episode 24 雅との出会い 1/8

「……ふぅ。慣れない事すると疲れる」


 ウチが通う大学の映研サークル【もぐり】が撮影する映画のキャストを決めるオーディションがあり、その映画の脚本と配役を決める審査員として立ち会ったウチは、疲れた体を放り投げるように自室のソファーの全体重を預けた。

 我ながららしくない事をしたと自覚してる。


 プロの役者を目指すウチにとって、学生の映画製作など眼中にない。

 だというのに主演の話はキッパリと断ったけど、こうして映画製作に関わっているのは他ならぬ雅の為だ。


 中学当時、ウチ達は頻繁に行動を共にしていた。それは男と女という関係ではなくて、仲間というか相棒として。

 小学校から中学校にあがった時に、違う小学校からあがってきた雅を認識した。

 雅はこれからの学校生活に期待を抱いて目を輝かせている連中の中で、1人だけ輝きを失った目で世界を睨みつけているような男子だった。

 その目と刺々しい空気で周りに人を寄せ付けようとせず、ただ1人で息を潜めるようにいつも教室の隅にいた。

 偶々同じクラスになったウチは早々にグループを結成しようと動くクラスメイト達に応じつつも、いつも1人でいる雅の事を横目で追っていた。

 

 誤解のないように言っておくが、ウチは雅の事を異性として意識していたわけじゃない。

 ただ、雅のあの目があの時のお母さんの目をしていたから。


 ウチの家は所謂母子家庭だった。

 ウチが生まれて物心つく頃にお父さんの事を聞くと、お母さんはお父さんは天国にいるって答えた。それを聞いたウチは寂しさを感じながらも1人で頑張ってるお母さんの役に立ちたくて、家事の手伝いを頑張ったのを覚えてる。

 手伝い初めは失敗ばかりで足を引っぱってばかりだったけど、一つの事が出来るようになる度にお母さんが褒めてくれて、また褒められたくて頑張る事を繰り返してたら、いつの間にか大抵の家事をこなせるようになってた。

 そんなウチを見て安心したのか、お母さんは仕事量を増やすようになって毎日帰りが遅くなり始めた。

 まだ小さかったウチは家で1人寂しくお母さんの帰りを待つ日々を送った。寂しいと言いたい気持ちは勿論あったけど、こうして遅くまで頑張ってるのは自分の為だと小さいながらに理解してしまってるウチには、毎日疲れて帰ってくるお母さんにそんな事は言えなかった。

 それに我儘言ってお母さんを困らせてしまったら、天国にいるお父さんに申し訳ない思いもあったから。


 そんな生活が数年続いてウチが6年生になった夏休みのある日の夜。何時もなら22時になっても帰ってこなければ寝るようにしていたんだけど、夏休みというのもあって時間が過ぎても待っていたら日にちが変わった頃にお母さんが帰ってきた。

 その日のお母さんは珍しくかなり酔っていて辛そうにしていたから寄り添うようにソファーに誘導してから、台所で水をたっぷり注いだコップを手渡した。

 お母さんは何も言わずに水を一気に飲み干して、今まで見た事もない冷たい目でウチを見下ろしたかと思うと、自嘲的な笑みを浮かべてこう言ったのだ。


「お父さん、ね……本当は有紀がお腹にいる時に他に女

つくってて、病院を退院して家に帰ってきたらテーブルに離婚届だけ置いていなくなったのよ」


 その事実を聞いたウチは大きなショックを受けた。

 天国からウチ達を見守ってくれていると思ってたお父さんが、本当は知らない女の人とウチとお母さんを置いて出て行ったと聞かされたんだから――当然だ。


「私が苦しい思いをして子供を産もうと頑張ってる時に――ふざけんなっ!」


 かなり酔ってたからか、そう叫んだお母さんの声は今まで聞いた事ないほどに大きくて、ショックを受けて呆然としていたウチの意識は瞬く間に現実に引き戻すに十分なボリュームだった。


 そしてこの後にお母さんから発された言葉がウチの心に大きな歪を産み、これから送るはずだった人生という道を大きく狂わせる事になる……。


「……アンタさえ……アンタさえ妊娠してなかったら!」


 この時、いつだったか帰りの遅いお母さんを待っている時になんとなく垂れ流してたテレビ番組で、なんとかって評論家が言っていた事を思い出した。

 確か子供の虐待に対してのコメントだったと思うけど、理不尽な事が溢れかえってる世の中で、唯一穏やかであり純粋な気持ちにしてくれるのが母親という存在なんだと、知ったふうな顔で言ってた。

 子供に向けてこんな事を言い捨ててしまう母親が、穏やかで純粋な気持ちにさせてくれる存在?


「……はは、笑わせんな」


 ウチは崩れ落ちるようにソファーで眠ってしまったお母さんを介抱する事なく、フラフラした足取りで布団に入って眠った。

 目が覚めた時、悪い夢を見ていただけあって欲しいと願って……。


☆★


 小学校を卒業して中学生になった。

 

 あの日からウチとお母さんとの関係が変わった。

 お母さんは酔い潰れた意識から目覚めてすぐさまウチの布団に這いずるように近寄ってきたかと思うと、額を畳に擦り付けるように当てウチに言ってしまった事を詫びてきた。

 だけど、そんなお母さんの姿を見てもウチの心に響くものなんてなくて、いたって冷静に「気にしてない」と言ってしまえた事に驚いたのと同時に、もう前の関係に戻る事は出来ないんだと悟った。

 と言ってもウチ達の関係が目に見えて変わったわけじゃない。表面上はこれまで通りできる限り家の手伝いをして、遅くまで働いてくれているお母さんの帰りを待つ日々を送ってた。

 ただウチの感情が表に出辛くなった事を除けば。


 そんな経験があったから、いつも教室の隅に1人でいる雅の事が気になってた。

 だって、あの時のお母さんと同じ目を中学生の男子がしてるんだから。


 中学校生活も慣れてきて2年生になった頃、またウチの生活に変化があった。

 どうやらお母さんに恋人が出来たみたいなんだ。

 相変わらず朝から夜遅くまで働いているお母さんだけど、目に見えて感情表現が豊かになって笑う事も多くなった。

 お母さんにそうなって欲しくて頑張ってきたウチとしては思う所もあったけど、兎にも角にも家族が明るくなる事はいい事なんだと自分に言い聞かせて、幸せそうにするお母さんを黙って見守る事にした。


 そんな生活が暫く続いたある日の夜。お母さんが付き合っている男の人を家に招いて、ウチ達3人で夕ご飯を食べた。

 正直あの事があってから感情を上手く外に出す事が苦手になっていたウチだけど、この日は特に意識して相手の男の人が不快な思いをしないように努めた。

 その事が功を奏したのかは分からないけど、その日を境にお母さんはよく彼氏を家に連れてくる事が多くなった。

 結婚して出産しても、女はいくつになっても女なんだと何かの本に書いてあったように、お母さんは日に日に母親ではなく女の顔を見せるようになる。子供のウチとしては受け入れがたい母親ではあったけど、裏切られて捨てられたお母さんに同情する気持ちもあったから聞き分けのいい子供を演じる事に徹した。

 

 それがいけなかったんだろう。

 2人は子供のウチが同じ家にいるというのに、イチャイチャする具合が増していって、ついにはウチがまだ寝ていないというのに情事に更け込みだしたのだ。

 いくら隣の部屋で姿が見えないと言っても、薄い襖しかない壁は防音効果なんて皆無で快楽に悶えるお母さんの声が耳に届く。

 家に出入りするまではどこかの部屋でシテいた事なんだろうけど、表面上は聞き分けのいい子供を演じていたせいで遠慮がなくなってしまったみたいだ。

 ただでさえ思春期を迎えているウチとしては、実の母親の情事を声だけとはいえ聞かされてはたまったものじゃない。

 ドキドキするわけじゃなく、只々嫌悪感がウチの心を支配していて、気が付けば情事を始めるのと同時に家を抜け出していた。




――あとがき


 いつも今作品を読んで下さってありがとうございます。


 先日、評価の星が300を突破しました。

 この数字は間違いなく応援して下さっている皆さんの気持ちの表れだと、深く感謝しています。本当にありがとうございます。


 感謝の気持ちを込めて、サポート様限定ではありますが、近い内にまたSSを書かせて頂こうと思っています。

 

 引き続き今作品にお付き合いくだされば幸いです。ありがとうございました。



 葵 しずく






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