episode・16 雅の最近の日常 

「え? 引っ越し?」


 新しく家族が出来て少し経ったある日、突然親父がそんな事を言いだした。


「あぁ、ウチも沙耶さんの家も5人家族となると手狭だからな」


 ホントに何でも突然だな。ここまでくるとワザとなんじゃないかと疑うレベルだ。

 でも、まぁ親父が言う事ももっともだとは思う。


「それで、これから物件探しとかするのか?」

「いや、もう新居は決めてあるんだ。沙耶さんの顧客だった人の持ち物らしいんだが、中古だがとてもコンディションも良くて、内装を少しやり直すだけで十分らしい」

「らしいって、親父もまだその物件見てないのかよ」

「まぁな。その物件の話も急に湧いた話らしくてな。俺も昨日聞いたばかりなんだ。勿論すぐにってわけじゃなくて、夕弦ちゃんの転校が決まってからになると思うんだけどな」


 夕弦の転校か。そういえばあれから連絡とってなかったな。

 進捗状況とか知りたいし、今晩にでも電話してみるか。


「まぁ、その話は時間がある時にでもゆっくり聞くよ。いってきます!」


 俺はそう言って玄関を出た時、ふと気付く。

 大学に向かう足取りが軽くなっている事に。

 俺は新しい生活に、何かを期待しているのかもしれない。


 はは……似合わない事考えてんな。


 大学へ到着して予定通り組んでいた講義の受講を終えた俺と瑛太は、偶然鉢合わせた大久保と3人で昼食を摂る為に食堂にいる。


「へぇ、月城君ってカフェでバイトしてるんだ。なんていうか……」

「似合わないって言いたいんだろ? 自分でもそう思ってんだよ」

「はは! 雅は時給とシフトの多さでバイト決めてるからなぁ」


 俺達はバイトが同じ家庭教師って繋がりでよく話すようになった。

 まぁ、俺はまだ1度も仕事をした事がないんだけどな。

 因みに今日もトルコライスを食べている。ホントここのトルコライスは最高だ!


「どこのカフェでバイトしてんの?」

「教えたら絶対に揶揄いにくるだろ。だから秘密だ」

「え~!? いいじゃん! ケチ~!」


 大久保はギャーギャーと文句を言いながら、昼食を食べている。

 因みに、大久保もトルコライスだ。もはやトルコライス専門店にしたらいいと思う。


「ねっ! 大山は知ってるんだよね? 月城君のバイト先」

「まぁ知ってるけど、この流れで教えたりすると雅に殺されるから教えねぇよ」


 ふっ! 流石長い付き合いの瑛太だ。よく分かってるじゃないか。

 因みに瑛太が食べているのは、素うどんだ……ってなんでだよ! 何でこの流れでトルコライス食べてないんだよ!は?金欠?あんなバカ高い腕時計買うからだろ!アホめ!


 今日は大学が引けた後、話題に上がったカフェでのバイトがある。

 友達なんて碌にいない俺は講義を終わるとそそくさと大学を出て、真っ直ぐにバイト先のカフェ直行する。


「お疲れさまです。マスター」

「お疲れさん。今日も凄く混んでるから宜しく頼むよ」

「はい。宜しくお願いします」


 俺は更衣室で制服に着替えていつもの眼鏡をコンタクトに変えて、ヘアワックスで髪を全体的に上げて清潔感を出した。

 この前緩いパーマを当てたのは正解だったかもしれない。

 髪を持ち上げて整える時、前の髪より纏めやすくなっていたからだ。


 ふむ。まぁこんなもんかな。


 最後に少し歪んだ蝶ネクタイを正して準備を済ませた俺はいつものようにホールに出ると、すぐに複数の客から呼ばれて対応に走る。


 本当にこの店はいつも流行ってて忙しいよな。ちょっと時給と合ってないって思ったけど、店長がすぐに時給を大幅にアップしてくれたから、文句はないんだけど……。まぁ、マスターが淹れる珈琲は美味いもんなぁ。俺も仕事が終わった後に淹れてくれる珈琲が楽しみになってるからな。


 一通りオーダーが落ち着いてカウンターに入った時、同じシフトだった人見さんがブー垂れてきた。


「ん~雅君と同じシフトって楽しさ半分、ウザさ半分って感じなんだよねぇ」

「なんですか? ディスってんですか? そういうのは本人がいない所でお願い出来ませんか? セミボッチの俺でも傷付いたりするんですよ?」

「別にディスってるわけじゃありませ~ん! 同じシフトだと単純に雅君と色々話が出来て楽しいもん」

「俺も人見さんと話すの嫌いじゃないですよ」

「ふふ、ありがと! でもね……どこでどう調べたのか雅君のシフトの時間はお客さんが多くて忙しいんだよねぇ。しかも女の客ばっかだし」

「ん? マスターの珈琲が美味くてお客さんが沢山来てくれるんですから、クビになる心配がなくていいじゃないですか」

「……それ本気で言ってんのよね?」

「本気ってどういう意味ですか?」


 人見さんは深い溜息をついている。俺はそんなに変な事を言っただろうか。ふとサイフォンに火を灯すマスターを見ると、いつになくご機嫌な様子で鼻歌なんて歌っていた。


 バイトが終わり着替えを済ませて更衣室出た時、裏口にいた人見さんに声をかけられた。


「お疲れ! 雅君」

「お疲れ様です。人見さん」

「これからどっかでご飯とかどう?」

「あぁ、えっと、すみません。これから電話しようと思ってて、多分時間かかると思うので……」

「電話!? もしかして彼女とか出来ちゃった!?」

「え? いえいえ! そんなんじゃないですけどね。はは」


 あまり家庭の事情を軽々しく話すのは気が引けるから、適当な言い回しで人見さんの誘いを断り自宅へ向かって歩きがら腕時計に視線を落としてスマホを耳に当てる。


「もしもし――今大丈夫か?」

「あ、雅君! 今勉強してたところですけど、大丈夫ですよ」


 俺は帰りながら試験勉強の進捗状況の確認をとると、この数日で結構溜まっているらしく、帰宅したらテレビ電話を繋ぐから待ってろと夕弦に告げて電話を切った。

 今日は親父が夕食の当番だった為、帰宅すると俺の分の夕食がテーブルに置かれていて、親父は先に食べて風呂に入っているようだった。

 俺はあまり行儀が良いものではないとは思いつつ、かき込む様に急いで食事を済ませて自室に戻って早速PCを立ち上げて、スマホを机に固定した。


「夕弦。ちゃんと映ってるか?」

「うん! ちゃんと映ってますよっ……て! 雅君! そ、それなんですか!?」

「ん? それって?」

「い、いつもと違うじゃないですかぁ!」


 あぁ、そういえば今日バイトだったから、髪をワックスで固めたままだったな。コンタクトは外して眼鏡に戻してるけど。


髪型これの事か? 今日バイトだったからな」

「い、いいと思います! いつもそうしてればいいじゃないですか!」

「はいはい。お兄ちゃんにお世辞なんて言っても、何も出ないぞ」

「うぅ……お世辞なんて言ってないですよぉ」


 何か言ってるようだが、無視して事前に解らない箇所のテキストのページの写メを撮って送らせた画像をPCに転送して、順にチェックしていく。


 (なるほど。夕弦はこの辺りが苦手なのか)


 夕弦が苦手とするポイントを把握した俺は、手持ちのテキストを広げてキーボードを叩いた後、PCから夕弦のスマホにデータを送信した。


「ん? 何か届きましたよ?」

「あぁ、夕弦が苦手にしてるところを含んだ例題を作ったから、その問題を使って教えるよ」

「おぉ! もしかして雅君って頭いいんですか?」

「現役でK大受かってんだぞ? ナメんなっての。それじゃ始めようか」

「はい! 宜しくです! 雅先生!」


 俺達はこの日は深夜までオンライン講義に没頭した。


 可愛い妹の為なら、バイト疲れなんて感じる事はない。

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