episode 11 過剰な看病

「ヤバい! 俺……寝て、んぐっ!?」


 雅の寝顔を見ながらそんな事を考えている間に、どうやら目を覚ましたようだ。

 だけど、喋ろうとした途端喉に痛みが走ったようで言葉が途中で詰まる。

 それはそうだ。お医者さん曰くかなり扁桃腺が腫れ上がっているみたいで、暫くは水を飲むのも苦労するって言ってたから。


 それでも私に気を遣うような事を途切れ途切れに言う雅に、余計な事は考えないで休みなさいと起き上がろうとする体をベッドに押し戻して、私もさっきまで考えていた事を一旦放棄した。


(今は雅の看病が最優先だからね)


 私の事を気にして無理に起き上がろうとした雅を諦めさせて、まずは何から手を付けようかと思案した時、掛布団を掛けようとした雅の首元に浮き出ている汗が目に入る。


(そうだわ! まずはこれからね!)


「雅ちょっと待っててね」


 私は眠ろうとする雅に待ったをかけてすぐさま部屋を出てキッチンに向かい、恐らく奥に仕舞ったであろう水桶を探し当て適温のお湯を張り、綺麗なタオルを準備して雅の部屋へ戻る。


「眠る前に着替えないとね」


 言われて初めて気が付いたみたいに汗を湿らせた自分のパジャマを見る雅。きっとそんな事も考えられない程に苦しかったんだろう。

 だけど、着替えが見当たらない事に首を傾げる雅にムフンと得意げに水桶を見せると、口元をヒクヒクと何かを察したようだ。


「……あ、の?」

「さ! もうひと眠りする前に体を拭くからパジャマ脱いで」

「…………え”!?」


 きっと母親に体を拭いてもらうなんて赤ちゃんの頃はともかく、記憶の中にある事では初めての事なんでしょう。太一さんから聞いた内容からそう想像するのは容易い事だ。

 だからこれからは私がこの子の母親として、家族の温もりを与えたいと思うのは当然であり必然なのよ。


「……い、いや……さ、やさ……。じぶ……で」

「無理に喋る必要なんてないわ。お母さんに任せてね」


 声があまり出てないけれど、雅が言わんとしてる事は分かる。

 だけど、ここは多少強引でも押しとおる。


「熱がまだ高いから体を動かすと痛むでしょ? 大丈夫! お母さんに任せて、ね!」

「…………は、い」


 正直本音を言えば、血の繋がりもなく小学生のような子供でもない大人の男性の体を拭くというのは、恥ずかしい気持ちがある。

 だけど、その恥ずかしさを一切表に出さないように努めて、雅が服を脱ぐのを待った。

 もし僅かにでも気持ちを表に出せば、それが雅に伝染して絶対に逃げ出すはずだから。


 背中を向けて上着を脱いだ雅の背中は思ってた以上に汗をかいていて、その肌に触れなくともどれだけ不快だったのかが分かる。

 私がすぐさ水桶に張ったお湯につけていたタオルを絞って雅の背中にそっと当てると、大きな背中がビクッと震えた。


「あ、ごめん。冷たかったかしら?」

「……い、え」


 おっと、扁桃腺を腫らして喋りにくいのに話しかけるのは駄目だったわね。


「それじゃ、このまま拭いていくわね」

「…………」

 

 黙って頷くのを見て、私はなるべく優しく雅の背中を拭いていく。

 分かっていた事ではあるけれど、こうして直に触れていると改めて大きな背中だと知らされる。

 勿論、雅も男性なんだから当然といえば当然なんだけど、この大きさは単純に面積のせいじゃない。私達はいつもこの背中に甘えているからだ。

 何時もこの背中越しに見える雅の笑顔に頼もしさと安心を貰えている。暮らし始めは遠慮していたけど、何時の間にかこの背中を頼っていた。


 その結果がこれだ。


 雅は本音でこの生活を大切にしてくれている事は分かってる。

 だけど、気持ちと疲労は別物で現にこうして体調を崩してしまった。

 

(どうすれば、雅の気持ちに応える事が出来るか、よね)


 不自由のない学生生活を送らせてあげたくて仕事を頑張ってはいるけれど、雅はそのお金に甘えるどころか大学生の圧倒的ともいえる自由な時間を可能な限りアルバイトにあてて、自分の出費を抑えて貯めたお金を太一さんに支払うつもりでいる。

 この原因を太一さんから聞いてはいるけど、当人である太一さんがいらないと言っても聞き分ける気がないみたい。

 そんな雅が家のお金を当てにするわけがなく、共働きの我が家の貯蓄が貯まっていくだけになっている。

 母親らしく家事を頑張ろうにも、情けない話この分野において私は雅の足元にも及ばない。女子力のある男性はモテるというけれど、限度というものがあると私は思う。


 そんなこんなで不甲斐ない思いをしつつも、こうして家族を大切にしてくれる雅にはいつも感謝している。

 紫音に関しては何か溝があるみたいでまだ馴染んでいないみたいだけど、あれだけ周囲の人間を拒絶していた夕弦なんてちょっと心配になるくらいに懐いているし、雅もそんな夕弦を心から可愛がってくれている。

  

 そんな昔夢みた家族が出来つつある中で、昨日の雅の態度が気になって仕方がなかった。

 成人しているとは言ってもまだ学生で子供なんだから、色々な感情が入り混じって何時もと違う態度で接する事は経験から知っているけど、昨日の雅は言葉では説明し辛いけどそれとは違う気がした。

 何か私に訴えたい事があるような……今まで見せた事がない疑惑?と感じる雅の目が私を不安にさせている。


 何か気に障る事をしたのかと何度も思い返してみたけれど、よくも悪くもいつも通りの行動しかとった覚えしかなく、ハッキリいって心当たりがない。


(……ねぇ、雅。どうしてあんな目で私を見たの?)


☆★


 体を拭いてくれるという沙耶さんに対して照れ臭くて遠慮したんだけど、問答無用と現在されるがままに背中を拭いて貰っている。最初は力加減が分からないのか恐る恐るといった感じだったけど、慣れてきたようで丹念に汗で濡れている背中を拭いてくれている感触が心地いい。

 だけど、こうしてタオル越しに沙耶さんの力加減を感じていると途中から集中して拭いていない事に気付く。恐らくだけど、何か考え事をしているのではと思う。

 遠慮する俺に強引な行動をとったのは沙耶さんなんだから、俺の体を拭く事に集中するはずだ。

 だというのに他の事を考えるって事は、多分だけど昨日の俺の態度の事を考えているのかもしれない。昨日の事があるからこうして強引な事をしているんだと考えれば、色々と腑に落ちる。

 勿論、これはあくまで俺の予想であって自意識過剰なのかもしれないけど、もしそうであれば……やっぱりハッキリさせた方がいい。


「……あ、のさ……さ……やさ」

「こーら。喉痛めてるんだから喋っちゃ駄目だっていったでしょ」


 上手く発せない言葉で沙耶さんに話しかけようとしたら、どこか上の空に感じていた感触が戻り喋るなと叱られてしまった。

 確かに上手く話せないのなら、この話は今する必要はないかもしれないが、こうして二人きりじゃないと話し辛い内容だしなと出せない声をもどかしく思っていた時だ。「ねぇ、雅」と沙耶さんが声をかけてきた。俺は上手く話せない事を諦めて黙ったまま顔だけ振り向くと、少し強張った表情の沙耶さんの顔があった。


「……私に何か言いたい事があるんじゃない?」


 沙耶さんに言いたい事というか話したい事は確かにある。

 だけど、沙耶さんが言ってきた事と俺が話したい事は違うだろう。いや、まったく違うという事ではなくて、俺の話したい事の先に沙耶さんが聞きたい事が繋がっている気がする。

 だから俺は何も言葉を返す事なく、黙って頷いた。


「分かったわ。でも今は体調を戻す事だけを考えて、風邪が治ったらお話をしましょう」


 少し真剣な顔でそういう沙耶さんに頷く事で肯定する姿勢を見せると、少し考えた後「それじゃ、治ったら雅の時間を少し貰うわね」と言って、また体を拭く事を再開した。


高橋の言う事を鵜呑みにしたわけじゃない――わけじゃないけど、やっぱり気にならないと言えば嘘で。そんな燻ぶったような気持ちが昨日態度に出てしまった。変な気苦労をさせてしまった事は申し訳ないと思う。


 ……思うけど。


「後ろは拭けたから、今度は前を拭くからこっち向いて」

「……え? い……や、あ……の」


 昨日の事もあって沙耶さんの対応が過剰になってしまった事には責任を感じているんだけど、だからっていくら家族といっても全身拭く気満々なのはマズいと思うんだけど!?


「ほら! 何恥ずかしがってるの?」


 いやいや! それは恥ずかしいでしょ!?

 大学生にもなって母親に体を拭いて貰って恥ずかしがらない男がいるなら、ぜひ紹介していただきたい!

 とはいえ、言い出したら中々引っ込めない人なのはよく知ってるし、この行動を起こさせている根本が俺の行動のせいなんだから……ここは腹をくくるしかない、か。


 観念した俺がおずおずといった感じで沙耶さんの方に体ごと府振り返ると、沙耶さんは満足といった笑みを浮かべる。今更ではあるけど、いくら息子とはいえ血の繋がらない男の裸に抵抗というものがないのだろうか。


(拭かれる側の俺なんて恥ずかしくて仕方がないというのに――でも)


 温かいと感じる。実の母親にこんな事をしてもらった記憶がないから。勿論、赤ちゃんの頃はあったかもしれないけど、そんな頃の記憶なんてないんだから。


 もし、本当に万が一僅かに湧いてしまった疑念が真実だったとしたら、この人は有紀なんて足元にも及ばない天性の役者だと思う。


 そんな事を考えながら胸板辺りを拭いて貰っている時、ノック音もなく部屋のドアが開く。


「雅君! 風邪だいじょう……ぶ?」

「…………」

「…………」


 突然部屋に入ってきたのは学校から帰ってきた夕弦で、その視界の先にはベッドの上で上半身裸の俺と、見る角度によっては俺に迫ろうとしてるように見える沙耶さんがいるわけで……。


「っ! ち! ちちちちちょっと! ふ、2人ともなにやってんのよ!?!?」


 多感なお年頃の夕弦には、如何わしい事をしているようにしか見えなかったのだった。


 ――ホントに間の悪い奴だ。

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