episode・25 【1章・終話】 タイトル
「さてと! 食材も買い込んだし、晩御飯は私が作るわね!」
一通り荷物の開梱が終わった頃、沙耶さんがキッチンに向かい腕捲りした途端、夕弦の顔色が徐々に青ざめていく。
「わ、私……胸がいっぱいであんまり食欲ないかな~」
ん?荷物を整理をしている時、お腹空いた~って嘆いてなかったか?
俺は首を傾げながらふとダイニングで珈琲を飲んでいる親父を見れば、顔の筋肉がヒクヒクと引きつらせていた。
「えぇ!? 折角今晩の為に準備したんだから食べてよー」
キッチンから沙耶さんが苦情を訴えるが、夕弦と親父はギギギと錆び付いたロボットのように明後日の方を向く。
――あれ?これってもしかして。
そうこうしている間に、キッチンの水道から水が出る音が聞こえてくる。沙耶さんが食欲がないという夕弦の話を無視して、料理を始めだしたようだ。
「あ、あぁ……あぁ……」
明後日の方を向いていた夕弦が水の音に振り向き、力なく両手を上げながら言葉にならない言葉を掠れ声で呟いている。まるでゾンビのようだ。
「おい、夕弦。沙耶さんの料理ってそんなにか?」
ここでいう『そんなに』という言葉は、まぁ……そういう意味である。
夕弦は今にも泣き出しそうな顔で、コクコクと頷く。
俺は慌ててソファーから飛ぶように立ちあがってキッチンへ急行する。
だけど沙耶さんに俺が作ると声をかけようとしたんだけど、思わず声をかけるのを躊躇ってしまった。
それは沙耶さんが本当に一生懸命に慣れない手つきで、料理を作ろうとしている姿を目の当たりにしたから。
「ん? なに? 雅君」
俺に気付いて話しかけてくる沙耶さんの指が震えている。
料理をするとキッチンに立ってから、ずっと極度に緊張している証拠だろう。
「いえ、何かお手伝いする事ないかなって思って」
「ううん、大丈夫よ! お
「そう……ですか」
リビングに目をやると、夕弦が半泣きの顔で首を全力で横に振っている。
夕弦の形相をみる限り、お前が作れと訴えている事はすぐに分かった。
だだ俺はそんな要求を無視してリビングへ足を向けると、夕弦は両手を全力で降って俺にストップをかける。親父に至っては珈琲カップを持つ手がガタガタと震えていた。
……まったく、こいつらは。
親父と夕弦の元へ戻った俺は、一切表情を変える事なく一言だけ告げる。
「覚悟を決めろ」
その一言で、親父は両頬を強く手で叩き気合いを入れたのだが、夕弦は両手と両膝を床に付け「終わった」と血反吐でも吐きそうな顔で項垂れてしまった。
そこまでじゃないと思うんだけどな。
以前は知らないから何とも言えないけど、さっきキッチンを見た限りでは、そんなトラウマを背負わされるような物は出てこないと思う。
――それに、あんなに真剣に食材と向き合う人の手を止めさせる事なんて、俺には出来ないって。
その後も何だか賑やかな音がキッチンから聞こえる度に肩がビクッと跳ねる2人を横目に見て、苦笑いを浮かべるしかなかった。
さてと……そろそろかな。
そんな2人を余所に再びキッチンへ向かうと、沙耶さんは相変わらず食材と調理器具を相手に格闘していた。
キッチンを全体的に眺め終えた俺は、材料を切る事に集中してしまっていて、すっかり忘れられている火にかけられている鍋の中を覗き見る。鍋に刺さっているお玉を静かに回した後、少し味見をしてみた。
うん……食材の溶け込みがぜんぜん甘い、これは野菜のカットが雑なせいもあるだろう。
というか、もう少しで鍋底を焦がすところだった。
煮る行程がある料理の失敗パターンの上位にある、焦がしてしまい苦みが出て風味が台無しになる……だ。
なら俺が手伝える事は鍋の番をする事と、調理用のハサミとお玉をうまく使って食材を今より細かくして、食材が鍋底に着く面積を減らして焦げにくくする事くらいだ。
(それにこうした方が味がよく染み込んで、食材1つ1つの柔らかさが増すしな)
献立を知らされていなかったが、鍋の具材と準備しているペーストを見て、恐らくビーフストロガノフだろうとアタリをつけた。
俺はこっそりといつも使っている隠し味を鍋に投入して、お玉をかき混ぜながら沙耶さんの奮闘ぶりを見守る事にした。
やがて全ての料理が完成した。
服や顔が汚れてしまっていた沙耶さんだったけど、表情は達成感に満たされていて、そんな沙耶さんが微笑ましく映った。
テーブルに配膳を終えて、親父と夕弦を呼び4人で食卓に着く。
盛り付けも決して綺麗とは言えず、見た目で食欲をそそる事は難しい出来栄えではあったが、香りは十分に美味そうと言える匂いが鼻孔を擽る。
「それじゃ、いただきましょうか」
「そうですね。いただきます」
沙耶さんが食べようと促して俺も手を合わせると、親父と夕弦も沈んだ表情で黙ったまま手を合わせる。
親父は沙耶さんに気を使っているのか、真っ先にメインのビーフストロガノフにスプーンをつけたのだが、イマイチ踏ん切りがつかないようでそこでスプーンが止まっている。
夕弦に至っては、眉間に皺を寄せてスプーンすら手に持っていない。
2人の様子を見て、沙耶さんの表情が曇り、やがて俯いてしまった。
「うん! まぁまぁじゃないですか? そうですね……60点といったところですかね」
家族3人が、沙耶さんの料理に採点をした俺に視線を向けてくる。
俺はそんな視線に構う事なく、もう一口スプーンを口に運ぶ。
「み、雅君……無理しなくても……」
「――何言ってんだ? 俺は正当な評価をしてるだけだぞ」
心配そうにそう言ってくる夕弦に、俺はキョトンとした様子で再び料理にスプーンをつける。
そんな俺を見て、親父と夕弦は目の前にある料理に向き直り恐る恐るではあったが、2人も料理にスプーンをつけて口に運んだ。
「――あ、あれ? 食べれる……ていうか、美味しんじゃないの?」
夕弦が思わずそう感想を零し、親父はその感想に目を見開いてウンウンと頷き肯定する。
俯いていた沙耶さんが、2人の反応に手を口に当てた。
俺はそんな皆の様子に、苦笑いを浮かべて他の料理に手を付ける。
うん。決して美味いと手放しに誉める事は出来ないが、食べるのを拒絶なんてするレベルじゃない。恐らく夕弦の言う事は大袈裟ではなく、以前の料理は相当な物だったんだろう。
でも、沙耶さんがキャリアウーマンではなく、母親としてちゃんとありたいと、今夜の為に必死に練習してきたのではないだろうか。
少なくとも料理をする沙耶さんの姿を見た俺には、そんな練習風景を思い描けたのだ。
「お母さん……その……ごめん」
夕弦が申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「いいのよ。今までが今までだったからね。ちゃんと出来てたみたいで良かったわ」
「――うん。美味しいよ」
微笑ましい親子愛。お涙頂戴ってシーンだと思う。
……だというのに。
「おい、雅! 沙耶さんのこんなに美味い料理に60点ってどういう事だ!」
顔を真っ青にして震えてたくせに、何言ってやがる、クソ親父!
「妥当な評価だと思うけどな……だって」
「だって……なんだ」
「このレベルで満足したら勿体ないと思うんだよ。沙耶さんの場合」
「え? 私ってもっと料理上手になれるの?」
「はい。さっき見てたら、1つ1つの工程に余裕がなくて後手に回ってしまってましたからね。余裕を持てるようになったら、もっと色々な事が出来るようになるはずです」
これは嘘ではない。本当にそう思ったんだ。
無駄な動きを省いていけば、キッチンでの視野が広がり、色々な考えやアイデアが生まれたりするもんだ。
いずれはレシピ本に載っていない事だって、沙耶さんなら出来ると思う。
「雅君! ううん、雅先生!」
「は? え? せ、先生?」
「私に料理を教えてくれないかしら!」
沙耶さんはキャリアウーマンとして第一線を戦うエリート社会人だ。
だからその仕事ぶりにはプライドだって高いレベルで維持してるだろう。そんな人が、大学生のガキに教えを乞うなんて屈辱なのではないだろうか。
であれば、培ったプライドを投げ捨ててでも、娘に家族に喜んで貰いたいという沙耶さんの気持ちを無下に出来るわけがない。
頑張って欲しいとも思う。
「勿論! 俺で良ければ、いつでも教えますよ」
「あ、ありがとう! 雅君!」
本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれて何だかむず痒くなったけど、心がポカポカと温かくなった。
やっぱり家族っていいよな。
ずっと大切にしたい――俺は改めてそう心に誓った。
◇◆
食事を終えて明日も仕事だからと親父と沙耶さんが先に風呂に入り、おやすみと挨拶を交わして自室へ向かっていく。
その後に夕弦が入り、最後に俺が風呂に入った。
親父達も興奮してたけど、ここの風呂はタワーマンションというだけあって、風呂場からの眺めも最高だった。
高い所から夜景を眺めるのは気分が良いもので、しかも裸で風呂に入りながらなんて想像した事もなくて、感動に耽ってつい湯あたりを起こしてしまいそうになった。
慌てて風呂から上がり、髪をバスタオルでガシガシと拭きながら脱衣所を出ると、ひんやりとした廊下の空間が茹で上がりかけた体を冷ましてくれる。
少しその場で涼んでからリビングのドアを開けると、俺の前に風呂からあがった夕弦がソファーに冷たい物を飲みながら、ちょこんと座っていた。
「あ! おかえりなさい雅君。お風呂凄かったですよね……って――きゃあぁぁ――!!!!」
顔を真っ赤に染めた夕弦が悲鳴のような声を上げて、腰に敷いていたクッションを手に取り、俺めがけて全力で投げつけてきた。
「ってぇな! なにすんだよ! 夕弦」
「な、な、な、何って! 雅君こそなんて格好してんのよ! こ、ここ、ここには女の子がいるって忘れてるの!?」
夕弦は俺に背中を向けながら、必死に訴えてくる。
(……俺の恰好?)
視線を自分の体に落として自分がパンツ以外何も着ていない事に気が付き、夕弦が何を慌てているのか理解した。
「わ、わわ、悪い! ついいつもの癖で!」
慌てて髪を拭いていたバスタオルで、主に下半身を中心に可能な限り裸を隠した。
「なんてもの見せんのよ! ばかーー!!」
夕弦は俺の方を見ずに、一直線に自室へ逃げ込んでしまった。
いきなりやらかしてしまった。
男の2人暮らしが長かったせいか、風呂上りなんていつもパンツ一丁で歩き回っていたから何の違和感も感じなかった。
そうだよ。いくら家族になったって言っても、これは夕弦が怒るのも無理はない。
俺は慌てて寝間着代わりのTシャツと短パンに身を包み、夕弦の部屋のドアをノックする。
「夕弦……ごめんな。デリカシーが足りなかった……ごめん」
ドア越しに謝ったが、中から何も返答が返ってこなかった。
小さく溜息をついて自室へトボトボと向かい始めた時、夕弦の部屋の中からコンコンと音が聞こえた。
「あ、明日からは……その、き、気を付けて……よね」
姿は見せてくれなかったが、そう言ってくれた事に安堵して夕弦の部屋の前に戻り、もう1度ノックする。
「分かってる。これからは気を付ける。本当にごめんな……おやすみ」
「……おやすみ」
とりあえず許しを貰えてホッと安堵した時、さっきから違和感があった原因に気付いた。
(――そうだ。夕弦が敬語を使わなくなったんだ)
そうなった原因が原因だけに手放しで喜ぶ気にはなれなかったけど、ずっと気になっていた事だったから、怪我の功名として納得する事にした。
後は俺の方だな――まだぜんぜん敬語で話してるんだよなぁ。
あれ以来敬語を使うなって沙耶さんは言わなくなったけど、気にはしてるはずだから、早急に直したいんだけど……思ってた以上に難しいもんだな。
大きな窓から、綺麗な夜景が見える。
今日は曇っているから無理だったけど、この家から遮る建物がない為、天気がいい日はスカイツリーも見えると沙耶さんが言っていた事を思いだした。
それにしても、俺がこんな凄い所に住む事になるなんてな。
再婚の話を聞いた時は、親父が幸せになるのなら何でもいいと思ってたけど、沙耶さんに感謝しないと。
――あ、そうだ!
俺はとりあえず初期設定を済ませていたPC立ち上げて、お気に入りのゲームチェアに体を預ける。
因みにこのゲーミングチェアも新たに購入したものだ。
俺はいつもの安物のチェアを使うつもりだったんだけど、長時間座る事が多いのなら、いい物を使わないと腰を痛めると沙耶さんに反対されたのだ。
そして新しく買ってくれたのがこのゲーミングチェアというわけだ。
トップ画面が立ち上がるのを見て、いつもの投稿型の小説サイトを開いて執筆画面に進む。
真っ白な枠組みの中の最上段のスペースにカーソルを合わせて、キーボードを軽快に叩く。
うん。ドキュメントになってしまうかもだけど、次の作品はこれでいこう。
満足そうに頷く視線の先にあるタイトル欄に『再婚から始まる、ホントの家族』と新しい作品のタイトルを書き込んだ。
だがこの作品のタイトルを書き替える事態になってしまう事を、今の俺に知る由も無いのである。
Face ~周りがどれだけ騒ごうと、俺は自分の顔が大っ嫌いなんだ!~
第1章 【新しい家族】 完
――――――――――――――――
あとがき
これにて第一章 完結となります。
ここまで読んで下さった方々に改めてお礼申し上げます。
20話のあとがきで皆さんに相談させて頂いた件ですが、あれから沢山の方々が当作品を読んで下さって、大変参考になるコメントや評価の☆を下さったり、またレビューも頂きました。
特に作品のフォロワー数が急激に増えて10月6日 午前0時現在で311まで増えて、毎日驚いてます。
また、PVの伸びが凄くて今までは1日のPVが1000を超える事がなかったのですが、20話以降見事に1000を超えただけではなく、その日から連続で1000を超える日が続きついには1日のPVが1500を超えるようになりました!
これも全て読んで下さった皆様のおかげでだと感謝しています。
さて、次話より2章に突入します。
ですが……ごめんなさい。
沢山の方々が読んで下さってるので、間隔を空けないで更新したかったんですが……現在大幅な書き直し作業中でして、間に合わない状況なんです……。
本来なら書き直しなんてする事なく投稿してたと思うのです。
ですが、これだけの方々に応援していただいているので、新作を書くかどうかはまだ決めかねている状況ではありますが、約束させて頂いている2章最終話までは少しでも良いものを読んでもらいたくて頑張ってたんですけど……。
書き直す事にした時は3日位間隔が空いてしまう計算でしたが、それじゃイカンだろと睡眠時間を削りまくって何とか1日だけ空けるところまで詰めたんですが……これが限界でした。
ですので申し訳ないのですが、2章連載開始は1日お休みさせて頂いて10月8日より公開させて頂きますので、応援宜しくお願いしますm(_ _)m
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます