3章 遅れてきた最後のヒロイン
episode 1 心の奮闘記
「雅、お願い」
「……うん。でも、本当にいいのか?」
「いい。こんな事、雅にしか頼めない」
「わかった。それじゃ」
「うん。きて――ん、あ……あぁん、はあぁ――」
(……あの夜の事を思い出すなんて、なんてこったい)
有紀と関係をもったあの夜の事を夢に見た。
この前の決起集会の席で
有紀が俺は変わるべきだと言った真意は分からないし、あいつはそう言うけれど俺は現状に満足している。
だけど、今のままじゃ誰にも愛されないという言葉がシコリみたいになって耳から離れてずにずっと頭の中に居座ったままだ。
「おっと、そろそろ皆の朝飯作らないとだな」
【もぐり】の映画製作活動を抜けてから10日後、期末テストを終えてK大は長い夏季休講にはいった。
偶然に再会した有紀の事が気にはなっていたけど、俺は敢えて有紀と連絡を取らなかった。
大層な理由なんてないんだけど、あいつの言葉が引っかかっていて何となく会いたくなかったんだ。
夏季休講に入ったといっても俺の生活が特に変わる事はない。
だだ大学に行く時間がバイトの時間に化けただけだ。
つまり稼ぎ時というわけだな。
家庭教師の日数は契約している日数以上働けるわけではないけど、その分モンドールのバイトのシフトがマスターの強い要望もあってガンガンに詰まっている。勿論、俺としても望むところで今年は昨年以上にアツい夏が送れそうで、オラわくわくしてきたぞ!
そんなバイトまみれの夏季休講というバイト天国の日々を順調に過ごしていたある日の夜。
ついにこの日を迎えたのである。
「い、いらっしゃい……ませ?」
「何で疑問形なんだよ」
真新しい制服に身を包んだ少女のたどたどしい応対に、客役の俺は手の甲をポンと当ててキレッキレのツッコミをいれる。
「……ご、ご注文はお決まりになりゃ……」
「――ブッ!」
「わ、笑うなし! ちょっと噛んだだけじゃん!」
「おいおい、客になんて口きいてんだ? ちょっと責任者呼んでもらおうか」
「ングッ――し、失礼しまし……た?」
「だから、なんで疑問形なんだよ!」
大学の夏季休講に続いて世間の高校生達も期末テストを終えてテスト休みに入った。学校にもよるが期末テストが終わるとテスト休みを設ける学校があるのだ。
その休みに合わせて、いよいよ俺の家庭教師の生徒である西宮心がここ【モンドール】で、生まれて初めてアルバイトを始める。
暫くの間は教育係として俺もシフトを合わせる事になっているんだけど「バイト代いらないから、お店閉めてからちょっと練習させろし!」と言い張って訊かなかった為、こうして俺が客役を務めさせられて今に至るというわけだ。
あのな、心よ。こういう場合、協力してくれる人達もお前と同じように時給外になってしまう事を真っ先に考えような。
しかし、女の子というのは不思議なものだと思う。
あのどこからどう見てもギャルにしか見えなかった心が、ストレートパーマをあてて、金髪を落ち着いたブラウンに染め直してギャルメイクをナチュラルメイクに変えただけで、世間で言う所の所謂美少女に変身を遂げたのだから。
「言葉使いもだけど、その強張った表情ももう少しなんとかならないか? ケンカ売ってるようにしか見えんぞ」
言って、俺はお手本だと心に営業スマイルを披露する。
「その
「酷くない!?」
いいとこのお嬢様である心がわざわざ貴重な夏休みを潰してまでバイトを始める理由は謎のままだ。
だが本人は遊び半分ではなく本気のようで、業務内容のレクチャーを俺と人見さんから真剣に受け終えた。
まだまだ不安要素満載ではあるけれど、いよいよ明日から心の人生初のアルバイトが始まるのであった。
◇◆
いよいよアーシの生まれて初めてのバイトが始まった。
派手派手な恰好ばかりしてきたアーシとしては、この可愛らしい制服はちょっとハズかったけど、パイセンの人見サンとマスターサンから似合ってると褒められてホッとした。
人見サンを人見って呼び捨てたらセンセに滅茶苦茶怒られた……。
アーシ的に親睦を深める意味でそう呼んだのに、センセには理解されなかったみたい。
まぁ、教育係としての立場があるだろうから仕方ない……か。
そうそう! アーシの制服姿を「どうよ」って見せたら「馬子にも衣裳だな」とかぬかしやがったから、傍にあったトレイを顔面目掛けて投げつけてやった。
そしたらセンセの顔じゃなくて凹んだトレイの心配してるマスターサンを人見サンと笑ったおかげで、緊張が少し解れて助かったし。
店が開店して10分程して早速1人目の客が来た。
その客はどうやら常連サンみたいで、店内に入ってきてすぐにカウンターの奥にいたマスターサンに軽く手を上げて挨拶してる。
「いらっしゃいませ、坂口様」
すぐに応対にあたるセンセの後ろに着いて行って、昨日教えて貰った手順を頭で復唱しながら、センセの接客をインプットする。
「いつもの貰える?」
「畏まりました」
言って、センセはお客サンの注文を伝票に書き込んでオーダーを通す。どうやらセンセにも馴染みの客みたいで、【いつもの】でオーダーが通るみたいだ。
「あれ? 新人さんかな?」
「えぇ、今日からなんですよ」
センセがそう言って、アーシに挨拶しろと目で訴えかけてくる。
全国展開してるようなメジャーなカフェならそんな事する必要はないけど、こういう個人で経営してる地元密着型の店は必要なんだろうな、知らんけど。
「えっと、はじめまして、西宮です! 宜しくお願いします」
緊張してちょっと声が上擦っちゃったけど、勢いよくお辞儀して誤魔化した。
「はは、随分と可愛らしくて元気な子じゃないか。これまでは月城君のせいで女性客が多かったけど、西宮さんのおかげでこれからは男性客も増えそうだね」
「はは、僕にそんな影響力なんてありませんよ。皆さん、マスターの珈琲を好んで足を運んで下さっているだけです」
「……君、天然のタラシって言われない?」
「?」
あー、これマジで天然だわ。
ベンキョ教えて貰ってる時も思ってたけど、センセってオンナを無自覚に惚れさせて、無自覚に泣かせてるっぽい。
きっと、オジサンの言うようにセンセ目当てのオンナの客がいっぱい通ってるんだろうな。
すかさずアーシはウラを取ろうとオジサンのオーダーをマスターサンに通した後、もう1人のパイセンの人見サンに訊いてみた。
「あー、それは坂口さんの言う通りだよ。少し前までどこからか雅君のシフトが漏れててさぁ」
人見サンはそう言いながら、何故かマスターサンにジト目を向けてる。
「だから雅君がシフトに入ってる時だけ馬鹿みたいに行列が出来て忙しくてさぁ。ま、私が原因突き止めて潰してやってからはクジ引きみたいに運任せで来るようになって、いい感じにバラけて平和そのものよ」
人見サンが原因を突き止めようとしたのは、センセと同じシフトに入ると客が殺到して超忙しくなるからなんだって。
まぁ、暇な時と忙しい時の時給が同じなら人見サンじゃなくても怒るよね。
(それに、それじゃセンセがずっと忙しいままだったわけだし、人見サングッジョブ!)
とか言ってる間に、どうやらクジ引きを引き当てたセンセ目当てのオンナが店に入ってきた。
え? なんで分かるのかって?
そりゃ分かるし! だってオンナの目が漫画みたく♡になってんだもん。
――うん。センセの顔面偏差値がバグってるからモテるのは分かってたんだけど、センセの顔しか見てないオンナ見てると――なんかムカつくし!
人見サンがヤレヤレとオンナを席に案内してメニューを渡したんだけど、オンナは受け取ったメニューを開こうともしないで辺りをキョロキョロと見渡してる。
最初から注文決まってるみたいなのにアーシや人見サンを呼ぼうとする気配すらないところをみて、オンナの狙いは明白だ。
アーシは空いてるテーブルを拭いて回りながらオンナが動き出すのを待ってると、案の定センセが空いた席を片し終えるタイミングを見計らって手を上げた――。
「ご注文、お伺いします」
「……え? え、えぇ……それじゃ――」
「畏まりました。少々お待ちください」
オンナがセンセに声を掛けようとした直前に先回りして、オンナの席の前に立ってアーシが注文を訊いてやった。
センセはアーシ達を気にしてたけど、それはオンナを見てるんじゃなくて、アーシがちゃんと応対出来てるか気になってるだけ――だってのに、オンナは何を勘違いしてんのか自分が見られてると勘違いして小さく手なんか振ってる。
つーかアーシが注文訊いてんのに、オンナは全くこっち見ないでセンセばっか目で追いながら注文してやんの。
――なるほど、ね。このオンナ1人でもこれなんだから、シフトが駄々洩れてた時の事を考えたら、人見サンがキレんの分かるわ。
◇◆
初仕事から一週間、センセと人見サンの指導のおかげで、今じゃ大抵の事は1人でもやれるようになってきた。
カテキョの時もベンキョ終わってから、センセに色々と教えて貰えたのがおっきい。
テスト休みが終わって本格的に夏休みが始まってからは、センセとのシフトを外れて独り立ちの許可もでた。それはそれで寂しい気もするけど、1人で働いたお金に意味があるんだから頑張ろうと思う。
――だけど、その前に、だ!
「センセ! これ見て!」
「ん?」
今日は終業式でバイトはなかったんだけど、今日はセンセがシフトに入ってたから学校からモンドールに直行して一枚のプリントを見せた。
「おぉ! スゲーじゃん、心!」
「だっしょー! 23位だよ23位! これヤバくね!?」
「ヤバい、ヤバい! 何がヤバいって、俺の今月のギャラがヤバい!」
「そこ!? いや、もっと……ほら、あるじゃん!?」
まったくブレないセンセだ。
まぁ思ってもない取り繕った台詞吐く奴より全然いいし、そういう『オトナ』してない所がセンセの魅力だとは思うけど!
アーシが欲しい台詞じゃないと目で訴えてると、不意にポンと頭の上にセンセの大きな手が乗った。
「半分冗談だ。でも、予想してたより伸びたのは間違いなく心の努力の結果だから、自信もってこれからも頑張れ」
大きくて温かい手が優しくアーシの頭を撫でる。
台詞はまぁアレだけど、センセの手の感触と優しくて力強い声がアーシの頬を緩ませる。
「にしし! じゃさ、ここはご褒美を強請ってもいいとこじゃんね?」
「言うと思ったよ。お前って今日は終業式だけだから昼飯まだだろ? 奢ってやるからなんでも好きなの頼みな」
「マジ!? ドケチなセンセが!?」
「一言多いんだよ、お前は! まぁ否定はせんけど」
やっぱ否定しないんだと吹き出したアーシはセンセからメニューを受け取って、前々から気になってたオムライスメインのランチプレートとアイスコーヒーを頼んだ。
いつも働く側ばっかで、何気に客として何かを食べるのって初めてなんだよね。
「あっ! センセがプレート作ってよね」
「はぁ!? 誰が作っても一緒だろうが」
とかブツブツ言ってるけど、結局センセが調理場に立った。何だかんだと文句の多いセンセだけど、いつも我儘をきいてくれるんだよね。
それに誰が作っても一緒というのは違うと思う。
だって客としてくるのは初めてでも賄いは食べた事はあって、こんな事言うと感じ悪くなるから言わなかったんだけど、センセが作ってくれた賄いが一番美味しかったんだよねぇ。
「ほいよ、おまたせ」
「ん、あんだと」
センセが作ったオムライスは全く卵に異色がなくて、まるで黄金のローブを纏った宝物みたいに見えた。
アーシは早速「いただきます」と手を合わせて、スプーンで掬ったオムライスを口に運んだ。
「うっまーい!」
「……そうか? 本当に美味い?」
「へ? だから美味いって言ってんじゃん?」
素直に美味いって言ってんのに、何故かセンセは首を傾げて怪訝な顔してる。
「どしたん?」
「うーん、実は追いかけてるオムライスってのがあってな」
「追いかけてるオムライス?」
(なんだそりゃ! センセはいつから料理人に!?)
「大学の学際でさ、オムライスを売ってる露店があってな。俺の先輩が作ってたんだけど、これが馬鹿みたいに美味くてさ。それから色々と試行錯誤してそのオムライスを再現しようとしてんだけど、納得出来るモンが作れないんだよなぁ」
いやいや!これが駄目とか一体どんなオムライスなんだよとツッコんだら、センセは苦笑いを浮かべてカウンターから離れてった。
アーシは夕弦と仲良くなる前は周りに疎まれて、いつしか避けられるようになった。それからは直接被害を受けないように何時も周囲の顔色や空気を読んで、極力アーシの名前が話題に上らないように立ち回ってきたんだ。
だから、人の目の色に敏感なアーシには分かる。
(センセは昔食べたオムライスを懐かしそうに話してたけど、その目はそんな色じゃなくて凄く寂しくて悲しい色してた……)
――――――――
あとがき
皆様大変お久しぶりでございます!
何か色々言って約2か月休載していたわけですが、流石に何の動きもなく年を越すのはマズいと思い、まだあまり書けていませんが新章の連載を始めさせて頂こうと思います。
え? 無理してないかって? してますよ無理w
だけど、それ以上に今年1年お世話になった皆さんにどうしても挨拶したくて浮上した次第でございます。
というわけで挨拶させていただきます。
本作の連載を開始したのが9月上旬。
それから本日まで★の評価をして下さった皆様。嬉しい応援コメント送ってくれた皆様。頑張ってきてよかったと感動するレビューを送ってくれた皆様。
そして本作を読んで下さった全ての皆様! 本当にお世話になりました。心から感謝しています。
来年も可能な範囲で執筆活動を頑張っていこうと思っていますので、来年も変わらずお付き合い頂けたら嬉しいです。
最後に来年も皆様にとって良い年になりますように。
2022年12月30日
葵 しずく
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