episode・2 転校初日 

 新しい学校。新しい校舎――そして私は新しい教室のドアの前にジッと立っている。


 担任の先生が先に教室に入り、呼ばれたら教室に入ってくるように言われているからだ。教室の中から賑やかな声が聞こえてくる度、私の鼓動が荒くなっていくのが分かる。

 転校は初めてではない。でも、1度目の転校は小学生の時で、あの時も緊張はしていたと思うけれど、怖さはなかった。

 ――でも、今は正直緊張よりも怖さが勝ってる。


 憧れていた学校に転校出来たのだから喜ばしい事のはずなのに、正直逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。

 でも逃げ出さずに、呼ばれるのを待っている事が出来ているのは、きっと雅君のおかげなんだろう。


 思えば、雅君が朝から必要以上に賑やかだったのは、少しでも私の緊張を解そうとしてくれていたのだろうと、私は今更のように気付く。

 そういえば、昨日お母さんが寝る前に朝食も作るって言ってたはずなのに、今朝起きたら雅君がフレンチトースト作ってくれていたのも、きっとそういう事なんだろうな。


 夕食のハンバーグ楽しみだなぁ。


 いつの間にかそんな呑気な事を考える位には飛び跳ねていた心臓が落ち着いてきた時、教室の中から先生が私の呼んだ。 

 私は勢いよく短い息を吐き、教室のドアを開けて教壇に立っている担任の元へ向かう。

 教室の中に入ると、男子達から「おぉ!」と唸るような声が聞こえたけど、この唸る声がどんな意味なのか今の私には解り兼ねる。

 担任の元に辿り着くと、手持ちのタブレットをタップして正面の電子ボードに私に名前をフルネームで表示され「自己紹介よろしくね」と告げられた。


 私は改めて教室全体を見渡す。当然なのだけれど、私が着ている同じ制服を着た生徒達が自分に注目している事を認識した瞬間……昨日から考えていた挨拶が完全に頭から飛んでしまった。


 ヤバい……どうしよう……。


 そこで不意に今朝家を出る時に、雅君が言っていた事を思い出す。


『緊張して言葉が出なくなったら、昨夜ゆうべの事を思い出せ』


 ……昨夜の事?昨夜何かあったっけ?


 私は目の前の現状から一瞬だけ意識を逸らして昨夜の事を思い出そうとすると、すぐにあの時の光景が頭に浮かんだ。

 するとこれから自己紹介をするというのに、突然吹き出してしまい慌てて手で口を塞ぎ俯いて堪えようとしたんだけど、肩の震えが止まらない。


 ――バカ雅ぃ!何でこんな時に、昨日のパンイチの恰好を思い出させるのよ!


 私は完全に自己紹介の場という事を忘れて、昨夜お風呂上りにパンツ1枚でリビングに入って来た事を思い出させた雅君に頭の中で文句を言っていると、教室の生徒達が騒めきだす声が聞こえてきた。


 自己紹介しようとしているのに突然吹き出したのだから、当たり前か。


「な、成瀬さん? どうしたの?」


 担任の先生に動揺した口調で声をかけられてハッと我に返り顔を上げると、皆ポカンとした顔をしていた。


 ――おのれ雅君!帰ったら覚えときなさいよ!


 恐らく私の額には、くっきりと青筋が浮かんでいたと思う。

 奴の事は一旦置いておいて、早く自己紹介をしなければと意識を切り替えた時、フッと緊張で肩に入っていた力が抜けている事に気付いたの同時に、飛んでしまっていた挨拶の台詞が頭の中に降りてきた。


「えっと、ごめんなさい」


 とりあえず一言謝った後、改めて軽く息を吐き口を開いた。


「はじめまして、成瀬夕弦といいます。家の事情で引っ越す事になり、今日からこの学校にお世話になる事になりました。実はこの学校の制服に憧れていて今日こうして袖を通す事が出来て凄く感激しています。何も知らないので、色々と教えて頂けると嬉しいです。これから宜しくお願いします」


 ゆっくりと頭を下げてお辞儀すると、さっきまで騒めいていた生徒達から、温かい拍手と調子の良さそうな男子達から「よろしくー!」と言って貰えて、心からホッと安堵してようやく笑顔で応える事が出来た。

 担任に指定された席に着くと、隣の席の女子が私の机を人差し指で〝コンコン〟と突く様に鳴らし、顔を向けると女子は手を口に添えて小声で呟く。


「私、榎本えのもと 美咲みさき。よろしくね」

「え、あ、うん。よろしく、榎本さん」


 榎本と名乗る女の子は屈託のない笑みを見せて、満足そうに教壇に視線を戻す。

 そんな榎本さんを見て、転校初日第一段階を無事にこなせたと、私はもう一度ホッと安堵してSHRに意識を向けた。


 SHRを終え、1限目までの空き時間に私の周りに人だかりが出来た。

 まぁ、こんな中途半端な時期に転校生なんて珍しかったんだと思う。その証拠に、なんで転校してきたのかという質問が多かったもんね。


 それにしても、この学校はかなりの進学校であるはずなのに、校則がかなり緩いと事前に調べていた。周りに集まってきたクラスメイト達は確かに色々な髪型に髪色、それに制服の着崩し方が様々でバラエティーに富んでいる。

 私がこの学校に憧れていた理由の1つが、この校則の緩さだった。

 集まってきたクラスメイトの質問に答えながら、私はどんな感じに自分を表現するかクラスメイトの女子達の恰好を研究していると、1限目の科目を担当する先生が教室に入ってきたところで、とりあえず質問コーナーは解散となった。


正直気にもされないのが一番キツイけど、これはこれで――疲れた。


「おつかれー」


 私の表情を読み取ったのか、榎本がそう声をかけてきた。


「あはは……うん」


 授業が始まりまだ自分のタブレットが届いていない私に、榎本さんは机をくっ付けてタブレットを見せてくれた。

 距離が近付いた榎本さんをじっくり観察してみると、長いまつ毛に大きな瞳。鼻筋がスッと通っていて、いう所の美少女というカテゴリーに十分はいる容姿の持ち主だった。


 その後、授業と質問コーナーが交互に行われ、昼休みになった頃には私の精神はゴリゴリに削られて疲弊を隠せなくなっていた。

 でも、こうして話しかけてくれるのは本当に有難い事で、転校初日に抱える不安を見事に解消されていて、人懐っこいクラスメイトには感謝しかない。

 やっと一息つけると今朝、雅君に渡されたお弁当箱を机の上に出すと、榎本さんが一緒に食べないかと誘ってくれた。


「え? でも榎本さんは一緒に食べる友達がいるんじゃないの?」

「うん、いるよ。だから……ね」


 榎本さんが向けた視線の先に、見知らぬ女子が2人立っていた。恐らく他のクラスの女子達だと思う。


「この子達は1年の時のクラスメイトで、ずっと仲良くしてる子達でさ。クラスが別れても、お昼ご飯はこうして一緒に食べてるんだよね」

「そうなんだ……えっと、それじゃあ、私お邪魔……だよね?」


 私は気を利かせたつもりでお弁当箱を手に持ち席を立とうとすると、他のクラスの1人が席を立とうとした私の肩にそっと手を添えてきた。


「そんなわけないじゃん。成瀬さんの事は美咲からトークアプリで訊いてたんだ。それで、成瀬さんも一緒にお昼どうかなって話になってさ」

「え? い、いいの?」

「成瀬さんがOKなら、私達は歓迎かな!」


 私は榎本さんに視線を向けると、彼女は何も言わずに笑みを見せてコクリと頷いた。

 後で訊いた話なんだけど、実は榎本さんも1年の時にこの学校に転校してきたらしい。不安でいっぱいだった榎本さんに今一緒にいる女子達が声をかけてくれて嬉しかったんだって。

 だから、今の私の気持ちが凄く解るからと、こうして一緒にランチに誘ってくれたと話してくれた。


 その時、ふと雅君の顔が浮かんだ。

 両親が離婚して、お母さんは仕事ばかりで離れ離れに暮らす事になった。おまけに転校先の学校に上手く馴染めずに、1人で過ごす時間ばかりが増えてしまっていた。

 そんな時間ばかりの人生を送っていくのだと諦めていたのに、太一さんと雅君と家族になる事になってから、ずっと寂しかった生活が次々と改善されていく。

 賑やかな朝、温かい朝食。そして帰ったら雅君の特製ハンバーグが待っている。

 その上、こんな素敵な出会いがあるなんて正直出来過ぎていて夢なんじゃないかと疑ってしまう程だ。

 大丈夫だとか心配いらないとか在り来たりな言葉じゃくて、帰ってきた後の楽しみを与えてくれた雅君がいい流れを作ってくれたのかもしれないな。


「ところでさ、成瀬さんって独特っていうか、あまり見かけない髪型してるよね? 似合ってて凄く可愛いと思うけど」

「あ! それ私も最初見た時から思ってたんだよね」


 いつも食べているという昼休みに開放されている視聴覚室に移動した私達がお弁当を広げようとした時、榎本さんと仲の良い女子の1人が私の髪型について触れると、榎本さんもうんうんと頷いていた。


「特に拘りなかったから、全部お任せで丸投げしたら、こうなったんだけど……変じゃない?」

「全然だよ! その美容師さん滅茶苦茶センスいいって! 在り来たり感がないのに、モードカットみたいな奇抜さもなくて嫌味な感じしないのに、他とは違うぞって感じがあっていいと思う!」


 転校を機に思い切ってバッサリと切った髪型を褒められた事より、この髪型にしてくれた美容師を褒められた事の方が、何だか嬉しかった。


 皆でワイワイと賑やかに食べるお弁当は、本当に楽しかった。

 それに雅君が作ってくれたお弁当が、滅茶苦茶美味しかったのが、楽しい気持ちに更に拍車をかけていた。


 お弁当を綺麗に平らげた私は、榎本さん達が校内を案内してくれると言うので、食後の運動がてら校内の探索に繰り出す。


「それで、ここが屋上だよ。屋上って結構封鎖されてる学校が多いと思うんだけど、ウチは解放されてるんだよね」

「へぇ! 屋上が使えるっていいよね」


 高台に学校が立っている為、屋上からの景色はとても見晴らしがよく、初夏の風が気持ちよく吹き抜け、とても気持ちの良い場所だった。


 屋上以外も驚かされっぱなしだった。

 いや、正確には知ってはいたのだけど、目の辺りにするとやっぱり驚くしかなかった。

 驚いたのは、校舎そのものをさす。

 3年前に校舎を建て替えた。そのタイミングで制服も有名デザイナーに委託した物に変わった事もあり、校舎のデザインも有名な人物を起用したという。

 ここまで話せば、気付いただろうか――そう。この校舎のデザインに関わった1人が何を隠そう、私の母である沙耶なのだ。

 当時の私達は別居中で、あの人の事なんて興味なかったのだけど、今度学校をデザインする事になったと、興奮気味に電話してきた事は覚えている。毛嫌いしていた母とはいえ、学校のデザインを依頼される母の事を素直に凄いと思った。

 そして、私がこの学校に通いたい最大の理由が、母がデザインした学校の生徒になりたかったからなんだ。


「これで主要な場所は案内したけど、どう? この学校は」

「うん。凄くお洒落で、日本の学校って感じがしないっていうか」

「あはは、だよね! 私も転校してきた時、ビックリしたもん」


 ここはこの学校をデザインした人間の1人が、自分の母だという事を伏せる事にした。

 何だか今話すと、嫌味みたいに聞こえるかもしれないと思ったからだ。


 でも――本当に凄い学校だと思う。


田舎の古びた公立高校にいた私からすれば、もはや高校の校舎というイメージからかけ離れている。

 

 圧倒的なお洒落な空間と、ホッと寛げる空間の融合と言えばいいのだろうか。それでいて目立つようにはしていないが、安全面も徹底的に配慮されているようだ。

 少し前に、デザインを優先させ過ぎた学校の生徒が、誤って転落死したというニュースが流れていたけど、この学校に限ってはそんな事故が起こる事はない作りになっていた。

 お母さんは、きっとそこの部分をそうとう拘ったのだろうと思う。


 そういえば、教室にある机も変わったデザインだったし、チョークで書く黒板じゃなくて電子ボードだったし、教科書だってタブレットだった。

 でもノートを電子化していないのは、スマホやタブレットが復旧し過ぎていて、紙に文字を書く習慣が無くなるのは子供達の為にならないという、理事長の方針らしい。


 この改革の効果は絶大だったらしく、学校を一から建て替えた年から少子化が進むこの時代で、定員割れを起こしてしまうどころか毎年倍率が跳ね上がっているらしい。


 ――本当に合格出来て良かったと思う。これも勉強を教えてくれた雅君のおかげだ。だから、帰ったら文句言ってやろうと思ってたけど、今回は許してあげよう。


 そこで今更だけど、榎本さんの友達が何組なのか訊こうとした時、何故か今まで気づかなった事に気付く。


 2人の名前を、私はまだ知らなかったのだ。


「えっと……その……」


 声をかけようとして、その事に気付いた私がどうしていいのか解らないまま口籠っていると、榎本さんが「あっ!」と声を上げた。


「そうだ! まだお互い自己紹介してなかったよね!」


 私の心境を読み取ったのか、榎本さんもすっかり忘れてたという風に驚いた顔を見せると、他の女子達に溜息をつかれていた。


「やっと気が付いた? もうこのままお互い名前も知らずに過ごすのかと思ったよ」

「ほんとそれ! 美咲はいつも肝心なところが抜けてるっていうかさぁ」

「そんな美咲と未だに友達やってる私達って、マジで寛大だと思うわ」

「え? えぇ!? そ、そこまで言う必要ある!?」


 2人は榎本さんに対して、盛大に苦情を突き付けて苦虫を噛む様な表情を浮かべている。

 オロオロと落ち着きがなくなった榎本さんが、何だか可愛く見えて私が笑いだすと、榎本さん達もつられて吹き出した。


「それじゃ改めて、私は大柴おおしば 亜美あみ。亜美でいいからね、よろしく!」


 亜美と名乗る女子は、ショートカットで活発なイメージの女の子って感じで、笑うと八重歯が可愛かった。


「私は、友村ともむら いつきだよ。私も樹でいいから!」


 友村さんは、じゃなくて樹は少しポッチャリしていて何だか美味しそうで、ハグしたら凄く気持ち良さそうな子だ。


「うん! 私は成瀬 夕弦っていうの。私も夕弦って呼んでくれたら嬉しい。これからよろしく! 亜美、樹! そしてありがとう! 美咲!」


 最後に榎本さんを名前で呼ぶと、彼女は少し驚いた顔をしたけど、すぐにニッコリと微笑んでくれた。


「私こそよろしく、夕弦!」


 こうして、私の転校初日は最高と言って差し支えない程、楽しい1日になった。

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