episode・9 はじめまして
「こんばんは。お招きありがとう。太一さん」
玄関から品の良い声が聞こえる。
この声の持ち主が、再婚相手の沙耶さんだというのは直ぐに分かって、俺は少し出遅れた足を速めて親父の斜め後ろに立った。
「いらっしゃい、沙耶さん。道に迷わなかった? やっぱり駅まで迎えに行けば良かったね」
「いいえ、土地勘がない所を歩くのって、探検しているみたいで楽しかったわ」
少し親父と話した沙耶さんは後ろに立っている俺と目が合って、ニッコリと微笑んだ。
「はじめまして、成瀬 沙耶と申します。宜しくお願い致します」
「あ、初めまして、息子の月城 雅といいます。こちらこそ宜しくお願いします」
立ち姿勢がとても綺麗で、真っ直ぐにお辞儀をする姿と言葉使いだけで、とても上品で且つ所謂『出来る女』のオーラを感じた。
俺はセミボッチという立場から、人の視線や言動に敏感な方で、何気ない仕草からでも裏があるのではないかと考えてしまう質の悪い性格なのを自覚している。
そんな俺から見た沙耶さんは、確かに完璧な女性だと思うのだが、チラチラと不安気な空気を隠しきれていない事にも気付いた。
その直後、沙耶さんのそんな空気の正体を知る事になる。
「次女の夕弦です」
「はじめまして。次女の
長く艶やかで綺麗な黒髪をふわりと揺らし、白い肌に整った目鼻立ちの少女がここからでは見えない場所から沙耶さんの隣に立つ。
自己紹介をする彼女はどこか不思議で挨拶の台詞とは裏腹に、警戒心とか敵意とは違う、どこか俺たちを憐れむ色を感じた。
「玄関先で立ち話も何だし、とりあえず狭い所だけど上がってよ」
「えぇ、お邪魔します」
「……お邪魔します」
親父が家の中に招き、沙耶さんと夕弦ちゃんが玄関を上がりリビングへ歩みを進める。俺は夕弦の纏っている不思議な空気が気になったが、とりあえず考えないようにして3人の後を追った。
親父達にお茶を出して少し話をした後、間が持たなくなる前に動くことにした。
「親父と沙耶さんのお祝いという事で、お口に合うか分かりませんが今夜は俺が夕食作らせて頂きます」
「え? 雅君お料理できるの?」
「一応我が家の台所は俺が仕切ってますので、人並みには作れると思います」
「料理ができる男の子って素敵ねえ。ありがとう、雅君」
「さ、沙耶さん!? 俺だった多少は作れるんだよ?」
「卵焼きをスクランブルエッグ……いや、炒り卵にするのを料理ができるって言ったら、世の中の殆どの人間が料理できるって事になるんだぞ? 親父」
「なにぃ!? 俺だって本気出せば卵焼きだろうがフランス料理だろうが余裕だぞ!」
やれやれ。そこで対抗心燃やしてどうすんのさ、まったく。
「ふふふっ」
出来もしない事に対抗心を燃やして見栄を張る親父にため息をついてると、不意に沙耶さんの愉快そうでいて、それでも上品に笑う声がした。
「沙耶さん?」
「ふふ、ごめんなさい。太一さんと雅君があまりにも仲良さそうだったから、つい」
慌てる親父に沙耶さんがそう答えれば、隣で静かに俺が淹れたお茶を飲んでいた夕弦も肯首するように頷いている。
まぁ仲は良いと思う。
他所の家庭ではどうか知らんけど、どうしようもなかった俺を見捨てずに体を張って父親をしてくれた人なんだ。そんな人を大切にしない程、落ちぶれたつもりはない。
「うん。雅は大切なたった1人の息子だからね。でも、これから沙耶さん達も家族になる。こんな幸せな事はないよ」
「えぇ、私もよ。太一さん」
似たような事を考えていた俺だけど、こうして恥ずかし気もなく口に出されてしまうと、照れ臭くなってこの場に居づらくなってしまった。
「えっと……それじゃ、そろそろ夕飯の支度してきますね」
親父と沙耶さんのラブラブ攻撃をまともに喰らった俺はこの場から非難しようと、極力平静を装って夕食の準備の為に席を外して台所に入った。
リビングの方から、楽しそうな親父達の笑い声が聞こえる。どうやら変な空気にならずに盛り上がっているようで、ホッと胸を撫で下ろす。
下ごしらえを既に済ませていて急ぐ必要はなかったんだけど、話なら飯の時でも出来るわけだし、今は少しでも喜んでくれるように気合いいれて料理に専念する事にした。
「……あの」
鍋に火をかけて材料を煮込み始めた時、不意に夕弦ちゃんが台所に姿を見せた。
「ん? えっと、夕弦ちゃんだったよね? どうした? 紅茶が口に合わなかったかな?」
「いえ。私もお手伝いしようと思って」
そう言った夕弦ちゃんは少し袖を捲って、下ごしらえを終えた食材を眺めている。
「い、いや、いいよ。夕弦ちゃんもお客さんなんだから、リビングでゆっくりしててよ」
「あの空気でゆっくりなんて出来ません。それに月城さんも逃げて来たんじゃないんですか?」
今時の高校生なんて、自分勝手で空気が読めない人種ばかりだと思っていたから、完全に図星を突かれた事もあり口をパクパクさせるだけで、そんな事はないと否定する言葉が出てこなかった。
「それに、月城さんにお話があるんです」
「話? ていうか家族になるんだし、苗字呼びは変じゃないか? だから俺の事は名前で呼んでくれていいよ。それか……お、お兄ちゃんでも……可?」
「何で疑問形なんですか? じゃあ雅さんに話したい事があるんですけど」
お兄ちゃん呼び案はスルーですか――そうですか。
ていうか、談笑しに来た雰囲気じゃないな……これ。
「話ってなに?」
「雅さんはこの再婚に、反対じゃないんですか?」
「反対? 夕弦ちゃんは反対なの? 親父に何か問題があるのかな?」
「いえ、凄く優しそうな人だと思ってますよ。そうじゃなくて、雅さんは私の母の事どこまで知ってるのかと思って」
「沙耶さんの事? ん~……実はよく知らないんだ。沙耶さんの名前と夕弦ちゃんみたいな子供がいる事も、今日知ったくらいだしね」
「……そんなんで、よくこの再婚賛成しましたね」
夕弦ちゃんは呆れたように溜息をつく。
呆れるのはもっとだとは思う。でも、親父がどれだけ苦労してきたか知ってるから、無下に反対なんてしたくなかったんだよな。
「もしかして、お母さんの事嫌いなのか?」
「……詳しい事は後で話します」
夕弦ちゃんはそう言った後からは、黙々と料理を手伝うばかりで再婚の事について何も口にしなくなった。
そうしているうちに料理が出来上がっていくにつれ、食卓が賑やかになっていく。
配膳を終えた俺は親父と沙耶さんを呼び、4人揃ったところで親父の音頭でそれぞれのグラスを突き合わせた。
「美味しそうねぇ。これ全部雅君が作ったの?」
「はい、夕弦ちゃんにも手伝って貰いましたけどね」
親父達は早速料理に箸をつけ始めた。
「美味しい! 私中華に目がないんだけど、お金取ってもいいくらい本当に美味しいわ」
「お口に合ってよかったです。夕弦ちゃんはどうかな?」
「お、美味しいです」
ちょっと驚いている様子を見ると、どうやらお世辞ではないようで嬉しかった。
「そういえば、雅君ってK大生なんだってね?」
「はい。2回生やっています」
「凄いわねぇ! あんな名門大学に現役で合格しちゃうんだから。太一さんよく貴方の事を話して聞かせてくれてたのよ」
「ちょ、ちょっと! 沙耶さん」
普段は暗いだの、友達はいないのかだの、バイトばかりしてないで彼女くらい連れてこいだの、文句ばかり言ってる親父がそんな事を話している事を知らされたら、どうリアクションしたらいいのか困ってしまう。
「そうだわ。一緒に住むようになったら、夕弦も雅君に勉強をみてもらったら?」
「……私の成績なんて知らないくせに、勝手な事言わないで」
「ゆ、夕弦?」
夕弦ちゃんの一言で、食卓の空気が一瞬で変わる。
親父も俺もそんな空気に飲まれて、ただ見ているだけしか出来なかった。
「月城さん。母と本当に再婚するつもりなんですか?」
「え? あ、あぁ。僕は沙耶さんと本気で一緒になりたいと思っているよ」
「母の事どこまで知っているのか知りませんけど、止めておいた方がいいですよ。母は確かに働く人間としては一流かもしれませんが、嫁としては3流もいいとこですから……子供をほったらかして仕事仕事で、碌に家に帰ってもこない人なんですよ? 月城さん――母に騙されているんじゃありませんか?」
坦々と話す事しかしなかった彼女の語尾が荒くなってくる。
「ちょっと、夕弦! 太一さんに失礼な事言わないで!」
「何が失礼なの!? 私は親切で言ってるんじゃない!」
「私の事はいい! でも太一さんの事を悪く言わないで!」
「はっ! 今更、何恰好つけてんのよ!!」
夕弦ちゃんは徐に席を立ち、正面に座っている俺に頭を下げた。
「雅さん。せっかく作ってくれたのに……ごめんなさい――帰ります」
夕弦ちゃんはそう告げると鞄を手に持ち、俺達に背を向けてリビングを出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! 夕弦!」
沙耶さんも席を立ち、夕弦ちゃんを追いかけようと鞄を手に持った所で、俺も席を立った。
「沙耶さん待って下さい。俺に行かせて貰えませんか?」
「え? いえ、でも……」
突然の申し出に困惑していたが、俺は構わずそのまま玄関を飛び出した。
エントランスを抜けて通りに出たが、夕弦ちゃんの姿は見当たらない。
電車でここまで来たようだったから、俺は駅を目指して駆けた。
「夕弦ちゃん!」
駅前まで走った先に、ようやく夕弦ちゃんの背中を捉えて呼び止めた。
「……雅さん」
「はぁはぁ……歩くの早いね。ここまで追い付かないとは思わなかったよ」
「お母さんが追いかけくると思ってましたから走ってたんですけど、雅さんが追いかけてきたのは意外でした」
「沙耶さんが追いかけようとしてたんだけど、俺が止めたんだよ」
「どうしてですか?」
「また後で話すって言ってた事、聞かせて貰ってないから」
駅前の街灯に照らされた彼女の表情は、儚くて寂しそうに見えた。
「そうでしたね。ごめんなさい」
そう謝る夕弦ちゃんから食卓で見せた棘は感じられず、本当に申し訳ないという仕草を見せた。
「さっき帰るって言って出て来ましたけど、お母さんの家に帰るわけじゃないんです」
「え? どういう事?」
「私、お爺ちゃんの家に住んでて、お母さんとは別居してるんですよ」
――――――――――――――――――――――――
あとがき
Faceへの作品フォロー数が100を超えました!
こんなペースでフォロー数が増えたのは初めてで、正直驚いています。
フォローして下さった皆さんありがとうございます!
大変励みになってます。
これからも頑張っていきますので、応援宜しくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます