
「んふふ、こうして雅と夜のドライブデートが出来るなんて思わなかったわ」
「デートって俺達親子じゃん」
「あら! 親子でもデートするわよ」
「えー? そんな事初めて聞いたよ」
「そう? 私は凄く嬉しいけど、雅は迷惑だったかしら?」
「……そんな事ないけど、さ」
他の家庭はどうなのかなんて知らないし、本当の親子じゃないから有り得た事なのかもしれない。
ただ、俺もこうして沙耶さんと出かけるのはまったく嫌ではなかった。(恥ずかしいから言わないけど)
暫く走った高速道を降りて今度は峠道を上っていく。進む度に街頭の灯りが減っていき、とうとう車のヘッドライトの灯り頼りの道になった。
こんな山奥になにがと、というより道に迷ったのかと思ったけど、運転する沙耶さんは相変わらず上機嫌な様子だったから間違っていないんだろう。
やがて真っ暗だった先から光が漏れてきた。その光に近づくと辺りの空も明るくなっているのが分かる。
「さぁ、着いたわよ」
そう言って車を止めた所は、ログハウスで出来た店の前だった。
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