episode・15 新しい家族が出来ました 

 それぞれ注文した料理に舌鼓を打っていると、あの日から行われたであろう、沙耶さんと夕弦の話し合いの話題になった。

 俺と話して気持ちの整理がついたからと、2人の話し合いは特段トラブルを起こす事なく、比較的穏やかに和解に至ったそうだ。

 その話の中で驚いたのは、沙耶さんが仕事を辞めないと言った事だった。


 何でも辞表を提出したが、会社側が引き留めにかかっていたという。

 それでも仕事より家族を選んだ沙耶さんは会社側の気持ちを有り難く感じてはいたが、残留はしないつもりだったらしい。

 だけど話し合いを行った席で、夕弦が仕事はお母さんの趣味みたいなものだし、好きな事を奪われる辛さは分かるから辞めなくていいと言い出したのだという。

 ただし、まともな時間に帰宅する事、それと休日出勤はやめて欲しい。それが夕弦から掲示された条件だった。

 その条件を聞き遂げた沙耶さんはすぐに会社に申し出たところ、迅速に人事の整理が行われサブマネージャーを立てる事で、沙耶さんにかかる負担を大幅に軽減させて貰うと返答があったらしいのだ。

 この不景気だというのに、会社側がそこまで譲歩してきたのは、それだけ沙耶さんが優秀で手放したくない人材だったのだろう。


 こうして2人の話し合いは和解となったそうなのだが、問題はまだあった。

 それは沙耶さんの実家から夕弦を引き取る事だ。

 勘当された身の沙耶さんが再婚するから引き取ると話に行って、はい、そうですかとならない事は、俺も1度会っているから想像するのは容易かった。

 まともに話を聞いて貰えなかった沙耶さんは、その日から毎日実家に通ったそうだ。


「お母さん、毎日玄関先で土下座するんだもんなぁ」

「ちょ、ちょっと夕弦! それは言わないでって言ったじゃない!」


 夕弦がそう話すと、沙耶さんは顔を真っ赤にして夕弦の口を塞ぐ。

 その反応を可笑しそうに笑う夕弦を見て、この2人はもう大丈夫だと確信が持てた。正確に言えば心に大きな傷を負った夕弦の本音の部分で大きな溝が存在するはずだ。

 でも、これから家族として時間をかけていけば、きっと本当の家族になっていける。

 それは何も夕弦と沙耶さんだけに限った話ではなくて、俺や親父を含めた新しい家族としても同じ事だと思う。


 結局5度目の土下座で根負けしたのか、居間に通してくれたそうで、それから3時間ぶっ通しで沙耶さんの決意を熱く語って、最後にもう1度土下座して娘と住む事を頼み込んだ結果。

 これが最後だからなと釘を刺されたが、一緒に暮らす事の許しを得る事になったと話した沙耶さんは、本当に嬉しそうだった。


 再婚の話を聞いた時、親父が幸せならばって思っていた。

 でも今はこの2人を見ていて、俺もこれからの生活が楽しみになっていたんだ。これからの事を楽しそうに話す2人を見ながら飲むビールは本当に美味くて、やっぱり酒を呑む時は嬉しい席に限るなと思った。


「……なにニヤニヤしてるんですか? 雅君」


 おっと!気持ちが顔に出ていたらしい。

 夕弦は少し恥ずかしそうに俺を睨んでいるが、ちっとも怖さなんて感じる事はなく、寧ろ照れている夕弦が可愛いとさえ思えた。


「――なんでもないよ」


 俺は努めて表情を直してそう答えると、夕弦は腑に落ちない表情を見せたかと思えば、すぐに俯いてここからでは見えないが、両手を膝元で何やらモジモジと落ち着きのない様子を見せる。

 何やってんだろうと首を傾げてると、俯いた顔を少しだけ上げて上目遣いの視線を向けてきた。


「あ、あの、雅君」

「ん?」

「えっと、こっちで暮らす事になったら今の学校に通うのが大変だから、転校しようと思っているんです」

「あぁ――言われてみれば、結構距離あるもんな」


 そうだ。問題がまだ残っていた。

 確かに沙耶さんの実家はけっこう遠方にある。

 交通費がマジで痛いって思える程に……。

 親父も沙耶さんも仕事がこっち方面である以上、生活基盤はやはりこちら側になってしまうから、転校は避けられない事だ。


「そ、それで、ですね。私こっち方面なら行きたい学校があるんです。でも……今の私の成績じゃ、ちょっと厳しいんですよね」


 あぁ、なるほどね。言いたい事は分かった。それで言い難そうにしているのも分かった。


「うん。それで?」

「時間がある時でいいから、勉強教えて貰えない……ですか?」


 だよな。初めて会った時、沙耶さんに勉強を見て貰えって言われた時、拒否した形になってたから言い難かったんだろう。


「いいよ。まぁ、距離が距離だから、直接ってわけには簡単にはいかないけど、テレビ電話を利用したら出来ない事はないしな」

「ほ、ホントですか!? ホントに教えてくれるんですか!?」

「あぁ、可愛い妹の頼みは断れないだろ」

「か、かわっ!?」

「ん? それに今度家庭教師のバイトを始める事になっているから、いい練習になるしな」


 そうなんだ。人に勉強を教えるって事を今まで生きてきて1度もした事がない俺にとって、夕弦のお願いは絶好の練習になるのだ。


「お前、またバイト増やすつもりなのか!?」


 家庭教師のバイトの事を知った親父は、困った顔付きでそう問いかけてくる。

 そういえば、親父にまだ言ってなかった事に今頃気付いた。


「またっていうか、書店のバイトは移転でクビになったから、今はカフェのバイトだけなんだ。だから心配いらないって」

「今のバイトだけで十分だろ。バイトばかりするんじゃなくて、せっかく入った大学なんだ。もっと大学生活を楽しめって言ってるだろ」

「大丈夫だって。俺は今でも十分楽しんでるからさ」


 うん、楽しんでる。嘘じゃない。

 普通の大学生らしい楽しみ方ではないかもしれない。でも、俺は将来に向けて努力しているし、充実だってしていると思う。

 リア充と呼ばれる充実の仕方ではないけど、俺は今でも楽しめてると言える。


「あの……ね、雅君。貴方がバイトばかりする理由は太一さんから聞いてるし、その考え方は凄く立派だとも思ってるの……でもね? こんな言い方すると気を悪くするかもしれないけど、私は平均年収より大きく収入があるわ。だからこれからは余裕のある生活が出来ると思うの」


 本当に言い辛そうだな。親父の立場を考えれば当然か。

 それでも敢えてそう言ってくるのは、俺の為を思っての事だというのは分かってる。


「だから雅君はお金の事は心配せずに、太一さんが言うように大学生活を楽しんでいいのよ?」

「ありがとうございます。嬉しいですし、感謝もしています。でも、これは俺にとって絶対に成し遂げたい目標なんです……だから、家計が豊かだろうとそうでなかろうと、俺は自分の為に頑張りたいんですけど――駄目ですか?」


 俺がそう話すと、隣に座っている親父は小さく息を吐いて後頭部をガシガシと掻く。だが沙耶さんは少し厳しい目をして俺から目を離そうとしない。


「あ、あの……」


 空気が悪くなった。

 せっかくの仕切り直した食事会が、俺のせいで駄目になるのは本意ではない。

 慌てて何か言おうとした時、沙耶さんの顔が柔らかくなった。


「分かったわ。その代わり1つだけ条件があるの。いい?」

「何でしょうか」

「私に敬語を使うのを止めてくれないかしら。夕弦には普通に接しているのに、私だけ部外者のお客様みたいに思えて寂しいのよ」

「いや、でもですね……」

「駄目かしら? なら家庭教師のバイトは母として断固反対します!」


 えぇ!?なにそれ、公開処刑ですか?

 そんなん滅茶苦茶恥ずかしいじゃないですかぁ……。


 ふと視線を感じて目線を沙耶さんから外すと、沙耶さんの隣に座っている夕弦が口を手で隠しているが、ニヤニヤしているのが分かった。


 (こいつ……楽しそうにしやがって)


 助けを求めるように隣を見てみると、親父もニヤニヤと俺を見ていた。


 (――親父あんたもかい!)


「わ、分かりま……分かったよ。暫くは、敬語が出るかもしれないけど、これから努力しま……するよ」

「えぇ。それでいいわ。雅君が気を遣わず話して貰えるように、私も頑張るから……これから家族として宜しくお願いします」


 ――沙耶さんがそう言って頭を下げると、ついさっきまでニヤニヤしていた夕弦も頭を下げていた。


 俺と親父も慌てて、でも気持ちを込めて「宜しくお願いします」と2人に向かって頭を下げた。

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