episode・10 夕弦を追って 

『別居している』

 そう夕弦ちゃんに告げられた俺は何も言えずに、駅へ向かおうとする彼女を引き留められずに見送ってしまった。

 そう話す彼女の顔があまりにも寂しそうであり、でも大きな瞳に怒りが滲んでいたから。


 俺は来た道をゆっくりと自宅へ向けて歩いている。

 あの時――初めて沙耶さんを見た時に感じた正体は、この事だったのだと気が付いた。色々な家庭があり、色々な人がいる。

 俺自身も悪い意味で特殊な人間で、基本的には他人に深く関わる事を拒否している人間だ。


 でも、家族になるかもしれない人間となると、事情が変わってくる。

 ボッチ気質の人間は、基本的に全てを疑いながら生きている奴が多い。だけどそんな人間だからこそ信じる事が出来る家族に対してだけは、何か出来ないかといつも考えて生きている。少なくとも俺はそういう人間なんだ。


 妹になる予定の夕弦ちゃんだって、まだ確定していない間柄とはいえ例外にはならない。


 帰宅すると、親父と沙耶さんが玄関まで出迎えにきた。

 2人の顔色は悪く、夕弦ちゃんの事が心配で仕方がなかったのだろう。

 俺はとりあえずテーブルに戻ろうと2人に促して、再び元の席に腰を下ろす。

 もうすっかり料理は冷めて油が浮いてしまっていて、お世辞にも美味そうには見えなかった。

 どうやら俺が出て行った後は、2人共料理に口をつけなかったようだ。


「……雅」

「ん?」

「夕弦ちゃんはああは言っていたけど、俺達の事を心配してくれていただけなんだ」

「あぁ、分かってる。それより彼女が言ってた、どこまで知ってるっかって事なんだけど」


 そう言うと、親父は俺が何が言いたいのか察したのか、力強く頷いた。


「沙耶さんから全部聞いて知っている。知った上で一緒になりたいと思ったんだ」

「そっか。それならいいんだ」


 親父から全てを受け止めていると聞いて安心した。

 であれば、俺がするべき事は――まず。


「沙耶さん。親父が全てを知っているのは分かりました。でも、俺は貴方の事を知りません。親父が選んだ人だから、後から知っていければいいとも思ってたんです」

「えぇ、そうね。今日はね、雅君と夕弦に今までの私の事、それとこれからの私達の事を聞いて貰いたくて、お邪魔したの」

「そうですか。時間はまだ沢山ありますので、是非聞かせて下さい」


 ◇◆


 翌日の夕方、俺は夕弦が通っている学校の正門前に来ていた。


 昨夜、沙耶さんの実家の住所と学校名を教えて貰ったからだ。

 始めは実家の方に向かったのだが、どうやら沙耶さんは勘当されているような状態で、俺が関係者だと説明すると夕弦ちゃんの祖父に門前払いを喰らってしまった。

 携帯の番号も教えてもらったけど、ずっと電源が入っていない状態で繋がらない。沙耶さんからの電話を無視したかったからなのかもしれない。

 それで最後の手段が下校する夕弦ちゃんの出待ちしかなかったわけなんだけど、正直不審者だと通報されないかヒヤヒヤしている。


 ほら、だってさ……俺だよ? 自分でも怪しいって思うもん……。


 お洒落パーマを当てたとはいえ、前髪が鬱蒼と茂っているように伸ばし、ガリ勉黒縁眼鏡はやはり悪い意味で目立ってしまっているようで、下校時間になって学校を出てくる高校生達に警戒の目を向けられている。

 だが、前髪と眼鏡で目線に気付かれにくい特性を利用して、出てくる女子生徒を横目で一人残さずチェックしていく。


 通報されませんようにと願いながら、チェックを続けていたが、とうとう最終下校時間になってしまい生徒の姿がすっかり無くなってしまった。


 見落とさないように心がけたつもりだったのに……てかあんな目立つ可愛い子を見落とすとか、人間ウォッチが得意技のセミボッチの風上にもおけない失態だ。


 いや、まて。もしかしたら今日は学校を休んでいたのかもしれない。

 だとしたら、やっぱりもう1度沙耶さんの実家に行って頼み込むしかない。


 これからの考えを纏めて学校を離れようとした時、1人の少女が正門から出てきた。だが、出てきた少女はおさげ姿で人の事は決して言えないが、ダサい黒縁眼鏡をかけていて、雰囲気も良く言えば大人しそう、悪く言えば地味な女の子だった。

 全くの別人と判断して間違いないんだけど、俺は足を止めた。

 

「夕弦ちゃん? 夕弦ちゃん……だよね?」

「……人違いです」


 口では否定していた少女だったが、眼鏡の奥の瞳が大きく見開いているのが見えた。


 こいつ俺の事に気付いてたくせに、気付かないふりして無視するつもりだったな。


「可愛い妹を見間違えるわけないじゃん」

「……キモイんですけど」


 ひでぇ……。


「はぁ――わざわざこんな所まで来て、何か御用ですか?」

「あれから沙耶さんから全部聞いた。それを含めて改めて夕弦ちゃんと話がしたくて。番号教えて貰ったから、電話でもよかったんだけど繋がらなかったからさ」

「……そういえば雅さんの家を出てから、携帯の電源切りっぱなしでした」


 夕弦ちゃんはそう言って鞄から携帯を取り出して、電源を入れた。


「今時のJKが携帯を1日切りっぱなしで、滞りなく生活出来るって事は……友達いねぇのか?」

「なっ!? ば、馬鹿にしないで下さい! と、友達くらい沢山いますから!」

「あぁ……友達がいない奴の典型的な台詞だぞ、それ」


 そう言うと夕弦ちゃんはプクっと頬を膨らませ俺を睨みつける。昨日初めて会った時から、ずっと澄ました表情しか見せなかった彼女が初めて高校生らしい子供の表情を見せてくれて、何だか可笑しくなった。


「まぁ、今はそんな事はどうでもいいよ。それより少し時間貰えないかな?」

「どうでもいいって……ま、見破ったご褒美に付き合ってやらない事もありませんけど、その代わり奢って下さいね」

「分かってるよ。高校生相手に割り勘するほど、落ちぶれてないって」


 俺達は駅前にあるカフェに入った。

 店内はジャズが流れて大人の雰囲気が漂う落ち着いた造りで、高校生が好む店とは思えない渋い店だった。


「ここってよく来るのか?」

「はい。静かだから、時々ここで本を読んでます」


 こういう所を好む女子高生。やはり本が友達ってパターンか……そう言うとまたムキになるから黙っておこう。

 俺は珈琲を、夕弦ちゃんはパンケーキとミックスジュースを頼んだ。

 奢りだからって少しは遠慮してほしかったなぁ……。


「それで話ってなんですか?」

「あぁ、まず夕弦ちゃんが再婚に反対な理由を、具体的に教えて欲しいんだ」


 俺は沙耶さんから聞いた話と、夕弦ちゃんの話に食い違いがないか確かめようとした。

 夕弦ちゃんは少し渋ったが、そんな時にパンケーキが運ばれて機嫌が良くなったのか、幸せそうにパンケーキを頬張りながら話を始めた。


 ……話すか食べるか、どっちかにしなさいって小さい時に怒られませんでしたか、夕弦ちゃん?

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