episode 37 【3章・終話】 遅れてきた最後のヒロイン

 高校生までの学生が夏休みを終えてまた学校に通い始めた9月に入ったある日、まだ夏季休講中の俺は大学の特別棟のエントランスにいた。

 ここは映研サークル【もぐり】が使用しているスペースで、先日の配役オーディションが行われた場所だ。

 何故俺がここにいるかというと、会長である梨田さんにヒロイン役を紹介したいからと呼び出された為なのだが、何故紹介するだけでここに集合をかけたのか謎だった。

 今回招集がかかったのはサークル員全員ではなく、監督を務める梨田さん達幹部と、役者として参加する主要役を演じるメンバーのみなのも気になるところだ。


 だが、その疑問は現地に到着して先に着いていた梨田さんの説明で解消される。

 なんでも有紀が連れてくるというヒロイン役の子はあくまで限定的で、出演を決めるのは実際に実力を見てから決める事になっていた為だった。つまりこの場でまたオーディションを行った同じ内容の演技テストを見て決定する事になっているそうなのだ。

 それは有紀も同意の上らしく、梨田さんの提案に問題ないと即答するほど自信満々だったと言う。


(……あれ? って事は俺もまた演技しないと駄目なんじゃ?)


 オーディションをするって事は、俺もまたあのこっ恥ずかしい芝居をするって事……しかも今度は有紀が相手じゃなくて、見ず知らずの女の子と……。


(……いや、無理過ぎん!?)


 また芝居をしないといけないのかと困惑してる中、梨田さんに招集をかけられていたメンツが集まってくる。

 その中にはあのオーディション以来話す事がなくなった瑛太の姿もあった。梨田さんの話によれば一度は有紀が主役を推しただけあって、エキストラ役なんて勿体ないと後日準主役の追加オーディションを行ったらしく、見事に合格したらしいのだ。

 だけど、だからといって俺の事を疎ましく思う気持ちが解消されたわけではないのは、今に至るまでの瑛太の行動をみれば分かる。

 確かに今は夏季休講中で大学で顔を合わす事はないけれど、こういった長期休講中であってもマメに電話をかけてきたり、食事に誘って来たりしてきたのだから、瑛太が俺をどういう目で見てるのはなんて分かりきった事だ。


 呼び出したメンバーが全員集まった事を確認した梨田さんの目がチラチラと頻繁に腕時計に向かっている。

 全員集まったと言ったが、肝心の有紀とヒロイン役候補の女の子が来ていないからだ。自分から言い出しておいて勝手だなと思うが、あいつは昔からそうだったな1人溜息を零す。


「おまたせ」


 そうこうしていれば、全く慌てた様子もなく有紀がエントランスに姿を現せた。

 いや、ホントに悪びれた様子なんて微塵もなく、なんなら待ってるのは当然と言わんばかりに淡々と告げる姿は最早女王のそれだ……悪い意味で。


「……や、やぁ、葛西さん。待ってたよ」

「ん」


 遅れた事に文句ひとつ言うの事なく迎える梨田さんを見て、そんなんで沢山の人をまとめる会長が務まるのかと不安になる。いい人なのは間違いないんだろうけど、いい人であれば何でも上手くいくとは限らないと思うのだ。


 仕方がない。ここは俺が言ってやろうじゃないか。


「おい、有紀。皆をここへ呼び出した張本人が遅れてきたんだから、なんか言う事あるだろ」

「……何かってなに? 遅れたのはウチのせいじゃなくて、あの子が土壇場で駄々をこねたから」


 言って有紀は後方を指さすが、そこには誰もいない。


「何時まで隠れてる?」


 誰もいない場所に顔を向けて小さく溜息をついてそう言う有紀の声に反応するように、物陰から人影が現れた。


「強引に引き込んだのは悪かったと思うし、突貫工事みたいに扱ったのも悪かったと思ってる。だけど、ウチのお願い聞いてくれるって言ったでしょ」

「……言ったけど、まさかこんな事やらされるなんて思うわけないじゃん」


 有紀に促されて出てきたのはひと際目立つアッシュグレーに染められた髪の女の子で、その表情は少しやつれた風だったがその外見に集まった連中から「おお!」と声が上がった。


(……あの髪ってどっかで)


 そんな声が上がる中、綺麗に染め上げられた髪の色に見覚えがあった俺はすぐさま思考を巡らせると、その女の子は重い足取りといった感じで有紀の隣に立った。

 よく見える所まで近づいた彼女はやはり疲れているようで、よく見ると目の下に隈を作っていた。


(……あ、思い出した。あの髪って)


 何時だったか大学の帰りにゲリラ豪雨のような雨に打たれた日、俺を含めた学生たちがびしょ濡れになる中、ビニール傘に守られて優雅に歩いていた女の子の髪の色を思い出した。

 大学生ともなれば髪型や髪の色を縛る校則なんてなくて、逆に今しか出来ないカットやカラーを入れるのなんて珍しくないし、アッシュグレーに染める人も何人か見かけた事がある。

 だけど、今いる女の子のように完璧に染め上げられた髪は見た事がなかったから、俺の中に強い印象として残っていた。

 よほど腕のいい美容師が染めたのだろう。元々の地毛のように自然なんだけど、それでいてとても目を引く綺麗な髪の女の子に意識を向ける。


(それはそれとして、他にも既視感を覚えるのは何故だ?)


「とりあえず最低限レベルではあるけど、役者としての心得を説いてきた。まぁアンタらレベルにはなってるはず」

「「「っんぐ!」」」


 また敵しか作らない言い回しをする有紀に、他の出演者の方々から殺気を帯びた視線が集まる。

 何度忠告しても対応を変えない有紀に溜息をつきつつ、口を挟もうとした時「あぐっ!」と間抜けな声がした。


「謝りなさい、有紀」


 有紀に謝罪を求める声に怒りの色が滲ませているのは、ヒロイン役候補として有紀に連れてこられた女の子だった。


「…………」

「――有紀!」

「……ちょっと言い過ぎた……すまん」


 あの有紀が謝るなんて驚いた。

 正直、有紀にそんな事をさせれるのは俺だけだと思ってたんだけど……あの子っていったい。


(ていうか、すまんてそれで謝ってるつもりか?)


「えっと、遅れてしまってごめんなさい。この子も口は悪いんだけど、根はいい子……とも言い切れないかな?」

「――おい」


 フォローしようとしたけど、どうやら庇いきれず有紀に突っ込まれた女の子が苦笑いを浮かべると、ミニコントのようなやり取りに毒気を抜かれたのか苛立っていたはずの連中から笑いが漏れる。


 そんな皆の反応に安堵した様子を見せた女の子は、小さくて潤いのある唇を開き透き通るような声を発する。


「はじめまして! M大2年の瑞樹みずきのぞみといいます。役に立てるか自信ないんですけど、宜しくお願いします!」


 彼女の名前を聞いてさっきからあった既視感の正体がわかった。髪型や色も違うし、さっきまでのやり取りで性格も全然違う。

 だけど、目の動きや立ち姿などちょっとした仕草が気になっていた。

 なにより、自己紹介を終えた後に見せる笑顔がを思い出させた。


「瑞樹って……先輩の」


 気が付けばそんな事を漏らしていた。


「あ、はい。その瑞樹で合ってます」


 俺の問いにそう彼女が答える事で、恐らく他の連中も気が付いたのだろう。皆目を丸くしている。


「え!? 瑞樹ってウチのミスK大の瑞樹!?」


 梨田さんの口から瑞樹先輩の名前がでれば、周囲から驚きの声があがった。


「あ、はは……やっぱり有名人だなぁ、お姉ちゃん」


 少し苦笑いを含ませた瑞樹さんが認める事で、彼女があの瑞樹みずき志乃しのの妹である事が確定した。

 

 瑞樹志乃。我がK大ミスコンにて現在2連覇中で、彼女なら今後破られる事のない全勝も夢じゃないと言われている本物のK大クイーン。

 しかも超人気読者モデルとしての顔も持ち、現在はモデルを引退してスカウトされた某テレビ局アナになるべくインターン活動を行っている人であり、俺の高校時代に通っていた臨時講師であるり、俺を現役でこの大学に合格させてくれた恩師でもある人。


(……そして、俺の好きだった人)


 彼女があのミスK大の妹だと知った他の連中はすぐさま歓迎の声を上げる。以前有紀が言っていた見た目というのはこういう事かと納得もした。

 役者としては素人かもしれないが、そこは有紀が徹底的に鍛えればいい話だけど、見た目の良さは勿論磨けば良くなるとは思うが、短期間ではどうしようもないだろう。

 そこであの瑞樹先輩の妹ってわけか。

 確かに先輩とは毛色が全然違うけど、作りは流石血を分けた姉妹というだけあって先輩に負けず劣らずの美人で映像ウケするのは確実だ。


「希。これがアンタの相手の月城雅」

「これってなんだよ、これって!」


 集合したメンバーに取り囲まれているたはずの2人がいつの間にか輪から抜け出して有紀が俺を紹介するんだけど、言葉を選ばないのも相変わらずだ。


「もう! 有紀はそういうとこいい加減直した方がいいよ? あ、えっと――瑞樹希です。改めてよろしく月城君」

「あ、うん。こっちこそよろしく」


 挨拶を交わす俺達に、有紀が周囲を見渡してから声をかけてきた。


「希に言っとく事がある」

「え? なに?」

「あの件の事」


 あの件? 2人は昔からの知り合いみたいだけど、なんかあるのか? っていうか、わざわざ俺がいる時に話していい事なんか?


「それって有紀に助けてもらった事だよね?」

「ん、そう。雅ウチらが中坊の時、情報を引き出したいから何でも話すようにしてくれって頼んだ事あるでしょ?」

「うん? 中坊の時?」


 俺らがまだ中坊の時なんて碌な事しかしてなかったはずだけど、有紀から頼まれ事なんてされたっけか? と暴れ回っていた当時の事を思い出そうと試案する。


「……あ、そんな事あったな。そいつを締め上げたらお役御免って言われて俺だけ撤収させられたけど、結局あれってなんだったんだ?」

「あれはここにいる希に頼まれてた事で、あいつから聞き出さないといけない事があってね」

「ほーん」


 特に理由も聞かされる事なく有紀が連れてきた男をボコっただけで、有紀の目的に興味なかったんだけど、アレはこの子が頼んだ事だったのか。


「え? じゃあ」

「そう。間接的にだけど、雅も関わってたんだよ」


 瑞樹さんも知らなかったのか。まぁ言葉足らずの有紀の事だから十分にあり得る話だな。


「だから希があの時のお礼をしたいって事は、ウチだけじゃなくてコレにもする必要があるってわけ」

「確かにそう、だよね」


 なるほどな。あの時の借りを返す目的で今回の撮影に協力する事を選んだ事で有紀も俺に借りを返せると目論んだってわけで、文字通り一石二鳥……いや視点によっては一石三鳥まであるというんだな。ていうか、いい加減≪これ≫呼ばわりやめれ!


「そういう事なら益々断れなくなっちゃった。でも、私ってホントにお芝居の経験ないから役にたてないと思うけど、いいの?」

「それを言うなら、俺だってド素人だからな。でも、有紀あいつが根拠のないふわふわした事は絶対に言わないから、信じてやってみようかな、と」

「そうだね。私としてもずっとお礼がしたかったし、それで有紀だけじゃなくて月城君にもお礼出来るって言うんだから、やれるだけやってみるよ!」


 やっぱり全然性格は違うけど、彼女の側にあの人を感じるのは――まだ未練があるからなのかも、な。


「えっと、それじゃそろそろいいかな?」


 おっと、そういえばオーディションをやるんだったな。


「……あの、今回のオーディションはヒロイン役のものですよね?」

「そうだけど?」

「なら今回は俺は関係――」

「――あるに決まってるでしょ」

「……ですよねぇ」


 ヒロインのオーディション内容が前回と同じ内容なら、やっぱ相手役が必要だわな……。


 うん、分かってる。これから映画を作ろうってんだから芝居をする機会だらけだっていうのに、たかがワンシーン演じるくらいでって言いたいんだろ!? 

 でもさ考えてみてくれよ。絶対梨田さん達はあの時の芝居を期待している……いや、出来て当然だと思ってるんだぜ?

 だけどあの時は有紀が俺を引き込んでくれたおかげで出来た芝居であって、俺の実力じゃないんだ! これから行うオーディションの事だけでなく本格的に撮影が始まればと思うと、胃が痛くなるんだよ――って誰に言ってんだ俺。


 ま、いいか。撮影が始まる前に俺の本当に実力が梨田さん達に知れれば、キャスト変更なりするだろうしな。

 もしそうなればそれは俺が逃げたって事にはならないから、有紀にも文句は言われないだろ。

 有紀の恩返しというのが何だったのかは気になるけど、いくら素人達の作品とはいえ実力主義の世界なんだから致し方ないからな。


 1人自己完結させて腹をくくった……いや、開き直った俺は前回芝居をした場所に立つと、瑞樹さんも俺の正面に立った。


「それじゃ頭からよろしく!」


 梨田さんの掛け声に瑞樹さんの顔つきが変わった。

 そういえば素人だと言ってたけど、有紀はこの短期間でどういう内容の特訓をさせてたんだろうか。スパルタで叩き込まれたというのは目の下に作った隈を見れば分かるんだけど。


「希、わかってるよね?」

「う、うん、わかってる。兎に角台詞の最初だけ入り込めばいいんだよね」


(最初だけ入り込む? どういう意味だ?)


「それじゃはじめてくれ!」


 梨田さんの開始の合図と共に、瑞樹さんが一歩足を出して息を大きく吸い込んだ。


「なんであの子と一緒にいたの? 気を持たせるような事ばっかりして――そんなに私を揶揄って楽し? 陽一君!」


 台本通りの台詞と共に俺を見る瑞樹さんの目が何かを投げかけるものに感じた途端、棒立ちだった足が前に出た。


「俺だって舞ちゃんがここにいるなんて知らなかったんだ! 俺は……お前に気持ちを伝える為に!」


 何度も台本を見直した台詞を瑞樹さんに投げる瞬間、何も持っていないはずの手が何かに触れたような感触があった。

 すると第一声を必死に絞り出した様子を見せていた瑞樹さんの目が揺れたかと思うと「「私だって期待してここに来たんだよ? なのにあの子と抱き合ってたじゃん」という台詞が耳に染み渡る。


「誤解だ! あれは舞ちゃんが一方的に……って期待してくれてたのか?」

「あ、いや、違くて……その……」

「俺は沙織に気を持たせようとした事なんてないし、駆け引きした覚えもない! 全部誤解なんだよ沙織!」


 もう自分の意識は俺じゃなくて主人公の坂本洋一であり、目の前にいるのは瑞樹さんじゃなくてヒロインの大谷沙織にしか見えなくなっていて、芝居をしているという感覚が溶けていた。


「それじゃ、あの子との事は誤解なんだね?」

「だ、だから俺はずっとお前の事が好きだったんだ!」

「……私もあの時、助けてくれた時から――ずっと好きでした」


 オーディションの内容を全て演じきった俺達の少し荒くなった呼吸の音だけがエントランスに小さく木霊する。

 夏季休講中で学内は静かなもので、特に特別棟には俺達以外の人影がなかったとはいえ、あまりの静けさに俺達の芝居がそれだけ酷いものだったのかとゴクリと喉が鳴った。


「…………いい」


 そんな静けさの中そう言葉を零したのは梨田さんだ。


「はぁ、分かってた事だけど……嫌になる」


 次に有紀がため息交じりにそんな事を言っている。その言葉の意味が分からず首を傾げる俺に、目を見開いている瑞樹さんの視線が突き刺さった。


「……えっと」

「すごい! すごいよ! 月城君!」


 そんな視線と梨田さんと有紀の反応に言葉を詰まらせていると、目をキラキラと輝かせた瑞樹さんの称賛の声と共に周りの皆の歓声が一気にエントランスに響き渡った。


「凄いよ、月城君! 瑞樹さんも凄く良かった! さすが葛西さんが連れてきた事だけはあるね!」

「ああ! 役者経験がないって聞かされた時は不安しかなかったけど、これなら誰も文句ないだろ!」


 梨田さんと副会長富山さんが俺達を称賛すると、瑞樹さんは心底ホッと胸を撫でおろした。


「2人ともお疲れさん」


 そんな俺達に有紀が淡泊に労うと「もう少しなんかないの!?」と口を尖らす瑞樹さんに苦笑いが零れる。

 このやり取りを見るだけで、2人の関係が気心が知れた仲だというのが分かる。正直取っつき難さは天下一品の有紀だけに、こんな関係の友達がいる事に何故か父親目線になっている事に気付いたが、それはそれでいいかと改める気はなかった。


「何とか役に立てるみたいだから頑張ってみるよ。これからよろしく月城君」

「うん、こちらこそよろしく瑞樹さん」


 差し出された瑞樹さんの手と握手を交わすと「ん、よろしく」と俺達の手の上に有紀の小さい手が覆い被さり、周りの歓声が俺達を取り囲んだ。


 あの最強ミスK大の妹を加えた俺達の映画製作がこうして始まったのだ。



 第3章 【遅れてきた最後のヒロイン】 完




――――あとがき


 これで3章完結となります。


 さて、今後についてですが近況ノートに書かせて頂ていますので、よろしければそちらを読んでやっていただければと思います。


 ここまで読んで下ってありがとうございました。


 

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